探検家の憂鬱 (文春文庫)

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  • 文藝春秋 (2015年5月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784167903718

作品紹介・あらすじ

生のぎりぎりの淵をのぞき見ても、もっと行けたんじゃないかと思ってしまう」



探検家にしてノンフィクション作家の角幡唯介が、みずからの性とジレンマを描き尽くす。



冒険とは何なのか。

生きるとはどういうことか。

自分はいったい何者なのか。



極限状況において、自らに問い続けた果てに、しぼりだされた珠玉のことば。



いま最も期待される探検家、はじめてのエッセイ。

みんなの感想まとめ

極限の探検を通じて著者が自らの内面を掘り下げ、人生の意味や自分自身について問いかける姿が描かれています。探検家としての経験を基にしたこのエッセイは、死の影と向き合いながらも真摯に生きる姿勢が印象的で、...

感想・レビュー・書評

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  • 角幡唯介『探検家の憂鬱』文春文庫。

    探検家という稀有な職業を選択した著者による初のエッセイ。

    先に読んだ高校を中退し、渡米してから歯痛で僅か8ヶ月で帰国したにも関わらず、アメリカにかぶれ、サブカルチャーの周辺を漂っている松浦弥太郎のエッセイ『最低で最高の本屋』の100倍は面白い。

    探検とノンフィクションとのジレンマに悩み、探検に付きまとう死の影に怯えながら何度も死線を乗り越えた著者ならではの面白いエッセイ集であった。やはり、全うに真っ直ぐに真面目に己れの人生を切り開こうとしている方の主張には共感するところが多々ある。終盤に傑作ノンフィクション『極夜行』に描かれたデポ計画にも少し触れている。

    本体価格650円(古本100円)
    ★★★★★

  • 【家の中で一日中過ごす憂鬱】という謎のテーマで本を探して手にしたら真逆の内容だった『探検家の憂鬱』(角幡唯介)。

    行きたい場所があったのに台風接近による暴雨で行けなくなったのでこの本を読んで夜更かししました。クソゥ…

    そしたらなかなか面白い本に当たってしまった。

    そして以下6点についていろいろ考えてました。

    ❶【《〈フィクション〉or〈ノンフィクション〉という2つの立ち位置》の先にある旅のあり方】

    →面白くしようとするとそれは〈ヤラセ〉になり、すぐに後者から前者になる。
    〈情報を受け取る側〉からするとヤラセはすぐに気づく場合が多いだろうけど、〈情報を提供する側〉となると表現するのは難しそうだというのは何となくわかる。

    そしてあと気になるのは《〈成功〉によるノンフィクション〉と《〈失敗〉によるノンフィクション》。

    本の中では

    「シンプソンはなぜ遭難をしなければ、面白い作品を書けなかったのだろうか。成功した登山は、なぜスリリングな物語になりにくいのだろう」

    …という著者の疑問が書かれてました。

    ❷【現代の〈冒険〉】

    →令和の時代において〈冒険〉が残されているのはもはや〈宇宙〉しかないんじゃないかと思ってしまうなー。

    ただ、〈世間が認める冒険〉と〈個人or少数グループが認める冒険〉って違うような気もする。

    ……自分が何を良しとするかによるのかしら。

    それを突き詰めたら【まだ達成されていない大きな記録がいくつか残された特殊な世界のパイオニア】になれちゃったりすんのかしら。

    ❸【生と死】

    →「本当の生は自然の中にしか存在しない」というのは生意気ながら何となくわかる。

    ❹【経験談のわかりやすさ】

    →この本の中で著者が3回表層雪崩に遭ってしまった事が書かれているのですが、

    登山の教科書的な本よりすごくリアルでイメージしやすかった。

    以下抜粋。

    ◆ベルトコンベアーに乗っかった自動車部品のよう

    ◆規模の大きな表層雪崩に遭ったらどのような目に遭うかを知りたければ、コインランドリーに行ってドラム式乾燥機でも回してみるといい。私の体は乾燥機の中の衣類みたいに、自分の意思とは無関係にゴロンゴロンと回転し、落下する雪に弄ばれた。

    ◆右手が外に出ている!この時の喜びは、おそらく雪崩に埋まって手が外に出たことがある人にしか分からないだろう。自分が死ななくて済んだと分かったのだ。

    ❺【冒険や登山の意味】

    →「冒険や登山というのは、(中略)危険な環境や状況の中に自ら進んで身体を放り込むことによって、外の世界と自分との距離や、世界における自分の位置を把握するための活動」

    「自然の中に身を沈めることで感慨を得る、極めて個人的で内省的な行為」。

    これも生意気ながら何となくわかる。

    ❻【課題ありorなしの2つの苦】

    → 「困難な課題を達成すればするほど計画の危険度は増してゆき、それに挑戦しなければ精神的な充足が得られない。一種の依存症のようないびつな精神構造は冒険家の業のようなものだ。」とこの本の中にはあって…

    じゃあ、「課題がある苦と、なくて〈自分何やったらいいんだろう〉と過ごす苦、どっちがいいですか?」と問われたとしたら…

    なかなか深い問題だなって思っちゃった。

    ーーーーーーーーーーーーーーーー

    …と眠れなくなった2時〜3時にアレコレ考えて、

    次起きた時には9時半になってて、

    昨日ボルダリングをやったがために起きた腹筋筋肉痛に今耐えてます。イタイ…。

    もう当初のテーマどうでもいいわ。

  • 面白かった。いつの間にか結婚して子供まで生まれていたんだな。
    妻子があると、これまでのように好き勝手に「探検」はできなくなるだろうから、ある意味今後の活動に注目していきたい。

  • 角幡唯介のエッセーは彼のそもそもの文章力というか表現力の高さが分かる内容になっている。感性が少し一般の社会人と違うけど、イヤな感じじゃない。とても新鮮なものの見方に感心するとともに芯の強さに逞しさや柔軟さを感じてとても好きなライターだと思う。

  • 探検家である作者のエッセイ本です。
    冒険談だけで無く、硬派なイメージの強い探検家の内情を赤裸々に語るエピソードが笑いを誘います。
    読んでて一番印象に残ったのが、違和感に気づいても打開策を講じないという内容です。失敗を後から振り返れば、なんであんな行動をとったんだとよくよく考えれば分かることをする時があります。人間は流れやすい生き物だからと作者は表現しており、常に立ち止まって考える時間の大切さを痛感しました。

  • 勇壮な探検の模様を綴ったルポかと思ったらわりと気楽に読めるエッセイ。しかも何だか長いものに巻かれたがらず理屈っぽいこじらせ屋な感じがプンプンした。角幡さんって自分みたいだけどちょっと煙たい人物かも。
    それはそれとして、探検家って現代にあっては不思議な職業だよね。いや、そもそも「家」だから職業というにはちょっと危うい感じかしらん。研究や開発として企業とかがチームをつくってやるようになって「発明家」という肩書がそぐわなくなったように、探検家というのもいまや希少種だろう。そんなことを角幡さんも言っていて、だからか衛星電話を持たずに探検にいけるだろうかとか、原始的なかたちでこそ探検なのだといった持論を述べていたりする。
    角幡さんは探検するだけじゃなくて、それを書くことも仕事のうちとしているから、そのことで書くことを前提とした視点ってどうなんだろうといったことも考えている。こういうところが理屈っぽい。ある意味マニッシュで武骨でイメージ上の探検家っぽい。

  • 2018.5.5一箱古本市で購入。

  • 「探検を含めた冒険行為は人間が生きることの意味を表現するための有効な手段になる」と考える著者が、冒頭、便利な飛行機や自動車や通信機器の揃う現代で、冒険することの意味、どういったことが冒険となりうるかについて熱く語る冒頭は、少々理屈っぽすぎて、挫折しそうだった。なんでそんなことするの?と言う冒険しない人からの無理解に、きっと自分なりに考え続けたことだったのだろう、と。ただ、「それしかない」手段で行われた大昔の冒険と、無補給やGPSなし、単独、徒歩など、自ら望んで制約をつけざるを得ない冒険との間には、質的にも意味合いとしても大きな違いを感じざるを得ない。/「「物書き」が紀行文においてさりげなさを装うことは欺瞞にすぎない」(沢木耕太郎「夕陽が眼にしみる」)は、エッセイや自伝にも当てはまらないかとふと思い。/北極の冒険が文章になりにくいのは、「雪の上を歩いた。寒かった。飯を食った。寝た。」でかなり説明されるから、と言いつつ、アグルーカの行方は、手に汗握る読み物として成立していたのは、手腕が発揮されていたからか。/「私は探検や冒険がしたい。未知の空間の中ではらはらとした時間に身を置き、それをうまく文章で表現したい。だけどうまくそれができなくて困っている」/私たちの身体が自然から大きく切り離されてしまったことへの警戒感/

  • 書いてる内容がおもしろいから読むけどこの人とは気が合わないだろうなって思った。

  • 身近な話から始めてくれるのがいいな〜。

  • ぼくは冒険家でもなんでもないが、角幡さんの書いたものは『空白の五マイル』以来『雪男は向こうからやってきた』『アグルーカのゆくえ』と読んで来た。一番好きなのはやはりチベットの秘境に挑戦した『空白の五マイル』である。角幡さんは、大学を出た後朝日新聞の記者をやっていたせいか、文章がわかりやすくうまい。本書はその角幡さんのエッセイ集である。角幡さんは文章がうまいと言ったが、実は本人はかなり苦労しているところがある。それは自分の冒険を自分でどのように書くかという問題で、あまり懲りすぎるとうそっぽくなるし、冒険自体フィクションかと思われる危険性がある。だから、文章を書くのも楽ではないのである。(ちょっと技巧に走りすぎている嫌いがないでもないが、この程度はまだ許せる)本書では、角幡さんが三度も命拾いをした雪崩の経験(生き延びたのが奇跡としかいいようがない)、冒険家たちの最後を見送る話、さらには冒険家と性の問題まで話が及ぶ。ナチスにつかまったユダヤ人たちを描いた『夜と霧』では、たしかみんなが素っ裸になっても性欲はおこらなかったという話が出ていたが、冒険家は死と隣り合わせになってもどうもそうでもないらしい。ただ、これまでだれもそれを語らなかっただけだ。(だから、ときに露悪家と言われる)それで思い出したのが、梅棹忠夫さんが『モゴール族探検記』の中で、テントを個人別にしたという話だ。これは一人でほっとしたいということもあるだろうが、性の問題も関わっているような気がする。角幡さんは冒険家で、いくら見合いをしてももてないと言っていたが、最後のあたりを読むとちゃんと奥さんをもらい、だれよりも可愛い(本人の弁)娘をさずかっている。おめでたい話だが、冒険家として今後どうやっていくのだろう。奥さんも覚悟の上だろうか。

  • 探検家、角畑唯介のエッセイ
    記述されている時間軸のなかで、いつの間にか結婚、出産を経験しているようだが、その辺りのエッセイも書いてほしいものだ。

  • モテないはなしを散々したあとに最後でするっと結婚してかわいい娘まで生まれてるの、裏切られた気分だわ。合コンで探検家の人にあったらこの本の話をしようと思う。

  • 探検家&ライター・角幡唯介のエッセイ集。
    2012年発刊の『探検家、36歳の憂鬱』に、数篇を加えて文庫化されたもの。
    著者は、『空白の5マイル~チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で、開高健ノンフィクション賞(2010年)、大宅壮一ノンフィクション賞(2011年)をダブル受賞しており、今最も注目される探検家&ライターのひとりである。
    本書では、そうした著者ならではの切り口での考察が綴られている。
    ◆ノンフィクションの行為と表現~「書くことでも映像をとることでも・・・結果として表現に置き換えることを前提に何かの行為をする場合、その行為の純粋性を保つことは想像以上に難しい。・・・ノンフィクションを成立させる場合の本当の難しさは、実は文章を書く時にノンフィクション性を成立させることにあるのではなく、むしろ行為をしている時にノンフィクション性を成立させることにあるのだ」
    ◆冒険とノンフィクション~「冒険の場合は命がかかっているので、基本的には現場で起きるあらゆるトラブルに対処できるように計画を作る。・・・すなわち冒険の現場で筋書きのないドラマが起きた時、それはかなりの確率で遭難と呼ばれるものを指しているのだ。筋書きのないドラマが優れたノンフィクションの条件であるなら、冒険という分野では遭難こそがそれにあたるのである。・・・しかし、遭難は狙ってできるものではないし、狙ってしてはいけないものでもある。そうすると、冒険ほどノンフィクションの作品に適さない分野はない、ということになる」
    ◆冒険家にとっての目標~「目標そのものが、目標というよりも、達成しなければならないというふうに自分を追い込む強迫観念となってしまい、それを断念することが自分の弱さの露呈であるような気がして永久に逃れられなくなってしまうのだ。・・・目標から撤退することは、死を覚悟で挑戦することよりも時には苦しいことがある。冒険家や登山家の多くはどこかでそういうジレンマを抱えている」
    ◆冒険の魅力~「結局のところ冒険を魅力的にしているのは死の危険なのだ。死の危険があるからこそ、冒険や登山という行為の中には、人生の意義とは何なのかという謎に対する答えが含まれているように思える。・・・もしかしたらそれは当たり前のことなのかもしれない。生とは死に向かって収斂していく時間の連なりに過ぎず、そうした生の範囲の中でも最も死に近い領域で展開される行為が冒険と呼ばれるものだとしたら、それは必然的に生の極限の表現ということになるだろう」
    自ら冒険し、それをノンフィクションとして表現する、探検家&ライターの、行動・思考の背景を知ることができる。
    (2015年5月了)

  • 自分の生き方が社会に認められない、マッチしていない、もっとロマンのある生き方をしたいみたいな人にお勧め
    探検家でありノンフィクション作家である葛藤が人間らしくて好き、水虫の件とかも・・・

  • 2015/9/27

  • お気楽エンタメノンフが読みたかったのですが、予想を超える重たい内容もあり。受け止められそうなコンディションの時に再読します。

  • 冒険家のエッセイ集。
    面白い話しも多いのですが、内省的な話しはチョット重たく感じました。特に、ゆるい話しがトコトンゆるいので、そう感じてしまいます。

  • 2015/6/3 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
    2016/10/18〜10/26

    初角幡作品。山岳雑誌などで名前は知っていたが、まとまった文章を読むのは初めて。すいません、こんなに理知的な文章が書ける人だとは思っていませんでした。元新聞記者という経歴も知らなかったので、完全に予想外でした
    軽妙な文章は勿論、深く内面に切り込んだ理知的な文章も素晴らしい。次の作品を読むのが楽しみ。

  • 【探検家が〝極限状態〟で絞り出すものは?】「生のぎりぎりの淵をのぞき見ても、もっと行けたんじゃないかと思う」いま最も期待される探検家が自らの性とジレンマを描き尽くす。

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著者プロフィール

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
 1976(昭和51)年北海道生まれ。早稲田大学卒業。同大探検部OB。新聞記者を経て探検家・作家に。
 チベット奥地にあるツアンポー峡谷を探検した記録『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。その後、北極で全滅した英国フランクリン探検隊の足跡を追った『アグルーカの行方』や、行方不明になった沖縄のマグロ漁船を追った『漂流』など、自身の冒険旅行と取材調査を融合した作品を発表する。2018年には、太陽が昇らない北極の極夜を探検した『極夜行』でYahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞を受賞し話題となった。翌年、『極夜行』の準備活動をつづった『極夜行前』を刊行。2019年1月からグリーンランド最北の村シオラパルクで犬橇を開始し、毎年二カ月近くの長期旅行を継続している。

「2021年 『狩りの思考法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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