体は全部知っている (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2002年12月6日発売)
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本 ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784167667016

感想・レビュー・書評

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  • はっきりとした形では見えない体の部分から醸し出される生活感と感性が素敵でした。ゆっくりと時間が流れていく感じで心地よかったです。特に「花と嵐と」を読んでる時は私もこの世界に飛び込みたいなと思いました(^-^)
    あとがきに書いてあった〝体と本能にまかせておけば、さほど間違えることはない”が好きです〜

  • 『体は全部知っている』というタイトルの作品は収録されていませんが、全体を通してこの言葉がぴったりだと思うと、とても奥深く感じました。
    どの短編も心に残るものばかりでしたが、特に「田所さん」や「おやじの味」が印象的で、好きだなと思いました。

  • 吉本さんは良い意味で道徳的な話を書かれる


    生きていることには本当に意味がたくさんあって、星の数ほど、もうおぼえきれないほどの美しいシーンがわたしの魂を埋め尽くしいるのだがら生きていることに意味をもたせようとするなんてらそんな貧しくてみにくいことはもう一生よそう、

  • タイトルの通り、「はっきりとした根拠はないけどなんとなく体がさまざまなことを感じ取ってしまう体験」を共通テーマとした短編集。
    「みどりのゆび」と「田所さん」が特に好き。
    よしもとばななさんの文章は美しいなと改めて思いました。筆者本人も体調を崩していた時に書いた作品らしく、年末に数日寝込んだ身としては体を大切に生きようと改めて思いました。

  • 五感で気付く瞬間が人生の中にいくつも散りばめられている。
    本当にハッとして、ストンと落ちてくる感じ。
    「体は全部知っている」
    まさに表題通り。

    感情移入はしないけど、そのハッとする瞬間の感じが綴られていて、心地いい。
    感覚が鈍ってきた時に読みたい一冊。

  • なぜだかすごく好きな本。サラサラ読めるのに、読み終えた最後に何か心に残る。ステキです。

  • 短編集だと本のタイトルは短編のうちの一つ、ということが多いけれども、体は全部知っている、というお話はありません。どれか一つの短編が表紙を代表してしまうのではなく、全体を代表するようなタイトルに私は大満足しました。

    日常にときとして入り込む非日常、意識の世界にふと訪れる無意識の世界、現実に紛れ込む夢、、、それが、普段忘れている自分の本心とか、内側に触れる瞬間を生み出す不思議。

    ばななさんが、30代半ばで挑まれた作品とのことです。体がストライキに入って、体に立ち返ったことをあとがきで共有されています。


    第1話目の「みどりのゆび」で、おばあちゃんのお話で、いきなりぴったりくる。

    _祖母が死んで初めての冬だったが、もう何年も前のことのように遠く思えた。

    私が1人旅の途中の山道でふと思い出した、去年の冬のアロエについての家族でのやり取りと、そこから思い出す祖母との最後の会話。

    _「それでね、おばあちゃんはあんたにはわかると思うの、そういう感性がね。植物ってそういうものなの。ひとりのアロエを助けたら、これから、いろんなね、場所でね、見るどんなアロエもみんなあんたのことを好きになるのよ。植物は仲間同士でつながっているの。」

    そういうものなの、っていうところがなんだかとてもリアルだ。母も祖母もなにかそういうものだって教えてくれてた気がする。

    _そうか、こうやってつながりができていくのか、もうアロエは私にとってどこで見ても見る度にあたたかいものや優しいものにつながっていく。

    一人旅、ってこういうことのために会ったりするのかもしれない、遠くに1人で行って、自分に戻る、自分の原点に戻る、自分の内側に戻る、そうやって、また次に進む先がどちらなのかに気づく。


    「黒いあげは」や「明るい夕日」なども、今が夢か現実かよくわからなくなる時の錯覚が書かれていてとても共感しました。

    友人とドライブ行って温泉行って、ふとした記憶がよみがえる。父母のもめごとと、2週間の父の家出… 黒いあげは蝶が飛んできた記憶とともに、現実にも現れる… 胡蝶の夢!?!?

    _止めることのできない時間は惜しむためだけでなく、美しい瞬間を次々に手に入れるために流れていく。

    _…私はなんとなく気が狂いそうだと思った。自分の歳も住んでいるところもわからないような感じがした。夢に出てくる風景の中を歩いているようだった。それはいい夢でもわるい夢でもなかったが、現実からは遠くに離れていた。今歩いているこのミニチュアの世界で、自分だけがぐぐっと巨人になって、高い高いところから私たちのちっぽけな人生のあれこれ全て、昔から今までの全部を見つけているような錯覚にとらわれたのだ。



    「おやじの味」では、職場で失恋して、出勤できなくなり、今は山小屋に1人暮らす父のところで過ごすことにした私。

    _「ねえ、お父さん、みんあんでここで暮らせたらいいのにね。お母さんも、畑とか耕して、虫とかつかんで、みんなでいっぱい働いて、夜ごはんたくさん食べて、ぐうぐう寝るの。みんな並んで。真っ暗な中で。」

    私は言った。それは泣けてくるくらいあり得ない、遠くの光景だった。なんでだろう?なんでありえないのだろう。なにがどこで間違ってしまったのだろう?きっと、私が毛虫の感触を失ったのと同じ道のりで、家族から少しずつなにかが失われてしまったのだ。

    この部分を読んだときに感じた強い恐怖心?深い悲しみ?みたいなものはなんなんだろう。たくさんあった可能性は既に遮断されているという現実を突きつけられる、からなのか、

    あったものがなくなったことに気づいたときの喪失感?ずっと前からなくなっていたけれど、ただ気づいていなかっただけ、確認せずにおいておいた、「ある」かもしれない可能性。今はもう、絶対ない、でも過去には未来としてありえたたくさんのこと。なんでこうなったのか、なんでこの現実が選ばれたのか、の分かり得なさ。それでもこの現実からは路線変更はできない、有限性。…



    「サウンド・オブ・サイレンス」では、養子であることをはっきりとは言われていなかったけれども、15歳年上の「姉」が肉親であったことはうすうす気づいている私。

    _…とにかく、 人の体や心というものが自分たちの思っているよりもずっとたんの情報を受け取ったり発したりしているということだけは確かなように思える。

    現実にある神秘性。体が神秘だ。…



    「いいがけん」は、もっと世俗的で面倒で、私は、この人生ってなんだかなあ、と思う。きっとなにかがどうしようもなく偏っているのだろう、という。

    神社にお参りに行く。
    _「子供もじじいももういいです。ちょうどいい年頃の伴侶に恵まれますように、道のりは遠くても。」

  • ちょっとだけ日々に疲れたようなときに読むと元気が出る、お守りみたいな一冊。

  • 止める事のできない時間は惜しむためではなく、美しい瞬間を次々と手に入れるために流れている。

    西日とくろいアゲハが好き。

  • 吉本ばななさんの文章はとても好き。読み終わったあと、やわらかい気持ちになって、からだに情景や想いが染み込んでくる感じがする。彼女の文章はわたしが好きな淡い色。
    無理に考えなくても、結局は体が一番自分を知ってるんだ、ってことに気付かされた。よく、友達の方が自分を知っているとか聞くし、わたしもそうだと思っていたけど、違うんじゃないか…と。耳を澄ませてみよーっと。

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著者プロフィール

1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)、2022年『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞<Under35>、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。近著に『吹上奇譚 第四話 ミモザ』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。

「2023年 『はーばーらいと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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