増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫) (文春文庫 フ 1-4)
- 文藝春秋 (2003年4月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (597ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167651336
感想・レビュー・書評
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第二次世界大戦の本として「夜と霧」を読んだけど、それよりももっと有名な「アンネの日記」を読んでいなかったので、遅くなりましたが初読。
外国ではありますが、戦時中の市民の生々しい生活状況を学べました。今私が当時の状況を知りたければ、80-90代の方と話さないと知ることはできないので、とても貴重な体験ができたと思います。
特にアンネはユダヤ人というだけで、迫害を受けていた。ナチスに見つかり、強制収容所に送られないように、13歳から15歳の2年間、オランダの隠れ家で、一歩も家の外には出ることができない生活を送ることに。
多感な思春期を特殊な近況で暮らすことになったアンネですが、終戦後に人々にこの状況を知ってもらうために書き始めたのが、「アンネの日記」。存在は知っていましたが、どういう経緯で書かれたものなのか全く知りませんでした。
いつナチスにバレてしまうかもしれない緊張と閉鎖的な環境で生活する中、時には家族とぶつかり、時には家族と笑い合い、時には恋愛をして、時には戦後どのような職業につくのか、そして、どのような母親になるのかを夢みているアンネの全てが詰め込まれていました。
時代が変わりましたが、人間がしていることは変わりません。今も争いはあちらこちらで起きています。
アンネと同じ様な境遇で辛い思いをしている方がウクライナやイスラエルにいると思うと辛いです。
一日でも早く平和が訪れますように。一人でも多くの命が助かりますように。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ナチス軍の迫害から逃れるため、アンネ一家は隠れ家生活を送る。その過酷な環境下におかれたアンネが、13才から15才の間に、自分に宛てた日記を本にしたものである。はじめて読んだが、アンネに対する印象はおおきく変わった。これほど快活で自己主張の強い子だとは思わなかった。ただ、こうした性格だったからこそ、一瞬の油断もできない状況の中でも、明るさを振りまきながら、希望を失わずに生きることができたのだろう。この本を読んでいると、アンネと共に暮らしたような感覚になるので、彼女の最期を知ると非常に悲しくなる。
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今まで、アンネの日記に対して、手が出しにくいところがありました。食わず嫌いならぬ読まず嫌いです。
だけど、呼んでみたら人の悪口ばっかりで、日記らしさがすごかったです。人の悪口ばっかりで人名もたくさん出てきますので、あんまり内容は覚えてないんですけど(覚えてないんかい)、あ、アンネもちゃんと年相応の子供やんって思いました。これどういうふうに終わんの?って思っていたら、まあ小説じゃないんでそりゃそうだけど、唐突な終わり。しかも、最後から二回目の日記に、戦争の状況が好転したっていうことが記されて、すごい嬉しそうに綴ってあったのがますます悲しいです。
今年わたしも小学校卒業してとてもワクワクしてますけど、そんな気分の時に絶望のどん底に落とされたアンネの気持ちが、よくわかる気がします。とにかく、同じことが起こらないように。今起きてるウクライナ侵攻やガザ地区でのことも、はやく終わってほしいです……。 -
ユダヤ人迫害下における隠れ家生活を、思春期の少女のみずみずしい感性で筆記した日記文学。ユネスコ世界の記憶。
ホロコーストの悲劇を象徴する一冊として有名なので、大体の概要は知っていたが読むのは初めて。
13歳の誕生日に父から贈られた日記帳にキティという愛称をつけ、友人として語りかけるように日々の生活をつづっていく。作家志望だったアンネは、最初から出版を意識して、推敲した清書版も書き残していたとのこと。冒頭の学校生活の描写から非常に鋭い人間観察力を発揮しており、13歳の文章にしては天才すぎると驚いた。
隠れ家という狭い世界の中で、母親への反抗心や恋愛感情など思春期特有の悩み、迫害や戦争への恐怖、人生と世界に対する俯瞰したものの見方などが、みずみずしい筆致で書かれている。10代において誰しも一度は考えるようなことが、卓越した視点と優れた文章で書き綴られていて、自分がティーンズの女性だったらきっと愛読書になっていただろうと思わせる内容だ。本書においてよく言及される「性」に対する描写も、素直で赤裸々な態度で好感がもてた。
いっぽうで本書はユダヤ人迫害の実情を知る上でのリアルな資料でもある。戦争の本質を鋭く捉えた日記の内容は、その後の本人の結末も含めて、今日の私たちに深い感動と決意を呼び起こす。悲惨の記憶として、また思春期の文学として、永遠に読みつがれるべき一書。
P86 とにかく、これでひとつ勉強しました。ほんとうに他人の人柄がわかるのは、そのひとと大喧嘩したときだということです。そのときこそ、そしてそのときはじめて、そのひとの真の人格が判断できるんです!
P487 戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家にだけあるのではありません。そうですとも、責任は名もない一般の人たちにもあるのです。
P365 わたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和をとりもどすでしょう。そして幸福なひとはだれでも、ほかのひとまで幸福にしてくれます。それだけの勇気と信念とを持つひとは、けっして不幸に押しつぶされたりはしないのです。 -
これほどまでに読んでよかったと思える本は、なかなか無い。日記初期の内容は、年頃の少女らしくて微笑ましいが、後半になるにつれ、アンネの精神が成熟していく様子が興味深い。隠れ家生活の中で、人生や内面について熟考する時間があったからなのだろうか。「物事はいつの場合も表裏両面を見なくちゃなりません」など、自分が14歳の頃には考えもつかなかった。この一文からでも、ご両親が立派に彼女を教育されたことが分かる。読者として、数百ページに渡ってアンネの心を覗き、アンネとともに数ヶ月後の自由を夢見ていた。だが日記は突然終わる。その後に続く「あとがき」の衝撃があまりにも強く、悲しい。彼女が生きた時代をより深く理解するために、他にも関連書籍を読もうと思った。
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聡明な少女の文章、学びを得たり時に微笑まされたりしながら読み進めたのだけれど、唐突に終わる日記とそのあとの後書きで言葉を失う。
アンネの言葉が胸に残る。
なぜならいまでも信じている~人間の本性はやっぱり善なのだということを。
平和な現代の日本に生まれ、出かけたいところに出かけ、手にしたい本を手にできる幸せ。 -
小学生の頃にたぶん子供向けの簡単にしたのを読んだのだけれど、具体的なエピソードなどは覚えていなくて、ただただ、ユダヤ人というだけで隠れて暮らさなくてはならず、そのまま亡くなってしまった可哀想な女の子の話、という表面的な部分だけを記憶して、もう可哀想だから読みたくない、と思いこんだまま大人になりました。
小川洋子さんがアンネについて色々書かれているのは以前から知っていましたが、最近になって『洋子さんの本棚』で改めてこの本について色々語り合われているのを読んで、ようやく、ちゃんと読み直そう、と決心。年末帰省時に持ち帰り。
なんというか、改めて打ちひしがれるような気持ちです。単純に、戦争や人種差別、そのせいで2年間も一切外へ出ることもできず隠れて生活しなければいけない人々がいたという事実、しかしその状況だけでも過酷なはずのに、そんななかでものびのびと、14歳の少女が日記や物語を綴り、勉強をし、恋をし、一人の女性として成長していったこと、根っこの部分で何者も彼女を歪められなかったにも関わらず、その人生はあっけなく中断させられた、その残酷さに打ちひしがれました。
それにしてもアンネの、なんと賢く、なんと真っ直ぐで、なんと魅力的な女の子であることか!日記の中には、一緒に生活するアンネ自身の家族(父母と姉)、さらに同居するファン・ダーン一家(夫妻と息子ペーター)歯医者のデュッセルさんらとの人間関係、生活の様子などだけでなく、なぜ人間は戦争するのか、女性の地位はなぜ男性より低いのか等の考察もなされており、これがなかなか鋭い。アンネは作家かジャーナリストになりたいと願っていたようですが、自分の内面についての分析もしっかり客観的にしているし、一緒に暮らす人々に対しての人間観察眼もたいへん的確な彼女なら、きっとどちらにでもなれただろう。
「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」と日記の中に書かれていた彼女の願いは、死後にこの日記の出版という形で皮肉にも叶うわけですが、もっともっと長く生き続けた彼女の作品をぜひとも読んでみたかった。
救いは、窮屈な生活の中でも彼女が「恋」を体験できたこと。はたして外の世界で普通に暮らしていたらペーターのような男の子をアンネが好きになったかどうかはわからないけれど、この生活の中では彼らはお互いに必要な存在だったのでしょう。恋し始めのドキドキ感、ときめきの描写は、読んでいてこちらも胸が躍りました。
反面、アンネはお父さん子でお母さんに対する評価が大変厳しく、また天敵のようなデュッセルさんやファン・ダーンのおばさん等、人間のイヤな面をさらけだしてくる人々もいる。お母さんとは、いつか大人になれば和解できたかもしれないのにと思うと切ない。逆に、危険を顧みず彼らをかくまってくれた会社のひとたちの親切には心洗われます。とくにアンネの日記をゲシュタポに見つかる前に保管してくれたミープにはただの読者である私からも感謝しかない。
戦争のせいで短い命を終えた少女の物語として、ベタだけれど今の自分は恵まれているのだからもっと前向きに生きようと思うような読み方も可能だけれど、それ以上に、一人の少女のいきいきとした成長過程として興味深かった。私が今もアンネと同じくらいの年の少女だったら、きっとかけがえのない友達のように感じたと思う。 -
ユダヤ人迫害というイメージから「夜と霧」のようなものを想像していたので、予想以上に「思春期の日記」で驚いた。
屋根裏で生活しているとは言え、ご飯を食べたり、笑ったり、恋をしたり、良い意味で“普通”。
同級生の悪口書いたり、母親への不満、ペーターへの思慕など、等身大の少女がそこにいる。
そして、文章は14歳と思えない思慮深さ。14歳の自分ェ・・・
でも、この普通さがあるからこそ、結末がより悲しく感じる。
戦争の悲惨さを伝えるには、こういう方法もあるのかと思った。 -
13歳の少女が書いたとは思えないほど、しっかりした文章で書かれていて、驚いた。
日々起こる出来事に、すごく素直に一喜一憂している、無邪気な少女から、だんだん読み進んでいくうちに、2年後には、まるで自立した1人の女性のように、心が成長していきます。
アンネの言葉で、こちらも勇気づけられました。
日記が突然終わっていることが、悲しく、悲惨でなりません。 -
違う時代、違う国、違う環境…なにもかも自分から遠い存在のはずなのに、アンネ・フランクの存在を確かに感じられました。
環境さえ違ったら、もし彼女が生き延びていたら、もしあの日記の続きが読めるなら…と様々な「もし」にわずかでも縋り付きたくなります。それくらい才能溢れる1冊でした。もっと彼女の文章を読みたい。