対岸の彼女 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2007年10月10日発売)
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  • 本 ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167672058

作品紹介・あらすじ

結婚する、しない。
子どもがいる。いない。
それだけで女どうし、
なぜ分かりあえなくなるんだろう。

異例のロングセラーを記録中の、角田光代の直木賞受賞作。

35歳の専業主婦・小夜子は、同い年のベンチャー企業の女社長・葵にスカウトされ、
ハウスクリ―ニングの仕事を始めるが……。
多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く感動の傑作長編にして、第132回直木賞受賞作。

夏川結衣、財前直見、堺雅人、根岸季衣、木村多江、香川照之、国分佐智子、多部未華子ら豪華スタッフが共演したWOWOWのドラマは、『愛を乞うひと』の平山秀幸が監督、平成18年度芸術祭テレビ部門優秀賞を受賞した。

感想・レビュー・書評

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  • 角田光代さん著「対岸の彼女」
    著者の作品は「八日目の蝉」「坂の途中の家」以来三作品目になる。
    約20年前の作品で、本作品は第132回直木賞受賞作品。

    物語の主軸は30代の二人の女性。その女性達の生きにくさや女性だからこそ感じるであろう劣等感や窮屈さが深く描かれている作品だった。
    一見、女性同士の友情譚とも思えるのだがこの作品は「友情」という言葉の意味を掘り下げていく様な作品でとても重たく感じられた。

    著者の作品は「坂の途中の家」もそうだったが、自分には深くえぐられる様な感覚を感じさせられる。
    何気ない言葉や態度が人によっては響いてしまう。知らずのうちに傷つけてしまいそれは所謂「モラルハラスメント」。
    何気なく意図とはせず自分も誰かにやっているに違いないと読んでいる最中ずっと考えていた。本当にエグい作品。

    読後、物語は前向きに完結するにも関わらず、自分はスッキリしない読後感に包まれてしまい靄がかかった様な面持ちで情緒が安定しない。えぐられすぎた。


  • これは自分だ!と思った
    葵も小夜子も自分だ!
    他人と深く関わりあうほど
    ぽっかりと穴があく
    親しくなることは怖い
    それは喪失でもあるから
    何度もつらい思いをしてきた
    近づきすぎて気がつく
    あっ違うんだって
    やっぱり私ではないんだって
    いくつも年齢を重ねたのに
    なんのために歳を重ねるんだろう
    なんのために歳を重ねたのか

    あまりにも自分を重ねすぎて
    つらくなった
    はたして今私は抜け出しているのだろうか
    諦めてこもっているだけなんじゃないだろうか
    遠く離れていく人々を眺めているだけで
    それで満足なんだろうか
    つまんない人生なのか
    それでもそれが正解なのかもしれないし
    答えは謎

  • Audible。直木賞作品から。
    めちゃくちゃ刺さってしまった!!

    学生時代、職場、ママ友など、友達付き合いに悩んだことがある人は刺さるんじゃないかな。

    【結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、たったそれだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう】

    高校時代と現在の〈葵〉が交互に描かれる。

    高校時代
    積極的で明るく周りの目を気にしない〈ナナコ〉と、いじめられた経験から友達付き合いが怖くなってしまった〈葵〉。

    現在
    ベンチャー企業の社長で自分のやりたいように生きる〈葵〉と、専業主婦で夫の顔色を伺いながらママ友との関係に悩む〈小夜子〉。

    高校時代の〈ナナコと葵〉、現在の〈葵と小夜子〉この2つの関係が似ているという構成が上手い。
    〈ナナコと葵〉と〈葵と小夜子〉の友情がどうなっていくのか…それぞれの女性の繊細な心理描写にグッと心を掴まれた。

    『ひとりでいるのがこわくなくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね』

    『何のために私たちは歳を取るんだろう』

    描き方が露骨ではなく繊細なのがとても好き。イヤミスではないので嫌な気持ちにならないし、共感できて考えることもあって前向きになれる読後感も良かった。

    こういう本が読みたかったんだ!!
    角田光代さんの他の作品も読みたい。

  • 第132回直木賞受賞作
    “女性の敵は女性”などと言われる事を ふと思い出す
    専業主婦から ハウスクリーニングのアルバイトの仕事を始める事になった女性
    子供はまだ3歳
    自分で希望した事だ
    彼女が勤めたベンチャー企業の女性社長は同年代の同窓生
    高校時代に友人の女の子と飛び降りをして 一躍有名になった事がある
    対岸はこの二人かと思う
    結婚、子育、家庭環境、人生の捉え方 交差するところはない
    彼女らは 相容れないようで 共存できそうでもある
    この二人の今と 女性社長の高校時代が交互に描かれていく
    こちらの若い鬱屈と逃避のストーリーに惹かれるものがあり こちらをもっと踏み込んで読みたかった

  • 『友達、まだできないの?と訊かれるのがこわかった』

    思えば私たちは生きていて、『友達』『仲間』『同僚』、と何らか人との繋がりを持った集団に属すことを当たり前に感じ、そうでない状態から脱することに追い立てられているような気がします。小学校に入学した時、進級してクラスが変わった時、そして中学校に入学した時、親からまず聞かれるのは『お友だち、できた?』でした。人が人である以上、何かしらの繋がりを求めてしまうのは、人としての本能なのかもしれません。でも、あなたはそんなかつての『友達』と、今どの程度繋がりが続いているでしょうか。

    今年、高校卒業後もずっと続いていた年賀状だけのやり取りだった友達から、年賀状が突然届かなくなりました。思えば、電話番号もわかっているし、メールアドレスも書いてあったのに、実際には年賀状のやり取り以上のことはしなかった『かつての友達』というだけの繋がりだった人たち。繋がりを求め、せっかく繋がったはずなのに、生きていく場所が変わると、それをきっかけに、切れてしまう繋がり。そして、その一方で、今、この瞬間にも生まれていく新たな繋がり。『誰かと親しくなるということはどういうことなのか?』という人と人との繋がり。この作品は三人の女性の繋がりを描く物語です。

    『私って、いったいいつまで私のまんまなんだろう』、子どもの頃からそんな風に考えることの多かった田村小夜子。そんな小夜子は『砂場で遊ぶ娘のあかりに視線を』移すと、『あかりは今日もひとり、砂場の隅で砂を掘りかえしている』のが見えます。『あかりを産んだのは三年前の二月』だったという小夜子は『乳幼児を持つ母親向けの雑誌を熟読し、その雑誌の指示通りの時間帯に、指示通りの格好をして、住んでいるマンションから一番近い公園に』デビューしますが、『微妙に派閥があること』に馴染めず公園探しを繰り返す『公園ジプシー』となっていきます。『大学を出て小夜子が就職したのは映画の配給会社』、『女子社員と契約社員たち』の間の『微妙な対立』に、『ほとほと嫌になってきたころ、交際していた修二からタイミングよく結婚話が出た』、そして『それを承諾したのと、退職届を出したのはほぼ同時だった』という小夜子。『あかりを見ていると、あまりにも自分に似ていて驚く』というその性格。『だれかと遊びたいと思っても、無邪気に仲間に入っていくことができず、片隅でいじいじと声をかけられるのを待っている』という日々、そして『公園ジプシー』に疲れた小夜子は『働きに行こうと思う』と修二に伝え、就職に向けて面接を受けますが不採用の通知ばかり。そんな中、『偶然にも小夜子と同い年で、しかも同じ大学の出身だった』という社長の面接に手応えを感じる小夜子。そして『同い年の女社長から電話がきたのは、夜の八時を過ぎたころだった』という緊張の電話で採用を告げられた小夜子。翌日説明を受けに行くと『大久保にある事務所に着くなり、お昼食べにいこう、と葵は小夜子を外に連れ出した』という『女社長』は『楢橋葵と書かれた名刺』を渡します。そんな社長は『仕事内容ちゃんとわかってる?やってほしいのはお掃除の仕事なの。単純作業サービス業なの。それでもやってもらえる?』と問います。『もちろんです。なんでもい、働きたいんです』と即答した小夜子。『働きたい、ではなくて、働かなきゃならないんだと、心のなかでは言っていた。あかりのために、母親である自分のために』という小夜子と葵との運命的な繋がりが二人の人生を大きく動かしていきます。

    現在の小夜子と葵、そして高校時代の葵とナナコという二つの時代の三人の女性の物語が交互に描かれながら展開していくこの作品。高校時代の葵のイメージが現在の社長・葵と同一人物に感じられない違和感が拭えない展開が続きます。『教科書がなくなり、上履きがなくなり、体操服がなくなり、クラス全員に公然と無視され、しまいには葵の机と椅子だけ、いつも教室の外に出されるようになった』というイジメに苦しむ中学時代の葵。でも葵は『自分がいけないのだ』と考えます。『そう思うしか、理解しようがなかった。自分の何かが人を苛立たせるのだろう。自分の何かが無視されるに値するのだろう』とどこまでも内向きに、あくまでも内向きに考えてゆく葵。母の故郷に移り住んで入学した女子高。そんな葵の前に現れたナナコは、葵が今まで出会ったことのないタイプの女性でした。『きっと、ナナコという子は、きれいなものばかりを見てきたんだろう』。葵はナナコのことをそんな風に考え『汚いこと、醜いこと、ひどいこと、傷つけられるようなことを、だれかが慎重に排した道をきっと歩いてきたんだろう』と考えます。そんな葵はナナコの『あたしなんにもこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないの』というナナコの潔さに強い憧憬を覚えたのは必然だったのかもしれません。そして、お互いに影響を与え合った二人。でも、それはあることによって突然に終わりを迎えます。でも、その後の人生でも連絡を取ることはできたはずの二人。

    そして、『なんのために私たちは歳を重ねるんだろう』と考え今を生きる葵と小夜子。二人が歩んできたまったく異なる人生が偶然にも交錯する運命の出会い。かつてイジメに悩み、高校でのナナコとの出会い、そして別離を経て今を生きる葵という女性が形作られました。一方で、人間関係に思い悩み、今また、自分と同じように不器用な生き方を見せている娘・あかりにかつての自分を投影する小夜子。そんな二人は偶然にも出会い、今という時間を共にする中で、『なぜ私たちは年齢を重ねるのか』というこの命題に向き合います。そして、今、気づきます。『生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ』。人は生まれて物心ついた時から集団の中で繋がりをもとめ、同時に自分の立ち位置を確かなものにしていく、それを繰り返すのが人生とも言えます。そして、そのそれぞれのステージでの出会いを糧にして、次のステージへと進んでいきます。繋がっては離れ、繋がっては離れの繰り返し。ふと過去を振り返った時、私たちはそんな日常をずっと繰り返してきたことに気づきます。でも、それはそんな時代を生きてきた今だからこそ気づけること。現在進行形だった頃の自分。『バイバイという言葉が、かわらない明日と同義だったころ』、今の繋がりが永遠だと信じて疑わなかったあの頃。『明日また、同じ制服を着た彼女に会える。同じ目線で、同じ言葉で、同じ世界のなかで話すことができる。そう信じていたころ』があった。確かにそんな時代があった。そんな時代を生きてきた。だからこそ、そんな時代を振り返る今、私たちは過去に繋がっていた人とのコンタクトに高いハードルを感じてしまうのかもしれません。連絡を取ろうと思えば幾らでも取れるのに、再び繋がることだってできるかもしれないのに、そこに壁を感じてしまう私たち。過ぎたあの時代を大切に思えば思うほどに、その時繋がっていた相手が、いや、もしかすると自分自身が、変わってしまっていたら、あの頃と違ってしまっていたら…。想像の中の見えない何かに怯えるのは、今を生きる自分。そんな自分自身が、過去の扉を開けるのを躊躇うのは必然なのかもしれません。

    ナナコとの出会いにより前に進む葵。そしてそんな葵との出会いを経て前に進んでいく小夜子。

    人はなぜ、前に進むのか。それでも前に進むのか。

    普段このようなことを深く考えることはないと思います。でも、生きていると人には迷いが生じます。前に進めなくなる、進みたくなくなる時だってあります。でも私たちは一人じゃない。人として生きている限り、出会いはいろんなところに待っている。出会いと別れを繰り返して前に進んでいく私たち。

    「対岸の彼女」という書名の絶妙さに驚くその結末。生きていくことの希望が見えるその結末。そして静かにそっと背中を押してくれるような優しいその結末に、あたたかい感情がふっと余韻として残るそんな作品でした。

  • ここ数ヶ月、どこの書店でも平積み、もしくは大々的に展開されている本書。
    書店のPOPで気になり手に取った。

    ベンチャー企業の女社長・葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めた専業主婦の小夜子。二人の出会いと友情は、些細なことから亀裂を生じていく。

    ずっと不思議な構成だなぁと思って読んでいて、中盤過ぎくらいの小夜子のある言葉で、この構成であることが腑に落ちると同時に、小夜子と葵の姿が葵とナナコに重なって、思わず声が出てしまった。
    そこから先の展開を想像し、心がザワザワしたまま読み進めたけれど、危惧していたような展開にはならず、心底ホッとした。

    大人になっても、女同士の友情って難しい。
    立場や状況が変わるだけで、やっていることは学生時代と変わらないのかも。
    友情を続けられることは素晴らしいことだけど、続けられなかったとしても、友情の証は自分の中に知らず知らずのうちに残っていく。

    私自身も住む場所の違い、独身か既婚か、子どもの有無…
    いろんなことが重なって、昔からの友だちって…い、いない…(><。)
    社会に出て仲良くなった友だちとも結婚出産してから疎遠で、もはや友だちがいない…(><。)!
    けれど、友情の証はきっと私自身の言動、行動、思考、性格…に反映されている気がする。

    小夜子と葵、それぞれの変化とラストの展開が胸にグッときたし、希望がもてた。
    森絵都さんの解説も最高でした。

    ✎︎____________

    しゃべることは、気持ちいいのだ。義母のことも、夫の不用意な発言も、口に出せば喜劇性を帯び、すぐに忘れられる。言わずにためこむと、些細なことがとたんに重い意味を持ち、悲劇性と深刻味を帯びる。(p.108)

    自分から出てきた子どもが、成長して、私には決してわからないことで絶望したり傷ついたりするって、想像しただけでこわい。(p.109)

    私はさ、まわりに子どもがいないから、成長過程に及ぼす影響とかそういうのはわかんない、けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね(p.112)

    マニュアルがあるとさ、人って考えることを放棄すんの。考えないと何も見えない、何も心に残らない。チップなんて、渡したことすら忘れちゃうけど、心からありがとうって言えるようなできごとは忘れないと思うんだよね(p.164)

    人と出会うということは、自分の中にその人にしか埋められない鋳型を穿つようなことだと思っていた。人と出会えば出会うだけ、だから自分は穴だらけになっていくのだ、と。
    けれどもその穴は、もしかしたら私の熱源でもあるのかもしれない。時に仄かに発光し、時に発熱し、いつも内側から私をあたためてくれる得難い空洞なのかもしれない。(p.334)

    • mariさん
      Super8さん

      こんばんは♪
      いつも嬉しいコメント&励ましの言葉をありがとうございます!恐縮です( ..)՞
      私もいつもSuper8さ...
      Super8さん

      こんばんは♪
      いつも嬉しいコメント&励ましの言葉をありがとうございます!恐縮です( ..)՞
      私もいつもSuper8さんのレビューに楽しませてもらっていますよー(*ˊᵕˋ*)

      そうです!ついに読み始めました( *˙˙*)
      読むの遅い上に、週末またバタバタしそうで、読了まで時間かかるかもしれませんが…(><)
      また感想読んでくださったら嬉しいです♪

      2025/04/24
    • Super8さん
      mariさん

      Go at your own pace.
      ですよー

      読める時に、ゆっくり、ゆったり読めばいいんです
      (^O^)/
      mariさん

      Go at your own pace.
      ですよー

      読める時に、ゆっくり、ゆったり読めばいいんです
      (^O^)/
      2025/04/24
    • mariさん
      Super8さん

      そうですよね!
      ありがとうございます( ᵕᴗᵕ )
      Super8さん

      そうですよね!
      ありがとうございます( ᵕᴗᵕ )
      2025/04/25
  • この作品の感想は、とても一言では言い表せません。けれど人の心理って本来はこういうものなんだよなと思います。
    複雑で、難解で、一度は何でも分かり合えると思った人でも、突然知らない人に見えたり。
    自分でも自分の行動に驚いたりするのだから、人の心を全て理解することなんてできないのだと思いました。

    高校生の頃の葵と現在35歳の小夜子は、時代は違えどもとてもよく似ています。
    高校生の葵には高校生のナナコが、現在の小夜子には現在の葵がそれぞれ対岸の存在として描かれています。

    葵は、対岸に踏み出そうとしてナナコと二人で川に落ち、どんどん流されていってしまうようでした。
    小夜子は、対岸への憧れはあったけれど、歳を重ねると共にできた大切な人への思いが、小夜子を引き止めたように思えます。
    それが、高校生と家族を持った女性の違いなのでしょうか。

    葵とナナコは事件後に一度会ったきり、35歳になった今まで二度と会うことはありませんでした。
    しかし小夜子は一歩踏み出し、一度は決裂した葵と、もう一度関係を築こうとしたのです。
    対岸の彼女ともう一度、同じ方向へ走り出そうと。

    「歳を重ねるのは新しい人と出会うためだ」と結論づけた小夜子。終盤の小夜子の変化は、葵にもたらされたものでしょうか。
    35歳まで歳を重ねた女性はもう大きく変わることはないのでしょうが、それでも新しい人との出会いが自分を変えることもある。
    その変わらなさがリアルで、とても人間らしい。

    葵と小夜子の出会いに限って言えば、人と出会い関わることに希望を持つことができる作品だと思いました。

  • 著者、角田光代さん(1967~)の作品、ブクログ登録は3冊目。

    本作の内容は、BOOKデータベースによると、次のとおり。

    ---引用開始

    専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが…。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

    ---引用終了


    本作は、直木賞受賞作ですので、本作が刊行された頃の受賞作を見ておきましょう。

    132回 「対岸の彼女」 角田光代
    133回 「花まんま」 朱川湊人
    134回 「容疑者Xの献身」 東野圭吾
    135回 「まほろ駅前多田便利軒」 三浦しをん
    135回 「風に舞いあがるビニールシート」 森絵都

  • 対岸の彼女 角田光代著 

    0.2020.12.19追加
    対岸の彼女。
    書店に並ぶ風景を目にします。
    タイトルからは、牧歌的な、平和な雰囲気が読み取れます。

    しかし、内容は現実的です。
    放たれるメッセージこそ静かですが、少しずつ、読者の心に楔を打ち込んできます。

    対岸の彼女 という著書から、読者にとって大切なものは何か?を探す物語が始まるのかもしれません。

    1.本書より抜粋
    「ひとりでいるのが怖くなるたくさんの友達よりも、ひとりでいられる大切な何かに出会うことの方が大切かも。」

    「人間なんだから、みんな同じなんて嘘。
    みんな違う。それを受けいれて、初めて出会えているということ。

    2.本書より。共感を呼ぶ風景
    物語の一シーン。
    ①親戚づきあい
    奥様が旦那さんのお母様の誕生日に毎年訪問、慶事をするというもの。
    一方で、旦那は、奥様方のご両親にはそれを為さないというもの。

    ②共働き
    子供が泣く。奥様は料理でてんてこまい。
    旦那は、見ないふりで書斎に籠る、またはテレビを見る。

    このシーンの描写も、読者の共感を誘うのもひとつの材料なのかもしれません。

    3.人間関係への考察
    わけあって、アドラー心理学をこの2年間で読んでいます。
    ①自己と他者の課題を分離する。
    ②他者の課題に介入しない。
    ③自己の行動をコントロールする。
     感情は逃してやる。スペースをつくる。

    自身を保つために、、、

    4.読了して。対岸の彼女の世界観。
    対岸とは、川を挟んだ向こう側です。
    基本的には、こちらとは別の世界。
    割り切って見ないこともできます。

    でも、対岸に大切な何かがあるとき、
    それは、こちら側の世界とつながります。

    大切な何か?
    ひとかもしれません。
    いや、物かもしれません。

  • 田村小夜子 35歳 夫 娘の3人暮らし
    一人暮らしの姑は何かと辛く当たってくる
    友人もいない日々でウツウツとしている
    そんな小夜子が心機一転子供を保育園に預け就活を始める
    その面接で出会った楢橋葵35歳 独身 小さな会社を経営している この2人が主人公
    初めは意気投合、しかし
    ことごとく立場が違う女性同士はすれ違ってゆく

    小夜子の視点で語られる 現在と
    葵の視点で語られる 過去
    この繰り返しで進められていく

    葵の過去  高校生の葵は読んでいて苦しい
    若さゆえの危なっかしさ はらはらする

    しかし大丈夫!
    角田光代という作家の 登場人物に感情移入させる
    その力量たるや 底知れない!
    そして読者に元気と希望を与えるラスト
    ホントに、本当に感動した

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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