- Amazon.co.jp ・本 (445ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167901769
作品紹介・あらすじ
文春文庫サイエンス&ビジネス第二弾!ハーバード大学の俊才たちが、最先端科学実験で次々に明らかにする、あなたの記憶のウソ、認知の歪み、理解の錯覚。科学読み物。
感想・レビュー・書評
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私は確かにその「変化」に気がついている。だって、目の前で起きたことだから。でも数秒後、或いは数日後には忘れている。全く覚えていない。‥‥そう、そういうことは誰だってある。
これは、例えばそういう現象について真面目に実験を繰り返して、なぜそうなるのかを分析した本である。
私は女性の髪型を確かに見ている。服装もどういう服を着ているか見ている。しかし、多くは、それを「変えた」り、「新しく新調した」ことには気がつかない。でも私は堂々と言える。それを批判する世の女性たちよ、貴女たちだって、バスケットの試合のパスの数を数えている時に、ゴリラが選手の間に入ってきたことには気がつかないだろう。「そんなはずはないわ」あるのである。この本にはその実験結果が載っている。
「確かにそういうことは、あるかもしれないわ。でも批判しているのは、そういう『こと』じゃないのよ」あっ、すみません。なるほど、それはそうかもしれない。それではこんなのはどうでしょう?いまテレビの前で、或いは国会で、自信に溢れて「私は憲法を無い後しろにしたことは一度もありません」とか「放射能は100%コントロール下にあります」と仰っている自信家がおられて、そういう人に支持が集まりました。彼自身は、自身の過去の行動や認識も間違っているとはさらさら思っていないようです。ヒラリーさんが、自身の戦場体験の間違いにさらさら気がつかなかったように。或いは、情報の専門家集団であるテレビが、その間違いにひとつも言及しないようだから、その男の信頼性は高いと思われているのかもしれません。そもそも、「北朝鮮は何をしでかすかわからないから、日本は最大限の防衛力並びに攻撃力さえ持つべきだ」というわかりやすい俗説や陰謀論に直ぐに飛びつくのは、人の習いなのかもしれません。
そうやって、本人やそれを追認する人々の「錯覚」が続いて行った先に、過去「わたしたちは騙されていた」という恨み節が飛び出たのではなかったか?本当に騙されていたのか?貴方たちは、自ら信じようと思うものだけを信じていたのでは無いか?「安らかに眠ってください。過ちは2度とくりかしませんから」広島の碑文を、もう一度思い起こす。わたしは貴方に、切に望みたい。
2017年10月14日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アメリカの2人の心理学者が、豊富な実験結果に基づき、人間の知覚能力がいかにいい加減で、あてにならないかを、科学的観点からまとめた1冊。タイトル通り、”錯覚”のメカニズムやどのような場面で生じるかが、ユーモアある筆致で書かれており、一気に読んでしまった。
具体的な錯覚としては、
・注意(見えていたはずのものをなぜ見落としてしまったのか?)
・記憶(真実ではないものを、なぜ人間は無意識に作り出してしまうのか?)
・自信(なぜその事象が正しいと自信を持って言えるのか?)
・知識(知識を持っているはずのプロフェッショナルが事象を正しく理解できないケースがあるのはなぜか?)
・原因(根拠のない話をなぜ人は信じ込んでしまうのか?)
・可能性(サブリミナルや脳トレのような科学的に否定されている説が、なぜこれほど広く信じられているのか?)
の6つである。
これを読むと、改めて錯覚のもたらす恐ろしさに気づくと同時に、それを用いることの利点も見えてくる。
最後に。興味を持った方は、本書の研究がイグ・ノーベル賞を受賞したきっかけとなった以下の動画での実験にトライしてみて欲しい。白い服を来た人のバスケットボールのパス回数を数えるだけの簡単なお仕事である。
https://www.youtube.com/watch?v=vJG698U2Mvo -
クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ『錯覚の科学』文春文庫。
2017年本屋大賞の発掘部門で『超発掘本!』に選ばれた、なかなか興味深い内容のノンフィクションだった。人間の視覚や知覚、記憶の限界と不確かさを様々な事例を使って解説している。事例の多くは錯覚による人間の過ちの怖さを伝えるもので、共感出来る内容だった。
冒頭で紹介されていたバスケットボールの実験のビデオをYouTubeで観たが、ゴリラは簡単に判別出来た。しかし、予めゴリラの登場を知っていたから判別出来ただけなのかも知れない。
人間の脳は保有する能力の僅かしか使われていないという。世の中に溢れ続ける膨大な情報の洪水が人間の脳の処理能力の限界を超え、我々を錯覚という罠に落としめているのだろう。 -
それなりにおもしろかったような記憶があるんですが、それも錯覚だったのかもしれないですね。
自分の錯覚は、錯覚と気づきにくいですが(自覚していないからこそ錯覚なわけで)、他人の錯覚は観察・分析すると面白いですよね。
学生の頃、知り合いから「以前は甲という仕方で勉強していたが、Aさんに●●と諭されたから、最近は乙という仕方で勉強するようにした」というようなことを言われたことがあります。しかしその「●●」、私がその知り合いにいったんです。Aさんに「私はそんなこと言ってない」と確認もしました。本当に単なる記憶違いなのか、それとも、その知り合いは私に言われたということにしたくないから、Aさんが言ったということにしたのか…。(2015年6月7日読了) -
第33回アワヒニビブリオバトル「錯覚」で紹介された本です。
2018.01.09 -
【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
https://opc.kinjo-u.ac.jp/ -
人間には様々な錯覚があり、それを避けるのは難しいが、その錯覚があると知ることが第一歩になる
特に自信の錯覚は職場でよく感じることがあったし、人を騙したりするのに役立つと思った -
読みやすい本でした。いくつかのテレビ番組はこの本をもとにして作られたと思います。自信の強弱は、生まれつきのものだということが分かりました。後半は、グダグダです。