翔ぶが如く 八 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2002年5月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784167663025

感想・レビュー・書評

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  • 鹿児島(熊本)は、日本を動かすには遠すぎるとつくづく感じた。
    高瀬の激戦とかぜんぜん知らなかったし、どこも初めて聞く地名ばかり。
    端っこすぎて、誰も助けようもない。
    仮に熊本城が陥ちたとしてどうなるのか。

    そして司馬さんは乃木が嫌いなのか?
    わざわざ書かなくてもよさそうな彼の失態を列挙していて笑った。
    思い出してみれば、「坂の上」でも乃木を手放しでは褒めてなかったっけ笑

  • 【感想】
    読み始め、このシリーズは西郷と大久保を中心に作成された、維新後→西南戦争までの壮大な物語なのだと思っていた。
    この2人を中心に、伊藤・桐野・川路・山県などの準メインキャラクターで物語は進展していくと思っていたが・・・蓋を開けてみればそれ以外のサブキャラや、はたや農民たちまで出てくる始末。
    明治初期から西南戦争までの時代小説として、とても広範囲の勉強にはなるものの、読み物としては少し蛇足が多い気がする。

    薩摩藩や西郷隆盛が思ったよりも張子のトラだったのか、或いは彼らの自負心がそうさせたのか、戦線は初期段階から思いのほか接戦になっている。
    事を成すにあたって、敵や状況をしっかり見極め、天狗にならないようにしっかり準備をする事が大切なんだなと教訓になった。

    窮鼠猫を噛む。僕自身、どんな相手と向き合う時も、手抜きせずにしっかり戦術を持って臨もう。


    【あらすじ】
    明治十年二月十七日、薩軍は鹿児島を出発、熊本城めざして進軍する。
    西郷隆盛にとって妻子との永別の日であった。
    迎える熊本鎮台司令長官谷干城は篭城を決意、援軍到着を待った。
    戦闘は開始された。
    「熊本城など青竹一本でたたき割る」勢いの薩軍に、綿密な作戦など存在しなかった。
    圧倒的な士気で城を攻めたてた。


    【内容まとめ】
    1.明治時代の西郷の態度の不可解さには理解に苦しむ。
    頭を強打して15日間寝ていたことが原因か?

    2.桐野・篠原らの感覚では、西郷その人の存在こそそのまま戦略であるとした向きが強かった。
    西郷さえ持ち出せば、その圧倒的人気によって、戦略の機能を十分果たしうると思っていた。

    3.経済に綿密だったはずの西郷が軍資金について全く無頓着だった。
    また、作戦行動中、戦いは桐野らに任せきりで終始無為傍観の態度を通していた。


    【引用】
    p14
    誰の目にも明らかであったことは、以前に比べ、根気がなくなったそうでございます。
    しかし天気の良い日は以前と変わりなく頭が冴えていて、勘が鋭かったそうでございます。
    南洲翁の持病は、ご高承の通り陰嚢水腫がありましたが、頭を強打して15日ばかり寝た事は、あまり知られてないのではございませんか。

    西南戦争について西郷がとった態度の不可解さには理解が苦しむとされている。
    一つは本来、経済に綿密だったはずの西郷が軍資金について全く無頓着だったこと。
    作戦行動中、戦いは桐野らに任せきりで終始無為傍観の態度を通したことなどが挙げられる。


    p103
    「自分は東上する。ついては貴下は兵隊を整列させて自分の指揮を受けよ。」
    さすがに西郷好きの樺山もあきれ、これはまさか西郷が書いたものではあるまいと、何度も問うた。

    西郷の使いに対する熊本城 樺山中佐の応接態度は、ほとんど喧嘩腰だった。
    たしかに樺山は西郷の恩も感じていたし、尊崇もしていたが、しかしこの書信は正気の沙汰ではないとも思った。


    p220
    政略はいわば気体のようなものであり、それを固体化するのが戦略であったが、桐野・篠原らの感覚では、西郷その人の存在こそそのまま戦略であるとした向きが強かった。
    西郷さえ持ち出せば、その圧倒的人気によって、戦略の機能を十分果たしうると思っていた。

    要するに、桐野・篠原らは西郷という世間的価値に、世間以上にまず自分たちがまばゆく眩んでしまったということであろう。
    このために、常識的な意味での政略も戦略も考えなかった。

  • 西南戦争勃発。鎮台兵対薩摩士族、新旧の文明の争い。個人的戦闘力は強くとも、補給や戦術、集団としての計画的戦闘に大きな差があり、火力重視の鎮台側の方が強い。時代の変わり目を感じずにはいられない。その変わり目には大方の人には苦痛を伴う重いものとなる。これは、現代の変化の大きい社会においてもどうようだとおもえる。歴史には、人間と社会における普遍的法則があるように思えてならない。

  • いよいよとと言うかようやくと言うか、西南戦争が勃発し、高瀬での第三次開戦までの第8巻。相変わらず小説の体は成しているが、作者の歴史研究の成果物的な様相が濃いです。決起に至った群衆心理がわかりやすく描かれています。
    そしてこの巻以前の、やや退屈な登場人物の心理描写中心の展開から一転し、興味をそそる開戦の展開に。
    しかしながら薩軍の幹部達は人間的魅力が乏しい上、愚策を展開してしまい、読み進める上で虚しいものを感じる。戦いの結末を知りつつなのでことさらなのかも。薩軍目線ではなく官軍目線で読みたくなりますね。
    西郷隆盛と言う人物は愚物として描かれており、銅像まで立てら皆が尊敬する人物とはかけ離れて不思議に感じます。維新前の倒幕の功績のみが輝く人物なのか。その人物に惚れ遣えて死んでいく兵士たちが哀れとまで感じます。

  • 「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。

  • ※2008.2.22購入@Book Off調布
     2008.11.3読了
     2017.5.6売却@Book Off

  • 西南戦争の戦記。どっちかというとやっぱり薩軍のほうが強い感じがするけれど、何をめざしているのかがわからないという気もする。驚くほど西郷が前面に出てこない。とても消極的というか勝手にしろ的な態度が一貫している。

  • 「翔ぶが如く(8)」(司馬遼太郎)を読んだ。
    『西郷一人の声望に無限にちかい価値を置き、それのみを政・戦略の代用としてきた薩軍の欠陥は、このときもまた露呈した。』(本文より)
    あまりに杜撰すぎないか?
    この決起の有り様はまさに悲劇としか言いようがないと思うのだが。

  • 変わらずエッセイ風に進む。
    彼の主観を通してだが、ずいぶん篠原国幹という男は無能で、こんなやつがいたら本当にたちがわるい。
    無口が威厳を醸す無能。

    そして勝海舟の肥大化する自己顕示欲も、かわいいが、小物である。
    私心の彼と無私の象徴のような西郷が、歴史的事業をおこなったということが面白い。

  • 今回は大久保利通さんは、まったく出て来ず。
    明治10年2月の西南戦争の状況が描かれていました。

    つまり、青竹1本で落とせると思っていた熊本城を攻めて、高瀬で3回官軍と戦って「あれ?なんだか思っていたよりも苦戦じゃん!味方増えないじゃん!」って薩軍が思うところまで。

    今のところ、官軍側で飛びぬけてダメダメなのが、乃木希典さん。
    長州ってだけで地位を得た人で、やっぱり愚鈍でリーダーには向かない人物として描かれていました。

    この巻の乃木さんは、若いとはいえ、命令されたことしかできない視野狭窄人間で、失敗すると後始末よりも前にすぐに死んでおわびをしようとする使えない困ったタイプね。

    巻末に熊本の詳細な地形図がありました。
    最後まで気がつかなかった!
    最初からこれを見ながら読んでいくと話がわかりやすいよ。

    しかし、西郷軍も無計画極まりないし、官軍は農民さんたちを鎮台兵として徴兵して、費用も結局は人民に全部押し付けだわで、苦しめているだけ。

    今の財政界が明治政府の系統を汲んでいるから間違った歴史観をお役所に植え付けられているけれど、そもそも明治維新は成功していないよねぇ…。

    明治維新後に構築され、内部分裂し、暴走した薩長土肥メンバーによる昭和の大きな敗戦を経て、後に戦勝国が敷いたレールを今は走っているだけなわけで…。

  • 西南戦争が始まったが、「太政官軍対反太政官軍」の図式という以外に何もなく、薩軍も本来の目的が何であるのか忘れてしまっているようだ。
    「敵を叩く」ことに終始しており政略も戦略もなく、維新の功高い薩摩壮士とは思えない戦いだ。
    西南戦争については一般的に「明治の初期頃に政府と西郷率いる薩摩を中心とした不平士族の内戦」というくらいの認識しかない。
    この「翔ぶが如く」を読んで、その歴史の前後関係や対外情勢、思想気分などをつぶさに観察してみると維新〜西南戦争の姿がよくわかる。

  • 西南戦争、はじまるよ~~!!いよいよ戦闘が始まるも、盛り上がらない…。大した正義のない戦争のつまらなさよ…。


     とはいえ、日本人の戦争の始め方ってもんがわかる。こういう思考回路に陥った時、戦争は始まる。そして、戦争が始まるように敵に罠をかけられる。
     この巻は戦争のない未来のために、読んで心に刻まないとダメだね。

     日本人が巨大な敵に竹槍で応戦しようとするのはこの頃からあったんだなぁ、いやもっと前からなんだろうなぁ。

    _____
    p24 日本人には
     西南戦争のきっかけは西郷暗殺の疑い、だったが、その本質は違うところにあるとアーネスト=サトウは見抜いていた。
     日本人の戦のやり方は、堂々たる理論を展開するのではなく、不正義な事件を取り上げ大方の人情を刺激して開戦に持ち込む。

    p94 清正城
     熊本の不平士族の一人、池辺吉十郎は薩軍の別府晋介に「熊本城は加藤清正が築いた堅城、いかに攻めるのか」と問うたところ、「別に方略なし。鎮台兵もし、我が行く手を遮らば、これを一蹴して通るのみ」と別府は答えた。

    p125 清正信仰
     地方のあらゆる階層の土着民に信仰されるほど愛好を受けたのは、加藤清正と西郷隆盛くらいである。
     清正は戦国時代にこの土地を封じられて、勇猛な性格と秀でた土木技術から人々の人気を集めた。

    p157 反官感情
     当時さつまで流行した数え歌に「盗みは官員、咎は民」という物があった。それほど当時の新政府は反感を持たれていた。 
     これは西郷が一番敏感だったことで、維新を好機とみて下級士族が成り上がり贅沢に溺れるようになっている様子を誰よりも嘆いている。

    p218 緒戦
     「戦い全体においても緒戦が大事である。小さな隊ことにあっても同じことだ。最初に士気を挙げてしまうだけでなく、味方の士気が低下し、敵を怖れるようになる。そのひらきは埋めがたいほどに大きい。また最初の戦闘に負けた指揮官は、、次の戦闘で名誉を回復しようとし、つい無用の無理をし、また負けたりする。いかに次の機会に苦闘をし、その次の機械に苦闘をしても、人は、あれは名誉回復のためにあせっているのだとしかみず、正当な評価をしてくれない。戦闘は最初において勝たねばならない。」

     薩摩人において歴史的に濃厚な思想である。たしかにわかる。緒戦に勝ったものほど冷静に次の戦いに臨める。
     戦で一番大事なのは冷静なことである。

    p261 戦略ではなく戦術
     薩摩軍は戦術的戦闘にこだわってしまった。目指すべきは東京の新政府であるはずが、目の前の熊本城を完璧に落とすことにこだわった。それゆえ、長い目で見た戦略のない戦い方が目立った。
     
     薩摩の戦の仕方は、個々の部隊長に作戦は一任するというやり方だった。それゆえ、一つ一つの戦闘に行き当たりばったりで臨んだのである。
     正義である自分たちに酔っていて、信じる者は救われる、正義は必ず勝つ、という根拠のない自信だけで動いていたんだなぁ。コワイコワイ。ISISかよ。

    p332 金による納税
     日本の農本主義では国際経済に参加できない。そのため、新政府は明治六年から農民にも納税を金銭で納めるよう定めた。
     農民は動揺、混乱、反発したが施行された。多くの農民が金納できず苦しみ、土地を売り小作農に没落する者も多かった。地主は資本家化し、旧来の封建的隷属関係から資本主義的格差関係の社会に人々は困惑した。

    _______

     薩摩士族が新政府の軍人になった。やはりその雰囲気が残っていたのだろう。昭和でも同じような戦術と戦略の認識違いを犯してしまった。

     日本人の戦争が人々の感情を利用して始めるというのも、すごく大事な観点である。
     これから政治家が国民の感情に訴えるようなことをしてきたら危機感を持って、それに否と唱えよう。




     戦が始まると、とたんに話のふくらみ方が狭窄してしまい、面白くなくなってきた。もっと広い視野で物語が進まないかな。
     大久保利通どこいった。

  • ようやくサクサクと読めるようになった。西南戦争への経緯や過程は終了し、とうとう戦争勃発。今までとは打って変わり登場人物一人一人の背景よりも、戦闘シーンが事細かに描かれていた。明治10年(1877年)2月のほんの数日の両軍の動きが実に事細かに描かれているのだ。
    この時代に関して素人の私は西南戦争とは薩摩にて完結した戦争だと思っていたが、すぐに誤りに気付いた。西郷隆盛ら薩摩軍は別に薩摩内で反乱を起こそうとした訳ではなく、東京に行きたかったのである。その途中、鎮台があった熊本城を破ろうとしたものなのだ。なるほど、確かに熊本城は堅牢である。なので、熊本城に籠城する政府軍との攻城戦のほか、その北西地域の随所において戦闘が繰り広げられたのだ。私は去年秋に熊本県を訪れ熊本市内を歩き回り、他の街も電車で巡っているため、少しだけ熊本の土地勘がある。そのお陰で幾分か位置関係が分かり楽しむことが出来た。

    本巻で印象的だった記述を一点だけ引用したい。
    ・戦い全体においても緒戦が大事である。小さな隊ごとにあっても同じだ。最初に敵と出会った時、どんな無理をしても勝たねばならぬ。最初の戦闘で負けると、敵の士気を上げてしまうだけでなく、味方の士気が低下し、敵を怖れるようになる。その開きは埋め難いほど大きい。また最初の戦闘に負けた指揮官は、次の戦闘で名誉を回復しようとし、つい無用の無理をし、また負けたりする。いかに次の機会に苦闘し、その次の機会に苦闘しても、人は、あれは名誉回復のために焦っているのだとしか見ず、正当な評価をしてくれない。戦闘は最初において勝たねばならない。
    →薩人の与倉中佐が作戦会議で力説したもの。まさに先手必勝である。

  • いよいよ西南戦争!
    俄然面白くなってきた。
    それにしても西郷の心境がさっぱり分からん。やはり頭打ってからおかしくなったのだろうか。

  • 昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

  • いよいよ西南戦争の勃発。
    西郷隆盛暗殺(疑惑)の件を問いただすべく北上しようとする私学校党(桐野利秋・篠原国幹など元陸軍の要人ら)は軍を編成。
    これに対し政府陸軍は熊本鎮台の牙城とする熊本城に続々と兵を送り込む。

    難攻不落の熊本城にかかりっきりになり薩軍は次第に不利な戦況になっていく。対する鎮台兵は大阪から次々に補給される潤沢な武器・弾薬を駆使しこれを攻め込む。さらに九州の地にて陸軍の総指揮をするべく陸軍卿・山縣有朋が福岡に入る(海軍からは川村純義が参軍)。

    とまぁ怒涛の勢いで戦況が展開、比較的はじめの戦闘から政府軍の有利な状況でコトが進んでいったようです。
    高瀬の会戦では菊池川を挟んでの戦いとなりましたが、中央隊を請け負った篠原国幹が弾丸の欠乏を理由に戦線を離脱するという無茶ぶりを発揮したり。それでも、桐野と参戦した宮崎八郎率いる民権党(協同隊)の吶喊(とっかん)で政府軍もタジタジ…することもあり。いかにもな戦争ドラマが展開されてゆきます。

    勇将はいても名将がいない薩軍に対し、政府軍には児玉源太郎や川上操六など天才参謀がいる。これはもう…勝負の結果は明らかですね。

    “天の利、地の利によって起つことがあるが、このたびは人[西郷]によって起つ”と言った桐野の言葉が、近代戦争における薩軍の未熟さを露呈しているかのよう。

  • 幕末の戦乱を知力と薩摩隼人の勇猛さで勝ち抜いてきた薩軍の綻びの理由が以下の文章に集約されていると思った。

    「政略(多分に希望的要素がつよかったが)は、存在したが、それを実現せしめる戦略を持たなかった。政略はいわば気体のようなものであり、それを固体化するのが戦略であったが、桐野・篠原らの感覚では、西郷その人の存在こそそのまま戦略であるとしたむきがつよかった。西郷さえ持ち出せば、その圧倒的人気(と桐野らはおもっていた)によって、戦略の機能を十分果たしうると思っていた。
    要するに、桐野・篠原らは西郷という世間的価値に、世間以上にまず自分たちがまばゆく眩んでしまったということであろう。このために常識的な意味での政略も戦略も考えなかった。」(p260)

    必要以上に持ち上げられた西郷が、もはや何も言わずに持ち上げられたままでいた本当の気持ちはどうだったのだろうか?

  • 「飛ぶが如く」8巻。反乱勃発、熊本城攻囲、高瀬周辺の戦闘。

    理念だけが先走って、しかもその理念が象徴を抱いているというだけの根拠に基づいた蜂起。戦略もなく、個人武力を戦術の基本に置いたのでは、先行きのない戦争でしかない。
    どこまでも、西郷隆盛一人におんぶにだっこの戦争だったのか、という気持ちです。臆病であることを最大の恥とする文化のもとで育ち、勇敢であることを示すために戦い死ぬという思想が何よりも大事とされる人たちが指揮官である軍隊の脆さ、なのでしょう。

    なんというか、薩摩藩に抱いていた強者の幻想が砕かれてゆくな。『ドリフターズ』しかり『薩摩転生』しかり。戦略の立案者は他にいて、あくまで一個の戦場にだけ注力できれば、フィクションで勇躍する薩摩のイメージに近くなりそうです。

    とはいうものの、近代軍隊を目指し生まれたばかりの陸軍も脆い。
    西南戦争始まったばかりですが、結果的にはこの戦争を経たことで軍隊の調練になったのではないかな、と思ってしまいます。

  • 西南戦争がいよいよ勃発
    なぜ起こったのか、その背景は西郷隆盛の反乱…というような一言で終わる話ではない。
    最終章に挿話のように書かれている、政治が大きく変わる中での混乱や不平不満が、江戸時代よりも前から武士道に行き続けてきた薩摩藩という特殊国家で爆発した…ということなのだろうか。
    西郷隆盛が反対だったこと、周囲の暴発を抑え込んでいたことは『代表的日本人』にも記述あった通りか

  • 西郷は維新の時と西南戦争の時とは人が変わったようになった。その理由は明治2年に狩猟中切り株に頭を強打して15日も寝込んだことが原因の可能性がある。16

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

司馬遼太郎の作品

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