- Amazon.co.jp ・本 (437ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167717353
感想・レビュー・書評
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鎌倉在住の作家、大佛次郎の戦時中の日記。1944年9月から敗戦後の45年10月までが記録されている。日記冒頭に「物価、と云っても主として闇値の変化を出来るだけ詳しく書き留めておくこと」とあるだけに、衣食などの日常生活や噂に関する情報が充実している。鎌倉という地の利があるだけに、東京・横浜についての記述が多いのも特徴。
1945年になっても結構東京まで出かけたり、7月にも新潟に講演旅行をして、すき焼きやビフテキを食べたりしているのには驚いた。横浜大空襲(5月29日)の翌日にも、わざわざ横浜まで「検分」に赴いた様子が記されている。こうした比較的余裕のある生活は、「鎌倉文士」ならではなのかもしれない。もちろん、だからこそ、貴重な情報が後世に残されたわけである。
政府中枢や記者にも人脈があったため、政局に関する情報が色々と記されているのも面白い。たとえば、1945年8月14日。「夕刻、岡山東(三社聯盟)来たる。いよいよ降伏といまったので記事書いてくれという。書けぬと答えたが遂に承知」。玉音放送前から新聞記者は敗戦を知っていて、記事の執筆依頼までしていたのである。
ちなみに大佛は、玉音放送後の15日午後にこの記事を書いた。「昂奮はしていらぬつもりだが意想まとまらず筆を擱くやへとへと」とのことで、巻末付録にはこれも収録されている。たしかに、いつもの大佛の文章に比べると、ぎこちない感じがする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昭和19年9月から翌20年10月まで、闇値の変化をできるだけ詳しく書き留めるとして作家の書いた戦中・後の日記。比較的恵まれた環境にあってこの不自由さなら、一般の人々や焼け出されてしまった人々はどんなに苦しかったことか。また、原爆の情報伝達の遅さ、あやふやさ。戦争中のリアルが回想記と違って美化されることなく生々しい。貴重な記録に、感謝。
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終戦前年の9月から終戦後の45年9月まで。鎌倉に住む文人たちの生活がリアルに表現されている。大佛の冷静な情勢分析。日本が科学を軽んじて結果という表現まで既に前年11月に出てくる。その頃から既にドイツの敗色濃厚であることも明らかだし、日本各地での空襲のこと、広島・長崎への新型爆弾の投下による被害のこと、3月10日の東京大空襲による悲惨な状況、沖縄での戦闘など、その中でも特高が目を光らしている様子…。このようなことまで見えていた人はいたんだ!こんな中でも大佛たちが集まってビールを飲む姿、5月の異常な雰囲気の中での結婚式、44年秋の紅葉など興味深かった。そんな危機迫る中でこの人はトルストイの戦争と平和、アンナ・カレーニナなどを読んでいる。モスクワの火の海になる様子は東京を思い起こしていたに違いない。
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戦時下の情報統制と、その統制を強いた者たちの情報開示の杜撰さは、国民に真実を知らせる必要などない、との勝手な思い込みによるものであり、それは一面では国民に真実を知らしめることの結果とその影響に対する恐怖心がもたらしたものであったろう。
広島や長崎に投下された原爆の損害が「若干」だの、原爆に対しては「壕へ入っていれば大丈夫」だの、「新型爆弾は我が方にもある」だの、挙げればきりがない虚報のオンパレードで、終戦後には「将校がさかんに物を持ち出して自宅へ運び込む」ことが話題になるなど、戦争遂行を請け負っていたはずの軍人の腐敗ぶりが記されている。
つまりは、その程度の人間たちが国を戦争へと駆り立てたのである。
昨今、情報統制や隠蔽が話題になっている。太平洋戦争下の繰り返しにならぬよう、わたしたち国民一人一人はしっかりとアンテナを高くしておく必要があろう。 -
山田風太郎、山本周五郎、大佛次郎 の三氏とも 戦争中も 次から次と 読書を続けている。そして、なぜか 虫歯によくなる
文豪の日記というより、普通の人の日記。政治批判なし、社会批判なし、自己批判なし、熱いメッセージなし、喜怒哀楽も少ない、盛り上がりもない
名前の おさらぎ は 覚えにくい -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
文庫&新書百冊(立花隆選)102
あの戦争 -
戦争が終わりつつあるとき、知識人っていわれる人はどんな感覚で日々を過ごしてたんだろう。
わかったのは、混沌とした情報の中で、ただ生きてたってこと。私は8月15日をクライマックスに読んでしまうけど、著者にとっては、今までと連続した一日なんだって、何か不思議な感覚。歴史は今でどんどんできてく。 -
大仏次郎は久生十蘭の仲人である。