- 文藝春秋 (2003年3月7日発売)
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感想 : 9件
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Amazon.co.jp ・本 (416ページ) / ISBN・EAN: 9784167656584
みんなの感想まとめ
この作品は、高峰秀子の半生を描いた物語であり、彼女の人生の苦悩や成長を通じて、愛や人間関係の深さを探求しています。斎藤明美が語る高峰の姿は、女優としての華やかさだけでなく、継母との確執や家族との複雑な...
感想・レビュー・書評
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文藝春秋 2001
文春文庫 2003
新潮文庫 2012
ちくま文庫 2017
新潮文庫で読んだ。
出版社の内容情報に、
>高峰秀子を敬愛して「かあちゃん」と慕い、ついには養女となった著者が、本人への綿密な取材をもとに描く、唯一無二の感動的評伝。
と。
つまり公式。
ただ、評伝というには構成がなく、文体も「悪い意味で」おちゃらけている。
自分語りエッセイに高峰秀子を引き込んだといってもいいくらいに。
しかし、高峰秀子があまりにも傑物なので、面白い本。
またタイトルの由来が卓見だと思った。
なんでも筆写いわく、五歳から順々に背負わされた”荷物”を、ある時期から順番に降ろしていく、そのダイナミズムこそ、高峰秀子の後半生、あるいは人生の最大目標ではないか、と。
この洞察で、今まで読んできた高峰秀子のエッセイにおける風通しの良さとか、性格の快闊さが、わかった。
超強烈な「わたしの渡世日記」が正典としたら、本作はその後含め別人視点から描く外伝だが、十分面白かった。
なんと解説は皆川博子!
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目次
一本のクギ
仮面と鎧
荷物
敵
人間嫌い
鶏卵
一日一笑
ふたり
◇高峰秀子 ひとこと
◇皆川博子 解説
◇松山善三 解説詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
高峰秀子さんが書いた本と思いきや、高峰さんを「かあちゃん」と呼ぶ付き人のような存在の斎藤明美さんが書いた高峰秀子さんの半生記。
その女優としか知らなかったのですが、生い立ちからの継母との確執。俗によくあるスターになれば勘違いしたようにふるまう親、兄弟。人間嫌いになって、女優業も30歳にして終わろうと、美空ひばりのすべてを牛耳るステージママや、山口百恵さんの芸能界からの未練なき引退などを思い出させる。
でも、ここで世俗のしがらみを捨て去って自由に、清冽なる生き方へと後押ししてくれたのが夫、松山善三さん。人生って不思議ですよね、良きパートナー、良き伴侶と巡り合う、これも人生なんですよね。 -
高峰さん、松山さん、斎藤さん、全員違うタイプの愛すべき方々。高峰さんは孤高、カリスマ、ユーモア、依存しない人。松山さんは誠実で責任感のある人。お二人とも自律していて潔くて優しい。斎藤さんは天真爛漫、オープン、謙虚。謙虚については高峰さんと松山さんも傍目に目れば謙虚だけども自ら持つ尺度が強固であるが故に謙虚の自覚がない。斎藤さんは凡人の尺度も持ち合わせてることからくる意識している謙虚。
あえて自分がどなたに近いタイプか考えてみたら斎藤さんに近いのかなと思った。弱みを自覚してさらけ出して可愛がってもらうタイプ。 -
恥ずかしいながら女優高峰秀子についてほとんど知識がなく読みましたが、高峰氏と松山氏の人柄がとてもよく分かった気がします。終盤の高峰氏が数学が不得意な事を恥じている件がとても悲しかったです。人間は誰でも学ぶ権利があるはずなのに、それが守られない場合もあるのだと…。
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788.2
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『芸術新潮』の1月号(ベン・シャーンの特集)→そこに載ってたクレー小論の後編→前編をたどって『芸術新潮』12月号(高峰秀子の特集)→そこで強く印象に残った斎藤明美の「まさに"食う"ように」から、この本を借りてくる。斎藤明美は、高峰の養女となった人。高峰のことを敬愛し、「かあちゃん」と呼んでいる。
高峰秀子=デコちゃん、というくらいは私もかろうじて知っていた。しかし高峰映画を見たこともなく、子役時代から働き続けた半世紀の役者人生、そしてたくさんの本を書いていることも、『芸術新潮』の「高峰秀子の旅と本棚」の特集記事で初めて知った。
高峰秀子が背負ってきたデカい荷物―女優業、デカい家、大量の家財、別荘、執筆業。そのなかでも一番捨てたかったのは"女優"だった。これさえ無くなればあとのものも自然となくなる。その悲願だった引退を、養母の死から一年後に果たした高峰は、デカい荷物を処分していく。
思い出の詰まった品もある。普通はなかなか処分できないものだ。そこのところを、斉藤のインタビューに、高峰はこんなふうに答えている。
▼…かあちゃんは『徒然草』が好きだろ。あの、何でもかでも『いと見苦し』のオジサンが書いてるじゃない、『身死して財残ることは智者のせざる処なり…』って。だから思い切って物への執着は捨てて、思い出だけを胸にしまおうと思ったわけ。思い出は何時でも何処でも取り出して懐かしむことができるし、泥棒に持っていかれる心配もないからね。…(p.257)
「まさに"食う"ように」本を読んできた高峰は、さかのぼれば5歳からの子役人生を容易に降りられなかったために(多くの親族の生活を担って稼ぎ続けていたために)、小学校にもほとんど通えず、読み書きを独学してきたのだった。そのことについてふれた部分には胸がふさがる思いがする。こんなにも学びたかった人が、「学校に行かなくても人生の勉強はできる」と学校をやめねばならなかった。
高峰への10時間以上のインタビューと、「かあちゃん」との日々のつきあいをもとに書かれたこの本は、そういう環境で生きぬいてきた高峰の人となりを伝えて、ところどころ吹き出すほどおかしい。私がこの本を読み終わると、えらい笑ってたナーと同居人に言われたのだった。
「自分のお財布からお金を払って、私が出た映画をわざわざ観に来てくださった方、一人一人が、私の勲章です」とという気持ちで仕事をしてきた高峰の言葉に、自分の財布からお金を払って『We』を買ってくださる読者のお一人お一人に対する有り難さを、あらためて感じた。
(2/9了) -
潔い生き方の女性。でも、そうせざるを得なかった壮絶な人生に驚く。
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こんな壮絶な人生を送りながら,静かに生きる人がいるとは驚きであった。
4歳で叔母の養女となり,天才子役としてもてはやされながらも,金銭に意地汚い猛女たる義母の下,むらがる親戚を養う秀子が,毅然と生きる姿は戦慄を覚えた。
「学校に行かなくても人生の勉強はできる。わたしの周りには善いもの悪いもの,美しいもの醜いもの,何から何までそろっている。そのすべてが,今日からわたしの教科書だ。映画会社は慈善事業ではない。わたしは一個の商品だ。商品が女学校に行きたいなどとホザくのは贅沢の限りだ」。
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