バルタザールの遍歴 (文春文庫 さ 32-2)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167647025

作品紹介・あらすじ

「今朝起きたらひどく頭が痛んだ。バルタザールが飲みすぎたのだ」一つの肉体を共有する双子、バルタザールとメルヒオールは、ナチス台頭のウィーンを逃れ、めくるめく享楽と頽廃の道行きを辿る。「国際舞台にも通用する完璧な小説」と審査員を瞠目させ、第3回日本ファンタジーノベル大賞を受賞したデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • ウィーン貴族の放蕩息子が転落していく物語。スケールの大きい転落ぶりが見事だ。
    育ちがいいからか、身を持ち崩すといっても分かりやすく路頭に迷ったり悪に染まったりするでもなく、悲壮感もなく、転げ落ちる様がとても痛快。
    ひとつの肉体にふたつの魂で好き勝手するのも面白いけど、そればかりが際立っているのではなく、自らを語る文章そのものが面白かった。

  • ひとつの肉体にふたりの人格、という主人公の造形が、不思議な気分を作り上げる。
    書き手は主にメルヒオールだが、時々バルタザールが茶々を入れたり、異論を唱えて筆を交代したり、こっそり書いて糊付けしたり。
    まるで「二人羽織り漫才」!
    科学非確立時代における二重人格モノなのかなという「精神分析的読み」を軽々と覆す、「非物質的実体」という概念。
    これが嘘や隠蔽や裏切り、鏡像、さらには幽体離脱や憑依や吸血鬼、といった頽廃的なギミックになり、物語の推進力にもなる。
    (このあたり、シャム双生児にこだわる皆川博子との、似ていながら違うところなのだろう。)

    感情移入ははっきりいってゼロ。
    転落を続ける気障で嫌味な駄目人間。何も生み出さない。
    だが何ともいえない色気がある。
    没落貴族だからこそ可能な、俗物への皮肉とか。
    時代に逆らうような洗練と瀟洒と軽妙と頽廃と甘美と享楽と倦怠と爛熟と放蕩と優美と刹那の生活とか。
    悲劇をものともしないエスプリやユーモアやニヒリズムや。
    (「愛のコリーダ」で女物の着物を羽織って軍隊の行進と逆方向に歩く吉蔵を思い出したり。)

    純文学や高尚や重厚になりそうな題材を、あえて娯楽に保とうとする作者の努力。
    たとえば安っぽいチンピラのアメリカンなロードムービーを、別の時代に置き換えたものとも言える。
    前半、酒浸りの転落の日々。
    後半、取っ組み合いに至る冒険活劇。
    エンタテイメントへの熱とは、これだ。
    読後振り返っても教訓が残されるわけでもない、ただ耽読した甘美な読後感が残る。
    正直なにをどうしたい話なのかわからないが、でも娯楽とはこういうものなんだ。

  • 作品として参照されたのは萩尾望都の短編で、ひとつの肉体にバルタザールとメルヒオールの二人の兄弟の魂が宿り、その二人の転落の人生を辿っていく小説。
    ユルスナール作品も似たような作風なので『黒の過程』が読んでみると参考になるし、ナボコフ、エーコなども読みたくなってくる作品。

  •  第三回 日本ファンタジーノベル大賞受賞
     CDではないが、この本はジャケ買いである。表紙が素敵なので手にしてみた。もちろん裏表紙の解説も読んでみてのことである。豊富な知識量、詳細な描写と登場人物の感情の変化などなど、実に上手いと関心する。この本がデビュー作とのこと、才能があるのは分かるが少々それが嫌味になっている気がする。情報が多すぎで主題が薄く、伝わりにくい。

  • ひとつの体を共有する双子、メルヒオールとバルタザール。二人が辿る、めくるめく享楽と退廃の行く先とは。

    作家の処女作には全てが詰まっているというけれど・・・佐藤さんの初読にこの本を選んだならば、私はもっと佐藤さんの本を読んでみようという気にはならなかったと思う。

    退廃、って何なのだろう?
    一つの体に二つの人格で生まれたメルヒオールとバルタザールが抱えるものが、世界からの圧倒的な無理解であることは、私にも想像がつく。
    その無理解は、大きすぎて、あるいは『当然』すぎて、その大きさを測れないくらいのものかもしれない。
    しかし、そのあまりの『当然』さ、その圧倒的な無力感というか虚無というか、が読んでいてイマイチ伝わってこない。

    転落というには、二人の落ちぶれ具合はあまりに甘美過ぎるように思われてならなかった。
    そりゃあ二人はひどい目に合っているし、自分からよりみじめな方へ、どうしようもない方へ転がっていっているといえばその通りだ。そして、そんな選択がどれだけ辛いものであるのかも、私はできるだけ理解したいと思っている。

    だが、それだけなのだ。二人には守るものがない。守りたいものもない。あるのかもしれないが、それすらあっさり手放す。手放しすぎる。それが私には我慢ならないし、手放すことに痛みを覚えない(ように見える)彼らに、怒りを抱く。

    お話自体は決して安易なものだとは思えない。けれど、私は読んでいて物語全体に優越感が漂っているように感じてしまって、ちょっと、むしゃくしゃした。
    そして、そんなむしゃくしゃした自分を、泥臭い人間なんだな、と思った。

  • や ば い や ら れ た



    知人にいただいた本だが、正直こんなにやられるとは露ほど思っていなかった。奇天烈な教養恋愛小説風のストーリー仕立てに、ちょっと舌を巻くほどの文体模写術(西欧古典小説の翻訳文体の模写)および設定・人物造形模写術(左に同じ)、さらには西欧歴史ファンタジーの翻訳だと言われても三分の一程度までは騙されて読み進んでしまいそうなほど緻密にして自然な20世紀前半ドイツ・フランス・オーストリアの歴史・風俗描写。文体もストーリーも「文学」のものと言われてべつに不思議は無いのに、あえて娯楽の域にとどまり、娯楽としてのファンタジーとして自らを描ききり、けっして「純文」であろうとしなかった。その冷静な判断(あるいは感性)の成功を見よ。ハラショー!

    なんというか、「これは娯楽小説です」と開き直ることって、物語を浅薄にすることとイコールではなかったんだなあ、とあらためて実感した。だってでも、世の中には「娯楽だから陳腐でいいんです」みたいな小説が山とあふれてるんだもの。読み終わったときに、「あーやっぱ所詮エンターテイメントか」って思うような。でも違うんだ、本当のエンターテイメントというのは「所詮エンターテイメント」なんて言わせるようなものじゃないんだ。あえて純文をめざさなかったことに、すがすがしさを感じるような、そういうものなんだ。「読みやすいけど時間の無駄だった」とか、そういうふうに思わせるものは、本当のエンタテイメントじゃないんだなあ。

    まあなんというか、第一部と第二部になんとなくテーマ上の断絶があるとか、第二部も娯楽としてはおもろいんだけど第一部の色気がなくなっているとか、第二部の大団円の伏線を第一部で貼らなすぎとか、設定が第二部でだんだんご都合主義になってきたわりにそれを古典風の「神秘性」「寓話性」でごまかすほどの筆致には至らなかったとか、まあ色々あるんだけど、そういう欠点がどうでもよくなるくらい <b>ツボに来た</b>。いやーこれはよかったわ。主人公のダメダメな二枚目っぷりがなんとも言えずグッドだったし、アリストクラート(貴族人)のサーカスティック(皮相的)な政治態度およびアリストクラシー(貴族主義)に対する皮肉の案配も程よくベスト。きっぷのいい従妹のマグダとの関係とかムチャクチャ良かった。なんというか、萌え的に来た。私にとっての関係性萌えとか雰囲気萌えってこういうのがツボだったんだ。そうだったんだ。(発見!)

    とかいうと作者にはものごっつ嫌がられるんだろうなあ、この佐藤亜紀という人、萌え文化が嘔吐するほど嫌いらしいから。でもこれは、いやなんつーかヨーロッパ古典文学好きの女に受ける娯楽であり、萌え空気だと思うよ。作者さんには申し訳ないんだけど。

  • 双子だけの話じゃなかったねえ! これ以上はネタバレになりそうなので読書会までがまん。

    終わり方がよかった。あと老召使いが好き〜

  • 一つの身体に二つの人格を分け合う男前な貴族が
    没落しながらも逞しく生きていく様が描かれている。

    結果を先延ばし、読者を引っぱる
    少々まどろっこしい文章。
    海外文学っぽさが非常にある。

    遅々として進まない物語であるが、
    終盤における疾走感というか、収束感はさすが。

    主人公は気障で、理屈っぽく、怠惰で、
    気高く、美しく、感傷的。

    恐ろしく完成度の高い趣味の小説
    という所だろうか。

    目次があらすじ状態なので、
    先を知りたくない人は
    目次、章の細文には目を通さないほうが吉。

  • 呑んだくれ貴族の怠惰な放蕩物語?みたいな感じ。
    翻訳物のような雰囲気で設定も面白いし、メルヒオールとバルタザールが2人とも魅力的で楽しい。
    でもこの話結局なんだったんだ…?

  • めちゃめちゃ面白かった。一気読みしてしまった。

    戦間期からWW2途中までを舞台に、没落青年貴族の転落を手記の形で描く。主人公であり、手記の書き手は、一つの体に二つの魂が宿っているところが本書のミソであり、面白いところだ。

    二重人格というわけでなく、本来の意味で二人が一つの体に宿り、多くのことを体験し、それを書き留めていく。当然、意見の相違も見られるし、議論のあるところについては端折りながら物語は進んでいく。なぜならペンは一人しか握れないからだ。

    恋愛の話あり、冒険譚的なところもあり、エンタメとして非常に楽しめる。また本書は文学としても面白い仕掛けのように感じられる。

    耽美的な文章、美術史学の修士卒ということもあり見慣れない知識に裏打ちされた表現は、少し読みにくさもあるが、直ぐに慣れて楽しむことができると思われる。

    どうも筆者は本書がデビュー作のようであるが、別の作品も読んでみたいところである。

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著者プロフィール

1962年、新潟に生まれる。1991年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。2002年『天使』で芸術選奨新人賞を、2007年刊行『ミノタウロス』は吉川英治文学新人賞を受賞した。著書に『鏡の影』『モンティニーの狼男爵』『雲雀』『激しく、速やかな死』『醜聞の作法』『金の仔牛』『吸血鬼』などがある。

「2022年 『吸血鬼』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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