日本の路地を旅する (文春文庫 う 29-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (383ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167801960

作品紹介・あらすじ

中上健次はそこを「路地」と呼んだ。「路地」とは被差別部落のことである。自らの出身地である大阪・更池を出発点に、日本の「路地」を訪ね歩くその旅は、いつしか、少女に対して恥ずべき犯罪を犯して沖縄に流れていった実兄との幼き日の切ない思い出を確認する旅に。大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 被差別部落問題ってなんとなくずっと心に引っかかっている。ふつうに学校の授業を受けている時間だけではこの言葉に出会ってこなかったと思う(ってもちろん私が聞いてなかっただけかもしれないけど)。それでもこれを知っているのは、高校の学校行事で行った広島旅行で、被差別部落を訪問するというコースを選択したからだ。今よりもっともっと世間知らずだった私、「どんな特殊な地域なんだろう?」という好奇心もあって選択したわけだが、行ってみると拍子抜けというか、とても普通だった。ますます、なにがどうしてなぜ差別をされているのかわからなかった。それから大学の研究旅行の中でも、三味線作りの見学に行ったとき、「皮を扱う職業は、アレなんで、デリケートな方もいらっしゃるんで、写真撮影はダメです」とだけ言われて、今思えばそこをアレで済ませて研究旅行としてよいのか疑問、という感じで帰って来た。結局なんなん?という気持ちがずっとある。

    で、こういう本を読んでみて、全てが氷解!というわけではもちろんないのですが、「で、フラットに、当事者の人はいまどんなふうに過ごしているの?」という疑問に答えてくれる良書でした。全国の被差別部落(著者はそれを路地と呼んでいますが)を取材して歩く著者の原動力が、(どちらかに偏らざるを得ない)熱い正義感、とかではなく、ご自分のルーツ探しのようなところがあって、それゆえの謙虚さというか、時には立ち入り過ぎたことは聞けず収穫少なく帰ってくることもある、まんじり、みたいな余韻も、誠実でいいなあと思いました。ルポルタージュというものをそうそう読みつけていないので、取材する者の腕としての良し悪しはわかりませんが、自分は別次元の人間だーみたいに勘違いしてガツガツえぐり取っていくような悪いイメージが、ルポライターってあったので(ごめんなさい)、知りたいことは知れたけど自分も悪いことをしたような不快感ばかりが残るようだったらどうしよう、という不安は、杞憂に終わりました。
    最近、美味しいなあと思っているかすうどんが、著者によると屠殺を生業にしていた路地の料理だそうで、びっくりした。屠殺、三味線作り、芸人さん、出産の時に出る胎盤の処理、、、などなどの職業が路地とは関わりが深いようだが、どれもこれも自分だってお世話になっている大事な仕事だというのに、なぜ人は差別するのでしょうね。かすうどんは美味しいし。やっぱり理解できないなー、そう思う反面、自分はそういう謎の差別をしていない/しないと言い切れるのか?胸に手を当てて考えてみる。そういう時間をくれる本でした。

    • chapopoさん
      私も部落問題は中学か高校の時からずっと気になっていて、何故そのような差別が発生したのか、その人たちが差別されるに至った理由が何かあるのかお知...
      私も部落問題は中学か高校の時からずっと気になっていて、何故そのような差別が発生したのか、その人たちが差別されるに至った理由が何かあるのかお知りたかった。
      お父さんが若い頃仕事で被差別の人たちと交流があったと聞いていたので、質問したことがある。
      大した理由なんて無いだろう、というような趣旨の返事だった。
      結局謎は謎のまま。
      『狭山裁判』っていう本が私の本棚にあるが、あれも部落問題が根底に有るのよね。
      ユダヤ教にしてもそうだけど、私は根っこの部分が知りたくて、いろいろ読んだけど、はっきり分からない。
      多分、きっと、大した理由なんて無い、のだろうと、最近は思っている。人間は弱い生き物だから、自分より弱い対象が欲しかっただけなのかも知れない。だからそれは誰でもよくて、たまたま、その時隣に居た人、くらいの理由かもしれない。その本読んでみようっと。
      2013/07/13
    • akikobbさん
      そうねえ、なるほど!というような理由なんてないんだろうねえ。
      覚えてたら本持ってく。
      そうねえ、なるほど!というような理由なんてないんだろうねえ。
      覚えてたら本持ってく。
      2013/07/15
  • 「路地」とは作家中上健次氏のいう「被差別部落」である。東日本に居ると実感が持ちにくいが、部落問題は東洋のカーストと称され差別が遺恨とその後の特権を生んだ、戦後社会に蔦のように絡み付く問題であった。昨今、世代交代が進み良くも悪くも風化しつつある路地を筆者は巡る。筆者自身が「路地」である更池出身であり、旅情気分で淡々と路地を訪問しているようで神経を抉り取られるような思いで自らのルーツに向き合っていることが読み取れる。

    『血縁』の章は綺麗事一切なしの剝き出しの現実がそこにあり哀しさと美しさが残る。敗残者として南西へ逃避していった兄と向き合ったとき、現実は劇的な事など起こりようもなく無味乾燥で酷薄なものなのであろう。客観を保つことが難しい自身の深淵な傷を眺める、ドキュメンタリーの何たるかがこの章に込められている。

    おまけで西村氏のあとがきがなかなか面白い。

  • 路地とは、かつて中上健次がそう呼んだ被差別部落のこと。筆者は自らのルーツである大阪更池を皮切りに、全国の路地を訪ねていく。私も大阪の下町で育ち、作者とほぼ同年代であるから、その雰囲気くらいはわかる。友人にも路地の子がいた。全国には6000を超える路地があるという。おそらく気がついていないだけで、身近な地域に路地はある。
    筆者自らスケッチと語るように、まとまりのいい体裁とはなっていない。学術書ではないため出典も明白ではなく、成否を論ずることは難しい。しかし、路地のウチとソト、その境界を行き来できる著者だからこそ書けたルポと言える。

  • 差別はとてもデリケートな問題で、そっとこのまま消え去っているのが一番いいと思っているのですが、実際にそこで生まれ育った人たちにとっては故郷でもあるわけで、なかなか一遍通りには行かない問題だと思います。
    関東に居ると全然感じませんが、関西の人は結構カジュアルに差別用語口に出したりするので、差別的な事と非常に距離が近いんだろうと思います。
    興味を持ったのは「路地の子」という自身の父親を主題にした被差別部落のノンフィクションを読んでの話なのですが、この本が後日誤認多数ありという事で、社会的に問題を巻き起こしている本で、ノンフィクションとしては眉唾ものとして扱われています。フィクションとして読めばリアル「血と骨」のような本でぐいぐい読ませるのですが、なんとも言い難いケチが付いてしまったものです。
    何冊か読みましたが、アウトローな雰囲気が多大に感じられる人なので、読んでいても反感を覚える事も有り、純粋に感覚を共有する事は難しいです。この本もわざわざ掘り返す必要があるのかと何度も突っ込みを入れて読みましたが、何しろ自身が被差別者であるという強みがあるので皆何も言えない部分が有ります。
    本書は日本各地に残る被差別部落の名残(路地と表現)を訪ね歩く内容で、やるせない気持ちになります。人間の暗部というか、どこか自分よりも下を作って安心したいという薄暗い本能のような物を感じます。
    どう考えても同じ人間なのに、地域地域で差別される人々がいて、綿々と受け継がれているという事が本当に不思議です。
    多分僕らの孫世代が大人になった頃には痕跡しか残らない愚行になると思っています。

  • 地方を含め様々な同和地区を探索したエッセイ。
    同和地区の成立ちや文化等無知な部分多かったため、非常に興味深く面白く読めた。

  • この本は、かなり、面白かった。昔から部落問題が言われていたが、それらが、日本の地方の暮らしに深くかかわっていて、今は、平穏に見えるかその土地も身分、家、部落などのしがらみの中で、生活してきたとわかり、今の寂れた地方の底流にあるものが見えた気がした。しかし、その場所を本から特定して、地図で、確認したいと思っても、取材される側に遠慮をしているのか、不正確にしか書かれていないので、場所が特定できない場合が多かった。また、見方が若干、被差別再度よりと思える部分も感じた部分もあった。犯罪者、犯罪に関する部分などが、個人的にそのように感じた部分も一部あったように思った。後は、訪ねて行ったが、いなかったときに、引っ越し先に行って、その話を聞くなど、もう少し、掘り下げてもらいたい部分もあったが、あの的ヶ浜にある旅館に長期滞在している中年女性の話、この旅館の様子などの記述は、素晴らしかった。また、路地を訪ねて旅をするうちに、日本の地方の古い、裏のことを探っているようで、面白かった。また、もう少ししたら、路地、部落のことも、わからなくなると思うので、記録を残す意味でも、いい本と思いました。面白かったです。夢中で、読みました。

  • 上原善広氏の「日本の路地を旅する」(2012.6)を読みました。東京下町路地裏散歩が好きな私は、その延長の本と思って図書館で借りましたが、全く違った本でした。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品です。被差別部落のことを「路地」というそうで、最初にそう呼んだ人は作家の中上健次氏だそうです。全国に路地は6000以上あるそうですが、著者は13年かけて500以上の路地を巡り歩き、この作品を刊行されたそうです。路地の哀しみと苦悩、路地の過去と現在を描いた作品です。

  • 身近にあった路地。よく知っているつもりだったけど、知らないこともたくさんあった。素朴な疑問。屠場で働く人は差別されるが、肉は高級品。何故だ?屠殺が汚らわしいてか?命を射るもの、命を食すもの、同じやん。

  • 丸善のフェアで中上健次の『紀州』と並んでいたので、こちらも購入。
    『紀州』では中上健次が自身のルーツである和歌山の被差別部落を回っていたが、本書は著者の出身地である大阪を皮切りに、全国を巡っている。
    この2冊の共通点は、どちらもルポルタージュの体裁を取りながら、実際は自身の内面への旅ではないのか、というところ。解説で西村賢太が『私小説』と表現しているが、ルポルタージュと私小説のあわいにあるものだと感じる。
    最終章で著者が兄と再会する時のいたたまれなさが、一時期の私小説にあった独特の雰囲気と通じるものがあると思う。

  • 幕末に孝明天皇は何故、「開国」を断固として拒んだのか?歴史と食文化の現状に無知な公家たちは「肉食」が穢らわしい、異人自体も穢らわしいとしか思えなかったのだろう(伊沢元彦『逆説の日本史』)。新鮮な食肉を求める外国船の要求に松前藩は箱館に穢多の者を呼びよせ対処することにした。第2章、最北の路地。皮が太鼓作りに使用される。ねぶたの太鼓は馬が良い。(そういえばゲーム『花と蛇』の主人公は川田といった)。肉を扱う者が差別されるのは日本だけ。著者のルーツ大阪は第1章。自らの出自を誇るというスタンスで日本各地の人と交流

  • 自分探訪の旅 出身者でなくても共感できる

  • (01)
    現代の日本の風景を考える上で,本書に現わされた内容は興味深い.
    歩いていると,不思議な風景に出会うことがある.不思議さとして直観されるその風景には事情がある.その事情の一脈を「路地」として解きほぐしている.
    文庫版解説の西村氏が氏らしく「知らなかった」と告白しているように,私も路地という呼称のこのような用法を知らなかった.中世都市に起源があるとされる狭い街路を指示する路地を考える上でも,この命名が再考を促す問題の範囲は,ことのほか広い.
    「部落」という用語は,今でも地方に残るが,それは国土にある人の住む場所場所のおおよそ全てを含んでいた.「路地」についても同じことがいえ,それは近代日本になされた都市的な集住地のほぼすべてを網羅していたともいえる.その意味で,「日本の路地」は,ほとんど「日本の都市」(*02)と言い換えて,本書を読んでもよいだろう.

    (02)
    本書には,差別がその内部で階層化されている様子も描いている.エタと非人の関係もそうであるし,上下という路地内路地であるとか,職業間や路地間での競合的対立的な構造は,階層化される傾向にある.
    この問題を敷衍し,帰納したときに得られる仮説は,すべての日本人や日本人が住む地域は,程度の強弱はあれ,何者かによって差別されていた/いるということである.逆にいえば,この階層化を駆け上ろうという欲望や衝動が近代の都市化に具体的な関わりをもっている.
    本書では,具体的な字名クラスの地名を避けているが,それでも本書に現われる地名の多くは,列島的な広がりで派生されるほどの重要な要素を含んでる.
    その点でも,本書には,路地だけでなく,路地外をも囲いこむ示唆が盛り込まれている.

  • 私が通っていた小学校には同和地区がなかったため、被差別部落という言葉すら知りませんでした。中学生になったとき、1学年に10人はいるかいないかの割合で、英数国の主要3教科の授業だけ別室で受ける生徒がいる。促進学級と呼ばれるそのクラスでは、被差別部落出身の生徒が先生と1対1で授業を受けていました。親が十分な教育を受けられなかった影響が子どもにも及び、いわゆる勉強のできない子どもたちの遅れを取り戻すいう理由で。

    路地とは、被差別部落出身の作家・中上健次が部落を表現するために用いた言葉。本書の著者もやはり大阪の被差別部落出身で、日本中の路地を巡る旅を続けています。

    保育園に行くのが嫌で路地から脱走を試みたりする幼少時代の話には笑みもこぼれますが、その先は当たり前のことながら重い。性犯罪を起こして逃亡した実兄についても隠すことなく書く著者。路地出身だということを堕落の免罪符にしたくないという意志が見て取れます。著者自身は差別を受けたことがないというものの、「生まれた環境は選べないのだから、それを嘆くよりもどう生きていくかが重要。どんな地域や社会的階層の生まれであろうと、その人の可能性を信じるしかない」、この言葉が路地出身でない者から発せられたら、何もわかっちゃいないくせにとなるでしょう。淡々と書かれているだけに、心を揺るがす本。

  • 知らない世界でどんなことなのかを知りたかった。都会に住んでいると分からない世界だけど、小さな世界ではとても大きな根強い問題なのだと思う。

  • のっぴきならない境遇と矛盾を抱え社会から逸脱してしまうものに、シンパシーといくばくかの憧憬を覚えてしまう。ヤクザ、在日、風俗嬢、そして部落。

    被差別部落出身である著者の、部落を旅し、つなげる道程を綴った力作には3.5点をつけたい。
    文章はさほどにうまくないが、肉体性はある。感性が鋭いというよりも、強い。なにより被差別部落出身の著者だからこそ、日本の影をフラットに、日常として映し出すことに成功した。

    ただ、各地の部落の状況は、ほぼ同一の印象。
    発祥は、部落が武士とともに(皮革や刑罰執行のため)その地に連れられてきたというパターン。
    いまではほとんど一般住宅地と見分けがつかない(地方都市の街の景色はどこもほとんど同じだが、そうして画一化することで、こうした日本の闇も消されていくのだな)。
    人へのインタビューにしても、「差別は現在はさほどでもない。昔はあった。これからはなくなるだろう。」と判を押したように言う。

    しかし、こうした情景描写の中にも、
    ・全国の路地の人々の交流が、現在に至る肉(近江牛)や皮革の産業分布につながっていること
    ・弾左衛門の存在と後継者の選び方(まるでダライ・ラマのよう)
    ・浄土真宗を振興する人が多いこと。悪人正機説にいかような痛切な思いをかけていたか。胸に詰まる。
    ・犬肉を食していた戦前、吠える犬の口につばを吐き捨てだまらせ捕獲する犬とり名人の話。
    ・万歳という被差別部落の芸能が漫才のルーツだったこと。
    ・稼ぎの上前を撥ねる弾左衛門は「乞食の閻魔様」と揶揄されていたこと。
    ・江戸時代から武士を中心に獣肉は食されていたこと。
    ・吉田松陰の万人平等の考えに、エタと寝た高須久子の影響があったこと。
    ・三味線の音は犬皮はソリッドで猫革はまろやか。猫は国産の方が質が良い。
    ・全国の城下町には必ずと言っていいほど路地があること。

    など、この本でしか知り得ないような発見があり。
    加えて、貴賎の差はあれど、やはり日常と非日常をつなぐものとして、天皇と被差別部落の類似性は面白い。芸能というのも、本来そういうものだ。

    そして、知識よりももっと彼の個性が光るのは、ある種のうらぶれた感性。
    たとえばp197-203の、別府の温泉街での一夜はまるで泉鏡花かつげ義春のようだ。生臭い老婆女将と隣室の生気のない声、場末感あふれるストリップ。
    P168の犬の口につばを入れて捕獲する名人の話。
    最終章の沖縄、首里城と安仁屋村の近しさと朱さと兄の哀しさ。
    熊本の被差別部落出身の若きヤクザとの交流も良かった。

    こうした民話のようなリアリズムが、知識としての被差別部落の話より染み渡る。
    その意味では、解説の西村賢太の言葉通り、かれは私小説家的なのだろう。

    それにつけても、路地という表現はなんと的確なことか。被差別部落の背負う悲しさ、猥雑さ、暴力性、そして目抜き通りとの結節をイメージさせてくれる。路地という奥深い言葉を世に膾炙しただけでも、著者の功績は大きい。

  • 日本中に点在する「路地」と呼ばれる非差別部落と、その痕跡を辿る旅。自分の周りではほとんど話題にならないテーマだったため、大変興味深く読んだ。

    北は北海道から南は沖縄まで、タイトル通り幅広く日本各地を取材している。著者の上原氏自身も大阪の部落出身であるため、このような取材が可能だったのだろう。ちなみに日本には今でも6000か所の路地が存在するらしい。

    路地の中でも解放運動が盛んな地域と、逆に「寝た子を起こすな」という言葉の通り、出身や境遇を隠したがる地域も多いそうだ。上原氏が行った取材の中でも、地域や人によってそのリアクションは様々であった。

    テーマが根深いだけに寝た子を起こすような行動に、時には罪悪感を感じながらの旅だった事が作品中から読み取れるが、自分の生い立ちや、実兄が起こした犯罪についても赤裸々に描くことで、自身への折り合いを付けていたのだろうと思う。

  • 「フクシマ差別」という言葉があるが、いつ聞いても不可解だ。
    なぜかって、フクシマ差別される人は、2011年3月11日より前は差別の対象となる要素は何ひとつなかった。なのにある日突然、福島県境が差別を受ける対象となる土地への線引きに変わり、「放射能がうつる」などの忌避の対象となってしまう。差別される当人には原因はないし、差別の元となる科学的根拠も全く存在しないのに、である。

    このフクシマ差別現象に私は部落差別と同根のものをみる。部落差別も、歴史的社会的な身分差別を起源として確かに土地に一種の境界線が引かれ、差別される者が住む一帯として、作者がいうところの“路地”が存在していたのは事実。
    だが異論覚悟で言うと、フクシマ差別と同様に、部落差別も、土地への線引きが問題の根源ではない。逆にそれに固執してしまうと、物事の本質を見誤ってしまう。フクシマ差別、部落差別、その他の差別…問題の根源は土地にはなく人の心のなかに存在する。それぞれの人が心がなかで土地に線を引き、そのなかに関与する特定の階層を忌避するという、心の問題ではないか。

    そうするとこの本の路地への旅は、差別の根源に迫るという面から言えば充分なものとは思えず、いわゆる新日本紀行的な満足度で終わってしまっている感がする。部落差別の土地を歩き、人と会い、そうすることで部落差別を1つの根として、フクシマ差別はなぜ起こるのかということや、ハンセン病回復者が医学的にも法律的にも解放されたはずなのになぜ差別は起こるのかといった、差別というものの正体や根源を見出してくれること(まさに中上健次がその著述によって成そうとしていたもの)をこの本に期待していたのだが…正直、自分のノスタルジアを探して歩いて終わってるかのような残念な思いが残った。

    昔は日本中にあった、駅前の活気ある商店街を想像すれば、わかりやすいと思う。八百屋、肉屋、魚屋といった商店がアーケードに並び、コロッケを揚げるにおいや駄菓子をもった子どもの声であふれるような商店街は、ほんの一部は今も昔のまま残っているかもしれないが、ほとんどが郊外の大型複合店舗に取って代わられ、現在は閉じられたシャッターが多くを占める。だから、そのほんの一部残る商店街を探し当て、話を聞き、往時の姿を追い求める… それだけでは商店街というもの、ひいては日本の小売業が抱える問題には迫ることはできない。

    また、著者が会った路地出身者の一人は「俺は部落出身で被爆者でしょ、もう敵なしですよね。まさにサラブレッド」と言っているが、福島県の田舎で貧しい農家に生まれて身体に障害を負うなど幾重の苦しさを味わった野口英世が「俺は超貧乏な農家出身で障害者でしょ、もう敵なし」とかそんな卑下したものの言い方って人前で絶対にしなかったと思うし、そんな感情をもっても何も前に進まないとわかっていたはず。何か、路地に生きる人たちの、自尊感情とは正反対のベクトルの向きの、ことさら卑下した感情が至る所に現れてきて、路地のほんの一面だけを拡大し強調したかのような、いびつな印象のみが残ってしまった。路地の問題って、路地出身者でなく、路地で生きた経験のない者にとれば永遠に蚊帳の外の問題で交わることは出来ないの? この本からはそんな思いまで起こされてしまう。

    以上、かなり厳しい書き方になったが、これは上原さんのライターとしての可能性を評価しているから。この本には路地に生きる者として、差別がなくなったという建前が取り巻く現在も現実にななめ下を向きながら生きてきた(あるいは生きざるをえなかった)人が多く登場する。それらの人は路地に生まれた上原さんだから“同胞”として生の声を伝えたのだと思う。血の通った路地の者たちの一言一言が集まり、その結果、差別というものの一側面に迫っている。それは間違いない。(2013/4/14)

  • FBで友人が読んでいるのを見て、ポチったのは半年前くらい。読むにはちょっと重そうだったので、今まで読まなかった。路地とは被差別エリアのこと。路地出身者の著者が日本中の路地を廻った記録。現地のことを語りながらも自分のことを語っている気がする。自分の地元でこんな路地があるのかないのかも知らないが、こんなことがまだ語られていて驚くとともに、淡々と述べる著者の力量もなかなかのもの。解説が苦役列車の西村さんというのもおもしろい。

  • 先日読んだ、『橋下徹現象と部落差別』にて、著者が「被差別部落出身者が、自ら育った被差別部落で売文している」と批判されていたので手に取ってみた。

    全国各地の「路地」に出向いて、それぞれのルーツを探る。
    ときには、著者の過去も照らしに合わせる。

    この本を読むだけでは、批判すべきようなものではなく、小林健治氏と被差別部落に関するスタンスが違うだけだと感じる。まあ、小林健治氏が批判したのは、雑誌に橋下徹に関して書いたことだけならばわかるが。

    個人的に被差別部落=路地というのは、かなり違和感があるが、中上健次の本を読みたくなった。

  • 著者はノンフィクション作家。
    路地という言い方は作家中上健次に拠ったもの。
    各地の路地を訪ね、路地と密接な職業に従事する方のインタビューや路地の中心となる神社などの宗教施設を訪れ、路地の移り変わり、そこに住む人々の意識の変化を描いていく。
    作者自身も路地出身であり、路地を訪ね歩くという行為は、自らの過去を旅する行為でもあるのか、時折「感傷」的な部分が強くなるように感じた。
    しかし、文庫本でここまで表現できるということには、少し驚きを感じた。差別に対する禁忌が薄まっているのか、それとも風化が始まっているのか、いずれにせよ、この著者の今後は注視していきたい。

  • 被差別部落を路地とも言うとのことで、日本各地の路地をその地の歴史や成り立ちを振り返りながら巡るルポ。

  • 日本の路地を歩く、といえば、全国の大きな道路からちょっと入った路地を散策して…みたいなのを想像して手に取れば、中上健次が「路地」と書いた被差別部落の話だった。自身も「路地」の出身の著者が、全国の「路地」を、傷口に塩をなすりつけてまわるような旅なんかしなければいいのに、と自問しながらそれでも訪ねて歩き話を聴かねばいられなかった記録。差別はあるといえばある、ないといえばないようなもの、各人の心の中に巣食う、差別なんてないという同じ口で、あのへんは怖い、通りたくない、なんだかきみがわるい、という人もいて。積極的に部落をうたっていきたい人と、ほっといてほしい、寝た子を起こさないでほしいという考えの対立。といったあたりが印象に。以前、立花隆のノンフィクションで見た猿回しの村崎太郎の路地とのつながりや、吉田松陰と獄中で親しくなった久子の被差別部落のものとのつながりのエピソードも印象に。あと、「被差別の食卓」新潮新書、太宰治「佐渡」を読んでみたくなる。

  • ルポ形式だがかなり著者の心情も濃く書かれていて、追想録としての色合いも濃い。中上健次に倣い「路地」と呼称し訪ねていくが、あまり「路地」としての姿にこだわりすぎるのもどうかな…と思う時もある。しかし差別を感じない若い世代も居れば、故郷は「路地」の姿であった人達も居るんだよな、と複雑。
    東日本(特に東北や北海道)にも被差別地域があったというのは驚き。沖縄の京太郎の由来も興味深い

  • こんな世界もあるのか、と一読の価値はあるかと。

  • 路地(=被差別部落)には遠隔地であっても横のつながりがあり、そのツテを辿って日本各地の路地の現状を詳らかにしていく内容。解説は西村賢太氏。

    ルポ形式ではあるが、各地の歴史についてもよく調べられており、内容に厚みがある。

  • 路地という感覚がなかった私としては、目から鱗の一冊でした。

  • 3.75/597
    内容(「BOOK」データベースより)
    『被差別部落出身の著者自らの故郷をスタートし、被差別部落を「路地」と呼んだ中上健次の故郷・新宮へ。日本の500以上の「路地」を十三年かけてスケッチを描くように丹念に取材していく。すでに失われつつある「路地」の現在を写し取る貴重な記録は、いまや被差別部落を知らぬ若い世代も増える中、読む者の胸に静かに迫ってくる。解説・西村賢太。』

    冒頭
    『蝉がけたたましく鳴いていた。
    焼けたアスファルトの坂を上りきると、ようやく広い墓地に突き当たった。照りつける陽光の下、あまりの熱気に墓地が一瞬、華やいで見えた。』

    出版社 ‏: ‎文藝春秋
    文庫 : ‎383ページ
    受賞:大宅壮一ノンフィクション賞(2010年)

  • 上原善広の別の本『断薬記 私がうつ病の薬をやめた理由』を読んで、その後にこの本を読みました。
    被差別部落の内容を書いた内容ですが、真実かどうか?ともかくとして、内容が大変面白かったです。
    父親の一生を描いている内容ですが、すべてが真実である必要はないのかな、と思いながら楽しんで読めました。
    親のことを、フィクション部分があったとはいえ、時代背景も含めてここまで描けるって、すごいなーって思いました。

  • 2021年1月読了。

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著者プロフィール

1978年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。2010年、『日本の路地を歩く』(文藝春秋)で第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、「『最も危険な政治家』橋本徹研究」(「新潮45」)の記事で第18回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞大賞受賞。著書に『被差別のグルメ』、『被差別の食卓』(以上新潮新書)、『異邦人一世界の辺境を旅する』(文春文庫)、『私家版 差別語辞典』(新潮選書)など多数。

「2017年 『シリーズ紙礫6 路地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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