子どもは判ってくれない (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 815
レビュー : 83
  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167679910

感想・レビュー・書評

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  • 私は内田樹が大好き。

  • 「ハラスメント」とは、「それにきっぱりと答えることのできない種類の問いかけや要求を執拗に繰り返すことによって、生気を奪い、深い疲労を与えること」

  • 9、本が私を読むなど、内田樹特有の一見矛盾しているが、話を聞いてるうちに確かにと頷いてしまうものが多く、読んでいて楽しい。
    日本を代表して考えるという視点に賛同した。

  • 著者のウェブ・サイトに掲載された時評的なエッセイを収録しています。

    「この本の想定されている読者は「若者たち」である。しかし、私自身は「若者」ではないから、「若者たち」が私の意見に賛同するということはあまりきたいしていない(ぜんぜん期待していないと言ってもよい)。しかし、それにもかかわらず、私は「若者たち」から「合意することの大切さについての合意」だけは何とか取り付けたいと思っている」。「たいへんに長いまえがき」にはこのように書かれています。

    これは、価値観の異なる複数の参加者どうしが合意の形成をめざす「討議空間」への参与を呼びかけている文章として読めるように思います。ただし、この討議空間の普遍的な原理はア・プリオリに定まってるわけではありません。他者との粘り強い交渉と対話をくぐり抜けることによって、初めて討議空間に共に参与するということが可能になるという発想が、ここには見られます。討議空間に他者と共に参与する人に要求されているのは、「正しい意見を述べること」ではなく、「言葉が聞き届けられること」に対する気遣いだというのが、著者の立場なのだろうと思います。

    著者は、「論理的な人」と「理屈っぽい人」とは違うと言い、「自分の考え方」を停止して「他人の考え方」に想像的に同調することのできる能力が「論理性」だと述べています。そこで求められているのは、そのつどの問題に対して、それにもっともふさわしいアプローチを探し出す「思考の自由」です。そしておそらく、他者と共に討議空間に参与することを粘り強く求めていく態度にとって必要なのも、こうした「思考の自由」なのではないかという気がします。

  • 「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」。
    「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多い)」。
    と著者は述べている。
    要約するとそこに行き着くのだが、それでもなお削ぎ落とし過ぎの感にさいなまれる。
    様々な気づきを与えてくれる本であった。

  • 内田氏のウェブサイトに収録されている記事を
    一冊にまとめた本。
    政治や愛国心についてはなじみがなく、
    理解できないところも多かったけど、
    呪いのコミュニケーション、
    自立のために知っておくべきこと、などはよくわかる。
    こんな風に物事を考えられる人に憧れているのかも。

  • 「「目には目を、歯には歯を」の矛盾」
    「日本人であることの「ねじれ」」
    「在日問題と国民の「権利と義務」」
    「ネオコンと愛国心」
    「動物園の平和を嘉す」
    の5編がとても参考になりました。何でもかんでも反対する人なのかな、と思っていましたが、まったくそういう事はありませんでした。
    これが書かれた時よりも、今の方が現実味があり、この事を誰かに話したくなりました。

  • 若者に向けた、「大人の思考と行動」を書いた本。相変わらず切り口鋭いです。

  • ところどころ、読んでてイラッとするのはなぜなんだろうw

  • (以下引用)
    「誰にも迷惑かけていないんだから、ほっといてくれ」と言って、売春したり、ドラッグをやったり、コンビニの前の道路にへたり込んでいる若者たちがいる。彼らは「人に迷惑をかけない」というのが「社会人としての最低ライン」であり、それだけクリアーすれば、それで文句ないだろうというロジックをよく使う。なるほど、それもいいかもしれない。でも自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれど、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができない。そのことはわきまえておいたほうがいいと思う。(P.125)

    例えば「囚人の人権を守る」ということは「犯罪を肯定する」こととは水準の違う問題である。(中略)人権は人権、犯罪は犯罪である。それと同じように、「売春は犯罪だが、売春婦の人権は適切に擁護されなければならない」という立場はありうると私は思っている。(P.153)

    多くの人が勘違いしているが、人間の価値は、その人にどれほどの能力があるかで査定されているのではない。その人の「替え」がどれほど得難いかを基準に査定されているのである。現に「リストラ」というのは「替えの利く社員」を切り捨て、「替えの利かない」社員を残すというかたちで進行する。どれほど有能な社員であっても、その人が担当している仕事が「もっと給料の安い人間によって代替可能」であれば逡巡なく棄てられる。(中略)だが競争社会というのは、全員の代替可能性を原理にしている社会である(だから「競争社会」は必ず「マニュアル社会」になる)。そのような社会で、個の多様性や一人ひとりの「かけがえのなさ」への敬意がどうやって根づくだろうか。(P.305)

    自民党も民主党も、改憲を望む人々は九条二項を廃絶したいと望んでいる。戦争に関する「フリーハンド」を回復したいと望んでいるのである。より厳密に言えば「(本音のところでは)あまり戦争になんかしたくないけれど、『戦争になるかもしれない』という政治カードを自由に切ることができる国家になりたい」と望んでいる。(P.318)

著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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