悪い兄たちが帰ってきた 東京ファイティングキッズ・リターン (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2010年1月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784167773373

みんなの感想まとめ

テーマは、思索の深まりと語り方の重要性。著者同士の往復書簡を通じて、内田樹と平川克美の個性的な視点が交差し、スピーディな展開が心地よい読書体験を生み出しています。特に前半では詩論やブリコラージュ論が魅...

感想・レビュー・書評

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  • ちょっと古い本だが、教育、贈与、アメリカ、等々、後年に著者が数々繰り出す各種論考の萌芽がみられて面白い。

    [more]<blockquote>P59 敬意という感情は、人間のあらゆる感情の中でも、大変説明の難しいものです。それは目の前の人間に対する愛情でもないし、ましてや自分より優れた人間に対する敗北宣言でもない。対幻想の中にもなく、共同幻想の中にも存在し得ない、不思議な感情です。

    P85「言論の自由」の一番根本にある知見というのは「何が正しいのか、誰の言い分が正しいのかわからない」ということだと思うんです。

    P120 自分の知らない誰かさんと、自分が作って残しておいたものを通じて、自分の知らないところでつながっているというような「見えないつながり」こそが、ネットワークというものの真髄じゃないかって思います。

    P121 管理職の仕事は何かを「する」こと以上に何かを「させない」ことに配慮することだ。「どうやってアクティビティを高めるか」というより「どうやってアクティビティを損なうファクタを無害化するか」

    P134 貴重な「時間」というものに対する最も敬虔な態度は、それを「浪費」してやるということなのではないかと思うのです。

    P147 支払われる賃金以上の価値を生み出す行為、それが「労働」の定義です。そして労働をするのは人間だけなんです。

    P167 ぼくたちは今ある制度や文物を「それが今存在する異常は、存在すべき必然性があったのである」というふうに、必ず「必然性」を上積みして評価してしまいます。でもこの「上積み」の値幅がどうも大きすぎるような気がするんですよ。

    P200 金融に取っては、時間という概念は最も無駄なもの、唾棄すべきものにならざるを得ない。でもぼくは、ビジネスってのは「最初の贈与」から始まって、時間の中を潜り抜けて、プラスαが返礼されるというプロセスの中に、面白さもスリルもあるんだと思っているわけです。

    P205 思想史に(プラスマイナスいずれであれ)大きな変化をもたらした運動と理説には、それが頽勢の局面の時にこそそれに相応しい敬意を示すべきだと僕は思うんです。

    P224 おそらく私たちには「一度として所有したことのない過去をなつかしく思い出す能力」が備わっているのでしょう。

    P239 政治家たちがイノセントになっているね。幼児的と言ってもいい。

    P251 人とモノが相互浸透すると、動きに甘みが出てくるんだよ。

    P254 自然の観察をすることは実は「音楽を聴く」経験にすごく似ている。

    P260 デモってさ、デモすること自体で既に政治的達成であるという点が優れていると思うんだよ。

    P268 そもそもダイアローグということの意味が分からないのではないか。それは、アメリカ人が大好きな、言葉で相手を打ち負かすといったディベートとは違うし、当たり障りのない話題をいかにウィットに飛んだ受け答えで返すかといったパーティトークとも違う。

    P273 ちなみに「気前のよい」とは、英語の辞書でリベラルの訳語として最初に出てくるものだ。</blockquote>

  • 読了。星5にした。ラジオのダウンロードサイトに紹介されていた。図書館で取り寄せて読んだ。この本も見つけたら買おうと思う。10年ほど前の往復書簡である。この二人の著者が好きで、最近ラジオをよく聞く。内容は、何回か読んだり、聞いたりしたことだが、いつもなるほどと腑に落ちる。たぶん自分のなかで消化できてないと思う。あとがきで、対話しながら思いもよらなかった結論がでることに喜ばれている描写があった。私と奥さんは、よく話をする。話しながら思いもよらなかった結論にたどりつくことがある。楽しいときである。同じことかなと思った。

  • 『東京ファイティングキッズ』(朝日文庫)の続編。

    前著同様、内田樹と平川克美という、おたがいの考えに深く通じあっている二つの個性がミックスされて、次々に思索が塗り重ねられていくスピーディな感覚が心地よい読書体験でした。

    今回は、往復書簡のおこなわれている途中で内田が『街場のアメリカ論』(文春文庫)を刊行したこともあって、とくに後半は、アメリカをめぐる話題が多かったように思います。ただ、内田のアメリカ論はどこか岸田秀を思わせるところがあって、個人的にはあまり興味がわいてきませんでした。どちらかというと、前半の詩論やブリコラージュ論のほうがおもしろく読めたように思います。

  • 稀代の論客で幼馴染の2人が帰って来ました。博覧強記で地位もあるのに〝悪い〟兄たち。
    というわけで今回も面白く読みました。
    本書は内田さんと平川さんの「往復書簡」という体裁。
    「自由という神話、成長という物神」「詩と反復」「エクリチュールの魔」「キャリアという自己商品化」「ブリコラージュ的知性について」など、いささか哲学的なテーマが並んでいますが、そこはリーダビリティーが身上のお二人ですから飽きさせません。
    内田さんと平川さんの文章ってライブ感覚なんですよね。
    ストックフレーズを駆使して結論ありきで書いているわけではないんです。長年、読んでいるのでよく分かります。
    恐らく、ご本人たちも「これ、どこに着地するのだろう」とドキドキしながら書いているのではないでしょうか。
    それが読者をひきつけるのですね。
    ほら、党派性の強い書き手って、決めてかかって書いているフシがあるじゃないですか。
    「私は保守だから、この種の論件については、こうこうこういう論調で書かねばならん」
    「僕はサヨクだから戦争ハンターイ、環境をマモレー」
    みたいな。
    私、常々思うんです。
    窮屈じゃない? って。
    まず枠組みがあって、自分をその中にあらかじめ嵌め込んで発言することって、そんなに大切なのでしょうか。
    読んでいる方も、「あ、この人ね」なんて言って、何を書いているかあらかじめ分かっちゃうからつまらない。
    私は世間的には恐らく保守的な性向が強いと思うのですが、それでも、いわゆるサヨク的な人たちの意見にも「なるほど、一理ある」と思うこともあれば、右派の人たちの言説に違和感を覚えることもあります。
    俺は保守派だから保守的な意見以外は認めないって、硬直的で全然面白くないと思うんです。目と耳を閉ざしているということでしょう。指向性も働くから、多様な意見が入りづらくなる。
    素朴な疑問として、狭量な右派の人にも左派の人にも訊いてみたい。
    反対派の意見に心動かされることは、本当にないの? と。
    必ずしも自分と意見の合わない人の意見に心動かされ、前言撤回も含めて自分が変わっていくから面白いんじゃないですか。
    その点、内田さんと平川さんは党派性から自由というか、むしろ嫌悪しているようなところがあって、だから文章の風通しが良くて読んでいる方も心地いいんです。
    気付かされることも一杯ありますし。
    私はハッとした個所のページの下の隅を折る習慣があるのですが、今、見たら20か所くらいありました。
    いちいち紹介したいのですが、私もそれなりに忙しい身ですのでこのへんで。
    文庫本で619円なので、気になった方は買って読んでみてください。
    でわ。

  • いろいろ含蓄のある往復書簡。
    生き方、仕事の仕方、しゃべり方....
    本当に些細なことから根源的なことまで。
    こうした二人が竹馬の友でありる僥倖。
    ほんとうに、面白い兄貴たちである。

  • 内田樹と平川克美の往復書簡本第二弾。

    吉本隆明の「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」という三つの水準は、
    自由度の差異で階層化されているという話が面白かったです。

    自由度が「自己幻想」<「対幻想」<「共同幻想」
    という風に階層化されているのを理解するのには、
    物語に置き換えれば結構わかりやすいかと思います。

    一人だけしか登場しない物語は、
    登場人物の行動の多様性は乏しく、
    あまり自由な物語は書けないでしょう。
    二人の時は少しだけ多様性が増える。
    三人以上であれば、
    理論上どのような物語も描くことが可能でしょう。

    つまり、
    人が一番自由を謳歌できるのは、
    実は共同体内においてなのです。

    普通は一人のほうが自由である、
    という気分になりがちですが、
    そうではないのですね。


    言葉について少しく考えること。

    わたしは日本語を話します。
    随分と昔からこの言語は存在していて、
    たぶんこの先もある程度は存在していくでしょう。

    そうなると、
    わたしが今まさに語りつつある←この言葉は、
    その昔誰かが語ったものであろうし、
    この先誰かが語るものなのです。

    何が言いたいかというと、
    結局のところ「わたしが語りうる唯一のこと」
    なんていうのは存在しませんよ、てこと。
    こんなこと言うのもわたしで何人目でしょうか。

    まあとにかく、
    「すべては語り尽くされている」という事実、
    この理解から始めなければオリジナリティなぞという、
    それこそ幽霊みたいな幻想に捉えられて、
    身動きが取れなくなってしまいます。

    ですから、
    「ありものをどう使い回すか」
    という姿勢が肝要なのです。

    これはいわばパロディです。

    エヴァンゲリオンの庵野秀明はまさに、
    そういう姿勢で作品を創っている作家だと思います。

    どこかで聞いた彼の発言に、
    「ぼくにはオリジナリティなんてありません」
    みたいなものがあってえらく感銘を受けたのを覚えています。

    もしか、
    オリジナリティと呼びうるものがあるとすれば、
    「ありもの」をどう使うか、
    その「使い方のわずかな差異」なのだと思います。

    ちょっと話が逸れましたが、
    これを言葉に置き換えると、
    「言い回しのわずかな差異」
    ということになります。

    本書の「ブリコラージュ」という言葉は、
    物語や言語活動の最も効果的な作法と言えるかもしれません。


    「よけいなこと」について。

    生物学の本とかを読むと、
    人間より遥かに動物のほうが、
    経済合理性においては優れているように感じます。

    ライオンは腹が減らないと狩りをしないし、
    腹が膨れたらひたすら眠るだけ。
    余計なことはしない。
    徹底的な合理主義。

    言うなれば無時間モデルです。

    東浩紀は「動物化するポストモダン」で、
    市場経済が最高位にあるポストモダーンな社会では、
    人間は動物化していく、
    というようなことを言っていますが、
    言い得て妙だと思います。

    一方人間は「よけいなこと」ばかりします。
    スポーツの為に寿命を縮めてまで身体を鍛えるし、
    自己実現だの生きる意味だのをついつい考える。
    厄介なことです。

    この「よけいなこと(もの)」というのは、
    この本によると、
    人間が「時間」を物事のファクターに組み込んだからだそうです。

    動物的な無時間モデルでは、
    「とりあえず今は」とか「いずれ」という時間に関する副詞は存在しません。

    だから、
    「要るものは」いつだって「要る」し、
    「要らないものは」いつだって「要らない」。

    「余計なものなどないよね」なぞと、
    チャゲアスの歌声(特に飛鳥の鼻にかかった声)が聞こえてくるようです。

    一方時間概念を入れると、
    「とりあえず今は要らないもの」とか
    「いずれ要るもの」が出てきます。

    ここに「余剰」という概念が生まれてきます。

    この「余剰(よけいなもの)」は当座は必要ないので、
    誰かにあげたり、一時的に貸したりすることができるようになります。
    これが交換の始まりです(たぶん)。

    交換は「時間」によって生まれた「余剰」をまわすことなのです(おぉそうなのか!)。

    「よけいなこと」も同じように考えると、
    「いずれ要るかもしれない」という時間感覚の賜物だと言えるでしょう。

    逆説的に聞こえるかもしれませんが、
    時間の余沢にあずかるには、
    その時間において「よけいなこと」「無駄なこと」をするのが最もよいのではないでしょうか。

    つまり、
    時間の「蕩尽(とうじん)」が、
    実は一番費用対効果が高いのです(そうなのかー)。

    そういった(今思いついた)理由で、
    わたしは「よけいなこと」が大好きなのです(こじつけ)。


    「粋(いき)」と「野暮(やぼ)」の話。

    「「いき」の構造(九鬼周造)」はまだ読んでないけれど、
    「「粋」とはこれこれこういうことです」
    と説明することが「野暮」になってしまうって構造は、
    「クールジャパン」と言った途端にクールじゃなくなるのに似ていますね。

    小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさというようなものはない。」
    っていう世阿弥の「花伝書」にある「花」という能の概念の説明とも一致してます。

    「美しさの本質」なんて抽象的な概念はなくて、
    「美しい」と感じる個別具体的で特殊な経験だけがあるのです。

    こういうことを書くのは、
    それこそ野暮なのですが、まあ、いいでしょう。
    どうせわたしは野暮な人間ですし。

  • 内田先生と小学生時代からの友人、平川社長の公開書簡。
    テーマを交換しながら、大きな主題を違う面から繰り返しているようにも聞こえる。その一つは、何を語るかより語り方が大事ということ。または、贈与と交換の意味。または、無時間モデルの線形思考の浅さ。例えば、言葉に対する慎み深さと尊敬が饒舌さの中で抜け落ちるとき、言葉は武器や道具に成り果てる。刹那的なやせ細った言葉は内省を欠く。
    怖いですね。たなぞうに偉そうな感想を書き散らしていないだろうかと、ドッキとしました。作家や装丁家、出版社への感謝や愛情を忘れていないだろうか。
    例えば、「自分の発したことばによって自分の考えを知る。」そうですね、。自分に読ませるつもりで引き続きたなぞうに書き込んでいこうと思います。

  • おもしろかった。いろいろ名言あり。

    天下無敵とは・・・の話がいちばんすき。 さとこ

  • 2010.2.14読了。
    身体という有限のリソースを使うようになったら、いまの脳の活動だけの情報の大量摂取・大量消費という私の考え方に変化が起こるのか、それを試してみたいと思った。また、巻末対談での粋についての記述にも膝を打った。それにしても、ワルシャワ労働歌ってどんなものなのだろうか。

  • 何故か昼食のときに朝日新聞に出くわすことが多い。

    喜んで「天声人語」から読み始める。


    その日(昨日)も朝日新聞を取り、「釜あげ」を注文すると、

    「今、入ったばかり」と言われた。



    「今、入ったばかり」とは

    (釜あげが出来には後5~6分かかりますが待ちますか?)

    と、問うているのである。

    待つ余裕があるなら「それでもいいです」と言って座って待つ。

    逆に、

    「今、出たばかり」と言われれば、(他のものを注文してね)

    と言うことになる。



    今日は「今、入ったばかり」なので、

    新聞を読みながら待っていたが、さっと読み終えても

    まだ「釜あげ」は出てこない。

    仕方なくいつもは読まない社説を読むことにした。



    論じるのは関西の3空港、「関空」「伊丹」「神戸」の近距離の問題。

    起は「近距離に何故3空港も作ったか」

         フムフム・・・・

    承は「それでも橋本府知事は関空一本に、

        でも世間は関空だと交通の便が悪く

        伊丹の方が便利、神戸市はそれなら

        神戸をハブ空港にとの三者三つ巴」

         フムフム・・・・

    ところが「転」からあやしくなってきた。

    転「観光立国で利用者が増えれば3空港

      とも存続可能」(のような論調?)


    「おっ、跳んだな」と思ったが、川幅が大井川ほど広かったので

    途中失速して、ポチャンと川面に落ちた。


    論理的に無理なんじゃないの?

    (論述のうまさの期待値が私の中では高いのよ)


    でもうまい「釜あげ」が出てきたので、ここで読むのをやめた。


    論述するのは難しい。途中跳ばねばならないかもしれないが、

    せめて小川にしてほしい。




    でもこの人たちは巧みに跳び越えていく。

    イチ、ニーの

    内田樹氏と平川克美氏との「対話」形式の意見書。

    それを交互に述べるといったスタイルは

    ようやく時代が追いついてきた感じで

    パソコン世代にとっても面白いかもね。

    二人の間に入ればサンドバックになって

    メロメロに打ちのめされるようなジャブの応酬が続く・・・。

  • ことば、時間、現代の若者、経済合理性、アメリカ、粋と野暮などのテーマが往復書簡形式でやり取りされている本。ことばに対する考え方が知れて、勉強になった。

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著者プロフィール

1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、神戸市で武道と哲学研究のための学塾凱風館を主催、合気道凱風館師範(合気道七段)。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。専門は20世紀フランス文学・哲学、武道論、教育論。 主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』、『先生はえらい』など。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『日本型コミューン主義の擁護と顕彰──権藤成卿の人と思想』、『沈む祖国を救うには』、『知性について』など。

「2025年 『新版 映画の構造分析』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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