真鶴 (文春文庫 か 21-6)

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  • / ISBN・EAN: 9784167631062

感想・レビュー・書評

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  • あなたにとって、思い入れのある場所はどこでしょうか?

    世界には数多の観光地があります。例え仕事をやめて一生そんな観光地巡りをしたとしてもその全てに行き尽くすことなどできません。もちろん、観光地といっても幅があります。例えば、それを世界遺産だけと限れば行き尽くすこともできるかもしれません。しかし、それでは単に巡ること自体が意味となってしまいます。もちろん、それも考え方ではありますが、せっかく訪れるのであれば、自身が行ってみたいと感じる場所に行きたいものです。

    そう、私たちはそれぞれに嗜好が異なり、世界各地のどの場所に心囚われるかは当然に異なります。”リピーター”という言葉がある通り、新しい場所を次から次へと訪れることよりも自分が好きと思える場所に何度も訪れる、それがその人にとって心地よい時間と考えるのであれば、もしくはその場所を訪れること自体に何らかの意味があるのであれば、その行為は単に新しい場所へ行くことを目的とした旅よりも遥かに意味のあるものなのだと思います。

    さて、ここに「真鶴」という場所へ何度も赴く一人の女性が主人公となる作品があります。

    『また、真鶴へ?…真鶴に、いったい、なにがあるの』

    そんな風に実母に訊かれ、

    『なにも、ないけれど、いく』

    そう答える主人公が登場するこの作品。そんな「真鶴」の地を訪れて『こうしてまた真鶴へとひきよせられて来たのか』と、自らの心の内に目を向ける女性の姿を見るこの作品。そしてそれは、そんな女性が『真鶴に置いてきたもの』を知り、その先に歩き出す瞬間を見る物語です。
    
    『歩いていると、ついてくるものがあった。まだ遠いので、女なのか、男なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた』というのは『入り江の宿を出て、岬の突端に向かう』主人公の柳下京(やなぎもと けい)。『東京駅で人と会う用件があ』り、その後『中央線に乗ろうとしていたのに、どうしてか東海道線に足が向かい、乗った』という京は、『心ぼそくな』るのを『我慢した』挙句、『真鶴』で降りてしまいました。『母親年配と息子年配の男女の二人でやっている小さな宿に、泊まった』京は、『「朝食は」と聞く息子の声に、おぼえがあ』りますが、『それが誰なのか思いだせ』ません。その後、『地下にある』暗い『風呂』に入りながら、『青茲(せいじ)のことを思いうかべ』る京は『カーテンの隙からみえる外の色が黒から青に変わるころ』眠りにつきました。そして、九時過ぎに起きた京は、『岬までの道を聞』くと、宿を後にします。『ゆるやかなのぼりの一本道だった』という道を歩いている時、『息子の声が、誰に似ているのかを思い出し』た京。それは、『失踪した夫、十二年前に突然姿を消した夫の、寝入りばなの声に似てい』たのでした。『何のしるしも残さず、居なくなった。消息は、今もいっさい聞かない』という夫の礼(れい)。そんな時、『ついてくるものが、す、と離れていった』のを感じた京は、『夫が失踪して二年間』のことを思い出します。『母に頼んで一緒に住まわせてもらい、来る仕事をすべて引き受け』という日々。そんな日々の中で出会い、すぐに関係も持ったのが青茲でした。再び歩き始め『岬の突端が近づいて』くると、『またついてくるものがあ』ります。『こんどは女だ』と思う京は、『ついてくるもののことを、誰に話したことも』ありません。そんな京は、『夫は死にたいと思ったのだろうか。それとも、生きたいと思ったから失踪したのだろうか』と考えます。そして、駅へと引き返した京は、『各駅停車』に乗りました。場面は変わり、『ただいま』とよびかける京に『あいまいな声をたて』るだけなのは、娘の百(もも)。一方、『母は買い物に』出かけていることを知った京は、百に『今日のお弁当、なんだった』と訊きます。それに『鶏だった、少し甘いの』と答える百は『来週の水曜、保護者会があるよ』と言います。それに『出席に丸して、出しといて』と伝えた京。そんな中、『母が帰ってき』ました。『真鶴、どうだった』と訊かれ、『つよい場所だった』と返す京。そんな京、母、そして百という女性三人の日常と、京の元にあらわれる不思議感あふれる『ついてくるもの』が描かれていきます。

    “12年前に夫の礼は失踪した、「真鶴」という言葉を日記に残して。京は、母親、一人娘の百と三人で暮らしを営む。不在の夫に思いをはせつつ、新しい恋人と逢瀬を重ねている京は何かに惹かれるように、東京と真鶴の間を往還する”。そんな風に淡々と舞台背景が紹介されるこの作品。2007年に”芸術選奨文部科学大臣賞”という賞も受賞しています。

    それにしてもこの作品は兎にも角にも「真鶴」という地名、漢字ふた文字の書名と、表紙目一杯にこの二文字だけを配するという大胆極まりない表紙がインパクト絶大です。そんな「真鶴」という土地を、あなたは訪れたことがあるでしょうか?残念ながら私にはあまり縁のない土地で朧げながらおおよその場所を知るのみです。そんな地には半島があり、その形が”鶴”に似ているからという理由で「真鶴」と名付けられたとされています。思わずGoogleMapを開いてみましたが、三浦半島と伊豆半島の間にこんな不思議な形をした場所があるとは今の今まで知りませんでした。中学校の教科では地理が一番好きだったんですけどね(笑)。さて、そんな「真鶴」は”東京”からJR東海道線で18駅・1時間34分という距離感の場所でもあります。この作品には、小田原、国府津、そして熱海といった同じくJR東海道線の駅名も登場します。何せ書名が「真鶴」ですから、そういった位置関係をおおよそ理解してから読書に入るのが吉だと思います。

    では、この作品を見ていきたいと思いますが、やはり「真鶴」なんだと思います(笑)。上記の予習ではなく、本編に記される彼の地の不思議な魅力を見ていきたいと思います。まずは、「真鶴」の海を描写した箇所をどうぞ。

    『海はつまらない。波が寄せるばかりだ。中くらいの岩に座って沖を見た。風が強い。飛沫がときおりとどいて濡れる。立春はとうに過ぎたというのに、寒い日だ。船虫が岩の下に入ったり出たりする』。

    もう一箇所どうぞ。

    『風が強い。さきほどよりも、さらに強くなっている。港の中はいくぶんか波が低いが、堤防をけずりとる勢いでどんどん外から波がおしよせてくる』。

    どうでしょうか?もちろん季節ということもあるとは思いますが、それでも「真鶴」という土地、そしてその海は太平洋に面しています。まるで日本海を思わせるようなこの海の描写に驚きます。ほんの50分、東へ車を走らせれば、湘南の海と考えてもこの表現の厳しさには驚くしかありません。そして、そんな『半島の突端』でバスを降りた主人公・京が辿る景色を見てみましょう。

    『いったん崩れて、またあらわれた白いレストハウスが、今は元のかたちを残さぬほどに朽ち果てている』と、『いつか来た場所』へと降り立った京は、『岬から海へ降りる階段を』進みます。『階段がとぎれると、コンクリートでかためた斜面があらわれ、しばらくするとまた階段になる』という先に、『凪だ。潮が引いて、沖にある大岩までつづく岩礁があらわれている』という光景を目にした京。『岩から岩へ、飛ぶようにしてゆく。大岩はきりたっていて、のぼることはできなかった。引き返して、海岸から水平線をみる』という京は、『夕日がしずんでゆくまで、みつづけ』ます。

    こちらも上記した日本海を思わせるような荒れた海の表現の延長線上にあるような雰囲気が漂います。これが次に挙げる事がらと雰囲気感を見事に共通とし、物語世界を作っていきます。上記した通り、私は「真鶴」という地を訪れたことがないのでなんとも言えませんが、ある意味とても絵になる土地とも言え、是非訪れてみたいと思いました。

    そして、この物語世界の雰囲気感を終始支配するもの、それこそが、物語冒頭に『歩いていると、ついてくるものがあった』と、物語を読み始めた読者をいきなり不穏な空気が包む『ついてくるもの』の存在です。川上弘美さんの作品には人のようでいて、人ではない存在が登場するものがあります。例えば「龍宮」では、”おれはその昔蛸であった”と話す存在など、”不思議世界のイリュージョン”を八つの短編それぞれに魅せてくださいます。一方でこの作品に登場する『ついてくるもの』とは、さらに抽象的です。

    ・『ついてくるのは、海のものかとも思った』。

    ・『うじゃうじゃついてくることが、ときたまある… 二十人も、三十人も、いっぺんにくる』。

    ・『密度の高いものだった。人間ではない、毛のはえた動物のようなもの。安定期に入り、つわりがおさまったころのわたしに、似たもの』。

    なんだかわかるようでわからない不思議な存在、それが『ついてくるもの』です。物語では、そんな『ついてくるもの』の中でも、

    ・『女はまだついてくる。言いたいことがあるのだろうか』。

    ・『その女が二日つづけてついてきたので、ふたたび真鶴に行こうと思った』。

    という『ついてくる』『女』に集約されていきます。明確に複数回ついてくることから、『言いたいことがあるのだろうか』と思う京は、「真鶴」へと向かいます。それこそが、『礼となにか関係のある女だという気がした』という感情に基づくものです。

    この作品で主人公を務める京は、『頼まれていた小説の、最初の稿ができた』という表現から小説家であることがわかります。作品中、特に後半になって、そんな小説家・京が執筆を行う場面も登場しますが、一方で、内容紹介にもある通り、そんな京は『十二年前に突然姿を消した夫』に今も心を囚われています。それを「真鶴」の海の表現の延長線上にこんな表現で描く川上さん。

    『礼は、引き潮のようだった。踏みしめていても、からだをもってゆかれる』。

    そんな礼が書き記した日記の中に『失踪のひと月ほど前の日付』で書かれた「真鶴」のふた文字にこだわる京。そんな京は一方で青茲という『家庭というものに属している』男とも逢瀬を重ねていきます。物語は、そんな中途半端な状態の中で心が揺れ続けている京の心の内を『ついてくるもの』の存在を絶妙に重ね合わせながら描いていきます。この表現が絶妙です。『風呂をで、青茲とちがって』、『息子が紙に鉛筆で説明した』、そして『するとき、青茲は声をたてる。笑うときには、たてないのに』と、文字を追っていくとどこか引っかかり感じる表現の数々が読書のスピードを落とさせます。そして、上記したように太平洋を描いているのに何故か薄暗い、鬱屈とした風景の描写が心をどんよりさせます。さらには、これまた上記した通り『ついてくるもの』という、どこかこの世のものでないものの存在が読む者を鬱屈とした空気の中に閉じ込めていきます。これは不思議な読書です。読むのをやめたくなるのにやめたくない、早く読み終えてしまいたいのに、読み終えたくない、なんとも摩訶不思議な感情に包まれます。そんな中に、一つの結末を見る物語、「真鶴」という地名に、心囚われる物語だと思いました。

    『夫は死にたいと思ったのだろうか。それとも、生きたいと思ったから失踪したのだろうか』。

    そんな思いに囚われたまま十二年の歳月を送ってきた主人公の京。この物語では、そんな京が「真鶴」という地を幾度も訪れる先の物語が描かれていました。どこか読みづらい文章の連続に、結果として一文一文にじっくりと向き合うことになるこの作品。『ついてくるもの』という謎の存在に心囚われるこの作品。

    本文中に70回も登場する「真鶴」という地名に、読者まで心を持っていかれそうにもなる終始不思議な雰囲気感に包まれた味のある作品でした。

  • 川上弘美さん3冊目。
    短編集は普通に楽しめた。
    2冊目の《某》そして3冊目の《真鶴》4冊目?
    私には無理!
    挫折。

  • 芸術選奨文部科学大臣賞受賞作。
    文学らしい文学。純文学と呼ぶに相応しい。

    過去形と現在形が入り混じる独特の文体に、始めは戸惑ったが、次第に慣れてきた。短いセンテンスは詩の旋律のよう。

    12年前に失踪した夫に囚われ続ける京(けい)。娘の百(もも)と母と女3世代の暮らしはどこか危うい。
    夫の日記に書かれた「真鶴」に旅をする時に「ついてくるもの」が…。その正体は⁈

    先が気になる、というよりは【目が離せない】小説。
    現実と幻想、愛と情欲、遠くと近さ、そこには区別があるのか⁈ ひらがな表記のこだわりや、美しい日本語の動詞や形容詞もとても魅力的。

  • 失踪した夫の妻である女が主人公
    「真鶴」と言葉を日記に残して消えたのはなぜか?
    ついてくる女は誰なのか?
    妻は真鶴へ何度も行くが・・・
    妻はあいまいなことも言いながら
    どれが現実、事実なのかはわからない
    ちょっと消化不良な感じではありました

  • 夢と現実と過去と妄想を頻回に行き来しているのと、主人公の話し方が独特なので、やや読みにくいかもしれません。が、途中からは主人公と青磁の関係や、礼のゆくえ、「女」の正体に惹かれて何だかんだ最後まで読めました。好みの分かれる作品だと思いますし、中だるみするところが何ヶ所かあります。
    タイトルにもあるけどなぜ「真鶴」なのか?今夏にこの作品とともに真鶴へ訪れたのですが、何となく理解できました。例えば熱海だったら賑やかで適さないだろうなーって

  • 礼は本当に失踪なのか、京が殺したのか、時系列がバラバラで妄想なのか、現実なのかの境界線も曖昧な表現が多くてなかなか難しかった。
    礼の前で妻になり、青磁の前では女になり、母の前では娘になり、百の前では母になり....。
    ラストの暖かい感じは良かった。
    真鶴に一度行ってみたい気がする。

  • 絵画に色をつけていくように、言葉を連ねているような感じがした。
    ただ「真鶴」という文字だけがくっきりと浮かび上がっていた。
    読んでいる間中恐くて不安だったけど、最後、現実の人たちの温かさに触れて、ほっとすることができた。

  • 最後の解説を読んで、なるほどと思った。正直、内容は難しかった。かったけど、なぜか読みたい、続きが知りたく読み進めた。主人公の京が自由なのに不自由で…苦しくて、でもそんな彼女が羨ましい。そんな感じを受けた。
    女性は、憧れてしまうのだろうか。どうだろうか。文章の一つ一つが一連の真珠のような哀しい、美しい本。

  • すごく不思議な物語だった。
    ふわふわしてて、痛々しくて、物悲しくて。

    主人公は40代シングルマザーの京。12年前に夫は突然失踪した、“真鶴”という言葉を日記に残して。
    それからは一人娘の百と母親の三人暮らしをしていて、物書きとしてどうにか生計を立てている。
    不在の夫に思いを馳せたまま新しい恋人と逢瀬を重ねる京は、何かに惹かれるように度々真鶴に足を向けるのだが、そこには夢なのか現なのか分からない世界が常に在るのだった。

    喪失、というものが強く胸に迫ってくる。この世に存在しているのかしていないのか分からない人に思いを馳せる。江國香織の「神様のボート」のさらに上をゆく“喪失感”。
    いっそ死を確認できた方が前に進める。生死さえ分からないからこそ、いつまで経っても心が囚われ続ける。

    東京と真鶴のエピソードが行ったり来たりするのだけど、東京は現実の生活で、真鶴は夢の中のような幻想めいた場面。そこでの会話も、出てくる人間も、現実のものなのか京の頭の中でのことなのか、よく分からない。
    ただ常にあるのは“喪失感”。
    囚われすぎて頭が少しおかしくなっているのか。でも東京ではきちんと仕事をし、家庭生活も営んでいる。人間は常に、普通と異常の間を行き来しているものなのかもしれない。

    そんな不思議な空気感が終始流れていた。
    ふわふわしてて、痛々しくて、物悲しい。

    川上弘美さんの文章には“和”を感じる。言い回しとか単語の選び方とか平仮名の使い方とか。
    主人公の行きどころの無い感じは、「風花」ののゆりとも共通しているかも。

  • わたしには、強烈な本でした。京は、失踪した夫、礼をずっと追い求めています。いつまで引きずっているの、気持ちはわかるけどいい加減・・と言いたくなる。
    歩いていると、ついてくるものがあった。これはついてくるものとのお話。京の心の葛藤、立ち直るまでの心模様。
    きっと、真鶴は女との修羅場だった場所でしょう。
    空想の中では、逆上して刺したり、首を絞めたりしている。この現実かわからない、とりとめもなく入り混じった表現が好きすぎて。
    「ついていかなきゃならないの?声に出して聞いてみたが、音にならなかった。それで、女との会話が、実際の声ではなく、からだの内側でおこなわれているのだと知った。」京がこたえを言っている。
    そんななか、実母と娘のやりとりは現実味があって、わかる部分が多かった(この場面では現実にもどる感じ)。
    わたしの頭の中では、礼は、清原翔さんで、京は川上弘美さんが浮かんだ。

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著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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