空中庭園 (文春文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167672034

感想・レビュー・書評

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  • 『あたしはいったいどこで仕込まれたのか』

    自分の出生について知りたい、そんな感情に囚われたことがあると思います。両親はどうして結婚し、自分はどこで生まれ、どうしてこの名がついたのか。でもこれらの情報にはある意味で肝心な一点が抜け落ちています。人が生物である限り、この世のどこかに『自分が在ることを決定づけた場所』が存在するはずです。そして、その場所がどこか、その時の二人の行動。自らの子どもに繋がる起点となった以上、両親が覚えていないはずがありません。そして、物心ついた子どもは自らの誕生に繋がるそんな起点があるという知識を持つ時が必ずやってきます。でも、だからといって、そのことを知りたい、教えてほしいと自分の親に聞く子どもはいないでしょう。この世にはどんなに親しい間柄であっても聞けないことがある。それを当たり前に感じる私は『隠しごとをする』家庭で育ったのでしょうか。そんなこと含め『隠しごとはしない』。なんでも、あらゆることを包み隠さず話せる家族、そんな家族は本当に存在するのでしょうか。

    『あたしはラブホテルで仕込まれた子どもであるらしい』という京橋マナ。『十五歳という、非常に多感な年齢であるところのあたしがなぜ、自分の仕込まれた場所を知ったかといえば、理由はふたつある』という理由の一つは友人の木村ハナが『自分の両親は新婚旅行でアムステルダムに赴き、そのとき自分を妊娠した』と語ったから。それをきっかけに母に自分のことを聞くマナ。『インター近くにホテル野猿ってあるでしょ、あそこよ』と答える母・絵里子。『何ごともつつみかくさず、タブーをつくらず、できるだけすべてのことを分かち合おう』というのがモットーの京橋家。『ひどいネーミングのラブホで仕込まれて生を受けた』と嘆くマナ。翌日の朝『いつもの二人掛け座席に森崎くんを見つけ』、『出生決定現場』の話をするマナに『なんか、すげーな。あんたんち』と自分の家でそんなことは絶対聞けないという森崎。そんな森崎に『いきたい場所がある』と言うマナ。来月の誕生日に『インター付近にあるラブホテルにいきたいの、あのー、そーゆーことがしたいんじゃなくてなかがどんなか見てみたい』と言うマナ。『みるみるうちに赤面』した森崎。でも『なんなら今日でも明日でもいい、と森崎くんが言うのであたしたちは制服姿のままホテル野猿にきた』という急展開。『まず驚いたのが、その空間が、ひどくまっとうな部屋だったこと』と驚くマナ。『おー、カラオケ!おー、エロビデ!おー、ポテチまである!』と一通り騒いだ後、『小学生の学芸会のようにおたおたとたがいの距離を縮め、それから、キュー、という音をたてて唇を吸いあう』二人。『あたしは自分で上着を脱ぎ、ブラウスを脱ぎ捨て』た後、『もしさ、今日、もしだよ?なかで出してそれが卵子に届いたとしたら、あたしたちはすぐ家族になるんだね』と言うマナ。『制服を脱ぎ捨てる』森崎。しかし『彼の股間に手を伸ばし、森崎くんが勃起していないことを知る』マナ。『あー、だめだ あひー逃げてえー』と言う森崎。二人は仰向けに横たわります。『気にしないで』と天井を見つめるマナ。『それでぜんぜんかまわなかった。あたしは処女を捨てたかったのではなく、自分が在ることを決定づけた場所が見たかっただけだから』と言うマナ。そして、ホテルを出ての帰り道『まっすぐ家に帰りたくなかった』マナは、ふたつほど手前の停留所でバスを降ります。そして、偶然コンビニに母親の姿を見かけ、そして…。

    6つの短編から構成される連作短編という形式をとるこの作品。長女・マナ、父・貴史、母・絵里子、祖母・さと子、家庭教師・北野三奈、長男・コウの6人に各短編ごとに視点が切り替わりながら、物語は前に進んでいきます。家族ではない北野三奈視点が入っているのが物語に印象的なワンポイントを与えているだけでなく外部者視点で物語の核になるような記述が多々出てきます。しかし、あくまで京橋家の人々が主役である点は変わりません。京橋家は『何ごともつつみかくさない』ということを何よりも大切にしています。その象徴とも言えるのが『あたしはいったいどこで仕込まれたのか』と聞くマナに気軽にその時の話をする絵里子という母子の関係。そして、『ねえねえパパ、今日ね、マナったらね、自分はどこで生を授かったかなんて訊くのよー』というような話を『ホットプレート』で餃子を焼いて食べながら語れる団欒の風景が象徴しています。『あたしたちの生活のなかに、恥ずかしいことも悪いこともみっともないこともあり得るはずがない』だから隠すことなどない、というのがその考え方です。しかし、視点の切り替えで6人が語る京橋家から見えてくるのは、崩壊寸前、もしくは崩壊しているかのような家族像です。中でも絵里子は自らの母・さと子との長い確執の日々を『私の抱える殺意』と表現し、自らが築く家庭はそんな風にはしないと誓います。そして、マナやコウが『それぞれの鍵で無人の家に足を踏み入れるような家庭には、それが日常と化すような家庭には絶対にしたくない』と意地でも彼らが帰宅するより前に家にいることにこだわる姿勢をとります。でも子供はそんな親もよく見ています。彼らが暮らす築十七年の『ダンチ』。絵里子が幸せの象徴と考えているそんな『ダンチ』の暮らしに、息子・コウは斬りこみます。『ママはここに最初に越してきたとき、なんて思ったか覚えてる?すごい、全部うまくいく!って、思ったんじゃない?』と問います。『子どもは無邪気、夫婦は円満、コミュニケーションはばっちし』と絵里子の記憶が蘇ります。そして『それが思いこみだってこと。思いこんでると、本当のものが見えないって話』と畳み掛けるように辛辣に語るコウに何も言い返すことのできない絵里子。『たしかに私は、光かがやくあたらしい未来にやってきたと思った』と自問する絵里子。そして『いや、過去形じゃない。私は今でも、光かがやくあかるい未来だと、あのとき感じた同じ場所に居続けている』と家族に変化が起こっている現実をあくまで否定し、過去の幸せな日々にすがりつきます。

    そして、唯一の外部者視点となるコウの家庭教師・北野三奈の視点では、コウとの会話の中で虚飾にまみれた家族の内側を絶妙な表現で説明します。〈鍵つきドア〉の中に登場するその表現。それが『逆オートロック』です。『外部の人間には閉ざされたオートロック式のドアが、自由に出入りできる家のなかに存在している』というコウ。普段、京橋家の内側にいる者だから感じることのできる子どもならではの素直な感情。『その鍵は、外部に対して閉ざされているのではない。身内の侵入を防いで閉ざされているのだ』とその説明は淡々としていながらも、とても辛辣です。『五つのドアそれぞれの向こう側に、きっとグロテスクでみっともない、しかしはたから見たらずいぶんみみっちい秘密がわんさとひしめいて ー これから先ずっと繁殖しつつひしめき続けるのだろう』と家族のそれぞれが『隠しごとはない』と言いながら隠しごとにまみれた生活を送っていること、そしてそれは今後も続いていくだろうことを実に冷めた調子で指摘します。そんな京橋家の秘密の一端を知りうる立場の北野三奈は『閉ざされたドアの鍵をぶち壊すことなんかたやすいじゃないか』と感じています。必死でそれぞれの秘密を守り続ける家族、でも冷静に外から見ると、そんな彼らの努力が如何に空虚でたやすく壊れてしまうものであるかがよくわかります。そんな空中分解寸前の家族の情景を思い、それが描かれるこの作品のタイトルを「空中庭園」と名づけた角田さん。あまりに絶妙なタイトルの説得力に驚きました。

    一見幸せそうに見える家族、どこにでもありそうな家族の幸せな生活をベースに描かれたこの作品。何が進むわけでもなく、何が解決されるわけでもなく、ひとつの家族のある一時点を切り取ったこの作品。京橋家は、この先も決定的に壊れないように、家族のそれぞれが絶妙なバランスを保ちながら、生活していくのだと思います。そして、事の大小はあるとは言え、基本的にはこの同じ空の下に暮らすあなたの家族も私の家族も実際には似たようなものなのかもしれません。みんなそれぞれに何かしらの秘密を抱えながら、それでいてこの世で一番親しい存在としてひとつ屋根の下に仲良く暮らす家族。一見平和そうに見えても、蓋を開ければ、あれやこれや、どんなものが飛び出してくるかはわからない。それも分かった上で、誰も開けようとはしない。それが家族という人間の集団なのかもしれません。

    普段の日常の中で、家族というものをこんな風に冷めて考えたことはありませんでした。そんな考え方をすること自体、家族に対する裏切りではないか、そんな思いも当然にあります。こんなことは、小説の中の世界だと思いたい感情は読者全員に共通することだと思います。

    でもそんなあなたに伺います。あなたは、家族に対して一切隠しごとはしていないと言い切る自信がありますか?

    とても読み応えを感じた読書。非常に興味深い視点を与えてくれた、そんな作品でした。

  • “家庭内に隠し事は一切しない”と言うルールが敷かれた家族と、そこに関わる人たち6人の視点で描かれている光と影の物語。

    家族の闇を覗き見している様な不気味な感じ。そしてとてもリアルだった。
    側から見て幸せそうな家族だが、実は人には言えない秘密や嘘がある。それでも各々仲良し家族における自分の役割を理解し、秘密を隠しその役を演じる。その姿は痛々しく感じたが、程度の差こそあれどどの家族でもあるよねとも思う。

    幸福の家庭と、幸福を装っている家庭は案外紙一重なのかもしれない。

  • 登場人物すべてが好きじゃない。
    秘密を持たない家庭なのに、実はそれぞれ秘密がある。そしてその秘密が存在すること自体を自白されそうな時の困惑。秘密を一人抱えていた方が平和?
    その表現が見事であった。

  • '23年4月27日、Amazon audibleで、聴き終えました。前回聴き終えた「坂の途中の家」に続いて、角田光代さんの作品。

    うーん…僕にとっては、なんとも、気持ち悪い小説でした。凄くグロテスクな、家族ゲームを見せられているような…•́⁠ ⁠ ⁠‿⁠ ⁠,⁠•̀
    そういう意味では、「鍵つきドア」の、愛人さんの語りの章が、一番共感できたかも。彼女からは、狂った家族の茶番劇に、みえるんだろうな、と…。

    僕は、「家族の在り方」というよりは、「人の在り方」を聽かされているようだな、と思って聴いていました。人間って、気持ち悪いなぁ、と。

    優れた小説だと、思います。お見事でした。
    なんだか訳の分からない感想になってしまったかな(⁠ᗒ⁠ᗩ⁠ᗕ⁠)

  • 家族で隠し事を作らないなんて…それは無理だぁ。

    家族だから平穏に過ごしたいし、安心出来る関係でもありたいと思ったら やはり嘘も方便でないと。

    全部思ってる事ぶちまけたらきっと崩壊してしまうのではないかな。隠し事が想定外だけど京橋家はこれでいいのだと思う。…多分。

  • こちらも約10年ぶりに読み返してみたシリーズ。
    郊外のダンチで暮らす4人家族、京橋家のモットーは「何ごともつつみかくさず」。
    何でも話し合える家族のあり方は美しいけれど、でもそれって本当だろうか?本当に何も隠していない?というちょっと意地悪だけどあたたかい小説。
    連作短編になっていて、父親、母親、娘、息子、お婆ちゃんと父親の不倫相手まで、6編にわたってしっかり丁寧に全員の秘密を読ませてくれる。
    家族って面倒だよね。家族だからどんなことでも理解し合えるなんて絶対に無い。
    逆オートロック、という表現が的確だった。外部に対して閉ざされているのではなくて、身内の侵入を防いで閉ざされている。5人いれば頑丈な鍵のかかった5人分のお揃いのドアがあり、それぞれの向こう側にはグロテスクでみっともない、しかしはたから見たらずいぶんみみっちい秘密がわんさとひしめいている。
    私もそうだった。家族には隠しごとだらけで、むしろ本当のことを話したことなんて一度もなかったかもしれない。
    けどそれでも。それでも。そこが今にも分裂してしまいそうな空中の庭園だとしても。
    それでも、の後がどうしても続かないのに、「それでも、」と信じ続けてみたい自分がいるのもまた嘘ではない。

    娘・マナ
     あたしはことさら無邪気な声を出して笑い、息が白くあたりに広がるのをぼんやりと目で追って、ママが超能力者じゃないことなんか知っている、あたしはあの家の蛍光灯にさらされない何ごとかを、このようにしてわざわざつくりたかったのかもしれないと考える。

    母・絵里子
     近ごろマナはよく、私の過去を知ろうとする。ママがあたしくらいのとき、だの、ママが妊娠したとき、だのといった話題をよくもちかけてくる。そのたび私は嘘をつく。私の抱えていた空洞や絶望を、あの子たちに教えることはできない。この世の中にそんなものが在ること自体、伝えてはいけない。

    息子・コウ
     このダンチなんかいい例だと思うよ、ここは思いこみで建設されて、思いこみで成り立ってる場所だよ。ねえママ、ママはここに最初に越してきたとき、なんて思ったか覚えてる? すごい、全部うまくいく! って、思ったんじゃない?

     これってへんなものだよな。ひとりだったら秘密にならないものが、みんなでいるから隠す必要がでてくる。

     同じ意味を持つ光と闇って、家族ってものとどこか似てなくないかと言ったら、北野先生は上の空のまま、お子さまは単純だね、とつぶやくだろうか。

    パパの不倫相手・北野先生
     家族というのはまさにこういうものだとあたしはずっと思っていた。電車に乗り合わせるようなもの。こちらには選択権のない偶然でいっしょになって、よどんだ空気のなか、いらいらして、うんざりして、何が起きているのかまったくわからないまま、それでもある期間そこに居続けなければならないもの。信じるとか、疑うとか、善人とか、そんなこと、だからまったく関係ない。この車両に居合わせた人全員を信用することなんてできないのとおんなじだ。あと数分後に、あたしの正面に立つスケーター風の男がきれてナイフをふりまわす可能性と、中学三年のまじめな男子生徒が、パパの恋人とも知らず家庭教師をラブホテルに誘う可能性は、かぎりなくひとしい。

  • 購入以来9年ほど積読だった。

    図書館の本には返却期限があるからどんどん読むが、本書のように購入した本はついつい積読状態になってしまう。

    昨日だけたまたま図書館の本が手元に無かった。
    活字中毒者としては、そういう時は家に有る積読本解消の好機。

    本書は当時ほんの数ページだけ読んで、なんとなく好きになれずに放置したもの…のはず。

    しかし今回は一気に読み終えることができた。
    あんまり気持ちの良い内容ではないのだが…。

    ただ不思議なことに、きっと他の読者なら、また9年前の自分なら、あまり琴線に触れることが無さそうな祖母の章が、なんだか良かった。

    本書の解説で石田衣良氏が、直木賞受賞作の『対岸の彼女』と本書を読み比べて欲しいと書いているので、まだ読んでいない『対岸の彼女』を読んでみたい。

  • 秘密のない家族なんて中々成立しなさそうに感じました。
    家族に対する裏切りの秘密でなかったらあってもいいし、裏切りの秘密であってもバレなきゃいいのでしょうか。

    「さっき聞いたコウの言葉を思い出す。外部の人間には閉ざされたオートロック式のドアが、自由に出入りできる家のなかに存在している。」

  • 家族6人の視点で紡ぐ短編連作。出だしから笑わしてもらい、標題作以降は黒々とした息が詰まる展開。最終編の落としどころは...。
    家族というものと今一度、向き合うことのできる良作でした。

  • 家族内での隠し事の在り方ついて考えさせられる作品であった。隠しておいた方がよい秘密ってある。秘密を打ち明けることで確かに家族の絆が深まる場合もあるが一方で、正直に打ち明けたことにより自分はすっきりするが相手に責任を転嫁させることになったり、傷つけることもある。だからといってどうしたらよいか答えはわからないが、、、

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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