- Amazon.co.jp ・本 (439ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167682019
感想・レビュー・書評
-
ぼくは神の存在を確かめたかった。
特にこの作者のものを全部読みたいと思っているわけではなくて、前に読んだ「慟哭」が頭に残っていたので買ってきた。
読み始めてこれは困ったなと思った。
キリスト教も仏教もよく分からない。だから読んでいても、日常の生活を通して感じている信仰者の心理というものを想像するしかなかったが、キリスト教の枝分かれした難しいあり方とは別に、プロテスタントだという牧師一家の、信仰を持つゆえの悲劇がそれなりに理解することは出来た。
牧師館で生まれた早乙女輝は無痛症だった。
小学生の頃、環境のせいもあって、痛みや死、死後の魂の行方、などに関心がありカエルなどを殺してその有様を見て、それらを想像しているような子供だった。
彼は神が万能であり、自分に似せて人間を創り、人の人生のあり方は、生まれる前にした神との契約があって、その生き方はすでに決められたものだというように聖書から学んでいた。
父も牧師であって厳しい戒律の中で生きてきたということは、いつの間にか人間性を脱ぎ捨て、全てを神に捧げてしまっていた。
そんな父は何の疑いもなくその生活に慣れきっているようだった。それが人々に尊敬され賞賛されるという生き方だと教えられ、早乙女も跡継ぎとして厳しい生活を義務付けられていた。
だが神には忠実な父だったが、家族に対しての情愛は感じられなかった。
彼は牧師を継ぐということに不満はなかった、それでも父がどんな時にも手放さずに読んでいる聖書からは神の存在を感じることができなかった。
神に近づき理解するために、神の声を聞きたいと切に願っていた。
教会に来る信者の中には深い信仰心を持ち、神を信じることに満足している人たちがいた。
早乙女は現実に神の存在を試したいと思った。
常に傍観者のように見える神を試すために信仰の厚い信者を殺してみた。それが殺人だったとしても、神を信じる行為なら自分の信仰はゆるぎないものだと証明されるはずだと思っていた。
牧師館にヤクザに追われて男が逃げこんでくる。
美貌の彼は暫くかくまわれ、母とともに車で出かけた先で事故にあい、二人とも炎の中で焼死しでしまう。
このことで牧師館の静かな生活は壊れてしまった。
コンビニでアルバイトを始めた20歳の早乙女は、家出をしていたオーナーの息子が戻って一緒に働き始める。
今まで店長だった君塚が売上金を持ち逃げした。息子の琢馬は自分は不幸を呼び寄せるのだと過去の出来事を語り、死にたいと悩み続けている。
琢馬の気持は早乙女の心も暗くして、夜も眠れずに彼を救う方法を考える。
ついに彼を殺すことで解決できる、それは琢馬を救うことだ、と思いこみ密かに実行する。
恋人が出来て妊娠させてしまう。彼女は足が不自由だったが、それゆえ神の福音が得られたことを実感したという。
早乙女は彼女がうらやましかった。
彼には子供を育てるという気持はなかった。
彼女は生みたいとせがみ、早乙女はついに彼女に暴力を振るい流産させてしまう。
こんなことをする自分に神は福音を与えるだろうか。
残った父と子はこんなにも神に近づき神に仕えているということで福音を得られるのだろうか。
父と牧師館の歴史と、母親の事件。
この物語は、神に心から仕え続けた、牧師一家の犯罪を語る。
そして常に「沈黙」している神を身近に感じることで、自己の生き方を確立したいという親子の願いが絡んだ、変わった面白いミステリだった。
こんなに書いてもまだあらすじというほどでもなくネタバレでもありません。
犯人も犯した罪もすでに分っているのですが、パズルを解くようなスリルがある。残念ながらわかる人にはすぐにわかるかもしれないけれど、取り敢えず作者には騙されたくないナァと思っている、ミステリ好きの方にオススメします(してみます)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
―神の声が聞きたい。牧師の息子に生まれ、一途に神の存在を求める少年・早乙女。彼が歩む神へと到る道は、同時におのれの手を血に染める殺人者への道だった。三幕の殺人劇の結末で明かされる驚愕の真相とは?巧緻な仕掛けを駆使し、“神の沈黙”という壮大なテーマに挑んだ、21世紀の「罪と罰」。
・レビュー
これは面白い小説だった。・・・が、万人向けかというと怪しい。少なくとも聖書とユダヤ教・キリスト教の勉強をしていないとなかなか深い考察は出来そうもない。巻末の解説を読めば幾分解るかもしれないが。
その一方で、プロテスタント教会にカトリック教会の特徴があったり、少々設定が甘いところがある。
旧約聖書と新約聖書、ヤハウェとイエス、視点(観点)のレヴェルの上下関係、罪と罰、これらをミステリに落とし込んだ構成は見事。
神というものの存在意義を幼い頃から「論理的な懐疑」とともに思い耽っていたような、思考好きの読者ならば、なかなか得るものはあるように思う。 -
蛙の四肢を石で潰す。ひくひくともがく姿を見下ろす12歳の少年。
彼は痛みを感じることのできない障害、無痛症であった。そこで、蛙は痛みを感じるのであろうかと疑問を持つ。痛みを感じないのであれば、自分は人間ではなく、動物や昆虫と変わらないのではないかと。
蛙を潰し壊し続ける。無痛症は肉体的な痛覚が欠落しているだけではなく、精神的な痛みも欠落しているのか。
少年の父や祖父もプロテスタントの牧師である。
キリスト教カトリックとプロテスタントの教義を交えながら、神とは何かについて物語は進む。
神がいるならば、何故世界に不幸は溢れているのか。
あまりにも素朴で深淵な疑問だが、聖書は恣意的に取れる節が溢れている。
生と死。始まりと終わり。この境界線をどう解釈するか。仏教で言うと、解脱や輪廻にあたるのか。
不幸にまみれ、苦痛に喘ぐ者を殺すとする。
法治国家であれば、犯罪として断ぜられるわけだが。
しかし、法を無視したとするなら、それは救ってやることになるのか。苦痛から解放してやったと。神の身許に送ってあげたと。
久しぶりに、じわじわと恐ろしさが込み上げる一冊でした。キリスト教プロテスタントに帰依する門徒の方が読んだら、どういう感想を持つのだろうか。 -
神の存在を問う神父の息子。
叙述トリック!やられた!
しかし、相変わらずテーマが重い…。 -
再読。
信仰をもつものとして、
とても読むのがつらい小説。
-
途中までの物語の描写はこと細やかに描かれているのに対し最後はいつもの如く読者に先を想像させる形で終わるのはもう良いかなって感じだ。
まあ面白かったと思うけど半ば強引な行動や解釈には戸惑う場面もあり、併せて入れ替わる主人公は想定内で新鮮味に欠ける。 -
1ページ目からこれは好きなやつだと思ったけど
あまりにも神が絶対的存在過ぎて少し萎えました。
もう少し人間くさい神様がいいなぁ…
もちろんミステリー要素にも気づけず…
そんな中で興味が持てたのはキリスト教の中にも
カトリックとプロテスタントなる派閥のような?ものがある事。少し調べて見たけど
えっ、それって同じ宗教なのに考え方が全然違うじゃん!と、びっくりしました。
あとは、後半の創が早乙女に投げかけた問いかけで
人はなぜ苦しみを背負って生きているのか?と。
試練をお前は無意味だと思うか?と早乙女。
それに対する創の深い考察にゾクゾクが止まりませんでした!
大きすぎる苦しみにもかみは沈黙して寄り添ってる。まさに超越者ですよね。そこまでの考えには自分は至らないなぁ… -
久々の貫井さんの作品
キリスト教の牧師の息子として生まれた主人公が、神を信じるが故の葛藤を抱きつつも、その答えを導き出すためのに凶行に手を染める。そんな心情がとてもよく表現されており、どっぷりはまった。
なかなのボリュームだが、叙述トリックもいいアクセントで、読み応えも抜群。
キリスト教の知識があれば、もっと楽しめたと思う。
いや、「楽しめた」という表現はちょっと違うかも…。
貫井さんの作品は3つ目だけど、相変わらずこの人ぶっとんでるな…、そんな思いが強くなった。いい意味でクセが強く、他の作品も読んでみたくなる。