新装版 世に棲む日日 (4) (文春文庫) (文春文庫 し 1-108)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167663094

感想・レビュー・書評

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  • 第二次長州征伐の終盤、高杉晋作が歿する迄。
    生きて維新を迎えていたら日本はどうなっていたか?と想像するが、藩内クーデター成功後と同様にきっと大官は固辞したんだろうなあ。
    鬼神のような行動力はひたすらかっこいいです。


    その後ながく長州人のあいだに伝えられた名言、「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」

  • この4巻にて世に棲む日日も高杉晋作の生涯も終わりを迎える。佐幕攘夷に戻った藩政を再びひっくり返し、長州討伐にやってきた幕府軍を返り討ちにする。
    薩摩にしても、長州にしても、地理的に辺境っていう場所が効いているんだよな。もとは徳川幕府の外様政策で端に置かれたというのがあるんだろうけど、その地理要因で引いた目で見られるんだろうし、外国とも直接交渉する場所もある。
    わが故郷伊賀なんてそもそも伊勢の属国だし、京都に近いし、藤堂は外様と言っても準譜代だから流れに任せるしかなかったんだろうな。この話の中では「藤堂の腰抜け」と書かれる始末だし。
    とりあえず、改革を成し遂げるには、いくら正論であっても時を待つことも大切なんだなと再認識する話でした。

  • 世に棲む日日最終巻。フィクションじゃない、歴史小説の良さを初めて知った本だった。 おもしろき、こともなき世を、おもしろく。 松蔭が死んだ歳まで、あと5年。高杉が死んだ歳まで、あと4年と2ヶ月。か。

  • 吉田松陰、高杉晋作、奇兵隊、長州藩、よくわかった。エキサイティング!

  • 大河小説の最終巻。吉田松陰に続く主人公の高杉晋作も短い生涯を終える。28歳であった。

    刑死した松陰と違って、高杉晋作は布団の上での病死。イマイチ、ラストの盛り上がりに欠ける。幕末司馬小説では「峠」、「燃えよ剣」、「竜馬がゆく」など、いずれも主人公は花火のように劇的な最後を迎えることが多いだけに、いつの間にか終わってしまったという読後感。このあっけない終わり方は読者の好き嫌いが分かれそうだ。

    さて、高杉晋作は長州藩を率いて、外国と交渉し、幕府と全面対決。しかし、対幕戦争が終わると、一転して長州藩から追われる身に。さらには愛人を連れての逃避行に正妻や実家が追いかけてきたあげく、あっさりと病死。有名な辞世の句の通り、 死を直前に控えても激動の生き様だった。

    おもしろき こともなき世を おもしろく

  • 薩長は好きではないが、高杉新作の生き様には好感をもった。詩才に長け、判断力・行動力が常人ではない。まぎれもなく史上の偉人だが、家庭のことに苦渋するところなど、おかしみもある。

  • 1,2巻は、松陰について書かれています。3,4巻は、高杉晋作と革命...。息もつかず読んでしまう本です。

  • 松陰もそうだが、晋作の生き様で最も頭を悩ませたもの。彼らは何のために生きたのか?かつて松陰は「どの人間の生にも春夏秋冬はある」と言ったとか。それは分かる。しかし松陰はその春夏秋冬の果てに生きる道を語る前に死に陶酔してしまった。晋作はどうだろうか?彼の人生の行動をまとめると、戦争と芸者遊びと妾との逃避行の繰り返し。もはや生の意味を語る以前の問題。開国に向けた指導者の物語というより、幕末の日本に生きることを真に楽しんだ、文字通り「世に棲む」一人の人間としての姿に、偉大さというより親近感を覚えてならない。

  • 高杉晋作の最後までを描く。革命の実行者として天から生を受けたとしか思えない男の最後は病に散る。あのまま生きていたらどうなっていたんだろうか。生をもて余していたようにも思う。あれだけの男が母親と嫁に妾の居るところに乗り込まれ狼狽えているところが人間味がありそれも魅力になっている。なんのために生まれて、なんのために生きるのか、その問いかけを突きつけられるような全四巻。新年最初に読むにはぴったりの本でした。「おもしろき、こともなき世を、おもしろく」。最後にこんな詩が詠めるような、そんな生き方をしたいものだ。

  • 温和でごく自然な人情のゆきとどいたこの家の家風は、晋作の祖父のころからすでにそうであった。こういう家庭から、なぜ晋作のような、武士ぐるいの好きな一人息子がうまれたのであろう。
    「松本村の寅次郎が、こうしたのだ」と、小忠太は梁のきしむような砲声のなかで言ったことがある。松陰のことである。いま諸隊を扇動してさわぎまわっている連中は、みな寅次郎の門人ばかりであった。
     が、お雅はそうは思わない。教育というものがそれほど力のあるものであろうか。夫の晋作を見ていると、高杉家の、いかにも良吏の家といったおだやかな家風から、あのような武士ぐるいの好きな男が出てくるというのは、なんともつじつまがあわない。晋作は、教育の力というものがいかにむなしいものかという標本のようなものではあるまいか。晋作は明倫館の秀才でありながら、しかも良家の子でありながら、十代の終わりごろ、祖父母や両親の目をかすめて、松本村の吉田寅次郎の私塾に通っていたという。そのために晋作が寅次郎の力で変形されたというのはまちがいで、本来、寅次郎と同質の人間だったのだとお雅はなんとなく気づきはじめている。同質であればこそ、晋作は寅次郎の感化を受けたのであろう。感化をうけてから、同質の部分がいよいよ砥がれて鋭利になったのであろう。

    新生内閣が、成立している。その首相格の座に、山田宇右衛門という老人が就任した。宇右衛門は吉田松陰の幼少のころの師匠であり、松陰も、
    「自分は終生この人の学問、見識を越えることはできない」と、兄の民治に書き送っているほどの人物で、晋作もこの人事に大いに満足していた。本来なら革命軍の首領である晋作が政府首班になるべきだったが、かれは避けた。
     藩では、晋作を諸隊をすべて統括する陸軍大臣格にしようとしたが、晋作はそれに対し、一笑で報いただけであった。
     かれはこの時期、その後ながく長州人のあいだに伝えられた名言を吐いている。
    「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない」と、いう。その具体的な説明について晋作は一切沈黙しているが、かれは革命の勝利軍である諸隊の兵士の暴状を暗に指しているらしい。かれらは上士軍との決戦のとき、あれほど義に燃え、痛々しいばかりの真摯さで連戦奮闘してきたのだが、ひとたび革命が成功するや、ただの無頼漢になったような面がある。

     二流、三流の人間にとって、思想を信奉するほど、生きやすい道はない。本来手段たるべきものが思想に化り、いったん胎内で思想ができあがればそれが骨髄のなかまで滲み入ってその思想以外の目でものを見ることもできなくなる。そのような、いわば人間のもつ機微は、井上も伊藤も、ここ数年、生死の綱を渡ってきて知りすぎるほど知った。彼等は、こわい。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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