- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167753146
感想・レビュー・書評
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現役のピアニストである著者が綴ったエッセイ集。音楽のエッセイはもちろん、フランス文学や食に関するエッセイも多数収録。
青柳いづみこさんは、音楽・文筆ともに名前を聞いており、一体どういう文章を書かれるのか、一度本を読んでみたいと思っていた。
なにしろ、現役のピアニストさんである。そんな人が文章も上手いというのだから、それだけで興味津々ではないですか。
私は、文章の上手い専門家の方がその専門分野のことを楽しく描いてくれる、ということを本当にありがたいことだと思っていて、そういう方にはどんどん本を出してもらいたいと思っている。
だって、その道のことをどれだけ詳しく調べ、そのことについて素晴らしい作品を書いても、それは本当にその道を歩んでいる人の経験とは全く別物だからだ。当然である。もちろん、詳細な調査に基づき、あるいは調査を基に、豊かな想像力で面白く書かれた本も、たくさん、たくさんあるに違いない。しかし、それとは全く別物として、「その道の人」本人の生の声が聞きたいっ、とも思ってしまうのである。
というわけで本書。まさに、現役のピアニストならではのエピソードが多く、非常に楽しませてもらった。
鋭い観察眼と、旺盛な好奇心、そして大胆でストイックな筆遣い。青柳さんの鋭い視線が伝わってくるようなエッセイ集であった。
しかし一方で、門外漢にはフィジカルで読めないエッセイもちらほら。私はクラシックには全くの素人なので、専門的な話をされると途端に面白くなくなってしまう。作曲家の作風や、演奏家のキャラクターなど、それぞれ独自が持ち合わせている性格のようなものを語ってくれるのは、フィジカルでも楽しめて大変面白かったのだけれど、こまごまとした作品や具体例に関しては、「?」状態。作者が薀蓄を言いたいだけなのかしらん? と思ってしまった場面もしばしば・・・。
クラシックを知らない人にとっては、やや読みづらいエッセイだが、青柳さんの観察眼と「書くこと」に対する執着(?)は本物だと思った。
願わくは、クラシック素人も「クラシックを聴いてみようかな」と思うようなエッセイを書いてください。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
評伝の書き手でピアニストの、青柳いづみこさんのエッセイ集です。私には初青柳本。
優れた芸術家には名文家も多いので、そういった趣を期待してページを繰りました。感触は…題名と装丁がすべり気味で気の毒(苦笑)。文章がガチガチに真面目で、遊びの部分が少ないように感じました。大学院の学位論文を読んでいる感じ(試しに読ませてもらったことがある)に近いです。
専攻のドビュッシーと、ご本人のお好きな19世紀フランスのデカダン文学を読み手に理解してもらうために書き連ねる姿勢は理解します。私もあの時代のキケンなきらめきは好きですし、ドビュッシーの時代背景にも「ほー」と思いました。ですが、よくも悪くも音楽家の文章の感が…。選ばれる素材はものすごく魅力的なのですが、筆力で広げるという感じに欠けていると思いながら読みました。掲載された媒体が音楽系だから多少はしょうがないのですが…教養あふるる筆致とはいえ、自分の守備範囲外にいる人にも文章で届けたい、という思いが少ないような…門外漢まで「もっとこの世界にひたりたい!」と思わせる何かがすごく欠けているように思いました。演奏家としての自分、物書きとしての自分を理解してもらえないフラストレーションのようなものを感じる部分は多々あったのですが。
まぁ、これは私がクラシック音楽(特にピアノ曲)の素養に乏しいことも大きな原因で、珍しく厳しい☆になってしまったというだけのことで…ごめんなさい。でも、旧フランス国立図書館の描写はよかったです。「壁から丸天井まで5階ぶんぐらいが全部本棚」とは実に素敵かと。それと、1分間に300字もタイプできるというのはさすがピアニストだ(フォローになってないか:笑)。 -
20年ほど前に、様々な媒体に発表された文章をまとめたエッセイ集。
もちろん、文庫となった2008年からも、すでに十数年経っている。
ただ、今読んでも面白く読める一冊だ。
青柳さんのことは、ドビュッシーの楽譜を分析した本のことを新聞で読んで知った。
演奏家としてだけでなく、音楽学の方でも業績を残す、とんでもない才能だと思ったことを覚えている。
その才能は、きっとお祖父さん譲り。
仏文学者青柳瑞穂が、その人だという。
そして、そのアイディンティティが、この人にとって相当大きいものであることが、本書からわかる。
そういった「二足の草鞋」を履くことの意義と難しさも、本書にはしっかり書かれている。
音楽であれ、本であれ、批評とは本当に難しい。
(演奏家がそんなに批評を気にしているとは知らなかったが。)
ピアノを弾くとき、指を曲げるか伸ばすか論争。
それを提起したのは青柳さんだったのか。
たしかに、5年ほど前、30年ぶりにピアノのレッスンを再開したとき、昔と違い指をそれほど丸めなくていいと指導され、びっくりしたことを、自分の経験として知っている。
どちらかが絶対的に正しいわけでないが、どちらで育ってきたかによって、レパートリーに若干差がつくという話は面白かった。
あとがきが小池昌代さんだということもあって、本書を買った。
なんか、二倍得をした気分。 -
ピアノのことはあまり詳しくない。
昔習っていたけどハノンで止まってしまうほどの怠惰ぶりだったし、最近までクラシックもあまり聴かなかった。
しかしここ何ヶ月かの間に急にピアノやクラシック音楽に興味が湧き、なんとなく手に取った本の中にこの本があった。
正直、ピアノに詳しくない人には難しい内容が多い。
しかし彼女の文章から伝わる音楽へのバランスの取れた情熱がとても心地よかった。 -
マルセイユのあばずれ娘、若い日からの大酒のみ!個性的なピアニストだということを文章の端々に感じる。ドビュッシーの演奏及び文筆両面の専門家のようだが、ドビュッシーのイメージからは、この方の素顔が遠いことが面白いところ。演奏前の緊張を描いている文章、また批評家の文章の難しさ、また演奏者への影響の大きさなどの文が実に興味深く読めた。またドビュッシーとワーグナー、あるいはラヴェルやマーラーとの比較なども面白い。お淑やかな印象を与える女性ピアニストの実像は中村紘子もそうだったが、実は大きなギャップがありそうだ。しかし、舞台上で多くの人を前にする人なら、むしろ当然なのかも知れない。
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ピアニストと文筆業。表現と評論、だいぶベクトルの違うようにも思えるこの二つを、分かちがたいものとして生業にしている人。
演奏を聴きに行ったことは残念ながらないけれど、少なくともどっちつかずなんていうレベルじゃないことは文章からも察せられる。
ピアノとペン、それぞれに没頭するときの心境が赤裸々につづられていて面白かった。とくに最後の章「演奏することと書くこと」。
ドビュッシーやリストなどたびたび登場する著名人の曲について多少なりとも知っていれば、もっと深く楽しめると思う。 -
前半のエッセイは、音楽のことが分からないと、結構ちんぷんかんぷん。イメージもできないし、正直読むのがつらかった。でも、後半は、作者の人となりが出ていて、おもしろかった。
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ピアニスト青柳いづみこ のエッセイ集。
演奏会のパンフ用や、CDの解説、音楽雑誌への寄稿などが多数で、「ボクたちクラシックつながり―ピアニストが読む音楽マンガ」などからすると、結構かたい。が、決して嫌な硬さではなく、むしろ硬さゆえの透明さを感じる。
それはピアノという楽器そのもののようだ。
指で鍵盤を叩き、ハンマーが弦を叩いて音をだすピアノは、硬さという呪縛からは逃げられない。だから、透明度という部分を求めていく。
青柳いづみこ、はその本質を文という媒体の中で的確についてくる。
それは、彼女のピアノに対する愛しさなのだ。
同時に、音楽をするということは、愛することなのだと、伝えてくる。
彼女の兄のことを書いた「感覚指数」に、心打たれるのは、その内容は勿論のことながら、透明できらめいている極上の音楽のような世界を築いているからだ。
ドビュッシーとラベルの水の音楽のことを比較してるくだりは興味深い。
また、お酒が好きなどの人間的な部分が描かれているのも微笑ましい。そして何よりも読後に無性にピアノが聞きたくなるところが、素晴らしくいいと思う。 -
フランスクラシックの魅力