- Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167761011
感想・レビュー・書評
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なんか良かった。あの2人のぎこちなくも、なぜかお互いを必要としている感じが好きなのかも。2人は、それぞれ2人で、また続きを読みたくなる。
語録がいろいろ凄すぎる。感動。
表紙も素敵。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第135回直木賞受賞作。東京のはずれに位置する架空の都市まほろ市を舞台に、便利屋を営む多田啓介と高校時代の同級生にして居候にして疫病神の行天春彦が様々なキナ臭い依頼を解決していく、どこか切ない連作集です。大きな賞をとったということもあって賛否両論あるみたいですが、個人的にはかなりハマった作品です。というのも自分自身ボクサーの傍ら引越し屋で働いているので、便利屋稼業の辛さや切なさをリアルに肌で感じることができたし、物語の根底に流れる『深い暗闇に潜った魂が再び救われるのか』を描いたテーマそのものも自分の胸には痛いくらいに響いてきました。そんな深く重いテーマをうっとおしく感じさせずに、サクサクと読み進められるのは何より三浦しをんの実力であると思うし(惹き付けられる台詞が多々あった)、似たような空虚を抱えながらも全く性格の違う多田と行天を筆頭に、曽根田のばあちゃん、被害妄想気味の岡老人、孤独な小学生の由良公、心優しき娼婦のルル&ハイシー、耳にピアスを沢山付けたヤクザの星などの、なんとも魅力的なキャラ設定の賜物と言えるんじゃないかな。人生は何度だってやり直せる。すべてが元通りにはいかなくても修復することはできる。幸福はいつだってそっと、生きていれば何度だって訪れる。そう気付いた彼らの旅はまだ始まったばかり。最後まで見守っていきたいと思えたいい作品です。
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ドラマ大好きだった!
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映画化された作品でこの作品を知った。瑛太と松田龍平という若い主演陣に興味があり、何となく眺めるでもなく見ていたTVでこの映画が始まったところ、妻がこの原作を読んでいるらしく、身を乗り出してきたので一緒に見るに至った。予想以上に手応えを感じる作品で、なおかつ松田龍平の登場人物が魅力的だった。
しょぼく、庶民的な、まさにどこにでもありそうな街と、少し昭和の面影すら感じさせる時代でありながら、どことなく古臭いハードボイルド映画みたいな、リズムを感じさせる映画作品であるところにも好感を得た。まるで1970年ベトナム戦争後期くらいにでも作られそうな作品だ。
時を同じくして映画館では『舟を編む』という映画の予告編を何本も見ることになった。同じ作者三浦しをんの、やはり松田龍平を主演においた作品で、こちらは辞書を編纂する人の物語らしい。そちらは映画も原作小説も読んでいないのだが、何となくいい感じ。おまけに『まほろ…』は直木賞、『舟を…』は本屋大賞を受賞している。
三浦しをん。ふざけた名前だ。なにせ名前に「を」の文字が使われる作家なんて聞いたこともない。おまけに「シオン」だって? 大物作家だな、と思った。ともかくこれは原作を読まねばなるまい。そう思って今さらながら、25も版を重ね、多くの読者を勝ち得てそろそろそのブームも終わりかけているのだろう時代に、ぼくはこの本を手に取るに至る。
映画の印象が強すぎたのか、瑛太という俳優については少し小説からの印象は薄いのだが、行天という男は松田龍平以外の誰をも思い描くことができないほど、原作と俳優がぴったりフィットして感じられる原作であった。当然原作を書いていた時の作者は映画化を思い描いて執筆しているわけではないだろうし、行天という男の造形だって松田龍平という実在の俳優の有形な具体像を描いていたものではないと思う。それなのに、不思議とこの小説の中で書かれている行天は、松田龍平以外の誰をも想起させないのだ。珍しい現象、かもしれない。
そんなわけでこの小説は、行天という男の造形がすべて、であると言っていい。あるひ便利屋を営む多田という主人公のもとに、大して親しかったわけでもない行天という高校時代のクラスメイトが転がり込んでくる。仰天は高校時代を通して誰とも交友関係がないばかりか、会話を交わしたことさえない変わり者であったし、その後言葉を口にするようになり図々しいほどに多田に依存する、成長した行天であれ、まだまだ十分に変人極まりない存在だ。
しかしその奇人変人が、多田という男の日常に、いろいろな影響を与え始める。多田も、登場人物たちも、埋もれていた記憶や解決のつかないまま眼をつぶっていた宿題の数々を、現在のまほろ市(とんでもない地名を考え出すものだ)に引きずり出して、料理を始める。大人の庶民小説であり、手法はハードボイルドである。男と男のデスマッチや距離感、その中にたまに電光のように走る人間的優しさ、などから、ぼくは三浦しをんを男の作家だとばかり思い込んでいたのだが、最近になって女流作家と知った。男の世界を透視する女性の眼力の鋭さに、まさに恐れ入った一冊である。 -
最後の3行に、この物語のテーマが凝縮されている。
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幸福は再生する、と。
形を変え、さまざまな姿で、それを求めるひとたちのところへ何度でも、そっと訪れてくるのだ。
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失ったもの、切り離されてしまったもの、最初から得られていなかったもの。
それらすべてを、主人公の2人をはじめとする登場人物みんなが、物語の舞台である「まほろ市」で手に入れていくお話でした。
全体を包むあたたかな雰囲気と、事件のたびのドタバタ感が絶妙に混ざりあっていたなあと。このトーンはかなり好き。-
2013/06/14
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これほど人の心を優しく撫でくすぐる小説を私は知らない。多田と行天は正反対の性格のようで実は似ている。それは二人とも家族のいない独り身であり、過去に深い傷を負った経験に起因する。その傷が完全に元に戻ることはないが、傷は修復され、新たな物語が動き出す。人は誰しも、奥底に悲しみを抱きながら生きているものだ。だから、誰かに触れたくなる。触れて愛したいと切望する。全てはそこから、また始まってゆくんだろう。
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映画は観ていないがキャストを参考に思い浮かべながら読んだがイメージぴったりだった(笑)
とにかく二人のビミョーな距離感がよく、心がほんわかなる作品。 -
ライトな感じで読めるかなぁ、と読み始めたけれど、いやいや、なかなか心にずっしりくるものがあった。
かと言って物語はテンポよく、会話や文体も心地良い。
登場人物みんな個性的だけど、描写にわざとらしさがなくて自然、に感じられた。
目に浮かぶような情景描写が好き。
映像化されるのも納得だけど、映画は見たいような見たくないような…
行天の過去に何があったのか気になるところ。
あの無邪気で冷酷な暴力性、洞察力。明かされている過去だけでは納得できないものが…
続編も読んでみたくなった。 -
多田を取り巻くさまざまな人間模様が描かれており、人それぞれ幸せのかたちは違うことをこの本を通して気づけた。
この本に登場する人物たちは、幻の町「まほろ市」にいる若干おかしな人たちなだけなのに、私の住む街にもそんな人たちはいるのだと錯覚してしまう。
著者が書く他の作品にも触れてみたいと率直に感じた。
- 「だれかに必要とされるってことは、だれかの希望になるってことだ」P.105
- 「美しい肺を煙で汚したまえ、少年よ。それが生きるということだ」P.132
- 「愛情というのは与えるものではなく、愛したいと感じる気持ちを、相手からもらうこと」P.196
- 「不幸だけど満足ってことはあっても、後悔しながら幸福だということはないと思う」P.288