たとへば君 四十年の恋歌 (文春文庫)

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  • 文藝春秋 (2014年1月4日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784167900175

作品紹介・あらすじ

この世はこんなにも美しく、残酷だ。感動の相聞歌

2010年夏、乳がんで亡くなった歌人の河野裕子さん。出会い、結婚、子育て、発病、再発、そして死。先立つ妻と交わした愛の歌。

みんなの感想まとめ

人生の美しさと残酷さを詩的に描いた作品で、愛と喪失の物語が短歌を通じて深く紡がれています。歌人の河野裕子と永田和宏の43年にわたる結婚生活を、彼らの短歌やエッセイを交えながら追体験することができ、特に...

感想・レビュー・書評

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  • 「たとえば君」という書名は、河野裕子の歌からとられている。歌の全体は下記の通りだ。

    たとえば君 ガサッと落ち葉すくふように私をさらって行つてはくれないか

    河野裕子と永田和宏は夫婦であり、2人ともが歌人である。2人は、学生時代に知り合い、付き合い始めたのであうが、河野にはその時に既に恋人がおり、その恋人と、新たに付き合うようになった永田の間で気持ちが揺らいでいた。そういった背景が、上記の歌にはある。

    2人の出会いは1967年である。結婚は、1972年。以降、河野が乳がんの再発で亡くなる2010年まで添い遂げる。出会いから43年目のことである。
    河野に乳がんが見つかり手術をしたのが2000年のことである。以降、8年間何もなく、河野も永田も緩解かと安心し始めた2008年に再発し、2010年に亡くなる。
    再発が分かった後の歌が悲しい。

    【河野の歌】

    まぎれなく転移箇所は三つありいよいよ来ましたかと主治医に言へり

    大泣きをしてゐるところへ帰りきてあなたは黙って背を撫でくるる

    【永田の歌】

    あなたにもわれにも時間は等分に残ってゐると疑はざりき

    あつという間に過ぎた時間と人は言ふそれより短いこれからの時間

    私自身も妻を乳がんで亡くしている。手術後の安定期を過ぎた後の再発という経緯もこのご夫婦と同じである。
    そういう経験から、主に夫である永田の歌に感情移入しながら本書を読んでいたが、私の妻が河野のような気持ちで再発をこわがり、再発後の恐怖と闘っていたのかと思うと、あらためてたまらない気持ちになった。

  • 歌人である河野裕子氏と永田和宏の出会いから、結婚・子育て・闘病、そして別れまでを、お互いの短歌とそれぞれが発表してきた文章を交えて、綴っていく。

    河野氏は主婦として母親としての役割を果たしながら、歌人としても大いに成功を収めてきた。永田氏は京大の教授としても活躍されている。

    2人とも歌人としてばかり時間を使えないのは同じであるのに、その歌はずいぶん様相が異なる。永田氏は仕事や歌の世界の区切りがはっきりしてるのに、河野氏はその境界が混じりあっていて、互いに有機的につながっているように感じる。これは、性別によるものなのか、彼女の個性なのか、とても興味深い。
    さらに、河野氏の文章(新聞や本などに当時掲載されたもの)は、軽妙でありながらしみじみとかみしめたくなる味わいがある。
    ものを書く人として生まれてきて、それを全うした人なのだなあと今改めて思う。

    お二人はなんでもよく話し、時に喧嘩をすることがあっても、互いを思いあうおしどり夫婦であったことは間違いない。その上、共通言語である短歌を通して、また別の見方で(短歌を詠まない私には感じることはできないが)、お互いを深く理解し、また、これ以上分かち合うことはできないこともあるのだということを知っていた。魂のレベルで共感するとでもいえばいいのだろうか?

    短歌という制約された文字数の中で、より輝きを放つ部分だけを切り取られた情景。余分なものをそぎ落としてこそ、強い思いや哀しみ、辛さを浮かび上がらせることができる。

    短歌に詳しくない私が読んでも、後半、特に病を得てからの河野氏の歌には、多くの人にストレートに届く強さが際立つ。喜びも哀しみも、うれしさも不安も、いろいろなことが混ざり合って本質が見えにくくなっていることがある。けれど、因数分解をするように、それを形成しているいくつものことがらを解きほぐし、その性質や成り立ちのもっとも肝心なところを取り出して見せてくれる。

    ああ、もっともっと裕子さんが何を見て、何を感じるのか、知りたかった。
    新たな歌をこれ以上読むことができないのは、残念でなりません。

  • 著名な歌人夫妻であった河野裕子・永田和宏両氏の相聞歌とエッセイをまとめたアンソロジー。お二人の作品ともに幾つか読んできたので、既知のものも多かったけれど、それでもこうして1冊にまとめられることで、出会いから別れまでの軌跡が、これまで以上に胸に迫った。編集の妙といえるだろうか。

    乗り継ぎの電車待つ間の時間ほどのこの世の時間にゆき会ひし君(河野裕子)

  • 一度には読めない。特に後半は、泣けて泣けて読み続けていられないほど胸が痛くて何度も本を閉じてしまう。最後の歌の下句「息が足りないこの世の息が」挽歌の「てのひらが覚えてゐるよきみのてのひら」の生々しさと40年の月日に憧れすら覚えるのは、まだその年月を生きていないことと、連れ合う相手を持たない身ゆえ。

  • ここ数年で最も心に残った本でした。
    もし本書が短歌集であったならば、恥ずかしながら表題の代表作しか知らないような私は本書に出会えなかったと思います。
    このような形式で二人の道のりと素晴らしい短歌の数々を残してくださったことにありがたい気持ちでいっぱいです。
    短歌はもちろんのこと、他にも胸に響く一節がたくさんありした。

    以下にその一部を引用します。

    -----

    ・蒸留水と井戸水が一緒に暮らして来たのね。私たち。
    ・それまで自意識が裸になって歩いていたけれど、永田和宏という存在が私に薄膜を張ってくれて、生きやすくなりました。
    ・人のこころも体の痛みも、自分自身の、それさえ分かっていないというのが人間という存在なのだと思い知るようになった。
    ・死者は、生者の記憶のなかにしか生きられない。だからもっとも河野裕子を知っているものとして、長く生きていたいと思う。それが彼女を生かしておく唯一の方法なのだと思う。

    -----

    他人と夫婦になり家族を営むことの素晴らしさと試練、それでも最後まで一人で抱くしかない孤独を思いました。
    本書に出会えてとても嬉しいです。短歌集もぜひ読んでみたいと思いました。

  •  言葉の力はすごいなと思う。
    「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
     手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」

  • 相聞歌、というひとつの歌のカテゴリーがある。もともとは互いの安否を気遣う私的なやりとりを指し、それが『万葉集』では男女の恋歌を意味するものになり…と、起源を語れば色々あるのだろうが、なんというか、お互いに、相手を想い、相手に伝える、その双方間のやりとりそのものが「相聞」という言葉には含まれているのだと思う。そして、そういう意味では、この本はまさに「相聞」だ。

    京都大学内の歌会で初めて出会ってから、惹かれ合い、人生を共にしてきた2人の歌人、河野裕子と永田和宏。その2人の、出会った当時から、河野が60代という若さで乳癌で亡くなるまでの40年の間の「相聞歌」が、時間の流れや時代の背景と共に、力強いみずみずしさをもって収められている。

    現代でもよく、「この歌を◯◯さんに贈ります!」といった光景に出くわすことがあるけれど、昔も今も、「誰かのために歌を贈る」というのは、やはり特別なことだったのだと思う。それが、本当に相手のことを考えてその人が詠んだ歌なら尚更。

    そして、三十一文字だからこそ、そこには誰かのための歌だけではなく万人が楽しめる文学性が生じる。抽象も具象も、論理も感情も、全てを盛り込んだ劇的な光景が、言葉を通して目の前に現れる。惚れ惚れする。

    短歌に親しみなく生きてきた人でも、これは、ぐっとくるものが多く、良い意味で分かりやすい(背景の説明などもあるので)素敵な作品になっているのではないだろうか。エッセイと、記録と、歌のコラボレーション。お気に入りの歌に付箋を貼りながら、ぐいぐいと引き込まれて読み込んでしまった。そして、下手くそだけど、私も、少しずつ歌を詠みたいな、と、思う、そんな気にさせてくれた一冊。

    中でも気に入った作品をいくつか。
    河野裕子さんの歌。

    ・陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり
    ・夕映を常に明るく受くるゆゑ登り詰めたき坂道があり
    ・息あらく寄り来しときの瞳の中の火矢のごときを見てしまひたり
    ・妻子なく職なき若き日のごとく未だしなしなと傷みやすく居る
    ・ほしいまま雨に打たせし髪匂ふ誰のものにもあらざり今も
    ・白桃の生皮剥きゐて二人きりやがてこんな時間ばかり来る
    ・あの時の壊れた私を抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて
    ・病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
    ・この家に君との時間はどれくらゐ残つてゐるか梁よ答へよ
    ・この身はもどこかへ行ける身にあらずあなたに残しゆくこの身のことば
    ・手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

    永田和宏さんの歌

    ・水のごとく髪そよがせて ある夜の海にもっとも近き屋上
    ・乳房まで濡れとおり雨に待ちいたる 捨つるべき明日あまつさえ今
    ・吾と猫に声音自在に使いわけ今宵いくばく猫にやさしき
    ・奪衣婆のごとく寝間着を剥ぎゆきて妻元気なり日曜の朝
    ・二人乗りの赤い自転車かの夏の万平ホテルの朝の珈琲
    ・馬鹿ばなし向うの角まで続けようか君が笑っていたいと言うなら
    ・一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
    ・たつたひとり君だけが抜けし秋の日のコスモスに射すこの世の光
    ・呑まうかと言へば応ふる人がゐて二人だけとふ時間があつた

  • 家族について考える。

    わたくしにはつまというものがいないのでわからないものなのかと思っていましたが、なんだかとってもわかるような、うらやましいような、そういう本でした。だからといって明日からはただつまをおいもとめるためだけに日々すごしてゆこうとこころにきめたりはしていません。ただ家族のことはかんがえました。

    ここのところわたくしとその家族のまわりにはうれしいことやらそうでもないことやらがいくつかかさなり、背筋がのびたりちぢんだり猫背になったり怒り肩になったり(鳩胸にはなっていないはず)しておったのです。そういうときにわたくしが抱いていたイメージは冬ごもりをするてんとう虫でした。その映像だけがずっと頭のなかにありました。

    たぶんきっとちょっと困った家族なのでしょう。みなさんとそのご家族がすくなからずそうであるように。いろんなことがおきるとちゅっと身を寄せあってちぢこまってしまう。おらおらわしらがとおるんじゃいそこのけそこのけ、というふうには誰もできないそんな家族ですので。それがいいのかわるいのかはわかりません。いやあんまりよくはないんだろうな。そう思います。しかしながらそうするしかないのかな、ともかんがえています。ながれにみをまかせるべきか。さおさすべきか。しばらくはながれにみをまかせる方面でー

    たった一度のこの世の家族寄りあいて雨の廂に雨を見ており 永田和宏

  • 2025/12/29 再読

    愛、愛愛
    絶対に泣いちゃうから読むのに覚悟いる

    「家族の仲がいい、といいますが、それはそのレベルでのお話であって、表現をした時の心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。そういう表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、その永田の一言で思いました。」

    「たったひとり君だけが抜けし秋の日のコスモスに射すこの世の光」
    大好きな一首

  • 本当に涙が止まらず、読んでいてしんどくなるほどだった。
    河野さんと永田さんの出会いから別れまでが短い小説の中に凝縮されていた。
    河野さんの発病から亡くなるまでの描写が丁寧すぎて、当事者になったかのような気持ちになり、とても辛かった。本を読んでいて、早く終わってほしいと思ったのは初めてだった。今も思い出すと涙が出てくる。
    最期まで詩人であった河野さんとそれを見守るご家族の温かさが非常に心に染みた。
    最後、永田さん目線の河野さんの話もあり、多面的に事柄をみることができたことで、物語の厚みを感じられた。

  • 最も大切な本の一冊…繰り返し読む

  • 河野裕子さんの短歌と初めて出会ったのは、今思うとかなり幼い時分だった。
    小1から通っていた書道教室の玄関に、あの最も有名な歌の書が飾られていたのである。

    たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫つて行つては呉れぬか

    ひょっとしたら人生で初めて目にした短歌はこの一首だったかもしれない。
    河野さんは私にとって長らく「書道教室の歌の人」であり、学生時代に受けた彼女の訃報は、私自身が短歌への興味を深めるきっかけにもなったように思う。

    さて、随分以前に購入し積んでいたこの本を、ふと昨日から読み始めた。
    読んだのが今でよかったと思う。

    河野裕子さんと永田和宏さんという歌人夫婦の相聞歌とエッセイから成る本であるが、夫婦愛というより家族の記録という印象が強い。
    それはやはり後半を占める闘病期間中の歌とエッセイによるものだろう。

    1946年生まれの河野裕子さんは2010年8月に亡くなった。
    私の亡き父とは1歳違いであり、亡くなったのはわずか数日の差である。
    永田和宏さんの語る、闘病者を抱えた家族の苦しみ、緊張、不安が、私にはありありとわかる。
    もう少し早い時期にこの本を開いても、私はきっと読み進められなかっただろう。

    この15年のうちに、私自身も趣味で歌を詠むようになった。
    亡くなった父のことは何度も詠んだが、闘病中の自分たちのことを具体的に詠めるようになってきたのは今年に入ってからである。
    まだこれからも少しずつあの頃の苦しさを歌にしていきたいが、忘れてしまいたいとも思っている。

  • ふむ

  • 友人に紹介してもらった。
    ひとりの人間同士、ということが、こんなに美しくて切ないものだということを、改めて思い知らされた。
    出会えてよかった本です。

  • じっくりと時間をかけて読ませて頂いた。永田さんと河野さんが出会ったころから、河野さんが亡くなるまでの時間を短歌とエッセイで追体験をさせて頂いた。その間に刺激を受けて僕もいくつか歌を詠んだ。だから読み終えるまで時間がかかったのだ。最後は涙が止まらなかった。

    「手をのべてあなたとあなたに触れたときに息が足りないこの世の息が」

  • この間借りた「あの胸が…」を図書館に返却したときに借りてきた。後半の癌末期の闘病記録は読むのが辛かった。だけど素晴らしい夫婦、素晴らしい家族でした。歌のある暮らしは人生を倍以上に豊かにするな。うらやましい。

  • キャッチボールできる相手がいる幸せ

  • 心に誠実であることのお手本のようなお二人

  • たとへば君 ガザッと落ち葉すくふやうに
    私をさらつて 行つてはくれぬか

  • これほどまでにと思う家族、夫婦の歌。フィクションではないほんもののドラマ。

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