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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784167692049
みんなの感想まとめ
内面の探求と自由な思考をテーマにしたこの作品は、禅の本質をユニークな視点から描き出しています。サンショウウオの存在を通じて、著者は「とらわれないこと」の重要性を伝え、余計なことに気を使わず、ありのまま...
感想・レビュー・書評
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【禅を勉強しよう、第2弾。】
そもそも、何で禅を勉強しようと思ったかといいますと。
こんまり師匠の片づけ本、
海外では禅のカテゴリになっているのです。
先日読んだ本よりも、
こちらの方が一歩深い内容。
言葉や歴史が、ますます好きになれそうです♪ -
「禅とはとらわれないこと」昔どこかでそう聞いたような、聞いてないような。ぼくの禅の知識とはそんなあやふやな不確かなもの。なにか考えすぎると頭が爆発するらしく、それは大変だと思い「禅」に興味をもったしだい。思えば、とらわれない人などいるのだろか、とらわれないということにとらわれているのではないのか、という懐疑心からはいったのであるが、その考えは違うようである。冒頭のサンショウウオのふてぶてしい佇まいというのか、まさにヌボォーっとした様子がひとつの禅の本質のようなものではないのかと著者はいう。白隠さん、良寛さんしかり、見かけは大事なことではなく、本質が大事であるとっているようである。つまり、大事でないことには関心がなく、まさにどうでもよいといった感じだろうか。かなり、極端ではあるが、確かに余計な所に気を使えば疲れる。自立というのも西洋的な考え方らしく、仏教的にはないらしい。もっというとその西洋的な考え方が自らの可能性を狭めているというのだ。禅というのも、外へ答えをもとめるのではなく、自分の内側の深いところへの挑戦のような気がする。アインシュタインの残した言葉にも「現実はかつて全て想像の中にあった」という言葉がある。現実を築いた偉人たちがかつて想像したものが今ならば、我々も純粋にその想像したものに向かうべきかもしれない。その方が人生は楽しいのではないか。型通りでなくてよいではないか、あるがまま、素直に感じたことを大事にしたらどうだろう、不確実性を楽しめよ。そんなかんじのゆるく、決して決めつけでなく、可能性を大事にしたような印象を受けた。
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自分の中に、一匹のサンショウウオを住みつかせること。それが禅。とサンショウウオの動きに例え禅を語るエッセイ。哲学者や科学者の話しもところどころに出てきて興味深く読めました。結構、自分の為になりました。
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禅僧 玄侑宗久氏のエッセイ。
科学や哲学を引き合いに出しながら、禅の考え方や法話を使い、生き方のヒントを与えている。
正しい正しくないは置いておいて、世界のあり方を禅というなんでもありの哲学をベースに考えるということは有効だと思う。はまらないとは思うが、興味深い。宗教はどうかという問題とは別に、歴史を持った知の体系として価値があるものなんだろうな。 -
この本に玄侑さんにサインしてもらいました
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世界と自己の一体感を味わうことは瞑想の重要な意味だ。息を吐きながら自己の中の汚れを吐き出し、吸いながら宇宙のエネルギーを入れる。そのように思念しながら瞑想したりするのだが、その時、宇宙の中心点はあくまでも自分の尻の下にある。幸福を感じるのに必要なのは事故が宇宙の中心であるという天動説の実感。
ハノイ行きのフライトで読む。
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