- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167654047
感想・レビュー・書評
-
小説として素晴らしいとは思わない。私小説というのはそういうものだと思う。見方が悪いのかも知れないけれど、僕が考える小説とは違うのだろう。
贋にすら憧れてしまうような切実さや苦悩を思うと、それはもう贋じゃないのかもと思ってしまうけど、それも違うくて。ただ単に僕は人間の話が好きなのだと分かった。人間臭い話が。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
車谷長吉が、学生時代から小説家になる前の自分を描いた作品です。
学生の<私>=生島は、全国を行脚し、山奥に庵を編んだ西行に憧れます。
読書に没頭し、いやいや広告代理店に勤めるものの、広告に嫌気がさし辞職。
無一文になって、ゼロから人生をはじめ、小説を書こうと考えても、料理屋に勤めながら、小説を書く筆が動くのもたまにの状況です。
文芸雑誌に載っても、後の作品が続きません。
苦しんでいるようでもあり、流れに身を任せているようでもあり、<贋世捨人>にはなかなか道を見出すことができません。
周りの人の<私>をみる目も好意的ではありません。
それでも、編集者土方、料理屋の親ッさん、精神医学者谷内・・・・、損得抜きで人を、才能を、みる人たちが登場すると、ほっとしました。 -
世捨人になりきれないつらさ。いや、世捨人だからこそ、お金に固執するのか。自堕落な筆者が作家になるまでの半生を赤裸々に描いた、私小説。最後は、作家になることこそ、世捨人になるのだと大悟していく。
-
昨年、病気になり、とうとう会社も辞めてしまった時、『贋世捨人』というタイトルに惹かれ、本を手に取った。
そして、車谷長吉氏が、私小説の作家であり、作家になるということはどういうことか?、詩や小説を書きたいと思っている自分にとって、社会とどのように距離をとればいいのかを、みつめてみたいというのもあった。
印象に残ったのは、ある主人公の友人である精神医学者の「小説を書くというのは、この男のように狂気でするのではなく、正気で風呂桶の中の魚を釣ろうとすることではないか」という言葉だ。
風呂桶には当然魚はいない。そんなことは無益なことなのかもしれない。
だが、作家になるとは、世の中の常識、つまり、“風呂桶の中の魚を釣ろうとすることが狂気である”とレッテルをはるようなものと対峙することなのだと理解したのだ。
これから文筆をする上での参考になるだけでなく、この小説は、自分と社会のありようを見つめることができるものだと考えた。 -
いいんだけど、赤目を先に読んじゃったから免疫がある。それが残念。
だけども、車谷長吉の一冊目は絶対赤目!! -
まずます面白かった。
-
2008/9/30購入
2011/5/26読了 -
作者の車屋長吉が小説家になるまでの苦闘を記した自伝小説。
世を憂い、ごく当たり前の人生を送る事よりも西行のように世捨て人として人生を費やしたいと考える長吉。
出家を考えるも挫折し、会社に入社し転々と職を変えながらも小説家を目指し投稿した小説が今一歩のところで落選してしまう。
挫折しながらも旅館の下足番や料理屋の下働きとして口に糊しながら小説を書くが何度書き直しても良い作品が書けず、苦悩する長吉。
大学時代の友人である谷内という精神科医に、『研究所内の風呂場で浴槽に釣り糸を垂れている患者に「釣れますか?」と声をかけると、「馬鹿、風呂桶で魚が釣れると思っているのか」と怒鳴られた。世の中で自分を正気だと思っている人達は、価値あることだと思っているが人の一生は風呂桶の中に釣り糸を垂れ続けるようなことではないのだろうか。』長吉に正気で風呂桶の中に釣り糸を垂らし続ける様に進めます。
長吉は、正気で風呂桶の中に垂れ続けよとは、「時代に反発しながら生きよ」との事だと啓示を受けます。
奥歯を噛み締めながら小説を書き、
著者プロフィール
車谷長吉の作品






この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。





