新装版 世に棲む日日 (4) (文春文庫) (文春文庫 し 1-108)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167663094

作品紹介・あらすじ

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは、きわどく成功する。幕府は、慶応二(1866)年、この長州藩を圧し潰そうと、天下の兵を糾合し、藩の四境から進攻するが、時運はすでに移り変っていた。維新の曙光を認めながら、しかし高杉はもはや死の床にあった。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史や登場人物の知識をもっと深めて、再読したい。歴史的背景や幕末以降への繋がりを知った上で読むと、また新たな発見がありそうな本だった。

    私は学生の頃に「竜馬がゆく」を読んだが、難しく読破できなかった。それ以来、司馬遼太郎を読んでいなかったが、大人になった今「世に棲む日日」を読み、歴史小説の面白さに気づいた。今まで司馬遼太郎から遠ざかっていたのを悔やみ、少しずつ著書を読んでいきたいと思う内容だった。

    本書の中で、なぜ高杉晋作が武士狂いでクーデターを起こすような人間になったのか、妻のお雅が考察した場面が面白かった。
    高杉家は温和な家だったようで、晋作の両親は嫁のお雅にとても優しかった。温厚な両親に対し、晋作の幼少期は気弱ではあったが反骨精神を元々持っており、吉田松陰と出会ったことで、その思想が誘発されたと推察。
    大人から抑圧されずに育ち、長州藩主の毛利氏も晋作を自由させていたので、過激な思想を止めることなく突き進んだのではないか。

    人との出会いや周囲のサポートで、本人の特性が活かされる。一巻目の冒頭に「長州の人間のことを書きたいと思う」とあり、長州の志士達が互いに感化されて突き進んでいく物語は痛快だった。高杉晋作が「もし吉田松陰と出会っていなかったら」「もし長州藩ではなく他の藩に生まれていたら」、日本の歴史が変わっていただろう。

  • 【感想】
    ついにシリーズ読破!!
    高杉晋作の本では、やはり司馬遼太郎が最高に面白かったな。
    2巻途中から、主人公が吉田松蔭→高杉晋作に移り変わり、高杉晋作の奇想天外な生涯が描かれていた。

    「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」。
    正にそのような生涯を過ごした高杉晋作は、どのような思いで死んでいったのだろうか?
    辞世の句のように、面白くもない世の中を面白く過ごせたのだろうか?

    幕末を雷の如く駆け抜けて行った高杉晋作に思いを馳せる、最高の名作だった。


    【この本を読んで参考になった事】



    【あらすじ】
    動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。
    わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは、きわどく成功する。
    幕府は、慶応二(1866)年、この長州藩を圧し潰そうと、天下の兵を糾合し、藩の四境から進攻するが、時運はすでに移り変っていた。
    維新の曙光を認めながら、しかし高杉はもはや死の床にあった。


    【内容まとめ】
    1.晋作という男は直感で物事を判断する資質には富んでいたが、それを理屈で相手に分からせるという能力に欠けていた。
    2.行動を欲するがために行動しているのであり、終末がたとえ革命の成功であれ栄達であれ、天性いやなのである。
    3.「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」
    4.「おもしろき こともなき世を おもしろく…」「…すみなすものは 心なりけり」


    【引用】
    p19
    晋作という男は直感で物事を判断する資質には富んでいたが、それを理屈で相手に分からせるという能力に欠けていた。


    p20
    藩に対するクーデターのため、奇兵隊など諸兵を説得する高杉晋作
    「萩に向かって一里ゆけば一里の忠を尽くし、二里ゆけば二里の義をあらわすときである!」


    p145
    「おれは外国船を拾うため長崎へゆく。」
    この男は行動を欲するがために行動しているのであり、行動の終末がたとえ革命の成功であれ栄達であれ、天性いやなのである。


    p147
    「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」
    事を為すべく目標を鋭く持ち、それに向かって生死を誓いつつ突き進んでいる時は、どの人間の姿も美しい。
    が、ひとたび成功し、集団として目標を失ってしまえば、そのエネルギーは仲間同士の葛藤に向けられる。
    げんに、諸隊の隊長は互いに政治家を気取って、互いに蹴落としあいをはじめていた。


    p151
    晋作にとっての生とは、天がその生に目的を与え、その目的のために労せしめるという過程であるにすぎず、死とは、天が彼に休息を与えるというにすぎない、ということ。
    自分は創業はできるが、保全はできないということ。


    p254
    聞いておそろし 見ていやらしい
    添うてうれしい 奇兵隊

    風儀が悪く、武士の持つ気品などは彼ら奇兵隊にはない。
    また、その便の悪さに開き直ってしまっている。
    ただ、この連中には強さがあり、だからそ自らの悪臭を誇るところがあり、実質武士と戦えば彼らが勝つ。


    p260
    幕府でもへとも思わぬこの男が、両親にだけは頭が上がらなかった。


    p264
    「この男ばかりは、千万人に一人の男だ」
    高杉晋作のスポンサー、白石正一郎の思い。
    晋作は自分の人生に主題を設け、純粋にその主題のもとに生きようとし、そのために人の百倍の蒸気圧を噴き上げている。


    p285
    この1時間のあいだで、晋作は幕府艦隊に対する戦法を思案しきった。
    この男の生涯が短かったように、この男には長考という習性がなく、思案はつねに短切であった。
    というより、すぐれた剣客の剣技のように行動そのものが思案となっており、彼のときに飛鳥のような、ときに潜魚のような行動の振り幅と起伏そのものが熟慮しきった結果である。


    p295
    (わしは、果たした)
    と、晋作は思った。
    彼の青春の大目標のようなものを、晋作は幕府の牙営である小倉城を落とすことによって果たし尽くしたように思った。


    p303
    「どの人間の生にも春夏秋冬はある。」


    p306
    辞世の句
    「おもしろき こともなき世を おもしろく…」
    とまで書いたが、力が尽き、筆を落とした。

    望東尼はこの尻切れとんぼの辞世に下の句をつけた。
    「…すみなすものは 心なりけり」

    晋作の好みでないはずだったが、晋作は今一度目を開いて、
    「…おもしろいのう」
    と微笑し、ほどなく脈が絶えた。

  • ▼とある夜に、帰宅電車で第2巻読み終えました。松陰さんは刑場の露と消え、高杉晋作の、「大暴発を始める寸前までの鬱々とした気分の時期」が描かれて。2巻の終盤くらいから、だったか、「高杉晋作のパンクでロックな活動」が始まります。

    ▼オモシロイ。やめられない止まらない、そのまま帰宅して、なんと明け方近くまでかかって、第3巻、最終第4巻と読了してしまいました。司馬遼太郎さん、語り口(省略の仕方)、とにかく、上手すぎます。反則です。

    ▼高杉晋作さんの(松陰さんも)歴史的な事実は司馬さんが書いたことが全て正しくは無いだろうとは思います。小説だし、そもそも書かれてから半世紀は経っているので、その間に新文献なども出てるでしょうし。さらに言うと、「事実を書くこと」ぢゃなくて「面白く書くこと」が優先でしょうからね。

    ▼というのは前提としても、高杉晋作に、司馬遼太郎が惚れるのは分かるなあ、と。実働、この人多分、僅か4~5年なんですよね。28歳くらいで死んじゃうので。その間に、

    ■江戸幕府に対する、テロリズム的な侮辱示威行為を繰り返して、「幕威を失墜」させ。
     (まずこれだけで、「下手すりゃ捕まったら死刑じゃね?」というスリルとサスペンス)

    ■有名人になったものの、睨まれて、なんだか忽然、出家して隠遁生活に入り。

    ■ところが1年経たずに長州藩から懇願されて忽然、家老ランクで舞い戻って「奇兵隊」という、その後維新戦乱の先頭を切り続けて、果てには武士階級を崩壊させる危険な部隊を思いついて創設し。

    ■ところがまたまた保守派に睨まれて牢屋にぶちこまれ、自宅軟禁になり。

    ■ところがまたまた1年経たずに、自分を罪人にしたはずの長州藩に請われて、家老ランクで舞い戻って、諸外交艦隊との和平交渉を成立させ。

    ■ところがまたまた今度は「一部過激派」から裏切者と狙われ、「王道幕府派」からはお尋ね者とされて藩外に逃亡。

    ■ところが1年経たずに舞い戻って、たった30人で挙兵して長州藩数万の正規軍を相手に勝ち続け、とうとう長州藩を乗っ取って「幕府と戦う革命藩」に塗り替えてしまい。

    ■戦国時代以来の、幕府軍との堂々たる軍事衝突。そこで小倉方面を受け持って勝利してしまう。

    という、もうなんだかくらくら眩暈がする活動を、4年だか5年だかでやってしまって、倒幕を軌道に乗せたところで肺病で死んでしまう。

    なんて面白い。そして、師・松陰と足しても恐らく20年程度の「社会活動」。それを通して見ることで、たった20年くらいで日本の政治外交思想がどう激変したかが、茫然と良く分かる。

    オモシロイ本だなあ・・・・さすが・・・。

  • 再読了。4か国連合との講和に成功したにも関わらず佐幕の俗論党が勢力を盛り返した藩政府から命を狙われた晋作は、またもや逃走、かつて自ら創設した奇兵隊や緒隊を頼り、藩論を覆すべくクーデターを画策する。いわゆる功山寺挙兵。ここで奇兵隊軍監・山県狂介(有朋)が大活躍。晋作のクーデターは成功し、俗論党は一掃され、晋作らが返り咲く。

    しかしここでまた晋作は海外渡航を計画したり、下関海港を推進したりして、またしても仲間の攘夷派に命を狙われ、何度目かの逐電。愛妾おうのを連れて各地を巡り、四国で日柳燕石に匿われるも、役人にみつかりまた逃走、しかしようやく萩へ戻れることに。

    というのも、いよいよ幕府が長州征伐に攻め込んできて、指揮官としての晋作が必要になったから。期待通り、晋作は幕府軍との戦争を有利にすすめる。将軍家茂の死去でなしくずしに幕府軍は引き上げて行ったが、晋作は戦争中からすでに労咳を患い、戦後は療養生活に入る。結局、慶応3年4月14日、明治維新を見ぬまま死去。享年28歳。

    改めて読み返してみて、とにかく晋作の生涯はめまぐるしい。何か一仕事するたびに命を狙われて逃亡、あるいは何かやらかして逐電、あげく脱藩に投獄、しかし藩は困ったときの晋作だのみで、何度晋作が前線を退いても結局呼び戻さざるを得ない。とにかくその繰り返しの印象。晋作自身の飽き性もあるのだろう。あるいは権力の座に胡坐をかく趣味がないというのも。

    司馬さんは「この男は行動を欲するがために行動しているのであり、行動の終末が、たとえ革命の成功であれ栄達であれ、天性いやなのである」と書いているけれど、なるほど、とにかく「じっとして」いられないわけですね。伊藤博文が書いた碑文「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」という有名なあれも、そういう晋作の一面をとらえているのかもしれない。

    前巻まで、たとえば奇兵隊の創設についてなど晋作の具体的な行動を詳しく描写されることはなかったのだけれど、最終巻になってようやく、なぜか司馬さんは功山寺挙兵についてだけやたらと細かく戦況を追い、ページを費やしている(しかも半分主役は山県狂介だ)多分晋作の一生のうち、ここぞ、という重要な場面が司馬さんにとってはこの部分なのだろう。

    4巻で松陰先生と晋作二人分という尺の問題もあるのかもしれないが、司馬さんにしてはオリキャラや創作エピソードなどはほぼなく(もちろん沢山の事件が想像で補われてはいるけれど)ダイジェストっぽい構成になっている気がする。例えば『竜馬がゆく』のように濃密な人間関係は描かれないし、放蕩ものだった晋作の女性関係についても、正妻お雅と愛妾おうのという実在の二人のみに絞られている。

    伊藤・井上・山県については執拗に紹介されている部分もあるけれど、たとえば村塾四天王と呼ばれた晋作以外の他の三人の死に様はスルーだし、薩長同盟にも触れないし(つまり晋作とは別行動の桂小五郎が何をしてたのかの説明もない)、坂本竜馬が寺田屋で難を逃れたときに持っていたピストルは晋作のプレゼントだというのが定説だけれど、それを渡すどころか本書の晋作は竜馬と会ってすらいない。

    ただ全体的にそういうあっさりした描写ゆえに、晋作の神出鬼没、雷電&風雨な個性はよく表現されていると思った。『世に棲む日日』のタイトルは、晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」「すみなすものは心なりけり(野村望東尼)」から。

    「生とは天の我れを労するなり。死とは天の乃ち我れを安んずるなり」という晋作の言葉を司馬さんは「晋作にとっての生とは、天がその生に目的をあたえ、その目的のために労せしめるという過程であるにすぎず、死とは、天が彼に休息をあたえるというにすぎない、ということであった」と解釈する。一人の天才を、天が遣わして、この世に棲ませた。晋作はその日々をおもしろく生きて天に帰っていったのだろう。

  • 「どの人間の生にも春夏秋冬はある」 ついに読み終わってしまった。最後は若干駆け足気味に感じましたが、それでも最後まで高杉晋作でした。扇子一つ持って戦場へ出かけるとかもうどうしろと!!!それゆえに老年期、冬と称される彼の晩年にしみじみするばかりでした。どうでもいいですが、読んでいるうちに山口県、とくに萩と下関に行きたくなってきました。

  • 革命的思想家としての松陰吉田寅次郎と革命家としての高杉晋作をある意味対比させているような、気がしないでもない。
    というのは読みながらなんとなく感じていたけど、最後の松本健一さんの解説がわかりやすくて、なるほどなと腑に落ちた。
    あの時代で見れば「狂」であるのは両者変わりないだろうが、活動する時期でまったく環境も成すことも変わってくる。

  • おもしろきこともなき世をおもしろく

    生とは天の我を労するなり。死とは天の乃ち我を安ずるなり

    こういう思いで生きていきたい。

  • (2015.05.13読了)(2013.06.15購入)
    【杉文とその周辺】
    主な登場人物は、高杉晋作、山県狂介(有朋)、伊藤俊輔(博文)、といったところです。
    佐幕派が実権を握った長州藩は、幕府に降伏して、山口城の破却を受け入れようとしています。
    高杉晋作は、奇兵隊を利用して少人数(120名ぐらい)でクーデターを敢行、まず海軍を手に入れ(1864年12月13日)、海と陸から萩の長州藩本体と戦い、勝った。
    イギリス行きを企てたが、長崎で、イギリスと組んで貿易する方針に転換して、下関に戻ったが、攘夷派に狙われそうになったので、大阪方面、四国方面へと逃げ回った末に下関に戻った。
    開闢総督に任じられ、幕府軍と戦い小倉城を攻め落とした。
    高杉晋作の命脈はここで尽きた。労咳だった。
    まったく不思議な人物です。芸者遊びが好きで、遊んでいるか、遊びの合間に、瞬時、仕事をする、という感じです。
    資金を提供したり、命令に従ったりする人たちがいるのが不思議です。

    【目次】
    長府屯営
    功山寺挙兵
    襲撃
    進発
    絵堂の奇襲
    反乱
    V路上の戦闘
    御堀耕助
    攻勢へ
    政戦
    兵威
    海峡の春
    転換
    逐電
    風伯
    浮世の値段
    呑象楼主人
    金毘羅船
    お雅と
    総督夫人
    断交
    航走
    一時三星旗
    老年
    文庫版あとがき
    解説 革命的ロマン主義の松陰と合理的精神の晋作と  松本健一

    ●西郷と晋作(35頁)
    終生晋作は西郷と会う機会を持たなかったし、そういう機会を持とうともしなかった。持たなかったのは、かれの長州第一主義によるものであったし、それに何よりもかれは西郷と薩摩藩が嫌いであった。
    ●革命思想派(48頁)
    革命思想派代表格は、高杉晋作、久坂玄瑞の両人と藩官僚の周布政之助、桂小五郎の四人であったが、久坂は蛤御門の変で戦死し、周布は自殺し、桂は蛤御門の変の後、行方不明になっている。残っているのは、高杉晋作だけであった。
    ●艱難をともにすべく、富貴をともにすべからず(148頁)
    事をなすべく目標を鋭く持ち、それに向かって生死を誓いつつ突き進んでいるときは、どの人間の姿も美しい。が、ひとたび成功し、集団として目標をうしなってしまえば、そのエネルギーは仲間同士の葛藤にむけられる。
    ●浮世の値段(204頁)
    生きていることの楽しみはたしかに多い。しかしその裏側の苦しみもそれとほぼ同量多いであろう。その楽と苦を差引き勘定すればいくら残るか、というのが、晋作のいう浮世の値段なのである。(まあ、三銭か)
    ●二十一回猛士(231頁)
    松陰はその生涯で二十一回の猛を発しようと自ら誓い、結局、三回発したのみで、幕府に殺されざるを得なかった。
    十八回の猛を仕残して松陰は死んだ。その十八回の猛を、門人たる晋作たちが引き継いで発すべきであったし、げんに久坂玄瑞ら多くの同門の士が十人のうち八、九人までが猛を発し、非業にたおれ、先師の後を追った。
    ●東一(247頁)
    お雅が東一を出産した。東一が生まれてから二十日後に藩内に大政変がおこり佐幕派が政権を握ったため、晋作は藩におれずに海峡を渡り、博多へ亡命した。その後、かれが展開したのは例のクーデター戦である。長府から下関へ、下関から山口へと連戦連勝して進んだが、しかし萩までは至らなかったため、東一を見ることがなかった。その後この男は洋行しようとして長崎へ行った。ところがまた舞い戻って、下関開港をはかったために反対世論が殺気立ち、難を避けるため、脱藩し、おうのとともに四国へ飛んだ、
    ●革命家松陰(310頁)
    幕末から明治初期にかけて出た多くの文章家のなかで、平明で達意という点では松陰は飛びぬけた存在のように思えるが、国家はそれを強いて読ませようとしなかったのは、松陰が、本来の意味での革命家だったからに相違ない。しかし名前だけが、程よく利用された。

    ☆関連図書(既読)
    「花燃ゆ(一)」大島里美・宮村優子作・五十嵐佳子著、NHK出版、2014.11.25
    「花燃ゆ(二)」大島里美・宮村優子・金子ありさ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2015.03.30
    「久坂玄瑞の妻」田郷虎雄著、河出文庫、2014.11.20
    「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「世に棲む日日(2)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「世に棲む日日(3)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.04.10
    (2015年5月14日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは、きわどく成功する。幕府は、慶応二(1866)年、この長州藩を圧し潰そうと、天下の兵を糾合し、藩の四境から進攻するが、時運はすでに移り変っていた。維新の曙光を認めながら、しかし高杉はもはや死の床にあった。

  •  明治維新に至る前に、長州藩でも革命が起きていた。吉田松陰が思想面から、高杉晋作が実働面でそれを担っている。

     松蔭は29歳でこの世を去り、晋作は28歳。この僅かな歳月で、驚異としか言いようのない働きを描いた物語。

     松蔭の思想とか行動が、常軌を逸しており、内面的描写がしにくいようで、しばしば「狂」という文字が充てられる。

     一方、晋作は実業家というに近く、描写が鮮やかで感情移入しやすいように思う。著者の他の作品でも、晋作のような英雄を描写することが多いため、松蔭の異質さが際立っているように感じた。

     二人の描写の差が面白く、著者の嗜好が現れているようでもある。

  • この時代の背景がうまく書かれているからか、いままで読んだ作品の登場人物たちとのつながりがはっきりと理解できました。
    私がもし、学校の先生だったとしたら、絶対に参考資料に生徒に薦めます。
    読みごたえがありました。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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