- 文藝春秋 (2003年4月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784167663094
みんなの感想まとめ
歴史の舞台で生きた吉田松陰と高杉晋作の姿を通じて、幕末の激動の時代が鮮やかに描かれています。特に高杉晋作の生涯は、彼の類まれな精神と人間性の両面を浮き彫りにし、彼が直面した矛盾や葛藤が丁寧に描写されて...
感想・レビュー・書評
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この作品を読むことで学びがたくさんありました。
吉田松陰と高杉晋作について、あまりよく知らなかったのですが、歴史に名を残す人というのは、こういう人たちなのだと理解できた気がします。すごい人たちが日本にいたのですね。
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疾風怒濤のごとく戦乱を駆け抜け、自分を信じ続けることができた類いまれな精神。師である吉田松陰への尊敬だけにとどまらず、具現化することができた高杉晋作。
そんな晋作とは真逆な一面(妾の“おうの”とのやりとりや、実母や妻に頭が上がらない)も、4巻では見られました。晋作の、丸ごとの人間性が感じとれました。
本作品を読み始めたときは、名前しか知らなかった吉田松陰や高杉晋作、幕末のドタバタ劇(?)が少しずつ分かってきてとても楽しかったです。歴史に残る事件が小説になっていると、こんなにも面白いのかと思いました。
しかし、晋作が、27年と8ヶ月の生涯を終える最終章を読んでいるときは、感動以外の何もありませんでした。泣けました。そして、松陰の言葉「どの人間の生にも春夏秋冬はある」心に沁みました。
辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」は以前、聞いたことがありました。晋作の一生を垣間見た後で、この句にあらためて接し、そして司馬遼太郎さんが、『世に棲む日日』というタイトルをつけたその心を想像すると、胸に迫るものがありました。-
素敵な感想、楽しませていただきました〜。幕末長州、司馬遼太郎さん、という風景、ぜひまだ色褪せぬうちに「花神」もお楽しみください!蘭学医からな...素敵な感想、楽しませていただきました〜。幕末長州、司馬遼太郎さん、という風景、ぜひまだ色褪せぬうちに「花神」もお楽しみください!蘭学医からなぜか軍師になり、長州征伐の東部戦線司令官から戊辰戦争全体を指揮した異能のひと、大村益次郎が主人公です!2025/08/03 -
『花神』、読めて良かったです。教えてくださり、ありがとうございました。koba-book2011さんのレビューに“B面の味”とありましたが、...『花神』、読めて良かったです。教えてくださり、ありがとうございました。koba-book2011さんのレビューに“B面の味”とありましたが、本当ですね。“B面の味”最高でした!!2025/08/07
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2025/5/3読了(再読)
徒手空拳の状態から藩内クーデターを成功させ、更に対幕戦にも勝利する怒濤の展開。これで倒幕へと潮目が変わった(この間、行方不明になってた桂小五郎がいつの間にか帰って、薩長同盟も晋作とは関係ない所で成立。長州を蘇生させたのは晋作一人の功績ではないのだが、まぁ本作では彼が主役ですから……)。しかし、晋作も病魔には勝てず、維新回天を見届ける事なく、短く濃厚な生涯を閉じる。時代を変える、その為だけに短い生を燃焼させた様は坂本龍馬にも似るか(思い描く革命のプロセスに違いはあれど、為った後に高位高官を望んでなかったらしい所も意外に似ていると思う)。
高杉晋作は、維新志士には珍しい上士階級(旧体制派)出身。本作では、旧体制の破壊者でありながら藩主父子や実家には頭が上がらないという矛盾を抱え(それを言うなら明治維新も、“尊王攘夷”をスローガンに始まる倒幕運動から始まった筈なのに、為ってみれば開国西欧化路線が加速化したとか、矛盾と言うより詐欺の様なムーブメントだったと言えなくもない?)、加えて育ちの良い甘やかされのお坊ちゃん故か、嫌味無くナチュラルに我儘放題出来る所が、傍迷惑でありながらも憎めない愛されキャラな存在として描かれていたように思う。でもやはり、平時向きの人物ではないなぁ……。 -
読んで振り返るには面白くても、およそその時代には生きたくないのが幕末だ。まあ戦国の世はいずれもそうなんだけれど、お上に従うしかないのがほとんどの戦時でしょ。でも、攘夷だの開国だのと右か左かを自らが選択して争う世ならば、結末を知り未来から傍観するにとどめたい。理屈を後付けし、曖昧な観念と思想でもって敵味方命を奪い合う時代に生きるなんておぞましい。松蔭も晋作も若くして逝ったからこその一途さ、頑迷さが魅力的なんだろう。歳を重ねて達観した二人を想像したくない。彼らの去ったのち、世にに棲む日日は萩の乱に至るんだわ。
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【感想】
ついにシリーズ読破!!
高杉晋作の本では、やはり司馬遼太郎が最高に面白かったな。
2巻途中から、主人公が吉田松蔭→高杉晋作に移り変わり、高杉晋作の奇想天外な生涯が描かれていた。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」。
正にそのような生涯を過ごした高杉晋作は、どのような思いで死んでいったのだろうか?
辞世の句のように、面白くもない世の中を面白く過ごせたのだろうか?
幕末を雷の如く駆け抜けて行った高杉晋作に思いを馳せる、最高の名作だった。
【この本を読んで参考になった事】
【あらすじ】
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。
わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは、きわどく成功する。
幕府は、慶応二(1866)年、この長州藩を圧し潰そうと、天下の兵を糾合し、藩の四境から進攻するが、時運はすでに移り変っていた。
維新の曙光を認めながら、しかし高杉はもはや死の床にあった。
【内容まとめ】
1.晋作という男は直感で物事を判断する資質には富んでいたが、それを理屈で相手に分からせるという能力に欠けていた。
2.行動を欲するがために行動しているのであり、終末がたとえ革命の成功であれ栄達であれ、天性いやなのである。
3.「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」
4.「おもしろき こともなき世を おもしろく…」「…すみなすものは 心なりけり」
【引用】
p19
晋作という男は直感で物事を判断する資質には富んでいたが、それを理屈で相手に分からせるという能力に欠けていた。
p20
藩に対するクーデターのため、奇兵隊など諸兵を説得する高杉晋作
「萩に向かって一里ゆけば一里の忠を尽くし、二里ゆけば二里の義をあらわすときである!」
p145
「おれは外国船を拾うため長崎へゆく。」
この男は行動を欲するがために行動しているのであり、行動の終末がたとえ革命の成功であれ栄達であれ、天性いやなのである。
p147
「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」
事を為すべく目標を鋭く持ち、それに向かって生死を誓いつつ突き進んでいる時は、どの人間の姿も美しい。
が、ひとたび成功し、集団として目標を失ってしまえば、そのエネルギーは仲間同士の葛藤に向けられる。
げんに、諸隊の隊長は互いに政治家を気取って、互いに蹴落としあいをはじめていた。
p151
晋作にとっての生とは、天がその生に目的を与え、その目的のために労せしめるという過程であるにすぎず、死とは、天が彼に休息を与えるというにすぎない、ということ。
自分は創業はできるが、保全はできないということ。
p254
聞いておそろし 見ていやらしい
添うてうれしい 奇兵隊
風儀が悪く、武士の持つ気品などは彼ら奇兵隊にはない。
また、その便の悪さに開き直ってしまっている。
ただ、この連中には強さがあり、だからそ自らの悪臭を誇るところがあり、実質武士と戦えば彼らが勝つ。
p260
幕府でもへとも思わぬこの男が、両親にだけは頭が上がらなかった。
p264
「この男ばかりは、千万人に一人の男だ」
高杉晋作のスポンサー、白石正一郎の思い。
晋作は自分の人生に主題を設け、純粋にその主題のもとに生きようとし、そのために人の百倍の蒸気圧を噴き上げている。
p285
この1時間のあいだで、晋作は幕府艦隊に対する戦法を思案しきった。
この男の生涯が短かったように、この男には長考という習性がなく、思案はつねに短切であった。
というより、すぐれた剣客の剣技のように行動そのものが思案となっており、彼のときに飛鳥のような、ときに潜魚のような行動の振り幅と起伏そのものが熟慮しきった結果である。
p295
(わしは、果たした)
と、晋作は思った。
彼の青春の大目標のようなものを、晋作は幕府の牙営である小倉城を落とすことによって果たし尽くしたように思った。
p303
「どの人間の生にも春夏秋冬はある。」
p306
辞世の句
「おもしろき こともなき世を おもしろく…」
とまで書いたが、力が尽き、筆を落とした。
望東尼はこの尻切れとんぼの辞世に下の句をつけた。
「…すみなすものは 心なりけり」
晋作の好みでないはずだったが、晋作は今一度目を開いて、
「…おもしろいのう」
と微笑し、ほどなく脈が絶えた。 -
▼とある夜に、帰宅電車で第2巻読み終えました。松陰さんは刑場の露と消え、高杉晋作の、「大暴発を始める寸前までの鬱々とした気分の時期」が描かれて。2巻の終盤くらいから、だったか、「高杉晋作のパンクでロックな活動」が始まります。
▼オモシロイ。やめられない止まらない、そのまま帰宅して、なんと明け方近くまでかかって、第3巻、最終第4巻と読了してしまいました。司馬遼太郎さん、語り口(省略の仕方)、とにかく、上手すぎます。反則です。
▼高杉晋作さんの(松陰さんも)歴史的な事実は司馬さんが書いたことが全て正しくは無いだろうとは思います。小説だし、そもそも書かれてから半世紀は経っているので、その間に新文献なども出てるでしょうし。さらに言うと、「事実を書くこと」ぢゃなくて「面白く書くこと」が優先でしょうからね。
▼というのは前提としても、高杉晋作に、司馬遼太郎が惚れるのは分かるなあ、と。実働、この人多分、僅か4~5年なんですよね。28歳くらいで死んじゃうので。その間に、
■江戸幕府に対する、テロリズム的な侮辱示威行為を繰り返して、「幕威を失墜」させ。
(まずこれだけで、「下手すりゃ捕まったら死刑じゃね?」というスリルとサスペンス)
■有名人になったものの、睨まれて、なんだか忽然、出家して隠遁生活に入り。
■ところが1年経たずに長州藩から懇願されて忽然、家老ランクで舞い戻って「奇兵隊」という、その後維新戦乱の先頭を切り続けて、果てには武士階級を崩壊させる危険な部隊を思いついて創設し。
■ところがまたまた保守派に睨まれて牢屋にぶちこまれ、自宅軟禁になり。
■ところがまたまた1年経たずに、自分を罪人にしたはずの長州藩に請われて、家老ランクで舞い戻って、諸外交艦隊との和平交渉を成立させ。
■ところがまたまた今度は「一部過激派」から裏切者と狙われ、「王道幕府派」からはお尋ね者とされて藩外に逃亡。
■ところが1年経たずに舞い戻って、たった30人で挙兵して長州藩数万の正規軍を相手に勝ち続け、とうとう長州藩を乗っ取って「幕府と戦う革命藩」に塗り替えてしまい。
■戦国時代以来の、幕府軍との堂々たる軍事衝突。そこで小倉方面を受け持って勝利してしまう。
という、もうなんだかくらくら眩暈がする活動を、4年だか5年だかでやってしまって、倒幕を軌道に乗せたところで肺病で死んでしまう。
なんて面白い。そして、師・松陰と足しても恐らく20年程度の「社会活動」。それを通して見ることで、たった20年くらいで日本の政治外交思想がどう激変したかが、茫然と良く分かる。
オモシロイ本だなあ・・・・さすが・・・。 -
ONE PIECEでいう空島みたいな展開のところで挫折しかけたが、「おうの」の登場からどんどん面白くなっていった。
幕末版『レオン』のようで、おうのが高杉晋作に惹かれるのは当たり前だし、妻子持ちの彼がおうのを手離せない理由も分かる。
もしこの時代に"あげまん"という言葉があったら、あげまんをもちいて詩を詠んだはず。 -
再読了。4か国連合との講和に成功したにも関わらず佐幕の俗論党が勢力を盛り返した藩政府から命を狙われた晋作は、またもや逃走、かつて自ら創設した奇兵隊や緒隊を頼り、藩論を覆すべくクーデターを画策する。いわゆる功山寺挙兵。ここで奇兵隊軍監・山県狂介(有朋)が大活躍。晋作のクーデターは成功し、俗論党は一掃され、晋作らが返り咲く。
しかしここでまた晋作は海外渡航を計画したり、下関海港を推進したりして、またしても仲間の攘夷派に命を狙われ、何度目かの逐電。愛妾おうのを連れて各地を巡り、四国で日柳燕石に匿われるも、役人にみつかりまた逃走、しかしようやく萩へ戻れることに。
というのも、いよいよ幕府が長州征伐に攻め込んできて、指揮官としての晋作が必要になったから。期待通り、晋作は幕府軍との戦争を有利にすすめる。将軍家茂の死去でなしくずしに幕府軍は引き上げて行ったが、晋作は戦争中からすでに労咳を患い、戦後は療養生活に入る。結局、慶応3年4月14日、明治維新を見ぬまま死去。享年28歳。
改めて読み返してみて、とにかく晋作の生涯はめまぐるしい。何か一仕事するたびに命を狙われて逃亡、あるいは何かやらかして逐電、あげく脱藩に投獄、しかし藩は困ったときの晋作だのみで、何度晋作が前線を退いても結局呼び戻さざるを得ない。とにかくその繰り返しの印象。晋作自身の飽き性もあるのだろう。あるいは権力の座に胡坐をかく趣味がないというのも。
司馬さんは「この男は行動を欲するがために行動しているのであり、行動の終末が、たとえ革命の成功であれ栄達であれ、天性いやなのである」と書いているけれど、なるほど、とにかく「じっとして」いられないわけですね。伊藤博文が書いた碑文「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」という有名なあれも、そういう晋作の一面をとらえているのかもしれない。
前巻まで、たとえば奇兵隊の創設についてなど晋作の具体的な行動を詳しく描写されることはなかったのだけれど、最終巻になってようやく、なぜか司馬さんは功山寺挙兵についてだけやたらと細かく戦況を追い、ページを費やしている(しかも半分主役は山県狂介だ)多分晋作の一生のうち、ここぞ、という重要な場面が司馬さんにとってはこの部分なのだろう。
4巻で松陰先生と晋作二人分という尺の問題もあるのかもしれないが、司馬さんにしてはオリキャラや創作エピソードなどはほぼなく(もちろん沢山の事件が想像で補われてはいるけれど)ダイジェストっぽい構成になっている気がする。例えば『竜馬がゆく』のように濃密な人間関係は描かれないし、放蕩ものだった晋作の女性関係についても、正妻お雅と愛妾おうのという実在の二人のみに絞られている。
伊藤・井上・山県については執拗に紹介されている部分もあるけれど、たとえば村塾四天王と呼ばれた晋作以外の他の三人の死に様はスルーだし、薩長同盟にも触れないし(つまり晋作とは別行動の桂小五郎が何をしてたのかの説明もない)、坂本竜馬が寺田屋で難を逃れたときに持っていたピストルは晋作のプレゼントだというのが定説だけれど、それを渡すどころか本書の晋作は竜馬と会ってすらいない。
ただ全体的にそういうあっさりした描写ゆえに、晋作の神出鬼没、雷電&風雨な個性はよく表現されていると思った。『世に棲む日日』のタイトルは、晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」「すみなすものは心なりけり(野村望東尼)」から。
「生とは天の我れを労するなり。死とは天の乃ち我れを安んずるなり」という晋作の言葉を司馬さんは「晋作にとっての生とは、天がその生に目的をあたえ、その目的のために労せしめるという過程であるにすぎず、死とは、天が彼に休息をあたえるというにすぎない、ということであった」と解釈する。一人の天才を、天が遣わして、この世に棲ませた。晋作はその日々をおもしろく生きて天に帰っていったのだろう。 -
「どの人間の生にも春夏秋冬はある」 ついに読み終わってしまった。最後は若干駆け足気味に感じましたが、それでも最後まで高杉晋作でした。扇子一つ持って戦場へ出かけるとかもうどうしろと!!!それゆえに老年期、冬と称される彼の晩年にしみじみするばかりでした。どうでもいいですが、読んでいるうちに山口県、とくに萩と下関に行きたくなってきました。
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■10年前の学生時代の自分のメモ転記
・この本を選んだ理由
幕末の数多くの思想家を排出した松下村塾の師、吉田松陰に興味を抱き、その生い立ちを詳しく知りたかったから。
・大まかな流れ
本編は4冊で描かれており、1冊目は吉田松陰がどのような生まれ育ち、どのような若者であったかを描く。2冊目は、吉田松が故郷の牢獄に入れられ、その中で松下村塾を開き、久阪玄瑞や伊藤弘文、高杉晋作、桂小五郎といった門弟が松下村塾に入る流れや、そこでの生活が描かれており、松蔭が無くなるまでを描く。3冊目では、その弟子である高杉晋作にフォーカスが当てられ、晋作がどのような人間で、どのような思考を持ち、どう成長していくかが描かれている4冊目は、末期の奇兵隊が暴れ回り、高杉が最後の幕府との戦を行い、病床に伏して無くなるまでが描かれている。
・印象に残ったこと。
吉田松陰の人間性として…大河ドラマ、龍馬伝に描かれた吉田松陰のイメージを抱いていたが、大体合っていた。ただ、童貞のような純情青年で、同世代からはあまり尊敬される存在ではないという部分が以外であり、面白くもあった。
・謙遜家、しゃべり好き、人の長所を見つけるのが上手い、節約家、仲間思い、等が読み取れる。また、どんな人でも長所を見つけて、教わろうとする姿勢が魅力的に感じられた。各地で牢獄に入れられているが、彼は囚人を説き伏せるばかりか、彼らのすばらしい点を本気で尊敬し、彼らを師匠とたてて学ぼうとする姿勢が、彼の狂人である部分の一つであると思った。
司馬遼太郎は、革命は3世代に渡って実行されるものではないかと述べている。第一世代は、吉田松陰のように、思想を発信する者。その者は狂人として扱われ、死をもってその思想はより高尚なものとして受け継がれるようになる。第2の世代は、その意志を実行する体現者である。これが、長州藩では高杉晋作がその代表にあたるものである。この世代が革命を成し遂げるが、ほとんどが生き残らない。第3の世代によって、革命後の世界が制定されていく。この世代で必要な者は、狂人的な思想体質の持ち主でも、ぶっとんだ実行力を持つ革命家でもなく、現実的で打算的な政治家が必要となる。この世代が、伊藤弘文や、山県有朋になるが、現在の政治家と違い、彼らも晋作達と共に幕末の長州で人並みにならぬ活躍をしている人たちであり、十分豪傑であると考える。
晋作はクーデターで勝ったときに、「勝利軍は無言なるがよし」といった。
強者が黙っていることこそ、恐い者はない、という考え。
雄弁なのが必ずしもよい訳ではないということを学んだ。
また、長州藩の代表者として、イギリスの代表者と対面するときの魔王高杉の描写が面白い。決してごまをすらず、対等、もしくはそれよりも上の態度で外人と接する様子に、相手も経緯を払い出すという流れ。その胆力は自分も持ち合わせているか分からんが、目標と信念を持っていれば私にもなせるはず。
白石正一郎の存在
海賊と呼ばれた男」の出光社長にも、全力でサポートしてくれる出資者がいたが、晋作にもまた、商人でありながら1人の男に全人生をかけるという豪傑の出資者がいた点に、魅力的な人物には全力でサポートしてくれる人がでてくるのだなと、思った。それは、自分から発信していかないと得られない者であると思うし、常日頃から自分の価値観を明確にしておかないといけないことを学んだ。
松蔭と晋作の違いは、思想家と現実家であるという点意外に、松蔭は名誉を求めたが、晋作は名誉を求めなかった、また、松蔭は節約は武士の身を綺麗に保つものであると考えたが、晋作は芸者遊びや酒を好んでいる。この似てるようで似てない師弟から、その行動において、自分の信念に沿っていればどのような行動をとってもいいと思えた。自分によくあるのが、この偉人はこうしているから俺もそうしようとか、教授・先輩がこうしてるから俺もこうしようとか考える場面があるけど、結局は自分がどのように考えて、意志決定できてるか。自分のルールに反しなかったら、俺が望むように行動するべきである。
いつまでも、意志のない人のまねばかりするのはよくない。 -
おもしろき こともなき世を おもしろく
高杉晋作の濃厚で嵐のような人生を描き出した名著。 -
短くも劇的な生涯。もし彼の人生がもう少し長く続いていればどうなっていただろうかと思わずにはいられない。でも、どんな立場になっても性に合わないと投げ出してしまいそうだ。またそれも高杉晋作らしくていいような…
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幕末の小説はこの世に棲む日日が初めてだったのですが面白かったです。
約28年という、今から考えると短い人生の中で高杉晋作のなしたことは本当にすごいことだったのだと…
奇兵隊という発想も当時の身分社会では考えつかないものを考えて実行した高杉晋作という人は凄かったのだと実感しました。 -
革命的思想家としての松陰吉田寅次郎と革命家としての高杉晋作をある意味対比させているような、気がしないでもない。
というのは読みながらなんとなく感じていたけど、最後の松本健一さんの解説がわかりやすくて、なるほどなと腑に落ちた。
あの時代で見れば「狂」であるのは両者変わりないだろうが、活動する時期でまったく環境も成すことも変わってくる。 -
吉田松陰の思想と高杉晋作の行動を対比させながら読めて面白い。幕末のまさに革命の世の中を生きた2人の生き様に感服する。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
この句の意味を、高杉晋作の気持ちや当時の情景を思い浮かべ噛みしめながら考えてみたい。 -
おもしろきこともなき世をおもしろく
生とは天の我を労するなり。死とは天の乃ち我を安ずるなり
こういう思いで生きていきたい。 -
吉田松陰と高杉晋作に焦点をあてたお話
長州の内紛があんなに拗れていたとは知りませんでした
しかし明治以後の長州ののさばりようと、自民党の現幹部のことを思えば、近代どころか現代日本をつくったのも高杉といって過言ではないきがします
高杉の詩心には感服しました
行動家のつくる詩歌には胸を打たれます
イギリスの彦島租借案を、古事記の講釈で突っぱねるシーンは痛快ですし
頼りになる男です(笑) -
吉田松陰についての小説かと思っていたら案外あっさりと亡くなったのでビックリしたが、本作はむしろ高杉晋作を中心とした幕末志士たちの物語である。これらの人物に対しては心酔しているファンも多いが、しかし本当に有能であったかどうかは本作を読んでも評価がわかれるところだろう。もちろん将来的に明治維新が実現したことを考えると、彼ら幕末志士たちもまた「正しかった」。とはいえ、個人的に吉田松陰や高杉晋作は思想家としては正しくとも、政治家としては間違っている部分も多々あったのではないかと感じる。第2次長州征伐における戦術などは無鉄砲の極みで、たまたま成功したからよかったものの、失敗していたらいったいどうなっていたかわからない。2人が亡くなったことでむしろ明治維新が成功裡に終わったという見方すらできるかもしれない。しかし、このような不器用な存在だったからこそ、後世までその人物像に惹かれる人が続出するのだろう。
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第二次長州征伐の終盤、高杉晋作が歿する迄。
生きて維新を迎えていたら日本はどうなっていたか?と想像するが、藩内クーデター成功後と同様にきっと大官は固辞したんだろうなあ。
鬼神のような行動力はひたすらかっこいいです。
その後ながく長州人のあいだに伝えられた名言、「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
司馬遼太郎の作品
