新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-107)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167663087

作品紹介・あらすじ

狂躁の季節がきた。長州藩は既に過激派の高杉晋作をすら乗りこえ藩ぐるみで暴走をかさねてゆく。元冶元(1864)年七月に、京へ武力乱入し壊滅、八月には英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い惨敗…そして反動がくる。幕府は長州征伐を決意し、その重圧で藩には佐幕政権が成立する。が、高杉は屈せず、密かに反撃の機会を窺っていた。

感想・レビュー・書評

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  • 三巻目は、出来事が激しく移り変わる様子が描かれていた。狂躁の季節とは上手い例えで、約1年間で攘夷から開国論者に急に変わってしまっては、周囲が追いつかず反発するのに少し共感した。

    J.コッター著書「カモメになったペンギン」に通じるところがあり、危機の内容を仲間に共有することの難しさを感じた。西洋列強の実力を現地で見た人は危機感を持つが、国内しか見たことが無い人はその危機感を同じように持てない。異なる思想がぶつかりながら、四巻目でどう着地するか続きが楽しみ。

    ●安政の大獄以降
    藩医の飯田正伯が、井上らと松蔭の遺体の引き渡しを懇願。亡骸の描写が生々しかった。当時は人権というものがない‥。

    ●1862年12月、御殿山焼き打ち事件
    長州藩尊王攘夷派志士ら(高杉晋作/久坂玄瑞/井上馨/伊藤博文ほか)が、竣工前の公使館を全焼させた事件。

    ●1863(文久3)年1月 松蔭の改葬
    晋作は松蔭の改葬を江戸で行った。将軍しか渡れない御成橋を渡って番人と悶着。穏やかなことではないが、井伊直弼が桜田門外で斃され政情が変わり、軟化。安政の大獄で処罰はれたものへの大赦を行えと勅使。

    ●1863年5月、井上・伊藤などがドーウェル大佐を艦長とする英艦バロサ号で横浜港を出港。その翌日、晋作は出獄せよと命じられる。
    藩主の毛利敬親がお人好しとのことだか、晋作に対外戦争の指揮をさせるくらい藩が困っていた。

    ●1864年6月、イギリスへ密航していた井上・伊藤らが帰国。井上は長州藩の要人に、
    「四カ国艦隊と戦争してはいけない。実際に西洋文明を見たら、日本で想像していた以上だ。攘夷は井の中の蛙のたわごとだ」と説得。
    一年半前には攘夷思想で、品川御殿山の英国公使館を放火したのに、開国論者になった。
    「攘夷をするより、国を開き欧州文明を取り入れて自彊の道へ登るべき」と言った。

    ●中岡慎太郎が板垣に手紙を送る。「長州が天下の権を握るだろう。その次が薩摩。なぜなら、戦争をしたから。戦争で士気が高まり、藩の士も民も一つになった。」と書いた。
    1868年から1869年の戊辰戦争時、越後長岡藩の戦いでは領民は傍観。会津若松城の攻防戦で領民は、官軍に協力する者もいたそうだ。

  • 【あらすじ】
    狂躁の季節がきた。
    長州藩は既に過激派の高杉晋作をすら乗りこえ藩ぐるみで暴走をかさねてゆく。
    元冶元(1864)年七月に、京へ武力乱入し壊滅、八月には英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い惨敗…そして反動がくる。
    幕府は長州征伐を決意し、その重圧で藩には佐幕政権が成立する。
    が、高杉は屈せず、密かに反撃の機会を窺っていた。



    【感想】
    主役が完全に高杉晋作に移った3巻目。
    京での失脚や下関での戦争、蛤御門の変など、これまで勢いづいていた長州藩の落ち目が描かれている。
    前巻までは大らかに見られていた長州藩内部も、過激派たちによって幕末らしくどんどん血なまぐさくなっていった。

    そんな極限状況の中、高杉晋作と井上聞多、伊藤博文の暗躍が目立つ。
    「疾風迅雷」と作中何度も描写されているように、高杉晋作の行動スピードや胆力は非常に読んでいて面白かった。

    長州目線からの幕末物語もついに次巻で終わりを迎えるわけだが、最終巻でどういったエピソードがあるのか非常に楽しみ!


    【この本から何を活かす?】
    ・何事もタイミングが大事!見誤って事を成そうとしても、潰されるのがオチ。周りの状況を見ること!
    ・薩摩藩の冷静沈着さは見事!どんな時も落ち着いて俯瞰した物の見方が大事!

    【内容まとめ】
    1.井上聞多はある意味キ○ガイ。癇癪を起こした時に本領発揮する。
    2.幕末は諸行無常。長州藩が過剰な攘夷などデカイ顔しすぎたせいで、各藩や天皇からも嫌われることとなった。
    3.開国で世がザワついている状態で、唯一薩摩藩のみが冷静であった。将軍や各藩は我を失ってしまい、薩摩に主導権を握られてしまった。


    【引用】
    ・井上聞多
    「銭の事なら井上に聞け」
    とびきりの物知り。
    新知識とあればどんなカケラでも手に入れて、それをこなれのいき胃袋のような頭で咀嚼できる。

    松下村塾の門人ではない。
    攘夷について後年、「あんときゃ、ああじゃなきゃならんかったんじゃ」と現実的な意見も述べている。

    江藤新平いわく、
    「井上という男は、彼のいう議論が間違っていても仕事はそのわりに成功させる。
    伊藤は議論に間違いがないが、仕事がその割に成功しない。」と評した。

    井上は理屈下手の仕事上手で、猥雑としか評しようのない度胸の良さがあった。


    p88
    藩は必ず滅ぶ。
    防長2州は砲火で焼け、焦土になる。
    (ならねばならぬのだ。)
    敵の砲火のために人間の世の秩序も焼けくずれてしまう。
    すべてを失った時、はじめて藩主以下の人々は狂人としての晋作の意見に耳を傾け、それにすがろうとするにちがいない。
    (事というのは、そこで初めて成せる。それまでは待たねばならぬ。)
    敗軍の時に出れば、敗戦の責めをひっかぶる役になり、人々は晋作を救世主とは思わなくなるだろう。
    ひとに救世主と思わさなければ何事もできないことを、晋作はよく知っていた。


    p107
    奇兵隊のオーナーは白石正一郎


    p114
    「これは勅諚である」
    と、天子の命令を切り札として振り回し、ときに将軍家茂すらその前に平身低頭させた。
    久坂玄瑞らの長州藩士が過激公卿を操り、それらの公卿を通して勅諚を乱発して幕府やその他の雄藩(薩摩、会津など)を押さえつけた。

    こういう怨念が、薩摩と会津の結託せしめることになり、この両藩は薩会と呼ばれた。

    そして意外にも孝明天皇は長州藩の暴走主義に対してきわめて濃厚な不快感を持っておられた。
    そこで薩会の穏健さを大いに気に入り、それが8月18日の「禁門の政変」につながった。

    海峡ではヨーロッパ列強の脅威があり、京都では政局から失脚した。


    p150
    薩摩によって背負い投げをくらわされたのは長州だけでなく、のちの慶喜も同様であった。
    長州も慶喜も、「薩摩藩」というものの性格を誤解していた。
    長州藩は、晩年すでに思想藩であった。

    しかし薩摩藩は、西郷その人は思想家だったにせよ、西郷の周りのものや藩そのものは思想団体では決してなく、いわば戦国期の権謀術数時代の1独立国のような意識と意思をもった体質であった。

    慶喜や長州藩、また諸藩の人々は、幕末のこの時代を「思想の時代」とみていた。
    尊王攘夷のイデオロギーの時代というのが普遍的な常識思考であった。
    その中で薩摩藩のみが、濃厚に「政略」で動いたところに、この藩の幕末維新史における目ざましさと奇妙さがある。


    p253
    ・周布政之助の割腹自殺
    政客というものは役者と同じで、自分の出るべき芝居に出て、その舞台の幕が降りればさっさと退くもの。

  • 再読中。さて上海で西洋がアジアを植民地化しているのを目の当たりにした晋作は、西洋の威力を思い知りながらも過激な攘夷活動に身を投じる。司馬さんいわく、「攘夷は革命への導火線であり、富国強兵の起爆薬」「晋作にとって攘夷も開国も主義や思想ではなく、戦略」ということらしい。つまり「「晋作は長州藩を藩ぐるみ火中に投げこんでしまうほかに、日本革命の方法はないとみていた。」

    というわけで文久2年、ご存知、御殿山の英国公使館焼き討ち事件を起こす。藩は慌てて晋作を萩に呼び戻す。この前後、脱藩も含め晋作は他藩なら切腹になってもおかしくないようなことを次々やらかしているのだけれど、長州のお殿様は家臣を大事にする人なので、まずは幕府から守ってくれようとする。優しい。しかし晋作は、東行(とうぎょう)と名乗って勝手に頭をまるめ隠遁してしまう。

    ところが翌年、長州藩は攘夷実行(関門海峡を通る外国船を片っ端から攻撃)し、逆に米仏の報復にあって惨敗する。ここで困った藩は、隠遁している晋作を召喚、下関の防衛を任された晋作による奇兵隊の創設となるわけですね。

    その頃京都では、桂小五郎や久坂玄瑞が中心となり長州藩が朝廷を操ってわが世の春を謳歌していたが、八・一八の政変で一転、長州は薩摩・会津のタッグに追い落とされてしまう。七卿が長州に落ちてきて、来島又兵衛らは兵を率いて京都に行くと荒ぶり、止めようとした晋作はしかし売り言葉に買い言葉でまたもや脱藩して京都に赴くことに。

    これ以上長州の立場を悪くしないために自重するよう来島を説得してくれと桂に頼まれた晋作は萩に戻るも、今度はさすがに脱藩の罪で投獄されてしまった。松陰先生と同じく野山獄から、自宅謹慎中の文久4年=元治元年6月の池田屋事件から7月の蛤御門の変で、長州軍は潰走、来島や久坂、入江らは皆戦死してしまう。晋作は謹慎中だったことで逆に命拾いした形。

    長州にとっては泣きっ面に蜂なことに、その翌月には4か国連合艦隊が下関を砲撃、幕府は幕府で長州征伐に乗り出してくるし、困り果てた藩はまたしても晋作を召喚。連合軍との和平に、イギリス帰りの井上聞多、伊藤俊輔(博文)らと共に駆り出される。

    3巻では晋作と同じくらい井上聞多、伊藤俊輔コンビが大活躍。この二人、長州藩がこっそり密航させたイギリス行で西洋文化のすごさに目覚め、攘夷から一転して開国派となっているわけですが、晋作ともども、そうすると元の攘夷仲間たちから「裏切り者」と命を狙われることになる。現実には攘夷に失敗したことで佐幕派が藩内で力を盛り返し、敵からも味方からも狙われたあげく藩からはいいように使われ気の毒な三人。

    井上聞多もまた、晋作と同じく藩内で身分が高く藩主の覚えもめでたい。お殿様にもガンガン自分の意見を通し、お殿様もまたそれを許してくれてるところがやっぱり長州藩はいい。明治後半にはいろいろやらかして評判悪い井上聞多(馨)も、この頃の仕事ぶりはかっこいいなあ。

  • 藩主への忠誠と自分が行おうとしていることの矛盾。そこが特に表現されていたと思う。矛盾した感情の中で、他人に苛立ったりはするが、自分の考えに迷いはないという高杉晋作の人物像を見事に確立させたかと思う。

  • #3135ー192ー429

  • 維新前夜の鼓動を描いた全四巻の三巻目。

    四カ国連合、薩摩、会津、幕府から徹底的に弾圧され、四面楚歌の状態になっていく暴走する長州藩が描かれている。

    井上馨の筋を通そうという姿勢、高杉晋作の雷鳴の如く動く性格があまりに雄々しい。

    長州・日本の為を思って行動すればするほど、周囲の抵抗は強まるばかりだが、その中で一時は九州に逃げるも、決して諦めない高杉晋作に感服した。

    最終的に長州藩から助けを請われたことが、良かったと思う反面、藩の上層部の体質に情けなさを覚えた。

    20代前半の若者が日本を動かしていく激動の時代に、自分の故郷の先祖が貢献できたと思うと感動するし、自分も頑張ろうという気持ちを貰えた。

    生涯のバイブルになるに違いない名著。

  • 晋作がメインで物語が進んでいきます。

    激動の時代ゆえに、朝廷、幕府、長州藩、薩摩藩、会津藩など様々な思惑が絡み、物事が色々と動いていきます。

    歴史としてはどうなるのか、大まかに理解していますが、この後どうなるのか最後の4巻が楽しみです。

  • 相変わらず最高に面白い。
    1巻あたりは吉田松陰の前半生が地味すぎてぱっとしない話でしたが、高杉が出てから盛り上がって参りました。

    高杉晋作はこんなにも多面性のある面白い人間だったのかと思うと、銀魂で純粋なテロリストとしてラスボス的な立ち位置に立たされるのはかわいそうだと思いました。むしろ大楽源一郎あたりがはまり役ではないのかな。
    三千世界の烏を殺し、は志ん朝が枕で使う都々逸ですね。ただ、作者不明、名もない江戸っ子の唄とされるほうが夢があってわたしは好きです。

    そして蛤御門の変。久坂は切腹し、桂は逃げる。逃げの桂。
    井上聞多が魅力的です。癇癪持ちなところが女の人みたいで。

    植民地主義の時代に侵略されたり分割されたりすることなく生き抜いてこられたのは、このご先祖様たちのおかげだと思うと感謝したくなりました。

    なぜ幕末や戦国の歴史物は面白いのか。それは人は本当の窮地に立たされると何を考えるのか知るきっかけになるからかもしれません。

  • (2015.03.19読了)(2013.06.15購入)
    この巻で活躍するのは、井上聞多と高杉晋作といったところでしょうか。
    その次が、西郷吉之助と伊藤俊輔で、重要な役回りは、来島又兵衛かな。
    それにしても、高杉晋作は、出待ちが多いような感じです。不思議な人物ですね。作者の司馬遼太郎さんの書き方のせいでしょうか。
    奇兵隊をどのようにつくって、どう訓練したか、というようなことは全く書かれていません。作者にとっては、興味のなかったところなのでしょうか。
    久坂玄瑞もあまり出番がないですね。大村益次郎も名前がちょっと出てくる程度です。
    この巻は、1860年から1864年あたりを行きつ戻りつしながら描いています。
    蛤御門の変とか、下関戦争とか、長州征伐とか。

    【目次】
    井上聞多
    焼打ち
    御成橋事件
    狂生
    饅頭笠
    砲声
    出発
    馬関へ
    暴発
    幽魂
    大潰乱
    灰燼
    転換へ
    暗殺剣
    砲火
    壇ノ浦
    談判
    ヤクニン
    彦島
    脱走
    ともし火
    海風
    堺屋
    山県と赤根

    ●高杉晋作(57頁)
    「長州藩はほろぶべきだ」
    という異常な―長州人がきけばのけぞっておどろくであろう―前提を、かれはその行動や思想の底の底に秘めつづけていたからである。
    ●奇妙人(63頁)
    高杉晋作というこの奇妙人は、他藩とのつきあいをいっさいしなかった
    ●毛利敬親・元徳父子(96頁)
    毛利敬親・元徳父子は、定見がないといっていいほどに大らかである。ただ藩士に対する仁愛の情がつよく、そういう点では、「思想家」である容堂や久光のようなむごいことはしなかった。容堂、久光は、その思想と政略をつらぬきとおすために、ずいぶんの反対派勢力の藩士を殺した。
    ●武士の世(102頁)
    「奇兵隊」の創設から、明治維新は出発するといっていい。
    とはいえ、晋作は、
    ―武士の世をおわらせてやろう。
    とまでは口に出していったことはない。武士の世がおわることを早くから予言していたのは、のち幕府方につくはめになった越後長岡藩総督の河井継之助や土佐の坂本竜馬、長州では晋作よりのちにあらわれてくる大村益次郎らであった。
    ●勅諚(114頁)
    久坂玄瑞らの長州藩士が過激公卿をあやつり、それらの公卿を通じて「勅諚」を乱発し、この勅諚の権威で幕府やその他の雄藩(薩摩、会津など)をおさえつけた。当然、反撥がおこるであろう。政治は理性よりもむしろ感情が支配する。
    ●「政治」(196頁)
    「政治」という魔術的な、つまりこの人間をときに虐殺したり抹殺したり逆賊として排除したりする集団的生理機能のふしぎとむずかしさを、
    ●上司の命令(223頁)
    「上司」とは責任と姓名をもった単独人ではなく、たとえば「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実態がないということがわかる。
    ●遺伝体質(224頁)
    太平洋戦争という、日本国の存亡をかけた大戦でさえ、いったいたれが改選のベルを押した実質的責任者なのか、よくわからない。太平洋戦争のベルは、肉体を持たない煙のような「上司」もしくはその「会議」というものが押したのである。
    ●亡命(237頁)
    「朝鮮へでもゆくか」
    晋作にいわせると、毛利家の血筋だけは絶やさぬため藩主父子をひっかついで朝鮮へ亡命する、というのである。
    どうせ長州藩領は焦土になる、いまのうち藩の金をひっさらって藩主父子をかついで日本海岸から逃げ出す、その手しかあるまい、と晋作はいうのである。
    ●権力に淡泊(268頁)
    「高杉という鳥は天を飛翔しているが、梢にとまって巣を作るということをしない」
    奇兵隊総督という位置を、創設数か月で晋作はかるがると捨てた。
    ●説得(270頁)
    晋作はその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割りきっている。

    ☆関連図書(既読)
    「花燃ゆ(一)」大島里美・宮村優子作・五十嵐佳子著、NHK出版、2014.11.25
    「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「世に棲む日日(2)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「久坂玄瑞の妻」田郷虎雄著、河出文庫、2014.11.20
    「青年(上)」林房雄著、徳間文庫、1986.08.15
    「青年(下)」林房雄著、徳間文庫、1986.08.15
    (2015年3月22日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    狂躁の季節がきた。長州藩は既に過激派の高杉晋作をすら乗りこえ藩ぐるみで暴走をかさねてゆく。元冶元(1864)年七月に、京へ武力乱入し壊滅、八月には英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い惨敗…そして反動がくる。幕府は長州征伐を決意し、その重圧で藩には佐幕政権が成立する。が、高杉は屈せず、密かに反撃の機会を窺っていた。

  • 個性的すぎる高杉晋作。この先の活躍が楽しみだ。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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