街場のアメリカ論 (文春文庫 う 19-7)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167773687

作品紹介・あらすじ

私たちが「アメリカの圧倒的な力」と思いなしているものの一部は明らかに私たちが作り出した仮象である-誰ひとりアメリカ問題の専門家がいない大学院の演習での内田氏の講義と聴講生たちとの対話をベースに、日米関係、ファースト・フード、戦争経験、児童虐待、キリスト教などからアメリカを読み解く画期的な論考。

感想・レビュー・書評

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  • 著者が2003年に大学院で行った演習をベースとして、2005年に刊行された書。

    「歴史学と系譜学――日米関係の話」、「ジャンクで何か問題でも?――ファースト・フード」、「哀しみのスーパースター――アメリカン・コミック」、「上が変でも大丈夫――アメリカの統治システム」、「成功の蹉跌――戦争体験の話」、「子供嫌いの文化――児童虐待の話」、「コピーキャッツ――シリアル・キラーの話」、「アメリカン・ボディ――アメリカ人の身体と性」、「福音の呪い――キリスト教の話」、「メンバーズ・オンリー――社会関係資本の話」、「涙の訴訟社会――裁判の話」の11章から成っている。

    秀逸だと思ったのは、アメリカン・コミックと日本のヒーローものアニメに関する話。

    著者は、アメリカン・コミックのヒーローは、「例外なく特殊な能力を持つ白人男性」で、普段は「市民的な偽装生活を送ることを余儀なくされ」、活躍しても「どういうわけか必ず誤解されて、メディアからバッシングを受け」、かわいい女性が一旦「ヒーローに対して懐疑的になる」もののその「無私の美しい心を知り」励ましてくれる、というワンパターンを見せるが、これはアメリカ市民が国際社会に対して抱いている本音の不満の表出だと分析する。「悪を倒して、世界に平和をもたらしたのに誰も感謝してくれない、というアメリカのサイレント・マジョリティの切なる声」が「スーパーヒーローのこうむる無理解と受難という説話原型に繰り返し回帰してくる」のだと。

    一方、日本のヒーローアニメの典型は、「無垢な子供しか操縦できない巨大ロボット」、「巨大でメカニカルな「モンスター」は無垢な「心が入っているときだけ正しく機能し、「心」を失うと暴走してしまう」というもので、「ここには戦後日本人が幻想的な仕方で処理しなければならなかった二つの「ねじれ」が入り交じっている」、という。すなわち、「自衛隊(軍国主義的なもの)と憲法九条(戦後民主主義的なもの)の「ねじれ」」と「アメリカと日本の「ねじれ」を「物語的に解決するのが「巨大ロボット」説話群」だと。

    こんな見方、初めて接したのでとても新鮮。ややこじつけっぽいところもあるけれど、ヒーロー物の屈折したストーリーのベースに、それぞれの社会が潜在的に抱えている不満や鬱屈があるという指摘は真相をついているんだろうなあ。

    アメリカの統治システムは、「人間はしばしば選択を誤る」というリアルな人間観の下、「むしろ統治者には徳や才がない方が(被統治者と同程度である方が)デモクラシーはスムーズに機能する」、「多数の愚者が支配するシステム」の方が「少数の賢者が支配するシステム」よりもよい、という思想の下で構築されたものだという。そして、「いかにして愚鈍で無能な統治者が社会にもたらすネガティブな効果を最小化するかに焦点化」し、大衆と意見が合わなくなった時は統治者を追い払えるよう「統治者を変えるときの手続きを簡便に」しているのだと。こうしてみると、アメリカの統治システムはもともとポピュリズムを肯定していることがよく分かし、、トランプ氏のような過激な大統領が登場する理由にも納得できる。

    アメリカの低所得層の人々に肥満が多い理由について、彼らが自己管理の出来ないルーズな人達だと見るのは間違いで、「豊かな文化資本を享受できない社会階層の怒り」を表現するために敢えて「豊かな文化資本を享受できない社会階層にステレオタイプなふるまいを演じてみせ」ている、と解釈するのは、(本人が自覚しているわけではなく、そのように振る舞わざるをえにい空気が醸成されてしまっている、ということなんだろうけれども)にさすがに穿った見方なんじゃないかなあ。低所得者層にだって痩せている人が大勢居ることだし。

    本書は、アレクシス・ド・トクヴィルを想定読者として書いたものだという。今日のアメリカ論として十分に通用するという約180年前の名著「アメリカにおけるデモクラシーについて」、読んでみたくなった。

  • アメリカという国は独特だなあ。どう考えても礼讃できるような国ではないよなあ…と疑問を抱いて久しい。でもそういうことあんまり言えない。
    その上、わたしは日本でその国の言語を教える人になろうとしている不思議。英語=アメリカでは決してないのだけれど。

    もっと事実を反映した、クールなアメリカ観を持たなくてはいけないなと思う。

    「第6章 子供嫌いの文化―児童虐待の話」は最近読んだ中で1番怖いと思う文章だった。「子どもはかわいい」と思えない文化ってどうなっているの。ぞっとする。弱者にやさしくなれない社会は破綻するのが目に見えている。
    「第4章 上が変でも大丈夫―アメリカの統治システム」はすごく腑に落ちて、納得できること自体危ういのかもしれないけど、人間は間違うということを、勘定に入れた方がいいのかどうか、わたしはまだ判断しかねる。

    勉強になりました。これからもっと考えよ。

  • 最近多作すぎて、読むのが追いつかないが、信頼してる書き手だ。

    トクヴィルも読んでみよう。

  • 内田先生がアメリカや中国(中国論はまだ読んでないけど)についても、鋭い考察を繰り広げることができるのは、視野の広さもあるけれど、専門分野に対する切り込みの深さもあるのだろうなあ。本当にいつもすごいと思ってしまうし、納得させられっぱなしだ。

  • 相変わらず論理的で、具体的でわかりやすい。
    でも、個人的にアメリカ論に興味がないとわかった。

  • 難しい話をわかりやすく話してくれる。

  • 内田樹による、アメリカ論。ただし、誰一人アメリカ問題の専門家がいない講義の中で生まれた本。
    それでアメリカ論が成り立つのか、と言えば、実に様々な角度からアメリカの持つ病巣を暴き出してくれる。

    アメリカ特有のジンクスである、戦争をやって負かした国がその後同盟国になるという成功例。
    その文脈でベトナム戦争やイラク戦争を見れば、私たち日本人の目線から見た「戦争」とは、全く違うものに見えてくる。

    あるいは、ヨーロッパから引き継いだ子ども嫌いの文化。
    マルクスが産業革命後のロンドンで見たように、子どもは搾取の対象だった。
    アメリカには、自己実現を妨げる者は排除べし、という共通理解がある。
    子どもが親にとって、自己実現の妨げになったとしたら?
    そのような文脈を今まで読んだことがなかった。

    訴訟大国アメリカ。
    身に起こる様々のトラブルについて、事前に回避する能力を育てるのではなく、他者を責めることで問題を解決しようとする。
    そういう人は、自分の失敗から学習するということがないし、社会人として成熟するよりむしろ常識がなく、不用意な「幼児」である方が多くの利益を得られる社会(マクドナルドのコーヒーで火傷した裁判や、「ライト」なタバコで肺がんになった、騙された、と訴えた裁判など)。
    自己責任大国アメリカでなぜこういう場面だけ自己責任が問われないのか、本当に不思議。
    ともあれ、単純に「アメリカでは弁護士が多いから日本でも弁護士を増やそう」などという単純な論説に対して、内田さんはいや、そもそも…という話をする。
    この本の元になった話は2003年だそうだ。もう20年も経つアメリカ論がいまだに有効であることは、内田さんの文章が些末な事柄にこだわるものでなく、「アメリカという国がいくら変わっても変わらない点」を200年前に生きたトクヴィルに向けて書いたものだからである。
    このような射程の長い文章は、物事の本質をきちんと捉え、誰にでも分かる論の組み方でないと書けない。
    こんなものの考え方ができ、こんな文章を書いてみたい…

  • こんなアメリカ論を、大学の授業で聞いてみたかった。様々な視点から、アメリカがなぜこのような国になったのかを論じていて面白い。
    「日本人は従者の呪いにかけられており、アメリカ人に対して倫理的になることができない。」という病識を持つことが、未熟から成熟へ移行していく上で欠かせないことを気づかせてくれる。
    さすが、内田樹先生である。

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  • 久しぶりに内田本を。

    アレクシス・ド・トクヴィルに献呈するという
    記載から始まっているので、いつもの内田節
    と違うのかな?と思ったけれど、そんなものは
    杞憂に過ぎなかった(笑)。
    ページをめくるそばから、いつもの内田節が
    さく裂!

    のっけから、この本を書くに至った経緯の中で、
    こうおっしゃる。

    “私はもともと仏文学者であって(今ではその
    名乗りもかなり怪しいが)、アメリカ史にも
    アメリカ政治にもアメリカ文化にもまったくの
    門外漢である。非専門家であるがゆえに、どの
    ような法外な仮説をたてて検証しようとも、誰
    からも「学者としていかがなものか」という
    隠微な(あるいは明確な)圧力をかけられる心配
    がない。”
    “この立場はアメリカを論じる場合には、単に
    「気楽」というのを超えて、積極的に有利な立場
    ではないかと思い至ったのである。”

    この割り切り(と言うか、開き直り?)ぶりが、
    ある一定の読者層をとらえて離さない理由の一つ
    なのはまちがいない。

    そして、この一冊は、うんうんと頷くことよりは
    「うわー、そう来たかぁ!」と思うことが多かった。
    そのうちの一つが、アメコミを題材にした第3章で
    展開したアメリカン・ヒーローが象徴するものと、
    日本のヒーローのそれとの比較。
    そんなのアリ?と思いつつ、最後は納得してしまう。
    また内田マジックにやられた。


    そう言えば、偶然にも昨日(5月29日)の朝日新聞
    土曜版beに、内田センセイの凛々しい姿が。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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