- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167748012
感想・レビュー・書評
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今まで読んだ江國作品の中で一番好き。結婚10年を過ぎて子供がいない夫婦の日常を描いている短編集。出来事ともいえない出来事、ほんの少しの揺らぎ。これってどういう言葉になるんだろう、って日頃感じているような些細な気持ちの動きが最小限の言葉でつづられている。
最初は幸せだなと思いながら読んでた。
でも悲しくなった。そのあと悲しいだけじゃない微妙な暖かい気持ちになった。
作家の耐用年数とはよく聞く言葉だけど江國さんって最近になって急に技巧派になった気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
だいすきな小説だった。夫婦であれど家族であれど、自分ではない他者であることには変わりなく、そういう一面から見るとひどく冷たいような感覚を抉るようにではなく、埋めるように書かれている気がしてだいすきになったのだった。他者である夫、他者である妻、もしくは家族でもいい恋人でも友人でもいい、そこにある壁を無視しないで見据えて受け容れ葛藤する小説が好きだ。
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夫婦の”ずれ”を描いた作品。
最初から最後まで、自分の内面を見透かされているようでどきりとした。同じ家に暮らしていても別の世界を生きているかのような言葉の噛み合わなさと、「ほんとうのこと」を注意深く避けて暮らす危うさ。それらが泣きたくなるくらい明朗に綴られていた。
なかでも、「逍ちゃんのいるときよりいないときの方が、私は逍ちゃんを好きみたいだ。」という日和子の言葉がいちばん胸に刺さった。夫以外の人たちに慣れてしまえばもう夫とは暮らしていけないことがわかっているから、日和子は逍三の元へ帰りたくなるのだろう。
たとえ意思疎通ができなくとも、日和子にとって逍三は、唯一の「気を許せる相手」なのだと思った。 -
江國香織さんの小説の中でも1番くらいに好きかもしれない。
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結婚して12年目、子なし。「二人なのに、ひとりぼっち」の夫婦の連作短編集。一緒にいないときのほうが、私はあなたのことが好きみたい……。
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裏に書いてあった「少し怖い」がどういった「怖い」なのか、気になって、珍しく買ってすぐ読み始めました。読んでいるうちになんだか顔を歪めて泣きたくなってしまう、そんな夫婦関係でした。奥さんと同じで、喚いたり怒鳴りつけたり、そういう種類の感情というよりずっと静かな状態で、でも第三者として見るとセーブしきれない何かがある、という感じです。あえていうなら、憎悪に近いのかもしれません。なんでだろう。
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想像以上によかったのは、私がちょうどそういう気持ちを感じてて、それを解き明かしてくれていたから。
恋人に縛られる感じ。
「急かされるような気持ちがした。でも何に、誰に急かされたというのだろう。」
彼が待ってるから、早く帰らなきゃ。
早く帰ってきてよって言われたわけじゃないけど、帰らなきゃ、私を待ってるんだから、って。
そういう風に縛られて、縛って、きつくて、辛くなって。
私ばっかり悩んで、彼はなんにも考えてなかったりして。
いないときの方が一緒にいるときよりも愛おしいと感じてしまうところとか。
それでもう別れた方がいいって何度も思うこととか。
そんなときにたまに愛情を感じて泣きそうになることとか。
そういうのが書かれている。みずみずしく。
そして物語を通じてのこの緊張感。すごいなーと思う。
最後がハッピーエンドだったから、こういう関係も悪くなかったのかもと思ってしまったけど、
よくよく自分のパターンを思い出せば、いかにそれが辛かったか分かるよ。
別れた彼と結婚していたら、私も同じような感じになっていたと思ってぞっとした。
女の人のことを対等な人間かもしくは対等以上に扱ってくれる人じゃないと、プライドの高い彼女は、一人の人間として一緒に楽しみたいと思ってる彼女は、辛くなっちゃうし病んじゃうよ。 -
この本に限らず、江國香織の書く夫婦の話はとても好きです。
すごくリアリティがあって。
…とはいっても、あたしは結婚していないので、夫婦生活というものはよくわからないのだけど。
でも、たぶん、「ああいう感じ」って、夫婦に限らず、親しい人との間すべてでそうなんじゃないかしら、、、と思ったり。
江國香織の描き出す夫婦関係は、すごく危ういところで、ギリギリのところで、なんとか成立してる感じがします。
幸福と不幸が混在していて、充足と不足が重複していて、一人でいることの楽しさと、一人でいることの淋しさが調和していて。
人と人は決して分かり合えないけど、それでも、人は満ち足りることができて、それでも、人は誰かといっしょに生きていこうとして。
そんなのは、ひどく矛盾しているし、ひどく不合理。アンビヴァレント。
でもたぶん、あたしたちの生きている世界は、そういう世界なんだろうな、と思います。
みんな、親しい人びととの関係の中では、その親しさゆえに、アンビヴァレントな感情を抱えながら、いつ壊れるかわからない、ギリギリのところで、どうにかこうにか関係を維持しているのじゃないのかな、と思ったりします。
そして、だから、江國香織の小説はあんなにリアルなんだろうな、と思います。
ただなぁ〜…そのリアルさゆえに、淋しいときに読むと、この小説、淋しさを倍増させます。
好きな本だけど、比較的上がり調子のときに読むべき本。
<補足>
ちなみに、江國香織の『いくつもの週末』は、エッセイだけれども、やっぱりギリギリ感が全開の本。
ただ、『赤い長靴』とは違って、こっちの本は、淋しいときに読むと、「一人でも大丈夫! やっていける!」っていう気持ちになります。
……。
この違いはなんだろう。。。 -
恋愛を越えた後にやってくる愛しさってこんな感じかしら。と思った。
それは悲しみと寂しさと可笑しみと安らぎを兼ね備えている。 -
江國香織の赤い長靴を読みました。
結婚して10年、子供がいない日和子と逍三の夫婦の物語でした。
家に帰ると服を脱ぎ散らかし、風呂から上がると身体を十分に拭かずにベッドに横になる逍三、その行動に不満を持ちながら抑圧してしまう日和子。
夕食後に日和子から話しかける言葉は逍三には届きません。
しかし、二人とも穏やかに不器用に相手に対する愛情をもっているのでした。
落ちそうで落ちない釣石神社の岩のように二人の生活は続いていくのでした。
江國香織らしい不思議な雰囲気の夫婦の物語でした。