新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫) (文春文庫 し 1-105)

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  • Amazon.co.jp ・本 (313ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167663063

作品紹介・あらすじ

嘉永六(1853)年、ペリーの率いる黒船が浦賀沖に姿を現して以来、攘夷か開国か、勤王か佐幕か、をめぐって、国内には、激しい政治闘争の嵐が吹き荒れる。この時期骨肉の抗争をへて、倒幕への主動力となった長州藩には、その思想的原点に立つ吉田松陰と後継者たる高杉晋作があった。変革期の青春の群像を描く歴史小説全四冊。

感想・レビュー・書評

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  • (一)(ニ)が主に吉田松陰、(三)(四)は高杉晋作の物語です。何より自分が影響を受けたのは「革命」の本質を鋭く描き出していることです。幕末にわき上がった志士というニ流三流の手合いが大騒ぎをし、西郷、桂などの一流は冷静に構え暗殺などの手を使わない。
    信長、秀吉、家康のように、初めは革新的な人物が革命を起こすが倒れる。次にそれを引き継ぐ人物が現れる。しかしこれも倒れ、二流の凡庸な人物が引き継いで新たな時代が開かれていく。歴史はこの繰り返しである。
    また、思想とは本来硬質で柔軟とは程遠い。思想を手にしたものは、すごい力を得たように感じ、行動が飛躍してしまう。二流、三流の手合いであり、一流はそうではない。
    このような歴史の教訓を伝えながら、幕末というダイナミックな時代、とりわけ魅力的な松陰、高杉を扱っているのでとにかく面白くて仕方ありませんでした。
    長州藩が幕府軍を破った、幕長戦争、絵堂の戦いや幕末の豪華キャストなど見所満載で、司馬遼太郎作品でも1・2を争うくらい好きな作品です。

  • 司馬遼太郎が萩を訪れた際に、運転手から「杉道助(大阪商工会議所会頭を長年勤めた方)」の故郷であると話かけられる話から始まる。
    (杉道助の曽祖父にあたるのが、吉田松蔭の父。)

    一巻目は吉田松蔭の幼少期から、24歳頃の将及私言(藩主への意見書)を書いた黒船来航時の話が描かれている。後半には佐久間象山が登場する。

    昔の人が勉強熱心だったのは、公のために尽くす侍の気持ちが大きかったのだと感じた。
    吉田松蔭の教育係であった玉木文之進(松蔭の叔父)のエピソードは、厳しすぎて現代であれば体罰で問題になってしまいそう。
    私利私欲を省き、国を良くしようと政治に携わっていた偉人がいたからこそ、激動の時代を切り抜けられたのだろう。

    (一部抜粋と要約)
    松蔭が読書中、頬がかゆくなったので顔を掻いただけで折檻された。玉木文之進いわく、「痒みは私情、これをゆるせば長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になるから、殴るのだ。侍は作るもの、生まれるのではない。」という考えで折檻したらしい。

  • 【感想】
    幕末騒乱期を長州藩の視点によって描かれた物語。
    龍馬伝でもお馴染みの「吉田松蔭」「高杉晋作」が中心となる長編の第1巻は、吉田松蔭の青春時代を中心に描かれていた。

    好奇心旺盛で、打たれ強く、粘り強く、幾度の失敗でさえ決して折れず、子どものように目を輝かせて夢を追い続ける吉田松蔭はこれまで抱いていたイメージとは大いに異なる印象だった。
    やや危なっかしいところも多いが、あのように自分の夢のみ懸命に追いかけれる人間はとても眩しい。
    また、他と違って相手をリスペクトした上での「攘夷」は、読んでいて非常に爽快!!

    実際周りにいると大変そうだが、非常に参考になって魅力的な吉田松蔭。
    次巻からは高杉晋作も登場するのでとても楽しみだなー


    【あらすじ】
    時は幕末。
    嘉永六(1853)年、ペリーの率いる黒船が浦賀沖に姿を現して以来、攘夷か開国か、勤王か佐幕か、をめぐって、国内には、激しい政治闘争の嵐が吹き荒れる。
    長州萩・松本村の下級武士の子として生まれた吉田松陰は、浦賀に来航した米国軍艦で密航を企て罪人に。
    生死を越えた透明な境地の中で、自らの尊王攘夷思想を純化させていく。
    その思想は、彼が開いた私塾・松下村塾に通う一人の男へと引き継がれていく。
    松陰の思想を電光石火の行動へと昇華させた男の名は、高杉晋作。
    身分制度を超えた新しい軍隊・奇兵隊を組織。
    長州藩を狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動に駆り立てていくのだった……
    骨肉の抗争をへて、倒幕へと暴走した長州藩の原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の青春群像を鮮やかに描き出す長篇小説全四冊。
    吉川英治文学賞受賞作。


    【内容まとめ】
    1.吉田松陰のアグレッシブさと屈託のなさ、数多くの失敗にまみれても尚動き続ける粘り強さはまるで少年のよう
    2.後年あれほど名を連ねた吉田松陰は実は遅咲きで、ペリー来航後の数年まで大きな活躍や他人からの尊敬などを成していなかった。
    3.長州藩は若者に対して実に甘く、この事が幕末の騒乱にて若者に藩論を牛耳られてあわや藩解体にまで追い詰められる原因となった。



    【引用】
    「中国者の律儀」という言葉が、戦国期に流行った。
    正直をむねとし、人を騙さない。
    少なくとも毛利氏の外交方針はその律儀を建前としたがために同盟国に信頼され、威を上方にまで奮った。

    関ヶ原という大変動期を切り抜け損ね、敗北者側に味方したため、広島を追い出されて防長ニ州(今の山口県)に閉じ込められて、幕府に窒息寸前にまで追い詰められた。
    「とうてい家を維持できない、これならばいっそ城も国も幕府に差し上げます」と絶望的な訴えをしたが、幕府は無視した。


    p102
    後にあれほどの感化と影響力をその後輩に与える松蔭が、同輩に対しては何の影響も与えず、彼らにからかわれることはあっても、後に彼が後輩から得た尊敬のかけらほども、得ていない。

    他藩士の間でも、松蔭の評価はその程度だった。


    p130
    「われ酒色を好まず、ただ朋友をとって生(いのち)となす。」
    人間の本義のため、友との一諾を守る。


    p135
    長州藩の上司の風として、若い者に対し実に甘い。
    この藩が幕末騒乱期にあって若い過激派によって牛耳られ、あやうく藩が解体する寸前まで加熱したのは、この藩の年長者たちのこういう寛大さに原因している。


    p225
    不思議な性格で、いつでも自分の前途には楽しいことや頼もしいことが待ち受けているように思い込んでいる。
    だから松蔭には暗さというものがない。


    p243
    ここ数年、日本中を歩き回って、海岸を見、山岳を見、国防の事を考え続けた。
    日本中の人物という人物には、あらかた会ってしまったような思いがある。
    しかしながら、ついに回答を得ない。
    (この上は、国禁を破って外国に渡る以外にないのではないか?)
    非常な暴挙である。


    p256
    松蔭は、違っている。
    海を越えてやってきた「豪傑」どもと、日本の武士が武士の誇りの元に立ち上がり、刃をかざして大決闘を演ずるという風の攘夷であった。
    敵を豪傑として尊敬するところが松蔭にはある。


    p301
    「長崎へ行ってみたところ、惜しくもロシア艦は去った後であった。」
    別に落胆の様子はなく、顔色も声の張りもいきいきしている。
    このあたりが松蔭の特徴であった。
    失敗すればまた新たな企画を考えるというたちで、このため失望や退屈をする暇がなく、今ももう次の行動企画に心を沸き立たせていた。


    p308
    「自分はどうも人の悪が見えない。善のみを見て喜ぶ。」
    「人生において大事をなさんとする者は、和気がなければなりませぬ。温然たること、婦人・好女のごとし。」

  • ▼はじめに読んだのは恐らく中高生の頃。その後の30年間くらいの間に少なくとも1度は再読しているはず。ただ、確実にこの10年は読んでいなかったので、軽い気持ちで再読。


    ▼やはり、面白い。幕末の、長州藩の、吉田松陰と高杉晋作が主な題材で、第1巻は全部、吉田松陰。ものすごく頭が良くて真面目で憂国の志士。だが同時に底抜けに明るくて礼儀正しくて、あんぽんたんのように人をすぐに信じて騙されて、歩くコメディのようにやることなすこと詰めが甘く不運でことごとく失敗する世間知らずのお坊っちゃんでもある。


    ▼司馬さんは証言や手紙から、その「明るく礼儀正しく騙されやすく不器用」というところに愛を感じたんだろうなあ、という奇妙な青春物語になっています。吉田松陰は、一部戦前皇国史観的な考え方の中では、「聖人」だったようで、その名残か、この小説は初出当時一部の人から「松蔭を冒涜している」と怒られ、司馬さんには殺害予告まで来たそう。とんでもない話ですね。

  • 坂の上の雲を読んでいる途中ですが
    長州がどうしても気になって

  • 自宅待機でヒマなので久々の再読。司馬さんの本は若い頃は繰り返し読んだけれど、やはり竜馬がゆくや翔ぶが如くのような長編はそうそう何度も読めず、一番読み返したのは多分『新選組血風録』、次いで上下巻の『燃えよ剣』そして薄めの4冊この『世に棲む日日』。元気がなくなるとこれを読みたくなるのです。

    1巻は吉田松陰が主人公。司馬さんの萩観光からするっとそのまま物語に入っていく導入部がいい。私は山口県民ではないけれど、松陰先生を呼び捨てにするのは気が引けるので以下、松陰先生で通します。

    松陰先生は文政13年(1830年)に、杉家の次男として生まれ、山鹿流兵学師範である吉田家の養子となる。師匠は叔父の玉木文之進。この人の教育方針が、のちの松陰先生のストイックなまでに無私、かつ無謀な性格の基礎を作ってしまうのが興味深い。そして長州藩という藩の体質。

    「藩は、人間のようである。」と司馬さんは書く。「三百ちかくある諸藩は、藩ごとに性格もちがい、思考法もちがっている。人間の運命をきめるものは、往々にしてその能力であるよりも性格によるものらしいが、藩の運命も、その性格によってつくられてゆくものらしい。」ヘタリアみたいに藩を擬人化したら面白かろう。長州藩を擬人化したら、たぶんまんま松陰先生か高杉晋作のような感激屋で詩人気質でありながらも目的のために手段を選ばない猪突猛進型になりそうだ。

    松陰先生は二十歳で江戸留学、各地を遊学、さまざまな師匠に学び(とくに佐久間象山)、肥後熊本藩の宮部鼎蔵ら、終生の友人を得る。ある時その宮部らと東北旅行を計画するが、約束の期日に藩の手形が間に合わず、友情を重んじる彼は脱藩の大罪を犯すことに。結果、帰国後、藩を放逐され家督も奪われ、浪人となってしまう。ただ藩の温情で、身柄は実家の預かりとなり、再び江戸で勉強することを赦される。

    ところがその嘉永6年(1853年)、ペリーが浦賀に来てしまったからさあ大変。大興奮で駆けずりまわる松陰先生、今度は異国船への密航を企て・・・(つづく)

  • 旅行で初めて松下村塾に行くことになったので
    行きながら帰りながら4冊読みました。再読。
    吉田松陰と高杉晋作の物語。
    個人的には高杉晋作が好きなので、挙兵から
    「面白き事もなき世を面白くすみなすものは心なりけり」
    までをもう少し丁寧に描いてほしかったなあ。
    なので★は3つまで。。。

  • 1-4巻まで読了。
    時代背景はよくわかったけど、肝心の主人公たちがそこまで魅力的でなかったような…
    吉田松陰と高杉晋作に期待しすぎたかも。
    竜馬がゆくのような波瀾万丈ドラマというより、その時代の詳細な解説のような感じ

  • 吉田松陰の学びに対する貪欲さと公に尽くす姿勢に敬服する。そうさせたのも玉木文之進の非常な教育があったためでもあろう。5歳で私を捨てることを強いられ、公の奉行者としての自覚を植え付けさせられる教育とは想像もできない。
    また陽明学の「実行のなかにのみ学問がある。行動しなければ学問ではない」という思想には頷ける。アウトプットあってこその学びであることは当時の陽明学がすでに証明している。

  • 吉田松陰の生い立ちと書生時代が描かれる第1巻。
    描かれるのは、幕末の嵐が吹き荒れ始めるよりも少し前の時代。吉田松陰という人間がどうやって形作られたのか、そして黒船来航をはじめとした時代のうねりの中で彼が何を考えどう動いたのかが詳述されます。
    全体的に『燃えよ剣』のような劇的な展開には乏しいけれど、次巻に迷わず手が伸びます。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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