誕生日の子どもたち (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2009年6月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784167705718

みんなの感想まとめ

心の奥深くに響く感情を呼び起こす短編集は、別れや思い出の切なさを美しく描いています。特に「感謝祭の客」や「クリスマスの思い出」では、親友とのかけがえのない時間が再生され、忘れられない景色が心に甦ります...

感想・レビュー・書評

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  •  村上春樹訳、山本蓉子挿画のカポーティ「クリスマスの思い出」があんまり良かったので、村上春樹訳のカポーティをおかわり。
     表紙の写真は若い時のカポーティかな?なかなかかっこいい。反応的な目で、映画「スタンド・バイ・ミー」の時のリバー・フェニックスみたい。
     村上春樹によると、ここに収められ6編の短編はそれぞれに少年少女の「無垢さ」をテーマにされたものだという。

    「誕生日の子どもたち」
    私は男の子こと分かってなかったなあ。
    (抜粋)
    ミス・ホビット(たった十歳の女の子だったが)が行ってしまう。それは簡単なことではなかった。ビリー・ボブにとって、彼女は普通の存在ではなかったからだ。どう普通じゃないのか?十三歳の少年がただ身も世もなく恋をしていたというだけじゃない。ということだ。彼女は彼の中にある「奇嬌なるもの」だった。それは彼にとってのピーカンの木であり、読書を好むことであり、相手に自分を傷つけさせるまでに誰かを深く愛することだった。彼女はビリー・ボブが簡単に人前に晒し出すことの出来ないものだった。

    「感謝祭の客」
    「クリスマスの思い出」に登場したバディの従姉妹で六十歳を過ぎているが、子どものように純心無垢な心を持ちバディの親友であった、ミス・スックが登場している。「クリスマスの思い出」では、ただただ子供のようなミス・スックであったが、ここでは、純心なりに60年という人生を生きた女性の言葉がバディを諭す。
    バディは小学校でオッド・ヘンダーソンという貧困家庭の四歳年上の同級生(オッドは落第を繰り返していたから)の酷いいじめを受けていた。だけど、純心なミス・スックにはそんな酷いいじめが本当にあるということにピンとこない。
    「きっと彼はバディのことをよく知らないからだよ」と言って、わざわざオッドをあろうことか、感謝祭のパーティーに招待しに行く。
    絶対来ないと思っていたオッドは本当にバディの家の感謝祭のパーティーを訪れ、バディの顔なんか見ずに、バディがちょっと好きだった親類のピアノの上手い女性の隣に座ってなかなかの美声を披露する。そして、ミス・スックの大切にしていたカメオのブローチを盗む。
    それを目撃したバディは皆で食事をする時に「この中に盗人がいます」とオッドの悪事をばらすのだが、ミス・スックは本当にカメオが無くなっているのか確認しに行ったあとで、「ちゃんとあったよ。バディ、冗談を言っちゃいけないよ」と嘘をつく。
    「いいえ、本当に僕は盗みました。僕なんかのために嘘をついて下さってありがとうございました」と言って去っていったオッド。
    落ち込んで、一人隠れ家にいたバディを探しにきたミス・スックは言った。「彼は、盗もうと思って取ったのではなかったかもしれないよ。だけどバディ、お前はあの子の面目をつぶす「計画」を立てた。それは「企み」だったんだ世の中にはにはたった一つだけ許せない罪がある。それは「企まれた残酷さ」(deliberate cruelty)だよ。」
    ミス・スックはただ子供のまま大人になっただけの人ではないことが分かる。無垢=子供ではない。子供は残酷さを身につけながら大人になっていくが、無垢とはもっともっと崇高なものだと思う。
    実は単行本の「クリスマスの思い出」があまりに良かったので、原文を読んでみたくなり、入手した洋書のペーパーバック「A Christmas Memory」の中にこの「The Thanksgiving Visitor」も入っていたので、村上春樹訳を読んだ後で目を通してみたのだが(先に日本語を読んだから何となく分かったという程度だったが)、最後の部分だけ訳では意味がよく分からなかった部分を原文で確認してちょっと理解出来た気がする。それは、学校を辞めて働き始めて、逞しく親切になったオッドにミス・スックが「お母さんにあげてね」と育てていた菊の花をプレゼントしたときに「気をつけてちょうだいね。それはライオンなんだから」と叫び、「僕はオッドが自分が手にしているものの荒々しさを知らぬままに、角を曲がって消えてしまうまで、じっとその姿を見守っていた。燃えさかる菊の花は、降りていく緑の夕暮れの帳に向かって唸り声をあげ、咆哮していた」という部分。「オッドが自分が手にしているものの〈荒々しさ〉を知らぬ間に」という部分が原文では「innocence of menace he carried」(innocence=無垢、menace=脅威)となっており、菊の花のように元気で美しい、一見「無垢」なものは「恐ろしさ」と紙一重であり、表裏一体たのだなと理解出来た。

    「クリスマスの思い出」
    先に山本蓉子挿画の単行本でも同じ村上春樹訳を読んでいたから、飛ばしていたのだが、後書きによると、大幅に改訳されたとのことで、読み直してみた。どこが変わったか確認はしていないが、単行本では本そのものの美しさが文章の美しさと一体となっていたが、今回は言葉のみで味わった。ミス・スックとバディの内面の深い深いところの美しさを感じた。

    「あるクリスマス」
    前述した洋書で「The Thanksgiving Visitor」の次に"One Christmas"があり、ちょっと読んでみると意外なことにスルスル読めたので、「高一英語程度?」と思って読み進めたが、バディ少年の複雑すぎる家庭環境や心境についてはやっぱり訳がなければ理解出来なかった。カポーティはこの作品は「クリスマスの思い出」の裏返しだと語っていたそうだ。両作品はカポーティ自身の少年時代をモデルにしている。カポーティは幼い時に両親が別れ、遠い親戚に預けられ、そこで60歳を超えた純心無垢なミス・スックに優しい愛情を受け、貧しいが神に感謝し、自然の恵みの中でおとぎ話やクリスマスなどの行事を大切にし、サンタクロースも信じるような無垢な心を持っていた。
    ところが、6歳のクリスマスでは、バディとクリスマスを過ごす法的許可を得た父親がバディを自分の元に呼んだ。ハンサムでお金持ちで「グレート、ギャッツビー」を彷彿とさせるような派手なパーティーを行い、バディのことを客達に紹介するのだが、バディは居心地が悪かった。そして気づいてしまった。父親は美しいが年増の女性ばかりパーティーに招待し、ダンスをして喜ばせていたということを。後年、バディの母親が語ったように、父親は「ジゴロ」だったのだ。バディが寝ていると思って、夜中に派手なラッピングのクリスマスプレゼントをツリーの周りに沢山並べていたが、「六歳にもなってサンタクロースを信じている」バディにあきれ、あんな子供のような年寄りがいる田舎の家を馬鹿にしてバディを傷つけた。「パパと暮らそう」と引き留める父親を振り切り、唯一の心の友ミス・スックのいる田舎の家に戻った。
    「クリスマスの思い出」だけだと児童文学にもなるかもしれないが、実は「クリスマスの思い出」の前年にバディ少年はこんなに傷ついて、だからこそ、本当にミス・スックと最後に過ごした「クリスマスの思い出」はあんなにキラキラしていたのだなと思う。

    「無頭の鷹」
    六編の中でこれだけ異色。他の五編は無垢そのものがテーマだが、この作品は無垢さを失えないため、現実と折り合いをつけられず病んでしまっている大人の話?というのか…。画廊に勤めるヴィンセントのもとにある日、少年のような少女が「買って下さい」と持ってきた絵には頭のない鷹の絵が描かれていて、絵としては下手なのにヴィンセントは心惹かれた。それは今まで愛した者たちを切り捨て、自分自身をも切り捨て、「磨かれなかった才能、出発することのなかった航海、果たされなかった約束。僕の手には何ひとつとして残らなかった」ヴィンセント自身を描いていると思ったからだった。だからヴィンセントはその絵を引き取り、その少女と暮らすのだが…。難しくて登場人物が現実だか妄想だか、夢の中だか生きてるのか死んでるのか良く分からなかった。少女の不思議なキャラクターとか村上春樹作品と似ていると思った。実際、村上春樹はこの作品で初めてカポーティの原書に接し、それから虜になられたらしい。でも、村上作品のように意味が簡単に分からないところが魅力とも言える。とにかく、この作品を22歳で書いたカポーティは天才!

    「おじいさんの思い出」
    子供に教育も受けさせられないような田舎でおじいさんから受け継いだ農地を耕す生活を捨て、おじいさんとおばあさんを残して町へ出る決心をした父親について引越す前、おじいさんとおばあさんは本当に悲しそうで、僕も悲しかった。おじいさんは僕に「お父さんとお母さんを愛すること、毎週日曜日に両親と教会に行くこと、大きくなったら両親を教会へ連れて行くこと」そして「毎週おじいさんに手紙を書くこと」を約束して別れる。引っ越してから約束どおり少年はおじいさんに手紙を書くが、おじいさんからの返事にはとてもとても悲しい知らせが書かれていた。何年かたち、おじいさんが亡くなってから残された荷物の中に、おじいさんが大切にしていた家族の写真が出てきた。これはカポーティが若い時に書いて彼の叔母にあげていた作品が彼の死後に発見されて発表されたらしい。死後に見つかってというところが、作品の中のおじいさんの写真と重なる。

    以上、「無垢」の美しさとその裏側の傷の生々しさを繊細すぎる筆致で描いた秀作ばかりだった。「無垢」も「傷」も両親のまともな愛を受けられずにカポーティの中に残っていたものなのだろう。
    村上春樹のおかげでカポーティに出会えたが、村上春樹とフィルターを通してしかカポーティを読めないのが悔しい。だから、もうちょっと頑張って原書を読んでみようかな。


    • へぶたんさん
      Macomiさん、こんばんは(^^)
      ついに...原書を読まれましたか...。
      翻訳物って訳者さんの色がついちゃうから、そのお気持ち分かりま...
      Macomiさん、こんばんは(^^)
      ついに...原書を読まれましたか...。
      翻訳物って訳者さんの色がついちゃうから、そのお気持ち分かります〜。私も若かりし頃、原書チャレンジした記憶があります(^^;)

      今、コンクラーベが読みたいんですけど、これ原書しかないのです...さすがにむーりー笑
      2025/05/07
    • Macomi55さん
      へぶたんさん
      こんばんは。
      「コンクラーベ」って何だっぺ?って思いました。
      恥ずかしーい^ ^今、この時話題になってるやつですね。これってま...
      へぶたんさん
      こんばんは。
      「コンクラーベ」って何だっぺ?って思いました。
      恥ずかしーい^ ^今、この時話題になってるやつですね。これってまさかイタリア語?
      イタリア語でも英語でも日本語でも私には難しそう。
      今読んでるのは短編なので、ゴールが見えやすいからチャレンジしやすいんです。今は同じ短編集よ中の訳のないものを読んでますが、頭の中の語り口は春樹調になってます^ ^
      2025/05/08
    • へぶたんさん
      英語です(´Д` )確かに日本語でも難解かも…
      短編から始めるの、いいかもですね
      いやしかし、春樹節恐るべし(^^;)
      英語です(´Д` )確かに日本語でも難解かも…
      短編から始めるの、いいかもですね
      いやしかし、春樹節恐るべし(^^;)
      2025/05/08
  • 「ティファニーで朝食を」と、その中に入ってる短編を読んで、もう少しカポーティを読みたくなった

    短編6編
    「誕生日の子どもたち」
    主人公僕の町にやってきたミス・ボビット(10歳)、彼女が去るまでの一年間の話

    出だしの一行めにミス・ボビットがバスに轢かれる所から始まって「えっ?何?なんの話?」ってなってから50ページで完結
    主人公僕から見た周囲の人たちとミス・ボビットとの関わりが描写されていて最後に轢かれた経緯がわかるという⋯

    主人公の"僕"はおそらく15、6歳で、ホントにこの子が書いたと思えるような、ストレートな文章が印象的

    そして、「感謝祭の客」「クリスマスの思い出」は、いとこのミス・スックと過ごしたカポーティの幼少期の話

    カポーティは6歳の頃に母方の親戚たち(四人)に預けられた
    皆が祖父祖母といってもおかしくないくらい年齢が離れていて、そのうちのスックは髪は白く、足に障害がある最高の親友であった
    彼女はカポーティを「バディー」と呼び惜しみない愛情を注いだ

    カポーティとスックの純粋なやり取り、そして時折見せる現実のやるせなさに胸が打たれた

    カポーティは幾度となくイノセント(無垢)へ立ち返ろうとしていたという
    かつて悪意の存在を知らず、傷つけ傷つくことから遠く隔たっていた世界へ
    たとえその扉はすでに閉ざされていようとも

    訳者村上春樹あとがきよりーー
    カポーティが死の床について最後に口にした言葉は、少年時代の自分の呼び名である「バディー」であったという。彼はおそらくその内なる世界にもう一度戻っていったのだろう。誰に傷つけられることもなく、誰を傷つけることもない、すべての日がクリスマスや感謝祭や誕生日であるその輝かしい無垢の世界に。

  • この本は寂しい。寂しくて息ができないほど。私が味わったこれまでのいくつかの別れを、もう一度再生するようです。
    だれかとの別れが心に空洞をつくるのは、共に包まれていた忘れられない景色があるから。そんな景色が次々と甦りました。

    6つからなる短編集。親友であるスック(年寄りの従姉妹)との思い出を綴った「感謝祭の客」や「クリスマスの思い出」がとりわけよかった。親に捨てられたも同然であったカポーティ。それでもあたたかいひとときをもてた子どもの頃。無垢な眼差しが保たれたまま描かれた景色は素晴らしく、反芻したい。

    村上春樹の訳文は滑らかですが、かれも絶賛しているカポーティの美文を味わうには、原書で読んだ方がいいのでしょうね。村上氏が訳したのがちょうど今の私の歳あたり。若い頃から「無頭の鷹」などに魅せられたらしいのですが、あらためてこれを翻訳した際にはどのような思いが駆け巡ったのでしょう。

  • 少年の日の無垢なる世界は美しく繊細でありながら、残酷で脆くて悲しい。セピア色がかった昔の映画を見るかのように情景を想像しながら読むと、たまらなく切なくて、幾度も感嘆し、余韻が半端でなかったです。『感謝祭の客』『クリスマスの思い出』に出てくるミス・スックが60歳過ぎた大人なのにとても純粋で性格がかわいくて暖かくて好きです。トルーマン・カポーティ氏の自伝的短編小説ともいえる作品。
    表紙の写真はカポーティ氏自身ですか?(違ってたらすみません)美少年ですね。

  • 子供時代の純粋で綺麗で無邪気な残酷さが美しく描かれていた。子供の目から見た世界はこうだったなと思い出すような綺麗でもあり苦しくもある世界。特に「クリスマスの思い出」はキラキラとワクワクとした中にもそれが一時のものである予感のような空気が感じられて余計に美しく儚く感じて良かった。

  • 「夜の樹」で読んでいたものもいくつか収録されていたけれど、村上春樹翻訳ということもありまっさらな気持ちで読めた。
    誕生日、感謝祭、クリスマス。わくわくするような日の、少年少女のイノセント・ストーリーズ。
    特に少年バディーと、共に住む年老いたいとこ(親友!)のミス・スックとの話はどれもあたたかで美しく涙がこぼれた。
    村上春樹によるあとがきから。

    〈人は幼児から少年や少女になり、十代のアドレッセンスの時期をくぐり抜け、やがて大人の世界=世間に入っていく。年を重ねるにつれて社会人としての責任をより多く引き受け、その役割や分担を果たすようになる。そのたびに我々の価値観はシフトし、視野は更新されていく。新しい体系を習得するために、古い体系が一部また一部と手放されていく。もちろんそこには一連の通過儀礼があり、哀しみがあり、痛みがある。しかし人々は導きと学習によってそのプロセスを受け入れていく。そして「無垢なる世界」は過去の、もう戻ることのない楽園としてぼんやりと記憶されるだけのものになっていく。そのプロセスが──好むと好まざるとにかかわらず──一般的には「成長」と呼ばれる。〉

    私はもうすっかり大人で、そのことに不満は一つも感じないけれど、ラッキーなことに時折 "戻ることのない楽園" に戻れる機会がある。紛れもない歓びとカタルシスがそこにはあって、それを知るために大人になったんだと思っても過言ではないような気さえしている。

    〈カポーティが死の床について最後に口にした言葉は、少年時代の自分の呼び名である「バディー」であったという。彼はおそらくその内なる世界にもう一度戻っていったのだろう。誰に傷つけられることもなく、誰を傷つけることもない、すべての日がクリスマスや感謝祭や誕生日であるその輝かしい無垢の世界に。〉

  • 6〜13歳くらいの間の子どもたちが主題になった短編集。一方で子どもたちの良き親友であり話し相手でもあるおじいさん、おばあさんも子どもたちと同じくらい純粋無垢。
    26年間生きてきたから、もう10年20年前の話なのに、保育園時代・小学生時代に起こった出来事のいくつかは思い出すと心臓が痛んだり縮んんだりする種類のものがある。
    当時は死んでしまうんじゃないかってくらい怖かったり辛かったり理解できなかったことでも、今同じことが起きたらきっと全然平気になってしまうし、それは正しく成長してきた証拠だと思う。
    でも痛みを痛める感性のままでいれなくなったとも言えるし、この短編集の子どもたちはしっかり怒って泣いて恋して遊んで許せるのが眩しかった。

    トルーマンが短編集のバディとして描いたキャラクターは、たぶんサリンジャーがライ麦畑で捕まえてで描いたホールデンと同じで、作家自身のイマジナリーフレンドみたいな存在。
    大人になっても忘れたくない幼少期の宝石みたいなイノセントを守れる心の居場所を物語の中に作って、当時トルーマンが育った愛情十分とは言えない環境とか生活を処世してきたのかなって思うと切ない気持ちになった。

    1編目の「誕生日の子どもたち」最高だった。暑い日に玄関のポーチでトゥッティ・フルッティとデヴィルズケーキ食べたい。
    ミス・ボビットのエキセントリックさはティファニーのホリーの原型みたいだった。

  • カポーティが無垢な世界や描いた短編を集めた作品集。村上春樹の訳はなかなか読みやすい。カポーティの長編も訳してほしい。
    パディを主人公にしたカポーティの自伝的な内容の短編が特に良かった。純粋なる世界。人間の持つ根源的な喜びや痛みなどが描かれていて純粋な世界観がとても心に浸透しました。

  • 表題作をはじめ、『感謝祭の客』『クリスマスの思い出』『あるクリスマス』『無頭の鷹』『おじいさんの思い出』など、全部で6つの作品が収められた短編集です。
    ノスタルジックでもの悲しく、無垢で残酷な物語が、じわじわ~っと胸に沁みました。

    著者カポーティは、1924年にルイジアナ州ニューオーリンズで生まれましたが、両親は彼が幼いころに離婚しています。その後著者は父母と離れ、南部各地の遠縁の家を転々としながら育ちました。
    本短編集には、その頃の経験や心情が、色濃く反映されているように思われます。

    とはいえ、両親と離れて暮らさなければならなかった寂しさや、恨み辛み、生い立ちを嘆くといったような内容ではありません。
    物語の中心となるのは、いずれも初心(うぶ)な心を持つ子供、あるいは大人たちです。ピュアな心は繊細で傷つきやすいものですが、一方で無邪気であるがゆえの残酷さを秘めているものです。そのような危うさが、さりげなく描かれている短編集でした。
    子供を顧みない親のもとに生まれたカポーティにとって、まだ救いだったのは、アメリカ南部で育てられたことかもしれません。

    https://note.com/b_arlequin

  • カポーティーの小説はとにかくシュールで美しい。フィッツジェラルド関連のエッセイかあとがきで村上春樹が作家の3タイプにあげたうち、一番華やかなタイプ。
    本書は短編集で、どれもどこか薄気味悪いがリズミカルで、読後の満足感は何故か高い。
    個人的に村上春樹の翻訳は大好きでフィッツジェラルド、カーヴァー、チャンドラー、サリンジャーを読んだが、やはりカポーティーとフィッツジェラルドは訳も含めて別格。でも読んでいて落ち着くのはカーヴァーかも

  • 息が詰まる。哀しくて寂しくて、もう二度と会えない人たち(自分がそのように仕向けた人も含めて)を思い出す。
    純真無垢な子ども時代が欠落している私は(辛い子ども時代だったので、記憶の蓋が頑丈で容易には開けられない)、それでも感動して、何かを思い出しかけたことに驚いた。
    その体験をした、その当時に書いたのだとしか思えない、子どもにしか感じることのできない煌めきが詰まっていた。

    村上春樹との相乗効果も無視できない。
    カポーティが大好きになった。

  • 本当にこの年頃の賢い男の子が作者なのではないかと思うほど、無垢で綺麗だった。
    悲しみが綺麗に描かれている。

  • 文学ラジオ空飛び猫たち第14回紹介本『無頭の鷹』
    ラジオはこちらから!
    https://anchor.fm/lajv6cf1ikg/episodes/14-ejtcd1

    ダイチ
    まずこの小説に惹かれたのは主人公ヴィンセントがD・Jの絵を見て、「自分のことをわかっているのか、知っているのか」と感じるところです。本でも映画でも芸術鑑賞でも、たまに自分のことを知っているかのような作品に出会い、ずっと気になったままでいたりします。人には言えない自分の気持ちであったり、自分の闇の部分であったり、このような気持ちにリンクしている『無頭の鷹』は自分にとって忘れられない作品になりました。作品自体はちょっと重めで、よくわからないところもあるけど、不気味さも楽しめます。
    ヴィンセントのように生活のためにやむを得ず自身の夢を切り捨てた人には響くと思います。昔読んだときに私もその点は印象に残りました。アメリカの天才小説家といえばカポーティ。未読の人は『誕生日の子どもたち』から読んでみるか、もしくは『ティファニーで朝食を』もいいと思います。

    ミエ
    普通に生活していると見られない人間の一面で出ています。主人公ヴィンセントはD・Jという存在が現れたことによってまともな人間から破滅寸前の人間になりますが、それはD・Jが現れたことで変化したのか、もともと異常な人間だったのか。考える余地があります。この小説にはわからないところが多々ありますが、文章が美しいし、不思議な存在のD・Jにも惹かれるところがあります。設定や物語からして現実離れした小説なのに、自分ごととして考えてしまったので私にはすごくいい小説でした。
    ミステリアスなものが好きな人や人間の闇の部分にそそられる人にはおすすめです。

  •  およそ10年ぶりのカポーティ。秒速5センチメートルで一瞬映った『草の竪琴』が気になって読んで以来だが、もう内容は覚えていない。非常に脆く美しいものが描かれていて、それは現実世界に容易に壊されてしまう、みたいな感じだった、ような。

    <誕生日の子どもたち>
     完結した子どもたちの世界の純粋さと、純粋ゆえの毒素を含んだ表題作。成長の過程で失われてゆくものであり、また失われるべきものなのかもしれないけれど、そうした時代の物語を読むことで、自分にどんな働きかけがあるのだろうか。また、とても悲しい結末を迎える物語なんだけど、こうした喪失の物語が読み継がれていくのは、なぜなのだろうか。
    <感謝祭の客>
     貧乏な家庭に生まれた意地悪な同級生のオッドと「僕」、そして同じ家に住む風変わりなおばあさんのスックの物語。僕のスックに対する無制限の信頼と、それが裏切られたと思う気持ち、そしてその奥にある本当の優しさ。子どもの頃、類似した体験があったようななかったような。こういった物語に揺さぶられる心が残っていて、嬉しかった。

    <あるクリスマス>
     突如現れる、父に対する明確な怒り・悪意。でも、気が付けば「僕」も、いずれは父のような人間になってゆくのだし、「僕」が置き去りに「させられた」世界は、結局は住人のいなくなった民家のように朽ちてゆく。この物語は、通過儀礼的な、避けては通れないものなのだろうか。

    <おじいさんの思い出>
     ちょっと変わっている祖父母、それから父母と少年の5人暮らしだったが、田舎に祖父母を残し、親子3人で引っ越すことになる。そんな話。
     私自身、両親が共働きで祖父母に随分面倒を見てもらっていたので、こういった話はひと際胸に響くものがある。愛情たっぷりに育てられるのが良いことだと身をもって証明できないのが歯痒い。
     この物語では祖父母がちょっと変わった人として描かれており物語から教育的な匂いはしてこないのだが、それが却って孫に対する愛情を際立たせているような気がする。

     別にたまには帰ればいいじゃんと思ってしまうのは、私が実家からアクセスの良い場所に住んでおり、また祖父母も長寿だからだろうか。
     「僕」はおじいさんがくれたものを胸に、生きていく。残った者と残されたもの。もし残される側に回ったとき、自分はこの物語をどのように受け入れるのだろう。

  • 少年や少女の無垢と脆さをテーマにした、カポーティの自伝的小説6編。
    どの作品にも多少なりとも癖ある少女や女性たちが登場する。
    印象的だったのは以下の2作品。

    『誕生日の子どもたち』
    少女がある事故に巻き込まれるというショッキングな冒頭から始まる本作。そこから回想するようにストーリーは展開する。
    心が大人に差し掛かっている「僕」が住む町に、言動も振舞いも大人びた少女ボビットがやってくる。華やかさに秀でた彼女に、周りの少年たちはとまどいつつも虜になる。一歩引いた「僕」の視点ながらも、くるくると表情を変えるボビットに目が離せない様子が伝わってくる。
    あまり目にしたことのない物語構成が印象的。

    『クリスマスの思い出』
    7歳のバディーと60歳を越えるおばあさんの関係がすごくいい。大量のフルーツケーキを焼くクリスマス間近。読んでいる先から部屋に大量のケーキが積まれた光景が頭に浮かび、不思議と甘い匂いまで伝わってくる。
    フルーツケーキの思い出と香りを残して空へふっと飛んでいくように去ったおばあさん。悲しいはずなのに爽やかで、不思議と温かい余韻を残した。

    多くの方が引用していますが、ぐっときた一文は「私が泣くのは大人になりすぎたからだよ」(『クリスマスの思い出』より)。純真無垢な子どものままではいられないという痛みを伴ったフレーズが心に刺さる。

  • 「夜の樹」に引き続き、カポーティ短編集2つ目。「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「感謝祭の客」は「夜の樹」にも収録されていましたが、訳者が違うと物語の風景もちょっと変わります。まばたきで目を閉じる瞬間に見える世界の色というかなんというか、まあ少しだけ。村上春樹訳も川本三郎訳も、よくできているから大差は出ません。

    自身の幼少期を題材にした「バディ3連作」(勝手に命名)が冒頭から一気に読めます。おばあさんのスックと僕の真摯で温かい交流を微笑ましく、そして有り難く感じます。私もこういう人に出会いたかったなー。

    「おじいさんの思い出」はカポーティが本当に書いたかどうかわからない作品だそうですが、私はカポーティの作品だと思います。だって、素朴さの中に光るおじいさんのセリフや振る舞い、そしていかなる理由であれ、流れ行く世界の中で取り残されていく存在のするどい悲しみの描写がカポーティらしいもの。

  • この作品にあるイノセンスとはなにか。
    そう考えながらこの本を読みました。

    繊細で壊れやすく、そのために誰かを貶めようとしてしまうこともある・・・これはひとつのイノセンスだと思います。たとえば、本書に収録されている「感謝祭の客」は、そんなイノセンスが折り重なった切ない物語ではないでしょうか。

    人は大人になるにつれてイノセンスを失い、求めてゆくようになる。この本には、その過程が色々な形で描かれているのではないでしょうか。

    カポーティという人は名前を聞いたことがあるだけだったのですが、この人はイノセンスを求め続けていたのではないか・・・そう思える一冊でした。

  • カポーティは好きだ。サリンジャーのように裸で世間に刃向かっていくイノセンスではなく、ちょっとずれた立ち位置から眺める、透明の鎧をまとったイノセンス。大人になった自分にはこちらのほうが説得力がある。
    子供が主人公の作品が多く、カポーティ短編集としてはちょっと異色?本来は「無頭の鷹」の様な作品が王道だろうが、この中ではむしろ「無頭」のカラーが他とは違う。訳者村上春樹によるカポーティの経歴解説には、冷静な分析も含まれていて、非常によかった。

  • カポーティの短編集。
    イノセントな物語を見守るという感覚で作品を一つ一つ味わっていたら、『無頭の鷹』で身に覚えのある冷酷さを含んだ大人の世界に一転して落とされました。
    この作品の中では、読者はもう傍観者ではいられず、主人公の男性とともに苦悩し迷わなければならないはず。
    美しさや残忍さや優しさや恐怖やとまどいなど、あらゆるものが立体的に絡み合って立ち上がる世界観に魅了されました。

  • 本屋さんっでタイトルでばっと選んで、表紙見てから「あ、カポーティや。あ、しかも村上春樹や」みたいなノリで購入。いやどっちも大して読んだことないんですけど(笑)
    無垢さっていうものをいろんな面から見た短編集。共感というか身に覚えがある可愛らしさだったり残酷さだったり、いろんなものが重なってただ純粋やとかそうやって表せられない感覚やなあと思います。
    表題作が一番すきかなあ。
    無頭の鷹は読み直したい。

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