子どもは判ってくれない (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
3.72
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  • (7)
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本棚登録 : 814
レビュー : 83
  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167679910

作品紹介・あらすじ

正しい意見を言ったからといって、人は聞いてくれるわけじゃない。大切なのは、「その言葉が聞き手に届いて、そこから何かが始まる」こと。そんな大人の対話法と思考を伝授。精神年齢の算出法から、敬意の受け取り方、呪いのコミュニケーションの避け方まで、話を複雑にし、「ねじれ」を活かす効用を伝える名著。

感想・レビュー・書評

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  • 私は内田樹が大好き。

  •  この人の本は、「今読まなきゃ。」と思い読んでいる。

     「賞味期限内」と言う言い方をしていたけれども。

     
     「今読まなきゃということは、読んでもピンと来ない日が来るってことだ。」

     ということを何となく感じてる自分に、こう


     (なんで私の思ってることに対して説明してくれてるわけ?)

     と多少ビビりながら読んでいます。




     なんだろう、樹さんの本を読んでいると、(大層な言い方をしてますねw)
     自分の頭の悪さを痛感するんですが、

     そう思える人の本を読まないと、頭は悪いままだ…
     というやるせなさから読んでる気もします。

     そうやって、少しずつ思考の階層を深めていくことをしないと
     自分が気持ち悪い。

     対等にやりあえるほど知識や理論の楯をもっておらぬので、
     そういう人を見つけると
     
     飽きるまで読みます。
     それで「違う」ことを発見します。
     それが例え枝葉末節に過ぎないとしても、

     それで何か、安心するのです。

     馬鹿が揚げ足を取るような真似をしているに過ぎませんが
     
     100%この人を信仰しているわけではない自分を見つけて、
     解放されたいと、願う故でしょうか。

     いいのか悪いのか分かりませんが、
     せめてそう思えるくらいに自分の見聞を広げられるよう
     「知りたい」と願うのだと思います。

     しかしながらですね、著者の見聞が広すぎて
     しばらく解放される日はきそうもないですねw

     「解放」って響きが悪いけれど
     樹さん、おもしろいです。まだ、たくさん、読んで知りたい、っていう段階。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「解放されたいと、願う故でしょうか。」
      それは或る意味、内田センセが最も希んでいる読み方だと思う。
      「解放されたいと、願う故でしょうか。」
      それは或る意味、内田センセが最も希んでいる読み方だと思う。
      2013/05/29
  • とても 言葉の整理がうまい人だな。
    身近なことから国際問題まで判りやすく意見が述べられていて、それでいてこちら側に考える余地を与えてくれるので気持ちよく読める。
    なにがどういいか、と中身を説明するのは難しい。
     
    私は言葉の整理が下手なんだ。

  • 2007-00-00

  • 内田さんの文章はくどいいうか難しい表現があり、読みづらい。私が教養がないのかもしれないが。第2章の自立のために知っておくべきことは耳が痛かった。自立していない自分を目の前にさらけ出されたからだ。どの内容も本当によく練られており、なるほどと思ったしだいで、自分が同じ事を書くとしたら、もっと浅いものになるだろうなと思う。やはり内田樹は思想家である。

  • 「ハラスメント」とは、「それにきっぱりと答えることのできない種類の問いかけや要求を執拗に繰り返すことによって、生気を奪い、深い疲労を与えること」

  • 9、本が私を読むなど、内田樹特有の一見矛盾しているが、話を聞いてるうちに確かにと頷いてしまうものが多く、読んでいて楽しい。
    日本を代表して考えるという視点に賛同した。

  • 何かちょっと久しぶりな気がする内田節。でもならではの論調で、改めて腑に落ちる体験。昔の年齢だと、自分はまだ20代前半なんですね、なるほど。って、未熟なことを納得して、そのままをよしとしててもいかんのだけど。自助努力あるのみ、ですか。

  • 著者のウェブ・サイトに掲載された時評的なエッセイを収録しています。

    「この本の想定されている読者は「若者たち」である。しかし、私自身は「若者」ではないから、「若者たち」が私の意見に賛同するということはあまりきたいしていない(ぜんぜん期待していないと言ってもよい)。しかし、それにもかかわらず、私は「若者たち」から「合意することの大切さについての合意」だけは何とか取り付けたいと思っている」。「たいへんに長いまえがき」にはこのように書かれています。

    これは、価値観の異なる複数の参加者どうしが合意の形成をめざす「討議空間」への参与を呼びかけている文章として読めるように思います。ただし、この討議空間の普遍的な原理はア・プリオリに定まってるわけではありません。他者との粘り強い交渉と対話をくぐり抜けることによって、初めて討議空間に共に参与するということが可能になるという発想が、ここには見られます。討議空間に他者と共に参与する人に要求されているのは、「正しい意見を述べること」ではなく、「言葉が聞き届けられること」に対する気遣いだというのが、著者の立場なのだろうと思います。

    著者は、「論理的な人」と「理屈っぽい人」とは違うと言い、「自分の考え方」を停止して「他人の考え方」に想像的に同調することのできる能力が「論理性」だと述べています。そこで求められているのは、そのつどの問題に対して、それにもっともふさわしいアプローチを探し出す「思考の自由」です。そしておそらく、他者と共に討議空間に参与することを粘り強く求めていく態度にとって必要なのも、こうした「思考の自由」なのではないかという気がします。

  • 2015.2.1

  • 子供は判ってくれない、トリュフォーへのオマージュだってこと、ちょっとは気付いてよね、!みたいな感じのあとがきが書いてあった。内田さんの本は、タイトルからのイメージと内容が、だいぶ違うことが多いが今回も多少そんな気がした(タイトルがお洒落で、読めば内容とも矛盾しないと解るから、なんともかっこいいが)。


    逆説的だけど、橋元治の「解説」が、本編の内容とすごい補完関係にある気がする。本編の内容と、筆者の書き得ない「筆者の立ち位置」というパーフェクトな補完関係。書き出しは突拍子がなくともちゃっかりと落ちに読者を連れていく。


    《受け容れなければいけない。大人は受け容れつつ、歩まなければいけない》。そういう全編の趣旨であるから、読むと、ちょっと畏まったような身につまされて硬くなるような気持ちになる。でも解説を読むと、そうか、そうだ。これが「外交上の建て前」なのだ、「社交辞令」という 呪いを避けるための 礼なのだ。と気付く。
    橋元さんは内田さんと自分を「戦うことを引き受けた人(大学人)」と「民間人」という言い方をするが、本編で内田さんは自らを「戦うことを避ける人間」とも言明している。橋元さんのをもっと原理的に言ってしまえば、前者は「戦わずして勝つことを決めた人」で、後者は「(つい)戦ってしまう人」であると思う。この本編の多くを“大人の、国際関係上の立場”を占めているのだから、この対比がすなわち「公人」と「民間人」となるのは実は自明なんである。なので、内田さんのこの本の中の言葉は、なんとなく全部が「」に入っている。


    私なぞはつい、社会人になったとしても つい戦ってしまい、というか、戦わずして主張を通す事が出来ずしかもがまんができず 戦って勝つしか方法がなくなってしまう事がある。。たまには戦うのもいっか!とか思ったりするけれど、もちろん国交上の問題はそうはいかない。
    しかも、言葉の主張上の闘いと、直截的な戦いは全然意味がちがう。というか次元が違う。代償が、計り知れない。


    こうつらつらと書いたところで この本の冒頭にあるように、正しい事を言ったからとて、その言葉が効力を発するとは限らないのだ。もっと「戦わずして主張が成功する」ような技を磨かなければ。関係ないかのように見えて、着実に核心にもっていく橋元治さんの解説は、突飛に見えて周到に逆算された うわてな解説だとおもう。この逆算が、トークでできたら奇蹟的に思う。

  • 「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」。
    「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多い)」。
    と著者は述べている。
    要約するとそこに行き着くのだが、それでもなお削ぎ落とし過ぎの感にさいなまれる。
    様々な気づきを与えてくれる本であった。

  • 内田樹のブログを書籍化したもの。
    この人の本は非常に面白い。深い。批判的思考を養うのに最適書。

  • 複雑な問題にはのらりくらり、うだうだと語る建前の著者も、こと改憲反対の語気は荒いのが傑作だ。「私を説得してみろ」ったって、改憲論者は貴方と対話する前提条件を満たしてないですよ、きっと。どうあれ、総じて楽しく読みました。

  • 内田氏のウェブサイトに収録されている記事を
    一冊にまとめた本。
    政治や愛国心についてはなじみがなく、
    理解できないところも多かったけど、
    呪いのコミュニケーション、
    自立のために知っておくべきこと、などはよくわかる。
    こんな風に物事を考えられる人に憧れているのかも。

  • 内田さん 私は好きだな。

  • p.104
    「自分の考え方」で考えるのを停止させて、「他人の考え方」に想像的に同調することのできる能力、これを「論理性」と呼ぶのである。
    「論理性」とは言い換えれば、どんな檻にもとどまらない、思考の自由のことである。

    p.176
    「自分の主張は間違っている可能性もある」という前提に立つことのできる知性は、自説を無限に修正する可能性に開かれている。それは「今ここ」において付け入る隙なく「正しい」議論を展開する人よりも、将来的には高い知的達成にたどりつく可能性が高い。

    p.326
    平和は退屈であり、あまりに長く続く平和は人間を苦しめるということはほんとうのことである。
    けれども、その退屈や苦痛は、戦争がもたらす飛散や苦悩とは比較にならぬものである。
    「戦争ができる国」になることによって日本人が今以上に幸福になるだろうという見通しには私は与しない。

    p.330
    「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多い)」。

  • ブログ読んでるなら買わなくて良いかも。でも面白い。後悔、後に立たず!

  • 「「目には目を、歯には歯を」の矛盾」
    「日本人であることの「ねじれ」」
    「在日問題と国民の「権利と義務」」
    「ネオコンと愛国心」
    「動物園の平和を嘉す」
    の5編がとても参考になりました。何でもかんでも反対する人なのかな、と思っていましたが、まったくそういう事はありませんでした。
    これが書かれた時よりも、今の方が現実味があり、この事を誰かに話したくなりました。

  • 「愛国心」がたぶん間違った方向に行きつつある自民党第二次安倍政権下の昨今、読まれるべきテキストであると思う。

  • 若者に向けた、「大人の思考と行動」を書いた本。相変わらず切り口鋭いです。

  • 教養とはなんぞ?という気持ちになる。内容はそれだけじゃないんだけど。
    今って情報が多いだけじゃなく、学生って生き物がものすごく多い割に、一定レベルというか、「学生ならこれくらい出来て当然、知っていて当然」というくくりが通用しなくなっているのを実感。
    でもそれを良い悪いとか今の子供はこれだから、で片づけていいのかっていは別問題、という気持ちに。

  • 呪いのコミュニケーションがなるほどです。気をつけることにした。
    樹さんエッセイは同じ話を形を変えて繰り返しますが、この本はいつものテーマを大体網羅してて安心。繰り返して読んでるうちに根付いてしまうパターンです。飽きないし。

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    ■母性愛は幻想か?
    事実と幻想は交換できない。
    幻想から別の幻想に移っただけ。
    母性愛幻想、サクセス幻想、恋愛幻想、承認幻想

    「あなたは幻を見ている。私はも幻を見ている。だが、私の見ている幻のほうが快適であるので、こちらを採択されてはいかがか?」

    母性愛/父性愛幻想の支援を必要とする人、「その幻想にすがって問題を片付ける方が生き延びるうえで有利である」人が存在するということについては譲れない。

    ■セ○クスというお仕事と自己決定権

  • ところどころ、読んでてイラッとするのはなぜなんだろうw

  • ブログをほとんど全部読んでいたので、わざわざ買って読まなくてもよかった。それは、わかっていたことなので文句はないです。とても説得力があるし、その通りと思うことばかりなので、逆に疑わなければと身構えてしまう。

  • 『疲れすぎて眠れない夜のために』はインタビュー形式で作った本で、これは、内田先生がホームページやブログなどに書いていたものを加筆してまとめたものだそうなので、前述の本より小難しさがパワーアップしてる。難しくて斜め読みしたところも多かったけれど、面白かった。複雑なものは複雑なままにしたほうが分かりやすいこともある、正解がない時代ウンウン言いながら悩んでいるのがいいんじゃないか、というようなお話だったと思うのだけど、私が言うと簡単になってしまいますが。

  • 私とは違った角度で物事を見ている方。特に後半の文章、「愛国心とネオコン」「動物園の平和を嘉す」などは〝倫理性〟について、深く考えたい視点が提供されてました。

  • (以下引用)
    「誰にも迷惑かけていないんだから、ほっといてくれ」と言って、売春したり、ドラッグをやったり、コンビニの前の道路にへたり込んでいる若者たちがいる。彼らは「人に迷惑をかけない」というのが「社会人としての最低ライン」であり、それだけクリアーすれば、それで文句ないだろうというロジックをよく使う。なるほど、それもいいかもしれない。でも自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれど、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができない。そのことはわきまえておいたほうがいいと思う。(P.125)

    例えば「囚人の人権を守る」ということは「犯罪を肯定する」こととは水準の違う問題である。(中略)人権は人権、犯罪は犯罪である。それと同じように、「売春は犯罪だが、売春婦の人権は適切に擁護されなければならない」という立場はありうると私は思っている。(P.153)

    多くの人が勘違いしているが、人間の価値は、その人にどれほどの能力があるかで査定されているのではない。その人の「替え」がどれほど得難いかを基準に査定されているのである。現に「リストラ」というのは「替えの利く社員」を切り捨て、「替えの利かない」社員を残すというかたちで進行する。どれほど有能な社員であっても、その人が担当している仕事が「もっと給料の安い人間によって代替可能」であれば逡巡なく棄てられる。(中略)だが競争社会というのは、全員の代替可能性を原理にしている社会である(だから「競争社会」は必ず「マニュアル社会」になる)。そのような社会で、個の多様性や一人ひとりの「かけがえのなさ」への敬意がどうやって根づくだろうか。(P.305)

    自民党も民主党も、改憲を望む人々は九条二項を廃絶したいと望んでいる。戦争に関する「フリーハンド」を回復したいと望んでいるのである。より厳密に言えば「(本音のところでは)あまり戦争になんかしたくないけれど、『戦争になるかもしれない』という政治カードを自由に切ることができる国家になりたい」と望んでいる。(P.318)

  • 各論が腑に落ちすぎて妙な安心感が得られると思う。

    もうすぐ社会人になる身としてウチダ先生の「大人」像を拝見し、他者との関わりの中で心がけたいことが生まれた。

    よくわからないものを「わからない」まま「知らない」ことは怖い。「知らない」ことを「わかってしまった」ときには瞬間行き場がなくなってしまう。再読して思考の論理を書き記しておきたいと思った。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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