- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167714024
作品紹介・あらすじ
仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。そう思っていた同期の太っちゃんが死んだ。約束を果たすため、私は太っちゃんの部屋にしのびこむ。仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く芥川賞受賞作「沖で待つ」に、「勤労感謝の日」、単行本未収録の短篇「みなみのしまのぶんたろう」を併録する。すべての働くひとに。
感想・レビュー・書評
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あなたが結婚されている場合、それは『お見合い』結婚だったでしょうか?
二人が出会い、関係を深めていく先に行き着くところ、それが結婚です。そんな結婚に至る過程には大きく分けて『お見合い』と『恋愛』があります。とは言え、『お見合い』結婚という言葉を聞くことは昨今ほとんどなくなりました。1940年頃には実に結婚の70%近くが『お見合い』だったのが、今ではなんと5%程度にまで下がっているという現実がそこにはあります。そんな『お見合い』結婚の割合が下がるのに比例するかのごとく、結婚する人の割合自体も下がってきています。もちろん、その両者が連動しているとは単純には言えないでしょうが、理由の一つではあるのかなあ、そんな風にも思います。
さて、ここに『私の命の恩人』と思う人物に『見合い』の場をセットされた主人公が登場する作品があります。『結婚するつもりないの?』と訊かれ『こればっかりはご縁ですから』と答えたその先に『お見合い』の場に臨む主人公の姿が描かれていくこの作品。そんな場での主人公の心持ちが具に読者に共有されてもいくこの作品。そんな場で初めて発した相手の言葉が『スリーサイズ教えてくれますか』であることに『88-66-92』と即答した主人公を見るこの作品。そしてそれは、そんな主人公が『お見合い』のあった『勤労感謝の日』を振り返り、お湯割りを飲むひと時を見る物語です。
『何が勤労感謝だ、無職者にとっては単なる名無しの一日だ』と、『失業保険はあと二ヶ月しか残っていない、その間に就職できる保証はどこにもない』という今を思うのは主人公の恭子。そんな時、『恭子ちゃん、身体の方はどう?』と裏に住む長谷川に声をかけられます。『二ヶ月前…一時停止無視で出てきた車にはね飛ばされ』た時『救急車の手配から、警察への通報、家への連絡まで全てやってくれた』長谷川を『私の命の恩人』と思う恭子。そんな恭子に『結婚するつもりないの?…いい人がいるのよ』と言う長谷川は、『あなたと二つ違い…今年三十八歳…あなたの大学の先輩よ』と『息子の知り合いの』野辺山清という男性を薦めます。そして、『素早く段取り』が進み、『十一月二十三日、勤労感謝の日、大安吉日』に長谷川の家に母親と訪れることになりました。『結婚するしないは別として、いい男が来たらいいな』と思う恭子が『長谷川さんちの東の窓から通りを見おろ』すと『やや太り気味の男が立っていて、ガムを噛んでい』ます。『アイツじゃないな、ないといいな、ありませんように』と願うもその男が野辺山清でした。『ポケットティッシュを取り出してガムを丸め、その柔らかい塊をズボンのポケットにしま』うのを見て『あれが服地にくっつくとドライアイスで取らなくちゃいけない』と思う恭子。そして挨拶する野辺山の顔を見て『あんパンの真ん中をグーで殴ったような顔をしてい』ると思う恭子。『しかし、何を聞けばいいのだ。見合いなんてしたことがない』と思う恭子は『ギャンブルやりませんよねとか、変態プレイは困りますよとか』言えない…と逡巡していると、『スリーサイズ教えてくれますか』と『第一声で口に出し』た野辺山。それに『88-66-92』と恭子が即答すると、野辺山は『にへらり、と笑』いました。そして、『お仕事は?』と訊く野辺山に『無職です』と返す恭子。そんな恭子に『僕って会社大好き人間なんですよねえ』と言う野辺山は『ブランドを鼻にかけるわけじゃない』と言いつつ『一流企業って…』と『商社マンとしての活躍ぶり』を語り続けます。そんな会話の中、『負け犬論ってどう思います?』と訊く野辺山に『あれで言うと私は立派な負け犬ってことになりますね』と答える恭子。そんな恭子に『負け犬って自覚してれば許されるんですよ』と野辺山は答えました。『なんでこんなカスに許してもらわなければいけないのか』、『もう金輪際こいつと会うことはない』と怒る恭子は、『出掛けますので、どうぞごゆっくり』と言って席を立つと『どこに行くの?』と訊く母親に『とりあえず渋谷』と言うと長谷川の家を後にしました。『家に帰ったら母からさんざん責められることだろう』と思う恭子、そんな恭子の『勤労感謝の日』のその後の時間が描かれていきます…という最初の短編〈勤労感謝の日〉。強烈な個性を放つ恭子の魅力になぜか惹かれてもいく好編でした。
2006年に第134回芥川賞を受賞した表題作の〈沖で待つ〉の他に二編が収録されたこの作品。「沖で待つ」というどこか超然とした響きを持つ書名とそれを見事に表したかのようにどこか超然とした一艘の舟の写真が見事な雰囲気感を醸し出しています。しかし、しかしです。ネタバレと言われても困るのですが、そんなイメージを勝手に抱いた読者を欺くかのように本編にはそんな勇ましい描写はどこにも出てきません。もし大海原を舞台にした海の男の物語!のようなイメージを期待してこの作品を読もうとする人がいらしたら、そういう意味ではありません!とまずお伝えしておきたいと思います。では、そんな三つの短編について、概要を示した上でその内容一つひとつに順に触れていきたいと思います。
・〈勤労感謝の日〉: 近所に住む『私の命の恩人』と崇める長谷川に一方的に見合いの場を設定されてしまったのは主人公の恭子。『勤労感謝の日』に設定されたお見合いに出かけた恭子は、窓から見て『アイツじゃないな、ないといいな、ありませんように』と思った男と対峙します。いきなり『スリーサイズ教えてくれますか』と聞いてきたり、『食いっぷりが悪かった』りと、イライラさせられる恭子は『出掛けますので、どうぞごゆっくり』と言うと、場を後にして一人飛び出しました。そして、渋谷へと出かけた恭子は…。
一編目の〈勤労感謝の日〉では、主人公の恭子の感情を相手の発する言葉に連ねてこんな風に表現されます。
・『僕って会社大好き人間なんですよねえ』と言う野辺山
→ 心の声:『何とか大好き人間なんて言葉がまだこの世に流通しているとは知らなかった。しかも会社だよ、トンチキ野郎』。
・食べ物の好き嫌いを訊くと『全然ないんです。僕、コンビニのお弁当でOKだから』と答える野辺山
→ 心の声:『自分が呼んだとは言え、長谷川さんが気の毒だ。それにしてもどういう趣味で私にこんな男を紹介しようと思ったのだろう。いくらもう女じゃないからってあんまりだよ、長谷川さん』。
・『三十六歳か…』と蔑んだように低い声で呟く野辺山
→ 心の声:『そうだよ、嘘いつわりのない三十六歳だよ。求人ヤバイんだよ』。
三つ抜き出してみましたが、これだけでもこの恭子という主人公の雰囲気感が伝わってくるのではないかと思います。この短編では、このような感じで主人公の心の声が読者に逐次共有されていくことで、短編ながらもその思いがストレートに伝わってくるのを感じます。『何が勤労感謝だ、無職者にとっては単なる名無しの一日だ』という恭子の〈勤労感謝の日〉の一日を描いたこの作品。三編の中で一番気に入ったのがこの短編でした。
・〈沖で待つ〉: 『五反田に行く予定なんかなかった』という主人公の及川は、あるマンションの一室へと立ち入ります。『どうしてこんなところにいるの?』と目の前に牧原太がいるのを見て驚く及川。なぜなら彼は『三ヶ月前に死んでいたから』です。『太っちゃん』という彼のあだ名が『「名は体をあらわす」というのがこれほど当てはまる人を私は』他に知らないと思う及川。全国に拠点のある『住宅設備機器メーカー』に就職した及川は、配属先となった福岡でそんな『太っちゃん』と共に働き始めました。そして、仕事の日々の中に彼とある約束をします。
次の二編目は何と言っても芥川賞受賞作です。上記の通り〈沖で待つ〉という言葉から受ける印象とは全く異なる物語がそこに描かれます。そんな短編の主人公・及川は『住宅設備機器メーカー』に就職した女性という設定ですが、この作品の作者である絲山さんもかつて『住宅設備機器メーカー』で働かれていた方でもあり、そこに描かれるお仕事風景はやけにリアルです。そんな中に唐突にこんな言葉の登場で読者に緊張が走ります。『太っちゃんは、三ヶ月前に死んでいた』というその一文。そんな物語ではやけに働く現場のリアルさの中にそんな主人公・及川と太っちゃんの間で『協約結ぼうぜ』と一つの約束が取り交わされます。そんな約束を果たしていく及川の姿がある意味淡々と描かれるこの短編。なかなかに表現の難しさを感じますが”お仕事”の場にある友情を芥川賞的に描いたらこうなった、そこに書名の「沖で待つ」という言葉のある種の重みが効いてくる、そんな読み味の作品だと思いました。
・〈みなみのしまのぶんたろう〉: 『むかしむかし…デンエンチョーフというまちに、しいはらぶんたろう、というおとこがすんでいました』という物語の始まり。『マツリゴト』をする『ぶんたろう』は『でんりょくだいじん』になります。『あるさむいひ』に『かいぎしつに』入ると、『りっぱなおじゅうにはいったおべんとう』を目にし『とりかえちゃえ』と食べ始めました。その時『カシャリ』と音がし『ふくだいじんのへびやま』が現れ、『そのおべんとうはそうりだいじんのもの』と今撮った証拠写真を見せます。罠にハマった『ぶんたろう』は…。
そして、最後の短編〈みなみのしまのぶんたろう〉ですが、これはキョーレツ!という言葉そのままの物語です。なんとひらがなとカタカナだけで書かれています。これが読みづらい!、とにかく読みづらいと感じました。日本語は漢字かな交じりであることが如何に重要かを感じます。一方で『むかしむかし』と始まるところから考えるとこの作品は子ども向けの童話をイメージしたとも考えられます。しかし、そこで描かれる世界は妙に生臭い物語です。主人公の『ぶんたろう』は、部下の『へびやま』の策略にハメられ『おきのすずめじまげんしりょくはつでんしょのしょちょう』に任命されます。『コンピュータがはったつしてからは、しょちょうひとりでじゅうぶん』というその現場で一人きりの生活を余儀なくされる『ぶんたろう』の日々が描かれていくこの短編。ひらがなとカタカナ、かつ童話調で語られるために一見ピンときませんが、『電力大臣』を務めていた主人公の『文太郎』は、部下の『蛇山』の策略で『沖の雀島原子力発電所の所長』に左遷させられたと書くと一気にリアルさが増してきます。政治と原子力政策を痛烈に風刺したというのがこの作品の隠された姿、それをひらがなとカタカナだけの童話調の文体でオブラートにくるんだ作品、それがこの作品の本質なのだと思いました。間違いなく読みづらいですが、とてもよく練られた作品、そんな風に感じました。
芥川賞を受賞した〈沖で待つ〉を含め三つの個性的な短編が収録されたこの作品。三つの短編はそれぞれに特徴を持っており、三者三様の楽しみ方があり、そこには、とんがった個性を持つ物語がそれぞれに描かれていました。表紙や書名から受ける印象が一気に吹き飛んでしまうこの作品。芥川賞を受賞された絲山秋子さんという作家さんの個性のあり方を見るこの作品。
どこか超然とした印象も抱く〈沖で待つ〉という言葉の響きが作品の印象を支配する読後感。その一方でそれぞれに個性あふれる短編をサクッと楽しめもした、そんな作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何かに絶望してしまった人たちに読んでほしい作品です。「沖で待つ」は、同期の社員が亡くなってしまい、その同期の家にある目的のために行くのだが、その家に亡くなったはずの同期がいた。
読んでて、どこか怪談かと思わせるような少し怖さを感じました。でも最後には、少し涙がでてくるような作品でした。 -
勤労感謝の日
「あまり大袈裟じゃなく、ホームパーティーみたいな感じ」ではあっても一応お見合いで呼ばれたのに、あのナリと態度の男性の方がどうかと思ってしまう私は、主人公目線…
いや、私が彼女の母なら、その場は取り繕っても、速やかにお断りの連絡を入れるでしょう
沖で待つ
太っちゃんの言葉のチョイス
あんなノートを残されたら泣いてまうかも
みなみのしまのぶんたろう
ひらがなとカタカナだけのぶんしょうがこんなによみづらいものだったとは!
ぶんたろうがかぞくとたのしいなつやすみをおくれるといいな
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いやー、好きっす!
短篇で、サクサク読み終わるが、もっと読んでいたいと思わせてくれる作品でした。そして、表題作ではなく、収録されていた
もうひとつの作品の勤労感謝の日。こちらがまた、面白かった。どちらの作品も共通して良かったのが、主人公女性のモノローグ。だよねー、って共感してしまいます!
好きだったくだりはバスの運転手の丁寧なアナウンスと裏腹のブレーキングの雑さで「危険ですので,バスが停まってからお立ち下さい」に対しての「こっちは初めから立ってんだよ!その危険の中で」とか
「何が勤労感謝の日だ!無職者にとっては単なる名無しの一日だ。」とか、口悪いけど、なんか主人公好きです。 -
3編ともおもしろいが、やはり表題作『沖で待つ』が特に良かった。登場人物、彼らの会話がおもしろく魅力的。会社の中での「同僚」という人間関係。時に共に喜んだり時には互いの失敗をフォローしたり、日々仕事の中で同じ体験を共有しており、飲むと学生時代の友人以上に話がはずんだり…。読んでいると、その人間関係がリアルで、自分の若かりし頃を思い返して懐かしい気持ちになる。
主人公と太っちゃんの、恋愛にはならないけど、ただの友人よりも深い、運命共同体のような同士のような関係性は、読んでいると憧れてしまう。現実味があるかといえば無いような気もするが、それ以上に二人の描写が自然で魅力的で、気にならない。
絲山秋子さんの他の著作も読んでみたいです。 -
この作家さんは小松とうさちゃんから入ったのだけど、あのほのぼのとした世界観の原点は感じつつも、もっとうちに秘めたパワーを感じる作品だった。芥川賞受賞ということで私小説的なイメージを抱いていたけど、良い意味で裏切られた。久々に小説で泣いた。
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会話分が抜群に心地よい。物語の筋に関わるわけでもない、どうでもいい会話が、自然で楽しく読める。
芥川賞受賞作「沖で待つ」もだけど、「勤労感謝の日」が特に良かった。この女性主人公がとても身近で好感が持てる。主人公の周囲への毒づきが楽しい。