増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

制作 : 深町 眞理子 
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 1771
レビュー : 191
  • Amazon.co.jp ・本 (597ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167651336

感想・レビュー・書評

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  • 小学生の頃にたぶん子供向けの簡単にしたのを読んだのだけれど、具体的なエピソードなどは覚えていなくて、ただただ、ユダヤ人というだけで隠れて暮らさなくてはならず、そのまま亡くなってしまった可哀想な女の子の話、という表面的な部分だけを記憶して、もう可哀想だから読みたくない、と思いこんだまま大人になりました。
    小川洋子さんがアンネについて色々書かれているのは以前から知っていましたが、最近になって『洋子さんの本棚』で改めてこの本について色々語り合われているのを読んで、ようやく、ちゃんと読み直そう、と決心。年末帰省時に持ち帰り。

    なんというか、改めて打ちひしがれるような気持ちです。単純に、戦争や人種差別、そのせいで2年間も一切外へ出ることもできず隠れて生活しなければいけない人々がいたという事実、しかしその状況だけでも過酷なはずのに、そんななかでものびのびと、14歳の少女が日記や物語を綴り、勉強をし、恋をし、一人の女性として成長していったこと、根っこの部分で何者も彼女を歪められなかったにも関わらず、その人生はあっけなく中断させられた、その残酷さに打ちひしがれました。

    それにしてもアンネの、なんと賢く、なんと真っ直ぐで、なんと魅力的な女の子であることか!日記の中には、一緒に生活するアンネ自身の家族(父母と姉)、さらに同居するファン・ダーン一家(夫妻と息子ペーター)歯医者のデュッセルさんらとの人間関係、生活の様子などだけでなく、なぜ人間は戦争するのか、女性の地位はなぜ男性より低いのか等の考察もなされており、これがなかなか鋭い。アンネは作家かジャーナリストになりたいと願っていたようですが、自分の内面についての分析もしっかり客観的にしているし、一緒に暮らす人々に対しての人間観察眼もたいへん的確な彼女なら、きっとどちらにでもなれただろう。

    「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」と日記の中に書かれていた彼女の願いは、死後にこの日記の出版という形で皮肉にも叶うわけですが、もっともっと長く生き続けた彼女の作品をぜひとも読んでみたかった。

    救いは、窮屈な生活の中でも彼女が「恋」を体験できたこと。はたして外の世界で普通に暮らしていたらペーターのような男の子をアンネが好きになったかどうかはわからないけれど、この生活の中では彼らはお互いに必要な存在だったのでしょう。恋し始めのドキドキ感、ときめきの描写は、読んでいてこちらも胸が躍りました。

    反面、アンネはお父さん子でお母さんに対する評価が大変厳しく、また天敵のようなデュッセルさんやファン・ダーンのおばさん等、人間のイヤな面をさらけだしてくる人々もいる。お母さんとは、いつか大人になれば和解できたかもしれないのにと思うと切ない。逆に、危険を顧みず彼らをかくまってくれた会社のひとたちの親切には心洗われます。とくにアンネの日記をゲシュタポに見つかる前に保管してくれたミープにはただの読者である私からも感謝しかない。

    戦争のせいで短い命を終えた少女の物語として、ベタだけれど今の自分は恵まれているのだからもっと前向きに生きようと思うような読み方も可能だけれど、それ以上に、一人の少女のいきいきとした成長過程として興味深かった。私が今もアンネと同じくらいの年の少女だったら、きっとかけがえのない友達のように感じたと思う。

  • アンネの伝記を読み、その日記の存在は知っていたけれど、「アンネの日記」そのものは、読んだことがなかった。

    本屋さんで何度も目にしていたが、今回はなぜか「今読もう」と思い立って購入。
    でも、読了までは1ヶ月ちょっとかかった。休み休み読んでいたため、途中、別の本を3冊読み終えるほど。(笑)

    そこには多感な少女の本音が書かれていた。
    思春期にありがちな悩みや大人たちへの不満。恋や性についても、親友への手紙形式で赤裸々に告白している。

    それは、想像していたものと全く違っていた。
    アンネは決して特別でも天才でもなく、普通の女の子だったんだ。だからこそ、この日記は貴重なのだと思う。

    アンネも、私たちの思春期の頃とそれほど変わらないことを考えて生きていたのかなと思う。ただ生きる条件があまりにも違いすぎるけれど。隠れ家での生活は私たちがどんなに想像をしようとしても、やはりそれはアンネたちが過ごした現実とは全く違うものなのではないだろうか。
    日記を読み進めるうちに、アンネがずつ成長していく様子が覗える。
    アンネは自分自身と向き合い、戦い、希望を失わず前向きに一生懸命に生きた。

    私も中学生の頃、日記ではないが詩を書いていた。大人になったある日、それを見つけて読み返してみたが、恥ずかしさのあまり数ページ読んで閉じ、処分してしまった。
    今になってみれば、捨てずにとっておけばよかったなと思うところもある。今なら読み返すこともできるかもしれない。心を強くもって(笑)

    アンネがもし生きていたならば、この日記を世界中の人たちが読むことはなかったのかもしれない。

    アンネが残した日記から何を読み取るのかは現在を生きる人それぞれだ。この日記を書いたアンネが生きた世界の状況を知ることもそのひとつかと思う。
    人間はなぜ争うのか。人間はなぜ差別をするのか。人間はなぜ宗教を理由に殺し合うのか。人間はなぜ・・・。

    読み終えた時、自分の直感がなぜ「今読もう。」と示したのか、分かった気がした。

  • “あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことをなにもかもお話しできそうです。どうかわたしの為に、大きな心の支えと慰めになってくださいね”――親愛なるキティーという存在に向けて託されたその日記に綴られたものは、ユダヤ人迫害の手を逃れるべく隠れ家生活を余儀なくされた少女、アンネ・フランクの大切な想い出たちだった。隠れ家生活のはじまり、他人との息苦しい同居と衝突、悲惨な外の世界のこと、母への辛辣な批判、夢と希望、淡い恋、思春期の苦悩、心の成長、そして平和への祈り……世界中が戦争で荒廃していたあの異常なる狂乱の時代、人生で最も多感な思春期を生きた一人の少女は今もなお日記の中に、多くの人々の胸に生き続ける。希望と理想と崇高な精神、朗らかさを失わず――完全版に新たに発見された日記を加えた増補新訂版。

    私が太平洋戦争を知ったのはおよそ今から二十年前くらい、だいたい戦後50年後の年で、それとほぼ同時にアンネ・フランクの存在も知りました。学習漫画の彼女の伝記を何べんも何べんも繰り返し読んでいたのですが、アンネの日記自体は今の今まで読むことはありませんでした。いえ、何度も読もうとは思っていたのですが、興味が読む!の段階に至ることなく、戦後70年を迎えました。節目の年だし、日本国内は安保問題でざわざわしてるし、ここは私も一つ、何か戦争を学べるものを読もう、と言うことでいよいよ読書に踏み切ったのです。
    私は日本の戦争の事しか知らなかったので――世界史もとってなかったし、ましてただでさえ手薄になってしまう近現代史、太平洋戦争もその一部とはいえ、ヨーロッパを主戦場とした第二次世界大戦についてはほとんど知らなかったも同然です。それが、この日記を読んだことでなんかようやく……ヨーロッパ側のその戦いの記憶にアクセス出来たような感じです。それも一人の少女の日記と言う形で。で、ずっと日本側のことしか知らなかったし、たとえば疎開だとか配給だとか食べ物がとにかくなくてひもじくて……というようなことは知っててもきっと外国の方は日本とは食糧事情が違うだろうかなこんなひもじかったり窮屈だったりしたのは日本だけなんやろうなあ、なんて思っていたのですが今回読書して「おや? 外国も結構そうだった?」なんて感じました。隠れ家があったオランダもたまに外の様子がどうなのか書かれるのですが食糧事情も日本とそう変りなく配給制度だったり(あと闇市?があったり)治安の物騒さなんて日本以上だったし、なんか戦争って結局どこの国も大変なんだ…なんていうことがまず収穫でした。

    “アンネの日記”というものが世界史、あるいは文学史(現代の日記文学ですよね)の中でどのくらいのものであるのか、私は不勉強な為よくわかりません。でも生きていれば86歳(私の祖母と同い年!)であり、人生で最も多感で、最も“自分”というものに苦しむ時期である思春期を、不当な迫害を受け世界から隠れて生きなければならなかった少女による日記ということを考えると――残酷な話になりますけどもし生きていたならそれほど高い価値は生まれなかったかも知れない、ただの名もなき一人の人でしかない少女でしかなかったはずの日記と言うものが、これほど読まれているのは本当にとんでもないことではないでしょうか。
    この日記に記されているのはあくまで、一人の少女の苦しみ、悩みや想い、希望、そして夢――本当に尊くて、愛しいくらいの――どんな時代の少女でも抱くであろう“なんでもない”けれども“とびきり”のことです。ただユダヤ人であるということだけで迫害され、隠れ家と言う異常な環境、不自由を強いられた世界で生きなければならない為に、アンネが書くそれらはより一層私に真摯に迫ってきました。
    これがもし普通の少女のものだったらそれほどでもなかったかも知れない。いっそ黒歴史ww m9(^Д^)プギャーと笑い飛ばすことも出来たと思います。でも彼女は命を奪われている。ただユダヤ人だからと言う理由で。だから、何でもないこととか、お母さんへの冷たさも、大人はわかってくれないと言う思春期特有の反発も、ペーターへの限りなく恋に近い友愛も、そしてアンネ自身が抱える寂しさや孤独、葛藤も笑えないんですよね。決してそうじゃなくて……どれもこれも、わたしにはすごく重要なものに思えます。
    これは歴史の史料にもなりえるし、少女時代の精神を追った心理学をはじめとする学問の重要な資料にもなるだろうし、日本の古典における日記文学のように文学的価値が高いものにもなるでしょう。でも忘れちゃいけないのは、アンネの未来は不当に奪われ、蹂躙され、残酷にあっけないまでに殺されてしまったものであること。その背景にあるナチスドイツ、ヒトラー、ファシズム……多くの国々の思惑が複雑に絡まり、世界中が争っていた第二次世界大戦のこと、あの時世界を暗黒に陥れていた狂乱のこと……ほんとにさ、あれはなんだったんだろうね、あの時代はさ、そのことに対して私達が後世に伝え、そして自分自身でもよく考えてみること、世界中が辿った歴史を忘れない、風化させないということがやっぱり重要だと思います。

    実際の隠れ家は今もオランダにあると思うのでいつか……うーんお金かかるし言語の問題もあるけどいつか行ってみたいな。
    ほか雑感。やっぱ共同生活、しかもプライバシーなんてあってないような狭い空間で見知らぬ人だった一家と暮らしていくのはどこでも大変なんだナアなんて思ってました。もっとひどいことになってても不思議じゃなさそうなんだけど、よく耐えて生き続けてきたなと思いますよ。まあ……フランク氏以外全員死んでしまったけれど。
    そうなんですよ。アンネの日記結構長くて(かなり分厚い)そんで私がチンタラ読んでたのも一因なんですけど、アンネ自身もフランク一家もファン・ダーン一家もデュッセルさんも、ミープやベップ、クーフレルさん、クレイマンさんといった協力者の人々も、みんなみんなまるで身内のように感じられてたんですね。それにアンネは「キティー」という架空の存在に手紙を書くと言う形で日記を綴ってる。まさか彼女の死後、世界中に沢山の「キティー」――つまり読者が生まれることになろうとは思わなかったでしょう。私がキティーとなって彼女達をまるで自分の身内のように感じたからこそ、彼女達は捕えられ、ほとんど死んでしまった――もうほとんど殺されてしまった、という事実が非常に重たく私の心にのしかかっているわけです。姉に感想を語っていた時もああ、あんな風に悪態をついたり、文句を書いたりしていたのに、結局はみんな死んでしまった……と思うと涙が堪えられなくなって、久々に泣きました。初めて“戦争によって私の身内が殺されてしまった”という感覚を抱きました。圧倒的な暴力の前に、本当に無力を感じずにはいられませんでした。
    またさ、日記の最後辺りがかなり希望に満ちてるのもあかんわ! 上陸作戦が始まったり、ヒトラー暗殺計画が起こったりとかさ! それでアンネが十月には学校に戻れるかも知れないとか書いてるんですよ。・゚・(ノД`)・゚・。 もうもう、ページ少なくなってきてアンネが明るくなる反面、こっちとしてはどんどん辛い気持ちになっていって……
    もういい加減このブクログ長く書き過ぎてるんですけど・汗 まだ書くこといっぱいなんですけど(もうしょうがない、ブログに書くわい)今のこの時代だからこそ読まなければいけないなと思うことが後半にはかなり残されていて、こんなことをまだ十五歳くらいの少女が書いていたんだ……と思うとただただ尊敬の念しかありません。もし彼女が生還していたら、と思わずにはいられません。
    特に最後の方の七月十五日の記述は胸が熱くなって泣きそうにもなりますよ。「たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやはり善なのだということを」にはハッとさせられました。本当に… 今こそ再び読まれる時代だと思います。なにとぞ、なにとぞ。

  • 13歳の少女が書いたとは思えないほど、しっかりした文章で書かれていて、驚いた。
    日々起こる出来事に、すごく素直に一喜一憂している、無邪気な少女から、だんだん読み進んでいくうちに、2年後には、まるで自立した1人の女性のように、心が成長していきます。
    アンネの言葉で、こちらも勇気づけられました。
    日記が突然終わっていることが、悲しく、悲惨でなりません。

  • 子供の頃、実家にあった本を見て、アジア人にはないアンネの彫りの深さに怖さを覚えたのと、ユダヤ人として迫害されていたという話しから四十歳を越えるまで読むのを敬遠していました。

    調べてみるとアンネがガス室で亡くなったというのは私の勝手な勘違いであることがわかったし(亡くなったのは劣悪な環境の結果というのはありますが)、アンネの日記自体は決して暗く陰惨なものではなく、どちらかと言うと普通の女の子の日記を覗き見るような面白さがありました。

    友達のことを「なんとなくみすぼらしく見えますけど、たぶんほんとに貧しいんだと思います」とか「お勉強はとてもよくできますけど、それはガリ勉をするからで頭はそれほどいいわけじゃないんです」とか高田純次的な語調に笑ってしまいました(訳がそうさせてるのかも?)。お母さんのことも常にボロクソ書いているし。

    最後にユダヤ人のことは調べてもなんだかよくわかりません。迫害を受けてきたユダヤ教のもととなった人たちは白人ではなかったらしいですし、キリスト教徒はキリスト人とは言わず、どうしてユダヤ教徒だけがユダヤ人と呼ばれるのでしょうかね。

  • 8月はいわゆる戦争文学物を一冊。
    ユダヤ人少女アンネが隠れ家で書いた、13歳からの2年間の日記。
    親への鬱憤や性へのあこがれなど率直に書かれていて、秘密を話せるお友達として日記と相対していたのが分かった。フランク一家だけじゃなかったのね。
    朗らかでおしゃべり好きなアンネの一方で、深く考えて表現する才能を感じる。13歳の少女だとは思えないほどの言葉遣い。
    将来の夢や自分の子供を疑いもなく語るくだりは、彼女の運命を知っているから切なかった…

  • ◆日記を書くように夜の隙間時間に少しずつ読む。20日あまりかかった。読み終わりの意味するところを思い、読み終わるのが怖かった。息苦しい読書だったが、ここでは本を閉じれば世界を閉じられること、外に出かけられることのありがたさを切に思った。
    ◆そこにいたのは、感受性の強い普通の思春期の女の子。一人になれない「後ろの家」での蛹化はどれほど辛いものだっただろう。濃密な内省を通して急速に大人になりながら、夢見た羽化を外界で果たすことなく散ってしまった。「辛抱強い紙」だけが残る。痛ましくひたすらに悔しい。
    ◆世の中がこんなに複雑な構造を持つとは。知っているつもりで、想像できてはいなかった。他者を思いやることは、とても難しく、努力しなくてはできないことだ。他者への想像力を養うこと、その努力は不断に続けられなくてはならない。
    ◆この、一人の女の子の日記がたくさんの人々によって守られてきたことに、「人間」の誇りを感じる。人生必読の書。

  • オランダのアムステルダム(アンネの隠れ家がある)に行ったので。
    今回読んだのは増補版で、ほぼ完全版のよう。小学生の頃に読んだものは色々な事情で半分以上カットされていたことがよくわかった。

    アンネの文章力と自己分析力は卓越しているけど、それ以外はごく普通の女の子。だからこそ、こういう状況下での彼女の生活や思いが書き綴られているこの日記は、価値があるんだろう。この日記から学ぶことはたくさんあったので、読んでよかったと思う。

  • アンネの日記がまさか笑えるほど面白い物語とは知らなかったです。物静かな真面目な女の子が戦争について書いた暗い辛い日記だとばかり思っていて、これまでちゃんと読んだことがありませんでした。
    改めて読んでみると、アンネの毒舌っぷりがツボで笑いました。多分、すごく面白い女の子だったんだろうなぁと。
    今の時代に読んでも、全然古臭くないです!

  • 戦争という背景はあるけれど、それよりも1人の少女の日記帳。中学生でよくある。生活ノートを思い出せば、わかるかもしれない。違うのは彼女が閉じ込めれていること、家族以外の人と暮らさなければならないこと、赤の他人のおじさんとおなじ部屋で寝起きしなければならないこと、自分が所属する民族が迫害されていること。

    日記の中のアンネは前半特に著しく、笑ったり怒ったり泣いたり飛び跳ねたり忙しい。コマ回しに送る少女に、四季色のワンピースをかぶせて見たらアンネになるかもしれない。男の子にモテすぎたり、アイスおごらせたり、後ろの席の子が面白くて授業中に笑ったりする。

    日記を読んでいくとだんだん、アンネと一体化していくように感じられます。または、アンネが私たちに語りかけてくれているような。私たちはアンネにとってのキティーであるか分かりませんが、彼女の精神 魂が永久に生き続けてくれているのであれば、ページを手繰るたびに恥ずかしいようななんとも言えないような顔で目の前のテーブルに頬杖をつきつつ見つめているのではないでしょうか。私たちにはまだ見えない彼女ですが。
    ただ、彼女を 私たちは小学校や中学校で同級生の女の子たちの体や言葉遣い、表情からきっと感じていたはずですし、私自身の性別が女なので、私の中のアンネフランクとおなじ色をした血が流れていたことを覚えています。

    隠れ家の中で、アンネは人と衝突し、蔑まれ、罵られ、孤立します(本人談だから、どこまでかわからないけど……。でも、誰だって少女期特有のこの、超被害者的意識はあると思う)そんなつらい生活の中でも、彼女は本を読みます。外国語を学びます。歴史を学びます。嫌だ嫌だと言いつつ、手伝いもこなし、母親に悪態をついたり、姉を軽蔑したりしながら、彼女の完全体としての地肉を培っていたのでしょう。
    なんなら、隠れ家自体が大きな一つの繭でできていて、彼女は飛び立つ時を待っていたのかもしれない。
    彼女だけでなく、その隠れ家にいた人全て大人も子供もみんな、繭に守られ 繭に育てられ、ドロドロと変質しながら戦前までの自らを脱ぎ捨て、新しい自分に変わろうとしていた。

    2人のアンネ、という記述は何か不思議さと切なさが同居します。私たちが仮にアンネだとしたら、私たちは私たち自身の生と死とを、静かに見守り見送る役目を仰せつかったことになる。
    でも、それが生きている人の役目です。この世に生きている限り、私たちは送り出さなければならない。つらくても。自分がいつか送り出される日まで。
    私たちの分身のアンネが、目の前で車に乗せられ、遠い収容所へ運ばれていく様を目に浮かべるのはあまりに悲しい。自分自身が切り取られる痛みを、この本を読む上では覚悟しなければならない。本を読むアンネが知識をつけ、思慮を重ね新しいアンネになったように、この日記を読む私たちもアンネのことを知り、アンネに思いを馳せ、薄い肉の上にアンネの肉をはり合わせる。

    とてもつらく悲しい本ですが、彼女が収容所へ送られない限り、この本もこの世に出なかったのではないかと思うのです。
    戦争の悲劇というよりも、少女の心の痛みや葛藤、世界に対する絶望感と、希望をこの本から分かち合ってほしい。どの世界の子供たちもどの時代の子供たちも同じことを、考えていたとするなら、おなじアンネとおなじ痛みを抱えていたとするなら、本当にこの世は平和になることができると思うんです。

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