- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167705718
感想・レビュー・書評
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この本は寂しい。寂しくて息ができないほど。私が味わったこれまでのいくつかの別れを、もう一度再生するようです。
だれかとの別れが心に空洞をつくるのは、共に包まれていた忘れられない景色があるから。そんな景色が次々と甦りました。
6つからなる短編集。親友であるスック(年寄りの従姉妹)との思い出を綴った「感謝祭の客」や「クリスマスの思い出」がとりわけよかった。親に捨てられたも同然であったカポーティ。それでもあたたかいひとときをもてた子どもの頃。無垢な眼差しが保たれたまま描かれた景色は素晴らしく、反芻したい。
村上春樹の訳文は滑らかですが、かれも絶賛しているカポーティの美文を味わうには、原書で読んだ方がいいのでしょうね。村上氏が訳したのがちょうど今の私の歳あたり。若い頃から「無頭の鷹」などに魅せられたらしいのですが、あらためてこれを翻訳した際にはどのような思いが駆け巡ったのでしょう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
子供時代の純粋で綺麗で無邪気な残酷さが美しく描かれていた。子供の目から見た世界はこうだったなと思い出すような綺麗でもあり苦しくもある世界。特に「クリスマスの思い出」はキラキラとワクワクとした中にもそれが一時のものである予感のような空気が感じられて余計に美しく儚く感じて良かった。
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「夜の樹」で読んでいたものもいくつか収録されていたけれど、村上春樹翻訳ということもありまっさらな気持ちで読めた。
誕生日、感謝祭、クリスマス。わくわくするような日の、少年少女のイノセント・ストーリーズ。
特に少年バディーと、共に住む年老いたいとこ(親友!)のミス・スックとの話はどれもあたたかで美しく涙がこぼれた。
村上春樹によるあとがきから。
〈人は幼児から少年や少女になり、十代のアドレッセンスの時期をくぐり抜け、やがて大人の世界=世間に入っていく。年を重ねるにつれて社会人としての責任をより多く引き受け、その役割や分担を果たすようになる。そのたびに我々の価値観はシフトし、視野は更新されていく。新しい体系を習得するために、古い体系が一部また一部と手放されていく。もちろんそこには一連の通過儀礼があり、哀しみがあり、痛みがある。しかし人々は導きと学習によってそのプロセスを受け入れていく。そして「無垢なる世界」は過去の、もう戻ることのない楽園としてぼんやりと記憶されるだけのものになっていく。そのプロセスが──好むと好まざるとにかかわらず──一般的には「成長」と呼ばれる。〉
私はもうすっかり大人で、そのことに不満は一つも感じないけれど、ラッキーなことに時折 "戻ることのない楽園" に戻れる機会がある。紛れもない歓びとカタルシスがそこにはあって、それを知るために大人になったんだと思っても過言ではないような気さえしている。
〈カポーティが死の床について最後に口にした言葉は、少年時代の自分の呼び名である「バディー」であったという。彼はおそらくその内なる世界にもう一度戻っていったのだろう。誰に傷つけられることもなく、誰を傷つけることもない、すべての日がクリスマスや感謝祭や誕生日であるその輝かしい無垢の世界に。〉 -
カポーティが無垢な世界や描いた短編を集めた作品集。村上春樹の訳はなかなか読みやすい。カポーティの長編も訳してほしい。
パディを主人公にしたカポーティの自伝的な内容の短編が特に良かった。純粋なる世界。人間の持つ根源的な喜びや痛みなどが描かれていて純粋な世界観がとても心に浸透しました。 -
本当にこの年頃の賢い男の子が作者なのではないかと思うほど、無垢で綺麗だった。
悲しみが綺麗に描かれている。 -
6〜13歳くらいの間の子どもたちが主題になった短編集。一方で子どもたちの良き親友であり話し相手でもあるおじいさん、おばあさんも子どもたちと同じくらい純粋無垢。
26年間生きてきたから、もう10年20年前の話なのに、保育園時代・小学生時代に起こった出来事のいくつかは思い出すと心臓が痛んだり縮んんだりする種類のものがある。
当時は死んでしまうんじゃないかってくらい怖かったり辛かったり理解できなかったことでも、今同じことが起きたらきっと全然平気になってしまうし、それは正しく成長してきた証拠だと思う。
でも痛みを痛める感性のままでいれなくなったとも言えるし、この短編集の子どもたちはしっかり怒って泣いて恋して遊んで許せるのが眩しかった。
トルーマンが短編集のバディとして描いたキャラクターは、たぶんサリンジャーがライ麦畑で捕まえてで描いたホールデンと同じで、作家自身のイマジナリーフレンドみたいな存在。
大人になっても忘れたくない幼少期の宝石みたいなイノセントを守れる心の居場所を物語の中に作って、当時トルーマンが育った愛情十分とは言えない環境とか生活を処世してきたのかなって思うと切ない気持ちになった。
1編目の「誕生日の子どもたち」最高だった。暑い日に玄関のポーチでトゥッティ・フルッティとデヴィルズケーキ食べたい。
ミス・ボビットのエキセントリックさはティファニーのホリーの原型みたいだった。 -
「夜の樹」に引き続き、カポーティ短編集2つ目。「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「感謝祭の客」は「夜の樹」にも収録されていましたが、訳者が違うと物語の風景もちょっと変わります。まばたきで目を閉じる瞬間に見える世界の色というかなんというか、まあ少しだけ。村上春樹訳も川本三郎訳も、よくできているから大差は出ません。
自身の幼少期を題材にした「バディ3連作」(勝手に命名)が冒頭から一気に読めます。おばあさんのスックと僕の真摯で温かい交流を微笑ましく、そして有り難く感じます。私もこういう人に出会いたかったなー。
「おじいさんの思い出」はカポーティが本当に書いたかどうかわからない作品だそうですが、私はカポーティの作品だと思います。だって、素朴さの中に光るおじいさんのセリフや振る舞い、そしていかなる理由であれ、流れ行く世界の中で取り残されていく存在のするどい悲しみの描写がカポーティらしいもの。 -
この作品にあるイノセンスとはなにか。
そう考えながらこの本を読みました。
繊細で壊れやすく、そのために誰かを貶めようとしてしまうこともある・・・これはひとつのイノセンスだと思います。たとえば、本書に収録されている「感謝祭の客」は、そんなイノセンスが折り重なった切ない物語ではないでしょうか。
人は大人になるにつれてイノセンスを失い、求めてゆくようになる。この本には、その過程が色々な形で描かれているのではないでしょうか。
カポーティという人は名前を聞いたことがあるだけだったのですが、この人はイノセンスを求め続けていたのではないか・・・そう思える一冊でした。
トルーマン・カポーティの作品





