私の男 (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 5900
レビュー : 756
  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167784010

感想・レビュー・書評

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  • ……川端康成の小説に『眠れる美女』という作品がある。薬で眠らされた全裸の少女と添い寝するという、退廃的な遊戯に耽る老人の話だ。老人は複数の少女を相手にするが、ある少女と寝た時に、ふと、あることを思い出す。……

    『私の男』という扇情的なタイトル。〈私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた〉と冒頭から退廃的な空気を匂わせる。10頁もいかないうちに、語り手・花が「私の男」と呼ぶ男が、婚約者ではなく養父のことであると判明し、物語は加速度的に背徳の色を濃くしてゆく。追いうちをかけるように明かされる、過去の殺人と近親相姦の事実。そして物語は、この父娘の罪と転落の歴史を、語り手を変えながら少しずつ遡って行く。

    ここまででも十分に暗澹たる内容であるが、章を追うごとに次々と衝撃の事実が明らかになり、物語はほとんど絶望的になっていく。そして終盤のどんでん返し。ここにいたって、この父娘の悲劇性は、真のテーマは、近親相姦という特殊な問題ではなく、人間存在の根幹に関わる普遍的な問題らしいと気づかされる。

    ……『眠れる美女』の老人は、少女の体臭に「これは、母の匂いだ」と思い至る。十代の少女の裸体を前に、還暦を過ぎた老人は、在りし日の母の姿を思い起こす。……

    花の養父・淳悟の内面は、最初はほとんど描かれない。物語の終盤になって、初めて彼の魂の叫びが洩らされる。求めても得られないものを求めずにはいられない幼児の叫び。それは、鏡と鏡を合わせたように、花に反射して増幅し、共鳴する。親子の役割が逆転する。

    ほんとうの問題は、性的倒錯というより、母性剥奪にあるのではないだろうか。物語の中でしばしば、海が象徴的に描写される。生命を生んで育む海。一方で、荒れた時には、あらゆるものを呑みこんで奪いつくす海。海は羊水、即ち子宮であり、「母」の隠喩なのかもしれない。抜け殻のように座りながら一心に海を見つめる花も、死ぬときは必ず海に還るのだと言う淳悟も、求めても得られなかった母性に対する憧憬を、無意識に海に求めているのかもしれない。

    孤独な魂には、善意の人々の言葉も届かない。養父の「生きろ!」という叫びも、自分だけ置いていかれたという恨みしか呼び起こさない。老人の命がけの説得も、空ろな心には響かない。事の深刻さも理解できないまま、善悪の彼岸をやすやすと超えてしまう。そうして、母に見放された孤児たちは、偽りの幸福に溺れながら、閉じたループを描いて、いつまでもさまよい続ける。

    淳悟が去って、残された花はつぶやく。
    〈わたしは、これから、いったい誰からなにを奪って生きていけばいいのか〉。
    遺憾ながら、心理学のセオリーに従うかぎり、答えはひとつしかない。自分の子供から奪うのである。淳悟の母が淳悟から、淳悟が花から、順に奪ってきたように。

    健康な母性を花に期待できるだろうか。明るく輝く南国の海を「バカみたい」としか評せない花に? 淳悟の攻撃性が花に受け継がれてしまったことは、第一章の最後、花が小町に暴力をふるうシーンとして描写されている。花の子供もまた、求めても得られないものを求めてあがく空洞になるのだろうか。負の連鎖をとめることは不可能なのだろうか…。

    とにかく最初から最後まで呑まれっぱなしだった。私の中ではベスト100に入る傑作だ。

  • レビューの多くにある気持ち悪さは感じなかった。ただ、この愛の形は情愛だとか近親相姦なんて簡単な言葉で片づけられる物ではないし、「私の男」というタイトルの意味や淳悟が働かなくなった本当の理由も含め、読後もやもやするものが残った。

    淳悟にとって花は「血の人形」だと言う。
    姿は違っても母であり、娘であり、自分の分身であり、身体の中を脈略と流れる血はひとつ。花は血そのものなのだ。もしかしたら花の身体の奥で繋がった時にこそ、心から血を感じる事が出来るのかもしれない。

    一方で花にとって淳悟は父であり恋人。
    庇護してくれる父であり、たった一人の真の家族であり、甘えさせ、優しさで包んで、守り守られるべき恋人でもある。二人がひとつになることは自然の成り行きで、淳悟の求めに応えることで花は愛を確認できたに違いない。淳悟は花が愛するたったひとりの男なのだから。

    しかし子はいつか親離れし、恋には終わりがある。
    いびつな形とはいえ、花は肉親からのじゅうぶんな愛に育まれて大人になったのだ。もう親の庇護は必要がなくなってしまった。恋の熱はいつの間にか冷めていき、新たな出会いさえ生まれる。
    親離れしても父と娘という関係は変わらないが、恋の終わりは身体の関係の終わりをもたらし、花にとって淳悟は過去の男になった。

    花の恋の終わりは淳悟の心に孤独の影を差す。心が離れてしまった花の帰りを淳悟は待つ。父や母を死によって奪われた淳悟にとって、花を失うことは再びの孤独を意味し、彼女がどこへ行っていようともただただ待ち続けることしか出来ないのだ。

    新しい恋人、結婚、花は過去と決別するチャンスを得る。同時に淳悟も全ての過去、自分の存在すらも清算する。たった一つ、2人の歪んだ愛を捉えた古いカメラを残して。

    淳悟はその後生きているのだろうか。
    花を失った淳悟は孤独に潰されて死を選んでしまうに違いないと思った。
    そして同時に思う。
    もしかしたら今も淳悟は花のすぐ近くで、新たな血の人形の誕生をひっそりと待ち続けているのかもしれない。それだけを心の拠り所として。

  • ≪あらすじ≫

    優雅だが、どこかうらぶれた男、一見、おとなしそうな若い女、アパートの押入れから漂う、罪の異臭。
    家族の愛とはなにか、超えてはならない、人と獣の境はどこにあるのか?この世の裂け目に堕ちた父娘の過去に遡る―。
    黒い冬の海と親子の禁忌を圧倒的な筆力で描ききった著者の真骨頂。


    ≪感想≫

    これはひさびさにきました。
    でました★5つ。

    後々ゆっくりと感想を書きたい。
    とりあえずずっと読み返して、ずっと浸っていたいような作品。

    まさにわたしが読みたかったのはこれ。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「これはひさびさにきました。」
      桜庭一樹って、こんなに重いモノを書くとは知りませんでした。
      「これはひさびさにきました。」
      桜庭一樹って、こんなに重いモノを書くとは知りませんでした。
      2013/03/18
    • piyopiyo27さん
      そうですね、
      私も『僕少女』系は全く読まないので桜庭さんは読まず嫌いだったんですが、
      これは本当に面白い小説でしたよね~。
      やはり変な偏見は...
      そうですね、
      私も『僕少女』系は全く読まないので桜庭さんは読まず嫌いだったんですが、
      これは本当に面白い小説でしたよね~。
      やはり変な偏見はだめだな、と改めて思わされた一冊です。
      2013/05/06
  • 久しぶりにガツンとくる本に出会いました。ミステリーで直木賞作品という事ですが、むしろ純文学ですね。倫理的に嫌悪感を抱く人もいるかと思いますが、ある種の人間の業みたいなものを迫力ある筆致で描いています。この作家の作品を読んだのは初めてなのですが、他の作品も読みたいと思いました。

  • 複雑に絡み合った鎖のように重く、暗いものだけれど、こんなにもお互いを必要とし合える、愛し合える関係は、いっそ羨ましいと思えるほど。

  • エロといえば桜庭一樹さんの「私の男」直木賞受賞作なのにめちゃくちゃエロくて切ない。癖になってしまう。
    養父との娘の行為を目撃され、口塞ぎに目撃者を襲って二人で逃避する。秘密が色々明らかになっていき、娘が大人になった時に父は手を離す。父である自分では叶わないことがあるから。

    幼い娘が父の母に姉になって恋人になる。関係性の逆転。

    読み手として憧れてしまうけど、幼さを強制放棄させられた側としてはどうなのか。
    映画の配役は浅野忠信と二階堂ふみでそこに歪みはあれど双方に愛はあった。
    フィクションとして秀逸だった。

  • 痛々しいけど好き。お薦めはできないけど。濃密すぎると離れるしかない。

  • どの立場から読んでも、終始重苦しい。
    薄暗い世界を生きる花と惇悟。二人の世界がねっとりとした湿度を伴って、自分にまとわりついてくるような感覚でした。その感覚がどんどん麻痺して、読み進めて行くうちに、どっぷりハマっていたみたいです。
    絶対に理解できないような世界が、桜庭さんの描写にかかると、なぜか少しだけ理解できるような感覚に陥りました。現実にあったら、拒否反応だけど、小説だから受け入れられる、そんな世界。小説の醍醐味なのでしょう。久しぶりに物書きの偉大さにひれ伏した。

  • いままでいろんな本を読んで、この気持ちわたしも知ってるなって思うことは何度もあったけどここまで感情移入してしまうのは初めてでした。途中でくるしくて手が止まるくらい。
    紋別に限らず田舎って閉鎖されてるから外のものを受け入れにくいし似通った固定観念を持ってて、こういう生温かい思いやりや仲間意識みたいなものがあって、わたしはそれがすごく気持ち悪かったです。
    花と淳悟の関係はタブーとされてるものだけど、違和感も嫌悪感もありませんでした。
    ふたりがふたりきりになろうとすると常識とか正義が邪魔になってしまって、そこで正義を貫こうとか型にはめようとした人たちが排除されてしまったんだろうなと思いました。
    人が死ぬ死なないの違いこそあるけど、きっとみんなふたりきりを望んでいると思うし、そこで犠牲にしたものの大きさの違いというだけなのかな。
    だれかをほんとうに愛するためにはそれと同じくらい憎まないといけないとわたしは思っていて、だから花のいう「最低で最高なの」ってことばは本物だと感じました。
    欠損家庭で育ったひとは大人になってもおかあさんとおとうさんを求めて、もらうはずだった分の愛情をさがすんだと思います。
    だいすきな一冊になったのでこれからもたくさん読みたい。

  • 社会通念という概念から完全に逸脱した、愛の物語。
    汚いとか禁忌だとかそういう感情より先に、二人を美しいと感じてしまうような書きぶりに圧倒されてしまった。

著者プロフィール

桜庭 一樹(さくらば かずき)
1971年、島根県生まれの小説家。
1999年「夜空に、満点の星」で第1回ファミ通エンタテインメント大賞小説部門佳作を受賞しデビュー。
『赤朽葉家の伝説』で第60回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編部門)、『私の男』で直木賞を受賞。他の代表作に『GOSICK -ゴシック-』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『赤朽葉家の伝説』などがある。
ゲームのノベライズやライトノベル作品や、山田桜丸名義でゲームシナリオを手がけるなど幅広く活躍している。

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