賢者はベンチで思索する (文春文庫 こ 34-3)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167716035

作品紹介・あらすじ

ファミレスでバイトをしているフリーターの久里子。常連にはいつも同じ窓際の席で何時間も粘る国枝という名の老人がいた。近所で毒入りの犬の餌がまかれる事件が連続して起こり、久里子の愛犬アンも誤ってその餌を食べてしまう。犯人は一体誰なのか?事件解決に乗り出したのは、意外なことに国枝老人だった。

感想・レビュー・書評

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  • 『ロンドで事件が起きたのは、それから数日後だった。ランチタイムの慌ただしさが収まりかけた頃、窓際のテーブルで女性の金切り声があがった。「タカヒロ!どうしたの?」』

    …という緊迫感のある場面。”ミステリー”小説に分類される作品において、そんな場面の先にあなたはどのような物語が続くと予想するでしょうか?

    では、もう一つこれはどうでしょう?

    『「ねえ、聞いた?やっぱり誘拐らしいよ」久里子は息を呑んだ。「身代金の要求でもあったの?」「それはわからない。でも、その子を連れて歩いている男の人が目撃されたらしいの」』

    さて、あなたはその続きにどんな物語が展開するのを予想するでしょうか?

    ”争い・犯罪・騒ぎ・事故など、人々の関心をひく出来事”を指すというその言葉=『事件』。私たちは日々報道される陰惨な出来事の数々にすっかり感覚が麻痺してしまっているようなところがあります。『事件』と聞くと、何故か、”また、人が殺されたのか?”と連想してしまう位に現実の『事件』には、死の影がつきまといます。ショッキングに報道される『事件』は、残念ながら後味が悪いものが多いのも事実です。しかし、中には、その裏にまさかの人の優しさを感じさせる物語が隠されている場合もあります。

    さて、この作品は、身近に起こった『事件』の数々に主人公・久里子が一つひとつ向き合っていく物語。そこに現れた不思議な老人が『ヒントを与えたのはわたしかもしれないが、事件を解決したのはあなただよ』と語るその先にまさかの真実の扉が開く様を見る物語です。

    『うっとおしい』と、『枕から顔を上げ』、『壁越しに聞こえてくる』『ゲームの電子音』に苛つくのは主人公の『七瀬久里子』。『浪人中だというのに、パソコンでゲームばかり』やっている弟の信のことを注意しようと思うも『どうせ、姉の言うことなど聞くはずもない』と考え直します。『信が三浪しようが』関係ないと思う久里子は、『奴の心配などしてやるくらいなら』と自身のことを考えます。『去年、専門学校を卒業した』ものの、就職先が決まらない久里子。『普通のOLなんてやりたくな』いと思うものの『じゃあ、あんた、どうするのよ』と母親に呆れられた久里子。結局、『家の近くのファミリーレストランで、アルバイトをしている』という今を思う久里子。『とりあえず、今日のところは笑っていられる』ものの『明日はどうするの?』とも思う久里子。そんな久里子がアルバイト先である『ロンド』に出勤すると『いつものじーさん、またきてるよ』と、同僚の美晴が話しかけてきました。『曲がった背に、白い髪。レンズの厚い老眼鏡をかけて、新聞を広げ』、同じ席に座り『コーヒー一杯』で『何時間も粘る』というその老人。そして美晴は唐突に『犬、飼わない?』と話しかけてきました。公園で捨てられていた子犬を拾ったものの家はペット禁止で飼えないと言う美晴。ダメ元で両親に訊くと『お母さん、犬欲しいわ』、『そうだな。もらってきなさい』とまさかの両親の前のめりな様子に驚く久里子。一方でそんな犬の話をしたくても『ほとんど部屋から出て』来ず『立派な「ひきこもり」』状態の信のことを気に病む久里子。そんな久里子は次に美晴に会った際に犬を引き取りたいと伝えました。しかし、『あの子死んじゃったの』と、まさかの顛末を聞いて驚く久里子。せっかくの申し出がダメになって公園のベンチに座る久里子に、レストランによく来るあの老人が話しかけてきました。犬が死んだ経緯を話す久里子を慰めてくれる老人。しかし、その翌日レストランに来た老人に話しかけても昨日のことなど全く覚えていないそぶりをされてしまいます。そして、家に帰るとそこには『歯止めがきかなくなってしまった』と、母親が保健所で貰い受けてきた犬がいました。アンと名付けられたその犬、しかし、『まるでつまらない置物でも見るような目をして』自室へと閉じこもる信。そんな信を見て、かつて動物を虐待していた幼い頃の信を思い出します。一方で、最近、近所で犬に『毒になるものを食べさせ』たり、ブロックで犬を殺める事件が頻発していることを知って信のことを訝しがる久里子。そして数日後、早朝に偶然目が覚めた久里子は信がこっそり家を出ていくのに気付きました。気になってアンを連れて後をつける久里子。そんなところにあの老人の姿があり、話している隙に『公園の茂み』に入り何かを口にしたアンがいきなり嘔吐しだします。『病院に連れて行きなさい』と言う老人の指示に従いタクシーで病院に向かう久里子。『死なないで。お願いだから』とアンの無事を願う久里子。そして、そんな犬虐待事件のまさかの真実が明らかになる物語が描かれていきます…という最初の短編〈ファミレスの老人は公園で賢者になる〉。謎の老人・国枝と久里子の運命の出会い、そしてそんな老人と久里子が小気味よく『事件』を解決していく様が上手く描かれた好編でした。

    三つの短編が連作短編の形式を取るこの作品。『洋服が大好きだったから、服飾関係の専門学校を選んだ』ものの、卒業後も思うように就職先が見つからず、ファミリーレストランでウェイトレスのアルバイトとして働く七瀬久里子の日常の中で、彼女が遭遇するミステリーが描かれていきます。

    そんな物語で外せないのは犬の存在です。動物を飼うこと自体に反対していると思っていた両親が実は犬を飼いたがっていたことを知り、結局、そんな母親が保健所から貰ってきた犬を飼うことになった七瀬家。一方で犬の虐待が近所で相次ぐという事件に久里子が巻き込まれていく様が描かれていくのが最初の短編です。動物を虐待していた過去を持つ弟の信がとる怪しい行動を訝しがる久里子。その一方で、書名にも登場する『賢者』=老人・国枝が鮮やかにミステリーを解決していくそのストーリー展開の絶妙さは、まさにページを捲る手が止まらない体験を読者にさせてくれます。そして、そんな物語に絶妙にリアル感を与えていくのが犬に関する細かい描写です。私は犬を飼ったことはありませんので、実際のところがどうかという答え合わせはできませんが、そんな私にさえそれぞれのシーンは目に浮かぶようなリアルさをもって迫ってきます。そんなシーンを三つご紹介します。『お散歩行こうか』とアンの前にしゃがみこんだ久里子。そんなアンのことを『アンの目が輝き、しっぽが大きく振られる。靴箱の上に置かれたリードを手に取ると、うれしそうに久里子の膝に前足をかけた』という表現。また、長雨が続いて散歩に出られない日々の犬の姿を表したのが『トモは特に散歩が好きで、雨の日は恨めしそうな顔で窓から外を眺めている。ときには鬱憤を晴らすように廊下をものすごい勢いで走り回る』という表現。そして、初めての場所を散歩する二匹を描いたのが『見慣れぬ場所を歩いているせいか、アンのしっぽはすっかり下がっている。反対にトモのしっぽはぴんと立っていて、その違いが妙におかしい』という表現。いずれもどこかリアルで生き生きとした犬の様子が伝わってくるように思います。『犬と一緒に暮らすと、世界が少しだけ変わる』と語るのは犬がとてもお好きな近藤史恵さん。そんな近藤さんの犬に対する観察力と、その成果が絶妙に活かされているのがこの作品、そんな風にも思いました。

    そんなこの作品のジャンルは”ミステリー”になると思います。作品中に朧げながらに暗示される犯人像、行間に隠された真実、そして巧みに読者を騙そうとする作家さんとの駆け引きを楽しむ小説、それが”ミステリー”だと思います。しかし、元々殺人などの血生臭い描写が苦手な私は、必然的に”ミステリー”作品に手を伸ばすことを避けています。近藤史恵さんにも「インフルエンス」のように、うぐぐと読者を苦しい気持ちにさせる血生臭い作品もあります。しかし、この作品で取り上げられる”ミステリー”は、そこまで重くはなりすぎずに、それでいて”ミステリー”の醍醐味を存分に楽しませてくれるものでした。一編目の〈ファミレスの老人〉は、犬が殺されていく陰惨な事件の真犯人を突き止めていく物語ですが、その結末はなんともホッコリしたものです。また、二編目〈ありがたくない神様〉は、久里子が勤めるファミレスで続く食中毒事件を解決していくものですが、こちらもその結末は納得感のある真実をそこに見るものです。そして、そんな物語で謎の解決に中心的な役割を果たすのが、ある意味でこの作品の最大の謎とも言える国枝老人の存在です。『週に三回くらいやってきて』、『コーヒー一杯』で何時間も粘るというその老人は、場面によってまるで別人のような姿を久里子の前で見せていきます。そして、『久里子の知っている国枝は、国枝ではなかった。では、彼はいったいだれなのだろう』というこの物語の最大の謎とも言える国枝に焦点が当たる三編目〈その人の背負ったもの〉で、物語は、緊迫感に満ち溢れた”ミステリー”の醍醐味とも言える世界に足を踏み入れていきます。何が真実で、何が真実でないのか?その緊迫感に満ち溢れた展開にすっかり時間を忘れて一気に最後まで読ませてしまうその物語は、人のあたたかさを感じさせる素晴らしい結末をもって幕を下ろします。そう、この作品はとても良くできた”ミステリー”、続編もあるようなので、この作品世界にまた是非足を踏み入れてみたい、そう感じさせてくれた作品でした。

    『ロンドで事件が起きたのは、それから数日後だった』、『警察としては、なんらかの事件に巻き込まれた可能性が高いと考えています』、そして『ヒントを与えたのはわたしかもしれないが、事件を解決したのはあなただよ』と、『事件』という言葉が頻繁に登場するこの作品。私たちは『事件』と聞くと、そこに血生臭い陰惨な場面を思い浮かべてしまいがちです。そして、それらの真実に他人事ながら気が滅入る、そんな思いをすることも多いと思います。残念ながら、この世の現実はそんな悲しい『事件』に満ち溢れています。しかし、趣味の読書で読者が悲しい思いをする必要なんてありません。趣味の読書にそんな思いを背負う必要などないのですから。

    そう、日常の中に展開する数々の”ミステリー”。その結末に、人の優しさとあたたかさを感じる物語。「賢者はベンチで思索する」というこの作品。近藤さんならではの読みやすく、それでいて練り上げられた”ミステリー”の世界を存分に堪能できる素晴らしい作品でした。

  • 専門学校を出て就職しそこなってファミレスのバイトをする久里子が、謎の国枝老人と交流する中で、幾つかの身の回りの事件を解決するというもの。21歳の九里子が自分のことや家族のことであれこれ思うことが、なんというか読まされるというか、若い時はこうなんだよなあという感じで面白い。続けて飼うことになった犬のアンとトモの様子が可愛くて、犬を飼いたくなってしまうね。さて、国枝老人はなかなか魅力的な人物で、久里子はなにかと頼るようになるのだが、大変な事件が起こってしまい、意外な結末になる。読んでのお楽しみ。

  • 不思議な老人とフリーターの主人公の物語。

    様々なことで思い悩む主人公の周囲で事件が起きる。そのことを老人と一緒に考えながら追いかけてゆく。その中で老人との会話によって主人公自身の気持ちが前を向いていく様子にとても心温まった。

    近藤史恵の作品に初めて触れたがこれからも読み続けたいなと感じた。

  • ほっこりした作品です  が、
    結末のどんでん返しが
    面白かったです。

  • 近藤史恵さんは大好きな作家さんのひとり。
    いつも読み始めからす~っと引き込まれていく。

    この本は「ふたつめの月」の続編なのですが、私は先にこちらを読んでしまいました。
    が、十分、楽しめました。

    ファミレスでバイトしながら悶々とした日々を過ごす久里子は、バイト先のファミレスで國枝老人と知り合う。

    國枝老人の言葉が心に刺さる…

    ファミレスを舞台に起こるライトミステリーですが、考えさせれることも多く…

    「ふたつめの月」をもう一度読みたくなりました。

    • あいさん
      こんばんは(^-^)/

      こちらにもコメントすみません。
      近藤史恵さん、気になりつつ読んでないままなのです。(アンソロジーでは何作か...
      こんばんは(^-^)/

      こちらにもコメントすみません。
      近藤史恵さん、気になりつつ読んでないままなのです。(アンソロジーでは何作か読んでいます)

      こんな私に何か紹介してもらえませんか?
      一応よく見かけるので「タルト・タタン〜」を考えていましたが、最初の本なので好きな人に選んでもらいたいと思いました。

      「サクリファイス」はアンソロジーで1話だけ読んだのですが、ちょっと合わなかったような気がします。

      この作品も魅力的ですね。

      あれこれすみませんがお時間のあるときによろしくお願いします。

      2015/11/08
    • あいさん
      こんばんは(^-^)/

      早速の紹介ありがとうございます〜♪
      「タルト・タタンの夢」購入します!
      azu-azumyさんと同じ「タ...
      こんばんは(^-^)/

      早速の紹介ありがとうございます〜♪
      「タルト・タタンの夢」購入します!
      azu-azumyさんと同じ「タルト・タタンの夢」から出会えることとても嬉しいし、楽しみです(*^^*)♪
      そして、すぐ「ヴァン・ショーをあなたに」を購入する自分が思い浮かびます。
      ありがとうございました♪

      「神の子」にコメントありがとうございます!
      薬丸さんの世界が好きになったのならバッチリですよ(^-^)/
      「神の子」も気に入ると思いますよ。
      町田くんを気に入ってくれると嬉しいです♪
      「刑事のまなざし」ドラマで見ましたが静かだけど響くものがあってよかったです。
      私もまた薬丸作品読んでみたいです。
      azu-azumyさんの読んだ他の作品もチェックさせてくださいね〜

      それでは、またお話に付き合ってください。
      2015/11/14
  • 久里子と国枝老人のお話
    小説の中で起こる事件は、警察が関わるほどの事件だけど、暗い気持ちになる感じではなく解決していく間に最後の章であっ!と驚くような展開になっています

    不思議な国枝老人に久里子が振り回されつつ、ただの顔見知りのおじいさんから、会いたい人になっていくまでの気持ちの変化も読んでいて面白かったです

  • この人が怪しい。どうか犯人であって欲しくないけれど、限りなく怪しい……。それを華麗に裏切ってくれる、日常のミステリ。人は死なない。(犬は死ぬけど)くりちゃんがいい子すぎて、彼女の幸せを願わずにはいられない。

  • 近藤史恵さんの小説は取り上げるテーマは様々ですが、隠し味的にミステリーの要素があり引き込まれます。
    今回は専門学校を出たけれど思うような就職が出来ず、ファミレスでアルバイトをする主人公(女子)が、客として出会う謎の老人との交流を通して、ちょっとした事件を解決していきます。そして、やがて謎だった老人の正体が明らかになります。可愛いワンちゃんたちも登場するところも魅力です。

  • ファミレスで働く主人公がまきこまれた事件をひょんなことから解決してくれたのは、勤務先のファミレスでいつも同じ窓際の席で何時間も粘る老人だった。
    誰かが亡くなったりするわけではなく、日常にはびこる悪意や悲しみを解決するお話。
    また主人公のどこにもいけない気持ちがだんだん変わっていくのがとてもあたたかく、胸にくる。
    最後にはあっと驚くどんでん返しも待っている。
    連作短編でさらりと読める。

  • 犬好きにはきっとたまらない小説だろうなあ。犬を飼ったことの無い私でも犬と遊びたくなるくらいだから。

    あまりに等身大で普通の人たちの物語だ。
    ファミレスで働くフリーターの久里子と店の常連客の老人とのコンビが楽しい。彼らの日常が、誰にでも起こりうると錯覚させられるほどありふれたものなのだ。近藤史恵の文章の読みやすさと相まって、一息に読んでしまった。

    定職に就けずに悶々とファミレスでバイトし、家に帰れば引きこもりの浪人生の弟とは美味く折り合えず。
    決して明るいとは言えない普通の日々なのだが、そこにぼんやりと差し込む日だまりがあるのだ。読んでいて心がほんわかするのは、ファミレスの老人客や新しくやってきた飼い犬とのふれあいが優しく描かれているからなのだろう。
    そんな彼らの周囲に起こる小さな事件(登場人物達にとっては小さくないはずだが)を解決すべく奮闘する彼らをいつのまにか応援している自分がいた。

    人に優しくありたいと思わずにはいられない小説だ。

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著者プロフィール

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。1993年『凍える島』で「鮎川哲也賞」を受賞し、デビュー。2008年『サクリファイス』で、「大藪春彦賞」を受賞。「ビストロ・パ・マル」シリーズをはじめ、『おはようおかえり』『たまごの旅人』『夜の向こうの蛹たち』『ときどき旅に出るカフェ』『スーツケースの半分は』『岩窟姫』『三つの名を持つ犬』『ホテル・カイザリン』等、多数発表する。

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