子どもは判ってくれない (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 815
レビュー : 83
  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167679910

作品紹介・あらすじ

正しい意見を言ったからといって、人は聞いてくれるわけじゃない。大切なのは、「その言葉が聞き手に届いて、そこから何かが始まる」こと。そんな大人の対話法と思考を伝授。精神年齢の算出法から、敬意の受け取り方、呪いのコミュニケーションの避け方まで、話を複雑にし、「ねじれ」を活かす効用を伝える名著。

感想・レビュー・書評

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  • 私は内田樹が大好き。

  •  この人の本は、「今読まなきゃ。」と思い読んでいる。

     「賞味期限内」と言う言い方をしていたけれども。

     
     「今読まなきゃということは、読んでもピンと来ない日が来るってことだ。」

     ということを何となく感じてる自分に、こう


     (なんで私の思ってることに対して説明してくれてるわけ?)

     と多少ビビりながら読んでいます。




     なんだろう、樹さんの本を読んでいると、(大層な言い方をしてますねw)
     自分の頭の悪さを痛感するんですが、

     そう思える人の本を読まないと、頭は悪いままだ…
     というやるせなさから読んでる気もします。

     そうやって、少しずつ思考の階層を深めていくことをしないと
     自分が気持ち悪い。

     対等にやりあえるほど知識や理論の楯をもっておらぬので、
     そういう人を見つけると
     
     飽きるまで読みます。
     それで「違う」ことを発見します。
     それが例え枝葉末節に過ぎないとしても、

     それで何か、安心するのです。

     馬鹿が揚げ足を取るような真似をしているに過ぎませんが
     
     100%この人を信仰しているわけではない自分を見つけて、
     解放されたいと、願う故でしょうか。

     いいのか悪いのか分かりませんが、
     せめてそう思えるくらいに自分の見聞を広げられるよう
     「知りたい」と願うのだと思います。

     しかしながらですね、著者の見聞が広すぎて
     しばらく解放される日はきそうもないですねw

     「解放」って響きが悪いけれど
     樹さん、おもしろいです。まだ、たくさん、読んで知りたい、っていう段階。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「解放されたいと、願う故でしょうか。」
      それは或る意味、内田センセが最も希んでいる読み方だと思う。
      「解放されたいと、願う故でしょうか。」
      それは或る意味、内田センセが最も希んでいる読み方だと思う。
      2013/05/29
  • とても 言葉の整理がうまい人だな。
    身近なことから国際問題まで判りやすく意見が述べられていて、それでいてこちら側に考える余地を与えてくれるので気持ちよく読める。
    なにがどういいか、と中身を説明するのは難しい。
     
    私は言葉の整理が下手なんだ。

  • 2007-00-00

  • 内田さんの文章はくどいいうか難しい表現があり、読みづらい。私が教養がないのかもしれないが。第2章の自立のために知っておくべきことは耳が痛かった。自立していない自分を目の前にさらけ出されたからだ。どの内容も本当によく練られており、なるほどと思ったしだいで、自分が同じ事を書くとしたら、もっと浅いものになるだろうなと思う。やはり内田樹は思想家である。

  • 「ハラスメント」とは、「それにきっぱりと答えることのできない種類の問いかけや要求を執拗に繰り返すことによって、生気を奪い、深い疲労を与えること」

  • 9、本が私を読むなど、内田樹特有の一見矛盾しているが、話を聞いてるうちに確かにと頷いてしまうものが多く、読んでいて楽しい。
    日本を代表して考えるという視点に賛同した。

  • 何かちょっと久しぶりな気がする内田節。でもならではの論調で、改めて腑に落ちる体験。昔の年齢だと、自分はまだ20代前半なんですね、なるほど。って、未熟なことを納得して、そのままをよしとしててもいかんのだけど。自助努力あるのみ、ですか。

  • 著者のウェブ・サイトに掲載された時評的なエッセイを収録しています。

    「この本の想定されている読者は「若者たち」である。しかし、私自身は「若者」ではないから、「若者たち」が私の意見に賛同するということはあまりきたいしていない(ぜんぜん期待していないと言ってもよい)。しかし、それにもかかわらず、私は「若者たち」から「合意することの大切さについての合意」だけは何とか取り付けたいと思っている」。「たいへんに長いまえがき」にはこのように書かれています。

    これは、価値観の異なる複数の参加者どうしが合意の形成をめざす「討議空間」への参与を呼びかけている文章として読めるように思います。ただし、この討議空間の普遍的な原理はア・プリオリに定まってるわけではありません。他者との粘り強い交渉と対話をくぐり抜けることによって、初めて討議空間に共に参与するということが可能になるという発想が、ここには見られます。討議空間に他者と共に参与する人に要求されているのは、「正しい意見を述べること」ではなく、「言葉が聞き届けられること」に対する気遣いだというのが、著者の立場なのだろうと思います。

    著者は、「論理的な人」と「理屈っぽい人」とは違うと言い、「自分の考え方」を停止して「他人の考え方」に想像的に同調することのできる能力が「論理性」だと述べています。そこで求められているのは、そのつどの問題に対して、それにもっともふさわしいアプローチを探し出す「思考の自由」です。そしておそらく、他者と共に討議空間に参与することを粘り強く求めていく態度にとって必要なのも、こうした「思考の自由」なのではないかという気がします。

  • 2015.2.1

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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