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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784167742010
感想・レビュー・書評
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仕掛けと中身、二重の楽しみが相互に影響して不思議な広がりがある。
これは松浦理英子さんの本を2冊読んで感じた作風の様なものではないかな。
とても面白かった。
『最愛の子ども』の原型になる話が作中語られたりもする。
感想がまとまりにくいけど印象には残る。
そういう感じかな。
声を出して笑ったところもあった。
寡作な作家なので慌てずに他の作品も読んでいきたい。
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言い回しがいい
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P+D BOOKS 裏ヴァージョン
by 松浦理英子
また困ったことに、そういう年頃になったわたしがたまに男の子とデートなんかするといい顔しないのね、さっき言ったように母の生まれた町には黒人がほとんどいないからデートの相手は白人ってことになるんだけど、あの馬鹿っ母は言うのよ、「同じ民族と結婚した方がいいわよ」って、いかにも自分の結婚の失敗を踏まえて忠告してるみたいにね、だけどわたしにはわかってたの、母は黒人の孫がほしいんだって、わたし以外にもう一つコレクションをふやしたいんだって、ほんとに馬鹿じゃないの、わたしを黒人とつき合わせたいんだったら、っていうかそんなに黒人が好きなんだったら、黒人の多い町に住んで普段から黒人と存分に交わったらいいじゃない、そうする勇気がないもんだから父と別れてから結局は中産階級の世界に戻ったのよ、つまり母はその程度の人間ってこと、自分の育てた娘が、外見は黒人でも中味は白人社会の慣習に染まって、黒人の間にいても白人の間にいても居心地悪く感じる人間になったってことを、いったいどう考えてたんだか。
「性行為は自分がやるのは気持ちがいいが、人がやっていると気持ちが悪い」というのは、トリスティーンが考えついた警句である。意味は文字通り、誰も他人の性のファンタジーを満たすために性行為をするわけではないのだから、他人のしている性行為が気持ち悪く感じられるのは自分と他人の好みが同じではない以上ごくありふれたことだし、また自分と自分の相手のしている性行為が他人にとっては気持ちの悪いことであっても全く差し支えはない、ありていにいえば「他人の性行為は基本的に気持ちの悪いもの」ということだ、とトリスティーンは頭の中で誰にともなく語りかけ、さらに空想上の議論を進める、当人たちにとっては美しく気高く愛と優しさに包まれた性行為でも他人がそこに滑稽さや奇怪さを見出すのは簡単なことで、けちのつけようのない性行為なんておそらくこの世のどこにもなく、みんなそれぞれ気持ちの悪いことをやっているのだから、お互いに「あんたのセックスは気持ち悪い」などと言い合うべきではない、「ですからたとえわたしのやっている性行為があなたにとっては悪夢だとしても気にしないでいていただければ幸いです」。
不首尾なアメリカン・セックスから翻ってグラディスとのことに思いを遣れば、最初から面白かった、ラウラともそうだったけれど、グラディスがトリスティーンの初めての性の相手で、当時二歳年上の大学生だったグラディスに声をかけられて話すようになって、二箇月くらいするとこの人はきっとレズビアンでサディストの気もあると察しがついたからいつ誘いをかけられるかトリスティーンは何も知らないふりをして心楽しく待ち受けていた、けれどもグラディスはなかなか事に及ばないのである時グラディスの家で単刀直入に尋ねてみた、「あなたレズビアン?」、若干の間をおいてグラディスが逆に訊き返す、「あなたは?」、トリスティーンは「セックスなんか興味ない」とせせら笑って大 噓 をつく、「やったことあるの?」とグラディスが尋ねる、「やらなくてもわかる」とまたまたトリスティーンは大口を叩く、グラディスは顔をしかめて「あんたってほんとうに生意気なガキね、犯してやりたいくらい」と吐き捨てた、すかさずトリスティーンは思いきり馬鹿にした口調で「へえ、面白いねえ、どうやって犯すの? やって見せて」と挑発し、グラディスはそうした。
ただし、過去の男性との結婚生活で生まれた子供を新たに結ばれた女性の伴侶とともに育てる、いわゆるレズビアン・マザーを主人公にする、というような現実を直接的に映した風俗レポート的な小説は、あまり魅力を覚えないので昔も書かなかったしこれからも書かない。私はもっとひねりたいし歪めて腐蝕させて濃縮・増幅したい。たとえば、血の 繫 がりのない女子高校生たちが疑似家族を形成する設定で〈家族〉という概念を描く。乳児の時に産院で取り違えられてよその親の家で育った子供の例を思い出してみても、血縁などというものは幻想でしかなく親も子もきょうだいも取り替え可能なのだから、疑似家族を通してであっても今日の家族のかかえる諸問題を扱うことができる、というのが私の考えである。また、疑似家族を使った方が、現実の、同じ家屋内に縛りつけられている家族の間で起こったのだとすればあまりにも息苦しくおぞましい出来事を描いても、陰惨な印象がやわらげられて読みやすくなるのではないか、とも思う。
難詰 10 〈応戦5〉で「勝手に想像してろ」って答えてるけど。ほんとに勝手に想像していいの? じゃあするよ。〈あなたは四十歳で独身、一人暮らし。寂しいので誰かと一緒にいたいけれど恋人もいないので、しかたなく「こんなのでもいないよりまし」という程度のわたしを居候させることにした。だけど、本音ではやっぱり単なる友人との暮らしは物足りない。「こいつにもうちょっと性的魅力があれば」と思いながらわたしを見ているうちに、理不尽にも「わたしの生活が面白くないのはこいつに性的魅力がないせいだ」と感じられて来て、だんだん憎しみさえ覚えるようになった。そしてわたしに冷たくふるまい始め、今や文言での遣り取りにも嫌悪が滲み出るのだった〉。どう? 気に入った?
世間にはよくあることだけど、まさかあなたまで、男にペニスを突っ込まれて『ああ、気持ちいいからもうわたし、これでいいわ』って翻るタイプの女だったなんてね。わたしはずっと、人間に生物学的性差があることが不愉快で、もっと言うなら個体と個体の間に差異があることからして不愉快で、社会の制度や慣習を改善しようがどうしようが永遠に変わりようのないことに関して頭に来てて、それを不適応だとか未成熟だとか決めつける連中は殺してやりたいと思ってる。まあ、ほんとに人を殺すくらいなら自分が首を吊るけど。とにかく、日々の生活にそれなりの楽しみがあるとしても、この根本にある不愉快さは絶対忘れない。たとえあと百年生きたってね」。
「わたしを変節者扱いするのはあなたの自由。あなたの感性や世界観をとやかく言うつもりもない。でもさ、そんなに人生がつらいって言い募るんだったら砂漠にでも行けば?」、「やめてよ、いにしえのランボーのことばなんか持ち出すのは。だいたいさ、ランボーは確かに砂漠で厳しい生活を送りはしたんだろうけど、つらいことばっかりじゃなくって、どうせ現地の女だか男だかを買って楽しんだりもしてたんでしょ? そういう楽しみのあったやつに、そんな偉そうなこと言われたくないね」、「だからさ、あんたの不満の半分くらいは性的欲求不満なんじゃないの? セックスの相手がいれば、そこまで腐ってないんじゃないの? あんた、グラディスみたいな相手がほしいんでしょ? 自分でつくった作中人物に惚れてて、妄想の中でセックスしてるんでしょう? ああ、気持ち悪い」、「かりにそうであったとして何が悪いの? 大して好きでもない現実の人間と感動のないセックスをするくらいなら、百パーセント納得の行くマスターベーションをしてる方がよっぽど健全じゃない?」、「あんたはほんとに変わってるわよ」。
いつから鈴子はわたしを「変わってる」のひとことでかたづけ切り棄てることが平気になったのか。「あなたもつまらない応え方をするようになったねえ。あんたなんか変わり者にもなりそこねた半端者じゃない? 自分はまっとうな性生活を営んでるって言うんなら適当に結婚でもしてそうなもんだけど、してやしないじゃないの。そりゃ事情はいろいろあるんだろうけどさ。あなたとわたしはそんなにかけ離れた生き方をしてる? あなたがわたしほどセックスのことを考えずにすんでるんだとしたら、それはあなたが性的にノーマルだからじゃなくって、小金を持ってて他の娯楽で気を紛らわせることができるからとしか考えられないけどね、わたしには。大金持ちではないにせよ、生活の不安がないから自分は人並みだと思っていられるのよ」、「それはとっても興味深い説だけど、違うわね、あなたに性的欲求不満があるのは経済的な事情とは関係ない。あなたは他人が嫌いだもの。他人が嫌いだし、信用してないから怖いんでしょ? それで性的な対象にできる相手がすごく少なくってさ。その分、『この人なら』って思い詰めた相手に対しては『何をされてもいい』っていうふうに過剰に自分をゆだねることになって、SM的なセックスのかたちになるんでしょう? 気の毒よね」。 -
初読:2008/05/14(文春文庫)
再読:2017/11/09(小学館、P+D BOOKS)
(P+D版の感想を転載)
再読。文春文庫は図書館で借りたのだったか、買ったのだったか…記憶が曖昧。
P+D BOOKSの刊行予定に見かけたときに、「なんで!?」と声が漏れた。いや、だって昭和文学のレーベルだったんじゃ…。ラインナップの幅を広げたということなんだろうか。の割にその後こういう作品は出ていない。せっかくならこの路線も拡大してほしい。
さて、内容もほぼ忘れていたんだけど、松浦さんの著作にしては難解だったことは覚えていて、読み返してもその印象は変わらなかった。いや、しかしラストまで読むと、何がしたかったかはそれなりに分かるんだけれど、やっぱりこの手法や表現が難しい、とも思う。というかなんというか、回りくどいというか…。
『最愛の子ども』(未読)の元ネタみたいな話がぽろっと出てきたりして、なかなか興味深い。 -
お互いを性の対象としている同士が何か行き違っても恋愛めいたうわ言やもしくは性行為によって一時的にでも事なきを得られることがあるのと違って(絶対では当然ないけど)、そうでない友達同士がすれ違う時は大変難しい。とはいえ友達同士でも密に関係し合う蜜月期もあれば相手にそれほど関心がなくなったりする時期もあり、それは何となく恋愛めいた関係であるけれど、でもそこに性は介在しない…いっそのこと介在させれば楽なのか、でも介在させればさせたで新たな問題はきっと出てくるだろうと思うので、人間関係とは答えのないものだと改めて感じる。
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松浦理英子の久しぶりの文庫。最後に読んだのは親指P~かしら。登場人物は女性二人。劇中劇というか文中文というか、変わった構成でした。
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私小説なのか全くのフィクションなのか。
読んでて疲れました、、 -
なんとも疲れそうなゲームを……。よく続けられるなぁと思っていたら、まだまだ続けたいご様子でさらにびっくり。
もしかしたら一冊丸々、惚気話だったんじゃないかと思ってしまいました。離れた事もゲームの一環なのではないか、と疑っています。
葛藤や苛立ちも含めた上で、二人はきっと幸せなのでしょう。
愉しんでほしいです。 -
脈絡のないいくつもの短編小説。その文末に記された作品に対する辛辣なコメント。徐々にその小説の書き手と読み手の物語自体も浮き彫りになる。紙の上の物語と現実の二人の女性(書き手=昌子、読み手=鈴子)の物語が複雑に絡み合って、表沙汰にならない濃密な関係が火花を散らしてラストへと向かう。
まずは、小説全体の構成にひれ伏すしかないくらい、素晴らしい作品だと思う。
「不特定多数に向けた起承転結」という小説の一般概念が初っ端からひっくり返ってる…。
読み手ー書き手という構図の外側に、さらに現実にこの「裏ヴァージョン」という作品を読む私達読者と、これを書いた松浦理英子さんという作家さんの構図がある。
そして、性にすぐ逃げない関係性。
解説にもあったように、今でこそ、同性愛の物語も広く知られるようになってきた向きがあるけど、そこからさらに性の要素を抜いてしまう。
そんな関係性、考えたこともなかった。
こんなに緊張をはらんで熱いものだとは。
好きなら性的に関係してもいい、っていう前提が、世の中にはありふれてる気がするんだけど(逆もあると思うけど※性的魅力があるから好きってこと)、そこは別々に考える鈴子と昌子はすごいと思ってしまった。
大切に思っている、だからって、性的交わりをしていいかと言ったらそれは別。残念ながら、二人は互いに性的魅力を感じ合えなかった。その妥協しない姿勢が…。
それから、終盤はほとんど昌子と鈴子のやり取りになるのだが、二人の微妙な考えの違いとか、誤解、そういったものを、たった一人の作家さんが描いてるっていうこと、本当に高度なことだと思うし脱帽です。
客観性にあふれている。 -
松浦さんのものを久しぶりに読んだ。大学生の時、同じ授業をとっている人に「今これ読んでる」と見せられたことがそういえばあった。このたび手に取ったのは文庫だが、単行本のデザインのほうがなんとなく好きだったりする。
仕掛けの多そうな小説だ、というのが最初の印象。
グラディスやらトリスティーンやらが出てくるところあたりまで来た時に、次々と提示される物語になかなか頭を切り替えられず読むのをあきらめそうになったが、個人的にはここらあたりからが面白いところであると考える。
話が進むにつれ、いくつかの支流が生成されてくる。セクシュアル・マイノリティについて語られる流れであったり、昌子と磯子の若い時からの関わりについて想起させる流れであったり、小説家(松浦さん自身を部分的に指す?)としての生活に関して語られる流れであったりである。これら一つ一つの挿話が醸し出す雰囲気は、松浦さんの小説やエッセイを既に読んだ者からすると「ああこの雰囲気だったな」と感じられるものであるが、それらの一つ一つの流れが湧いてはお互いに絡まり合ったりするような構成の文章を読んでいての印象は、「小説」としての魅力に非常に富んでいる、というものである。「小説」にしかこういうことはできない、と思わされる瞬間が読みながら何回かあった。
その中で小説家としての生活について語られる部分が一番私の心の琴線に触れた。「裏ヴァージョン」で語られる昌子は、若い時に小説で新人賞をとっているが、担当とそりが合わなかったりで職業作家として書くことはあきらめた人として登場する。以下は多少妄想的な勝手な読みになるが、これは「世間に認められなかった松浦理英子」という像が、松浦さんのどこかにあって、その像と向き合うような作業を松浦さんがしているののではないだろうかと思ったのである。「性」の問題について果敢に挑む作家として、松浦さんは周囲からの評価を得ている。が、小説家として一定の位置を得るまでは、自分のものが果たして認められるか、という不安も多少はあったのではないだろうか。そして、その時に考えていた「性」にまつわる事柄の思いの輪郭のようなものを40歳という節目を迎えるにあたり、整理しておきたかったのではないか、なんて思ったりする。昌子や磯子という媒体を借りて、松浦さんが自身の内面に迫っていっているように思える時があるのである。昌子も磯子も松浦さんの分身だと思える時があるのである。
そして、そのことはあくまで本流ではなく、支流としてさりげなく描かれる。韜晦という言葉がとても示唆的。小説家としての一つの達成点を見たような気がし、とても充実した時を味わえた気がする。 -
共感し過ぎて恐くなる。松浦さんの作品は私を脅かす。
現実と空想
わたしとかのじょ
境界線が無くなる。
顔だけ出して、水の中に身体を浸していると何処からが自分なのか分からなくなる。
そんな心持ち。
昌子は私です。
【韜晦】トウカイ
1)自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。
2) 身を隠すこと。姿をくらますこと。 -
面白い!!!!
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文章がきれい、おもしろい構成で読み始めの数行は頭に入ってこなかったけど、進めるにつれ、そのおもしろさに惹かれていった。女社会の中を覗き込む感覚を楽しめたけど、なんとなく理解しきれない雰囲気があって、そこはマイナスだった。なんだろ女性的小説なのかな・・・
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これは何?が疑惑(笑)に変わり、そういうことかと思い、それから…!
色んな意味で、しんどい話ではあります。読む年代によって、思うところは変わるかも。 -
奇妙な関係性にまつわる小説は大好きだ。
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〜2007.12.06
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読み進めるうちに、少しづつ二人の女性の姿が浮かび上がり最後にはまるで自分の友人のようにすら感じる。
多くは語らずにその輪郭が見えてくる、その背後の哀しみに胸を衝かれます。 -
あ、まだ表紙が間に合ってませんね。すてきな装丁になっています。2・3年くらい前に一度読んでます。小話があって、それについてのあからさまなコメントがついているというゲーム的な小説になっています。小話は同性愛とSMのお話です。松浦さんでは定番といえる題材だそうですが、一番はじめにこの本を読んだので、ちょっとひいてしまいました笑。同性愛やSMを誰にでもひと時は通るお約束としてかかれてあります。それも韜晦的に。書き手と読み手はいつかの私と誰かであったとぞっとしながら読み終えました。
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松浦理英子の作品
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