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Amazon.co.jp ・本 (416ページ) / ISBN・EAN: 9784167802011
みんなの感想まとめ
思想の交差点を描いたこの作品は、著者の青春時代を通じて、マルクス主義とキリスト教神学の複雑な関係を探求しています。浦和高校から同志社大学神学部に至る学生運動の中で、著者は自己批判や社会のあり方について...
感想・レビュー・書評
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鈴木宗男事件で有名な元外交官、佐藤優氏の思想的自叙伝。浦和高校、同志社大学神学部時代を回想しつつ、当時の著者のマルクス主義や神学への思索を綴る。個人的には、当初佐藤優氏に対しては非常にネガティブなイメージをもっていた。しかし、その新聞や雑誌での評論などを読むたびに、分析の鋭さ、知識量の多さに唸らされることが重なり、この本を手に取ってみた(このようなタイトルの本ですが、私自身はマルクス主義者ではないことを断っておきます)。
もちろん私と著者とでは、考え方の異なるところがたくさんあります。また内容的にも、マルクス主義についてはまだしも、神学については私には予備知識がないに等しいためかなり難解なものであったが、非常に知的で面白い本だった。世に保守派といわれる人はたくさんいるが、その中にこれほどの知識量、思考力のある人は一体どれくらいいるのだろうか。
また、高校時代に当時の共産圏へ一人旅をする、「無神論」を学びたくて同志社大学神学部へ進む、そして民青の学生に極めつけの嫌がらせをしたなど、著者の型破りな青春物語は読んでいて素直に面白い。そして、作中にて著者が仲間や先生と頻繁に訪れる祇園のロシア料理店・キエフへは、この本でそのような場面を何度も読んでいるうちに私自身も訪れてみたくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私が今もっともはまっているといってもいいかもしれない、佐藤優の回想記。「私のマルクス」という題名だが、マルクス論というよりは、自身の高校、大学時代の回想記、という趣のほうが強い。時系列的にいえば、「先生と私」、「十五の夏」の次だ。まさに、私が知りたかった時についてだ。東欧・ソ連を旅した優君が、いかにして佐藤優になったのかが非常によくわかる。あらゆる面ですごい人だということを再認識させられる。佐藤優について、もっと知りたい。続いて、「国家の罠」を読み始めた。
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小生は「神学」は全く知らないし、「マルクス」も入り口しか知らない様なものだが、それでも著者の知的遍歴が凄いことは理解出来る。
1980年頃の京都・同志社大学の騒然たる雰囲気は、まるで70年代の東京の様である。何とも懐かしさをも覚えるが、京都では80年代にもなってもあの状況が続いていたのかと驚いた。
それにしても著者はよく外務省に採用されたものだ。よほど当時の調査が甘かったのか、それとも組織の懐が深かったのか。
本書は同時代を生きた人間にとっては興味深いが、それ以外の読者には理屈っぽいと敬遠されるのではないかとも思った。しかし小生には読んで興奮する本であった。 -
もっとマルクスに関する説明や考察がたくさんあるのかと思いきやほとんどが青春時代の想い出や神学論に終始してたように思う。 梯子を外された感はあるけど内容自体は読み応えがあった。 神学論の下りに関しては、相変わらず自分には難解だったかな。
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佐藤優が、学生時代の出来事について書いたもの。彼の鋭い論調と激しい性格が形作られた背景がよくわかった。学生時代に多くの本を読み、多くの人と付き合い真剣に議論し、死ぬ気で闘った体験はすさまじい。その熱意と行動力に驚かされた。誰でも、何か人間の核をつくる「本」を読んでおかなければいけないという、彼が平素から口にする言葉の意味をよく理解できた。
「私の理解では、マルクスは資本主義が自立した円環をなすシステムで、産業社会においてこのシステムを壊すことは、ほぼ不可能なくらい難しいことを論証したのだ」p14
「(マルクス経済学を学ぶことで)資本主義システムの内在的論理と限界を知ることが重要なのだ。時代を見る眼から恐れと不安を除去するために二十一世紀初頭のこの時点で「資本論」を中心にマルクスの言説と本格的に取り組む意味があるのだ」p15
「二次大戦で600万人のユダヤ人が殺された。ただユダヤ人であるという理由だけでだ。そのときどの国家もユダヤ人の命を助けてくれなかった。この物語の持つ意味はわれわれ(ユダヤ人)にとって大きい。僕たちは、他人に同情されながら絶滅するよりは全世界を敵に回してでも生き残ることを選んだ」p24
「中学生時代もいわゆる学校秀才型の生徒とは肌合いが合わず、学校では暴走族予備軍のような元気がいい連中と仲良くしていた。これには2つの理由があった。まずこの元気がいい連中は、教師に告げ口をせず、身内を守る。互いに助け合い、仲間内の掟に忠実で、この感覚が私の性に合ったからだ。第二の理由は、私の狡さを反映しているのだが、番長格の参謀役をつとめていると攻撃させることがないからだ。元気がいい連中とのつきあいを通じ、私は安全保障とはどういうものかを体感した」p38
「この(予備校の)教師は受験勉強は理解ではなく暗記に尽きるという哲学の持ち主で、徹底的な詰め込み教育を行った。知識を徹底的に詰め込むと、ある段階から知識自体が動き出し、自分の頭で考え始めるようになることを私は学習塾で体得した」p38
「人間は環境への順応能力が高い保守的動物なので、どのような体制にでも適応して、それなりに快適な環境を作っていくことなのだと思う」p55
「外務省内部の派閥抗争、路線闘争に熱中しているときも、いつも神学生時代に同志社大学で経験した内部抗争を思い出し、私自身を含め人間は本質的なところで進歩したり成長することはないのだという確信を深めた」p220
「今や収奪されるべきものは、もはや自営的な労働者ではなく、多くの労働者を搾取しつつある資本家である。この収奪は、資本主義的生産自体の内在的法則の作用によって、資本の集中によって、実現される。つねに一人の資本家が多くの資本家を滅ぼす」p281
「もし近未来に4人が再会し、再び議論を始めれば「資本論」が解明した資本主義の内在的論理は正しいという結論に至ると私は信じている」p285
「マルクス主義の本質はヒューマニズム」p373 -
素晴らしい。同じ京都の大学に通っていたものにとっては共感する部分がある。
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浦和高校時代から同志社大学神学部で学生運動にかかわりながらマルクスとキリスト教神学を学んだ時代を語った、著者の自叙伝です。
著者には、キリスト教神学、マルクス主義、国家主義という、容易には結びつかない三つの思想的根拠がありますが、そのなかでも著者の思想の根幹となっていたのは、やはりキリスト教だったということが分わります。神の前での自己批判を求めたカール・バルトの主張を、著者が学んだチェコの神学者フロマートカは、無神論者を含む隣人の前で自己批判することとして受け止めました。そしてこの態度こそ、マルクス主義と真摯に向きあい、やがて「人間の顔をした社会主義」の運動につながったと著者は論じています。
また、著者が宇野弘蔵の経済学から大きな影響を受けたことも、本書のなかで語られています。著者は宇野の立場を、資本主義の内在的論理を把握するる「科学」(Wissenshaft)としての経済学として理解します。革命を志向するイデオロギーとしての唯物史観から科学としてのマルクス経済学を切り離すことで、マルクスの言説とキリスト教神学を接合する道が開かれることになります。
他方で著者は、廣松渉の物象化論=関係論より、人間学的マルクス主義の疎外論の思考に親近感をいだくと述べています。著者にとって「科学」としてのマルクス経済学は、あくまでキリスト教神学と接合可能なものでなければならない以上、廣松やアルチュセールの構造主義的な発想とは相容れないのも、考えてみれば自然なことのように思います。 -
マルクスについてというより、佐藤優の思想の変遷。影響を与えられた幼少期のエピソードを、同志社大学神学部自体を中心に綴っている。凄まじい人生。人との出会い、自らの好奇心で突き進む道、正義感が齎す学生運動への関与。外務省入省への決断。
難しい思想を理解し、人生を複雑化し語るのは正しいだろうか。事物には連関性があり、個々の事情を考慮すれば、複雑さを伴う。その事情に秩序を齎すのが、政治システムであり、経済システムであり、宗教であろうか。それらは、所詮、共通の概念に過ぎず、フィクションだ。フィクションを皆で信じる事により、実存化する。
神とは何か。神もまた、偶像に過ぎず、人の頭の中に生まれた解釈であり、記号に過ぎない。こういう考えは、浅いだろうか。 -
マルクスの両親はラビの家系だった。
ドイツでは総合大学と称するためには神学部を擁している必要がある。この伝統は無神論国家を標ぼうしていた東ドイツでも引き継がれいていた。 -
著者・佐藤優さんが、青春時代(高校から大学院)を振り返った一冊。
1980年代になっても、学生運動の熾火が未だに残り、
どこか取り残された感が残る、同志社大学神学部が主な舞台です。
題名にもあるマルクスに限らず、神学の思想家たちとの知的な交流がベースに。
といっても、結構“やんちゃ”な事もやっておられたようで、
その辺りの時代を感じる「私日記」として触れても面白いかと。
なんですが、読み終えるのにかなりの時間がかかりました。。
これは原因はひとえに自分の力と知識不足です、、特に宗教に対する。
三大宗教の概要くらいは押さえておかないとかなぁ、、
特に中東を読み解くには、その辺りは避けては通れなさそうです。
“資本主義の内在的論理についてマルクスが『資本論』で解明した論理は、超克不能である”
遅れ馳せながら、このフレーズの真意の半分でも理解できるようになりたいです。。
学生時代にもっと勉強しておけばよかったなぁ、と後悔先に立たず、デス。 orz -
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氏の中学~高校~大学時代の話。神学の話は自分には難しすぎるので横に置いて読み進めたけど楽しめた。同志社大時代の話はヴォリュームとられた描かれてたけど、アツい。
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この本を読んでマルクス主義の印象がガラリとかわりました。著者佐藤優氏の同志社大学神学部という本の中で、マルクス主義とキリスト教との関係に触れられていたので、マルクスについても読んでみようと思って手にしたのが本書。キリスト教がローマ帝国の公認となり、宗教が政治と結びつくようになってキリスト教が変化し、その中でマルクス主義が確立してきたと考えると、様々な政治形態があった欧州では国によってキリスト教の扱いは大きく変わっていただろうと容易に想像できる。そのなかでマルクス主義も異なった会社がされたのであろう。
この本で書かれていることの半分程度しか理解できなかったが、マルクス主義を理解するには、マルクスの著書を読むだけではだめで、その国の政治形態や精神性をよく理解しないといけないということはわかる。佐藤氏はそのあたりをよく理解し、東欧の研究にこの結論を求めたようとしたこと。また、それに十分答えられるだけの教授が同志社大学の神学部という小さな学部に揃っていたこと。非常に優秀な学生が強い熱意を持って研究しようとして、これらの先生方と交流できたという時間があったことが羨ましい。あることを深く探求するという大学という存在に強く魅力を感じました。 -
グラーシュ型社会主義について
"当時(1975年頃)のハンガリーの社会主義路線は
「グラーシュ型社会主義」と言われていた。
対外政策やイデオロギーではソ連の公式路線には逆らわないが、
いつでも国民が肉の一杯入ったグラーシュ(シチュー)を食べ、
日常生活面での豊かさを保証するのが、
カーダール・ヤーノーシュ・ハンガリー社会主義労働者党(共産党)第一書記の方針だった"
(「3 やぶにらみのマルクス像」P73)
崩壊前のソビエト連邦の映像を見ると、
「社会主義=パンを買うにも行列」というイメージを
思いだすのですが、この説明はかなり意外でした。
グラーシュ型社会主義というのは、
国民を日常生活に満足させて、
政治について不平不満を持たせないようにする政策です。
このような政策は、当時のハンガリーだけではなく、
ポーランドでも常識だったようです。
http://a-e-dkmemo.blogspot.com/2013/02/blog-post_16.html -
教養がある人ってこういう人のことを言うんだなあと思った。巻末の付録に著者が行った講演会を文章に直したものがついているが、そのなかで著者は「資料を作らず、立体的に話します」と言っている。本文もそれと同じ構成で、たぶんそこらへんがこの本がおもしろい理由なんだと思う。
青春と思想と深い人間関係が有機的に結びついたすばらしい時間がここにある。 -
佐藤優は不思議な人物である。以前『文藝春秋』で評論家の立花隆氏と一緒に自薦の100冊をきめる対談がおこなわれた。その中で立花隆氏が「知の巨人」として紹介されていたのに対し、佐藤氏が「知の怪物」と紹介されていて、妙に納得した。
初めて読んだ佐藤氏の文は、文藝春秋に連載されていた「インテリジェンス交渉術」であった。何か悪さをして捕まった元外交官だとは少しばかり知っていたが、文章では、外交は道徳ではないということが強調されていて最初あまりいい印象は受けなかった。とはいえ連載を読み続けていくうちにその面白さにはまっていった。文藝春秋読者賞を受賞したときに櫻井よしこ氏がドゥマの小説ばりの面白さを選考理由にあげている通りである。
その後も文春誌上で佐藤氏の文をよく見かけたが、その面白さに加え、思想の特異性にも惹かれていった。佐藤氏の母は沖縄戦から生き延びた人である。その母へのインタビュー記事の末尾に佐藤氏は、沖縄と本土の歴史認識の差について沖縄県民は憤っている。もし本土が沖縄の意見に耳を傾けなければ、沖縄は日本からの独立を主張するであろうと。読んだ時はあくまでも机上の空論だと思っていたが、今年にはいり、普天間問題に関して、琉球民族への差別であると国際機関へ提訴がおこなわれたときいて、佐藤氏の慧眼におどろいた。
佐藤氏の人格形成の過程が気になって仕方がなかったところにこの本が出版された。外務省での汚職事件について書いた「国家の罠」、ソ連駐在時について書いた「自壊する帝国」の序章として青年時代のことについて書かれている。
「私はカール・マルクスに3度会ったことがある」という印象的な書き出しから始まる。県立浦和高校在学中に一人で鉄のカーテンの向こうのハンガリーに旅行し、現役時代に東大に落第したあと、神学書をよんで一浪で同志社大学神学部に入学、時代遅れの学生運動に巻き込まれながらもキリスト教神学を学び、そしてなぜかロシア専門の外交官として俗世間へ戻ってしまう。経歴からして奇怪でる。
たしかに神学はほとんどの日本人にはなじみの薄いものであり佐藤氏の人格形成のヒントにはなっていると思うが、いまだカトリック教徒にして国家主義者、護憲派の佐藤氏の謎を解決するにはほど遠かった。とはいえ非常にわかりやすい文章でかかれており、面白さはずば抜けている。 -
『同志社ガラパゴス』には笑った。70年代初めに終息した学生運動が80年代に入っても続いていたことを奇跡の島ガラパゴスに喩えて言う。偶々、氏とは同時期、同キャンパスで学んだ。但し面識はない。残念ながら一学年40人の神学部に知人は居なかった。共通点は行きつけの喫茶店と拉麺屋のみ。元同大生も知らなかった神学部や当時の学生運動の内実が語られており興味深く読む。同時代・同空間を描いてくれる貴重な書き手だ。ところで果たして基督教神学とマルクス、国家主義がひとりの人間の中で矛盾なく共存し得るのだろうか?積読本を読もう!
因みに佐藤優氏の積読『自壊する帝国』『ナショナリズムという迷宮』『獄中記』
関連本『闇権力の執行人』(鈴木宗男)、『北方領土交渉秘録』(東郷和彦) -
佐藤優が三度のマルクスとの邂逅を通してつづられる思想的自叙伝の前編です。いやぁ、濃ゆい。かなりこの人は濃密な学生生活を送っています。
この本は『外務省のラスプーチン』の異名をとった佐藤優の埼玉県立浦和高校から同志社大学神学部、そして同大学院時代までの思想的な自叙伝の前編です。最近この本が文庫化されたことを知り、この記事を書くためということもあわせて、今回再読してここに書評を掲載しますが、今回また改めて読み直してもいやぁ、濃い。非常に内容が濃ゆい。著者が大学生活を送ったのは80年代くらいのことだと思われますが、学生運動あり、「アザーワールド」を中心とした個性的な仲間たちとの交流。そして、濃密な学問の世界…。佐藤優の魅力が全開でした。
ここに書かれている神学や西欧の思想化のことは僕が門外漢でほとんどその思想的な背景はわかりませんでしたが。登場人物たちが話す会話の『濃さ』はここ最近の大学生には決して存在しないだろう、という気高さがあって、それが途方もなく好きでした。僕も大学時代にはいいことも悪いことも含めて色々な事がありましたけれども、それにしても同志社大学神学部ってこんな『濃ゆい』人間たちが集まるところなのかと。読んでいてそう思いました。
そして、佐藤優の思想的な原点が読めるということについて、貴重な記録であるといえます。そして、ひとつお断りしておきたいのはこの本はいわゆる『即効性』はまったくといっていいほどありません。しかし、忙しい現代人にこそ、この人の思想的な記録を少し立ち止まって、じっくりと読んでみるべきではないかと思う、今日この頃です。そして、文庫版に収録されている講演やその後の質疑応答もものすごく知的スリリングにあふれたもので、そちらも見逃せません。 -
キリスト教にもマルクスにもほとんど知識がない私でも十分に愉しめる内容だった。1975年の一年間を京都で過ごした私にとって京都は特別の街。それから数年後、学生紛争と真摯な勉学に明け暮れるこんな青春があったのかと驚きと懐かしさがこみ上げてくる。
学生時代、もっと体系的にそして深く勉強をすべき対象があまりにもたくさんあったことにいまさらながら気付く。
それにしてもあとがきの中村うさぎさん^^・・この名前を聞くだけで楽しくなって優越感にひたれる、自虐ネタが多い作家の・・・一時的に”ファン”でした。なんか、ひかれるものがあったのは、佐藤氏と通じる”何か”があったのだろうな。 -
ガジさん(渡辺雅司・元東京外国語大学教授)が登場します。
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