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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784167903893
作品紹介・あらすじ
学びの本質をとく、感動の講演集
神戸女学院大学退官のさいの「最終講義」を含む、著者初の講演集。学校という場のもつ意味、学びの真の意味が立ち上がる感動の書。
感想・レビュー・書評
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2008年、2010年、2011年に行われた講演を収録したもの。
神戸女学院大学を退官するときの講義で、ヴォーリズ建築の特徴、自らの手でドアノブを回したものに贈り物は届けられる。世界内部的に存在しないものと関わることを主務としているのは文学部だけ。
対米従属を通じての対米自立というねじれた戦略。アメリカから見て日本は属国、衛星国、国際社会に対して発信すべき政治的メッセージを何ももっていない国。
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人間はどのように欲望を覚えるのか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直り、どうやって愛し合うのか…。自身の最後に行われた授業をはじめとする講演を収録した内田樹氏による、初めての講演集です。
僕は内田氏の著作をあまり読んだことはないのですが、本書は著者初の講演集だそうです。
古今東西、大学教授の最終講義といえば、印象的な授業が多く、僕は不幸にして、そういった授業にはナマで出会ったことはないのですが、インターネットが発達した昨今、言語的な障害さえクリアーできればそういう授業には簡単にアクセスできるので、そういったところにはとても感謝しております。
ここに収録されているのは内田氏が所属している神戸時女学院大学で行われた最終講義を始め賭する講演が収録されております。
タイトルもそれぞれ刺激的で、『日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)』や、『ミッションスクールのミッション』果ては自らの専門領域であるユダヤの研究に関連した『日本人はなぜユダヤ人に関心を持つのか』まで教育のありようや、昨今の人文科学の様子まで、本当に多岐に渡るお話を伺えて、久しぶりにこういう手の話を聞いたような気がいたします。
僕も大学は人文科学系でしたが、別な方向にそれてしまって以来、ずいぶんと離れてしまったので…。
それはさておき、僕は縁のないであろう女子大学という教育機関。それも神戸女学院大学の建物から、女子の教育という命題について、キャンパスの建物についてから、『旗を掲げる』ということの「意味」など、読んでいて本当に面白い話が散見されておりました。
特に、『教育に等価交換はいらない』という演題で話された講演では、「市場原理主義」が教育について語るときに、感じた反発が縦横無尽に語られていて、『市場は常に間違えない』という考え方も何でもかんでも用いてはいけない、ということを切々と訴えていて、それがとても印象に残っております。
繰り返しになりますが、僕は内田氏の著作をあまり読んだことがないので、人によっては同じことの繰り返しかと思われるのでしょうが、僕個人にとっては楽しく拝読ができました。
※追記
本書は2015年6月10日、文藝春秋より『最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)』として改題、文庫化されました。 -
内田樹 最終講義 教育、大学、組織、日本が生き延びるための処方箋を語った講義録。良書だと思う
結論としては、共生原理による社会、直観の重要性とそれを引き出す組織づくり、ブリコラージュ(ありものの使い回しで急場をしのぐ)に生き延びる術を見出している。教育の市場原理を批判し、人文学の意味、教育者が負うリスク、子どもの成熟プロセスなどを論じている
一番強く否定していたのは 教育投資(教育にかかった費用より、その教育により得た賃金や地位が高ければ、教育は成功とする考え方)。教育を投資と考えるのは、教育の自殺であり、使用禁止用語にすべきという主張。その通りと思うが、親がお金を、子が時間を 投入して、その見返りを子が受ける行動を投資とされると 親が子にすることの大半が投資となってしまうのでは?
古典文学など 人文学の意味や効果(直観力〜存在しないものから何かを感じとる能力)をわかりやすく伝えた文章は素晴らしい。大学サイドの人たちも 学生や一般の人たちに文学の意味を積極的に伝えるべきだと思う
子どもを成熟させるために、大人たちの異なる価値観をわからせ、矛盾を経験させるという考えは 学校の先生では難しい。親が中心になると思う
組織力
*人間は自分のためでは力がでない〜自分の成功を共に喜び、自分の失敗を共に苦しむ人たちが多いほど〜知性のパフォーマンスは向上する
*人を見る目とは その人がその組織に置いた時、どのような働きをするか想像する力
*組織には メンバーが標準化しないように異物(違う視点、違う基準で良否を判断する人間)が必要
共生原理の社会
*ずらして、かぶらないようにする
*競争相手を押しのけて奪い取る生き方をしない
教育者が負うリスク
こちらが 人に教えたいと言って始めた以上〜誰かが扉を開けるまで、待っていなければならない
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著者が1990年から21年間勤めた神戸女学院大学における伝説の「最終講義」はじめ、7つの講演を収めたのが本書。
私は割と熱心な内田樹ファンで著書もかなり持っていますが、調べると「ウチダ本」を読むのは実に1年2か月ぶりでした。
しばらく追い掛けていましたが、発刊ペースが速すぎてついていけなくなったのですね笑。
それだけ多作な方です。
私がウチダ本を読む理由はただ一つ。
知的に負荷をかけたいからです。
自説を補強するような読書には興味がありません。
どこかで聞いたような話をわざわざ本で読みたいとも思いません。
極端なことを云うと、そこに書かれていることが正しいか正しくないかにも然したる関心はないのです。
私は、一部の方たちがどうしてそこまで書物の内容の「正しさ」に過剰にこだわるのか、実は理解できないのです。
読書の愉しみのそのぎりぎりの勘所を述べよと云われれば、やはり心が揺さぶられることではないでしょうか。
せっかく読書をするのだから、こちらの先入観を見事に覆し、期待を大胆に裏切って、新たな地平へと運び去って欲しい。
そんな欲求を満たしてくれる数少ない書き手の一人が内田先生です。
えーと、前置きが長くなりました。
本書の読みどころのひとつは、「教育論」でしょう。
ご存知の通り、1984年の臨教審以降、教育改革が叫ばれて久しいわけですが、近年は特に経済界の要請が教育現場に色濃く反映されるようになりました。
経済界の要請とは何か。
端的に云えば、「集客力のあるクライアントに魅力ある教育プログラムを提出するのが学校の責務でしょ」ということです。
これに対して、内田先生は明快に「否」と云います。
「市場のニーズに追随して大学が次々と教育プログラムを変えてゆくと何が起こるか。簡単ですね。日本中の学校が全部同じになるということです」
市場のニーズに対応する大学は一見、アクティビティ(能動性)が高く見えますが、実は「市場のニーズに対してつねに遅れている」。
つまり、アクティビティが高いわけではなく、パッシビティ(受動性)が高いと著者は喝破します。
教育はニーズがあって提供されるものではなく、まず教える側が旗印を高く掲げ、そこで学びたいという者を創り出すものであるべきというのですね。
ほら、凡百の評論家とはひと味もふた味も違うでしょう?
第5稿「教育に等価交換はいらない」は、ビジネスマインドがいかに教育分野に馴染まないかを情理を尽くして教えてくれます。
長いですが引用します。
「日本人が教育をビジネスのタームで考えるようになった病的な兆候の最たるものは『教育投資』という言葉ですね。(中略)では、教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に『投資は成功だった』とみなされる。要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と」
こう読むと、いかに「病的」かが分かろうというものですが、残念ながら私たちにはあまり病識がありません。
教育の最終的なアウトカムは軽量不能であるという著者の言葉を、私たちは虚心に返って噛み締めるべきではないでしょうか。 -
赤坂真理さんが解説でべた褒めされているが、たしかに良かった。話が多岐にわたっていて、思い出せない部分もあるのだけれど、教育や医療を市場原理に持ち込んではいけないという点は一貫している。これは一部の州だけのことかもしれないがアメリカでの現状を聞くとひどい話だなあと思える。要するに税金は払うが、自分が払った分は自分のために使ってほしいということ? それのどこがいけないの、という声も聞こえそうだけれど、持ちつ持たれつというか、世の中いろんな人がいて成り立っているのだから、まあ、人助けのために税金を使ってくれるなら良し、とすればいいのではないかな。沖縄に核兵器があるという話(実際のところどうかは別として)、これ内田先生だから公の場でこんな話ができるのだろうか。それがまた、北方領土返還と関わっているというのは、そんなこと考えたこともなかったから、実におもしろい(おもしろいなんて言える話ではないのですが)。ヴォーリズの建築、ぜひ見てみたい。体感してみたい。政治家には100年先を考えてほしい。(原発の再稼働なんてありえない)自分の利益ではなしに。
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2008~2014年に行なわれた講演のなかから7つを収める。テーマは、教育、学びの本質、これからの大学のミッションなど。内容の重複はほとんどない。
21年間勤めた神戸女学院大学を去るにあたっての「最終講義」(2011.1.22)が印象深い。1990年、「生き馬の目を抜くような」忙しい東京の生活から、「秘密の花園のような穏やかな大学」に赴任。内田がそこで身につけたのは「寛容さ」だったという。
95年にはあの大震災。神戸女学院も、ヴォーリズが設計した建物群が損壊。復旧工事に際して、建物を見てまわるなかで、ヴォーリズの「仕掛け」に気づく。音響効果や採光の効果はもちろんだが、隠し屋上、隠し廊下や隠し扉、そして隠し部屋があることを発見する。「扉を開けてみなければ、その向こうに何があるかわからない」。建物のそこかしこがに「教育」のメタファー。 -
【配架場所】 図・2F総合教育院おすすめ文庫
【請求記号】 914.6||UC
【OPACへのリンク】
https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/volume/472710 -
歯に衣着せぬ話とは、この事かと思う講演! 脱線あり、個人史ありで彼らしい話でした。神戸女学院だった人たちが羨ましい。
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内田樹だなぁって感じ。
大学建築の話は特に印象に残った。 -
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超少子・高齢化時代を迎えた日本の進むべき道は? 学びのスイッチを入れるカギはどこに? 窮地に追いつめられた状況から生き延びる知恵とは? 今を生きるための切実な課題に答える講演録。「共生する作法」を加筆し文庫化。〔技術評論社 2011年刊の増補・加筆〕【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40229416 -
ためになる話。
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自分がいかに歴史的な文脈の中に生きているか、ある思想に囚われているかについて考えさせられました。
その考えはおかしい、という主張は、それが正しいかは置いておいて、自身を客観的に見つめ直すのに有用です。 -
いつものお話だった。
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25歳の選択について60歳で語ってる
それが
痛いほど正直なとこが
強いなあ!
学ぶ意味
教える立場
わたしは新しい学びの後
これ程強くあれるかどうか
強くあれない理由を知るために
また本を読もう! -
2011年に長年勤めてきた神戸女学院大学を去った著者が、そのころにおこなった講演のうち、6本をまとめた本です。
最終講義ということもあって、著者がとくに力を入れて取り組んできた問題のひとつである教育問題について率直な議論が展開されています。講演がもとになっているということもあって、他の著書よりも若干「前のめり」で議論がなされているような印象を受けました。そのぶん、著者のエネルギーを感じます。
また、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)について著者みずから解説をおこなった、日本ユダヤ学会での講演も収録されています。こちらでは、レヴィナスと武道に打ち込んできた著者がみずからの内なる「反米」というモティーフをえぐり出す試みがなされており、もちろん講演ということで単純化して語っているところもあるのでしょうが、著者の思想を振り返って考えてみるうえで大事な視点を著者みずからが示しているように感じました。 -
ニチユ同祖論と安保闘争のところがとても面白い。
メンタリティは、敗戦国としてのルサンチマンだったのですね。 -
一時期レヴィ=ストロースに興味をもっていて内田さんの本を読んだことがあるのですが、
その本が私にとっては少々荷が重くて、以降内田さんの本から遠ざかっていました。
今回のもなかなか読み応えがありますが、講演集なので理解しやすいです。
久しぶりに頭を使って本を読んだ気がします(どんだけ呆けてんねん>自分)
学びの本質について含蓄がある話が多かったですね。
20150731 -
相変わらずの内田節で読んでいて面白い。大学建築の話とか、異質な人が居た方が全体として生存確率が上がるとか、いずれもどこかで読んだことがある話な気もするけど、同じ話を色んな例えを入れつつアップデートしていくのがこの方の流儀だとは思う。
ただ、読んだことない話もあって、その部分は非常に興味深く読めた。誰が読んでも自分の話だと感じるという、複数の立場を同時に盛り込む文章(倍音)の話は、なるほどな、と思ったりした。個人的にも倍音のある文章を書いてみたいな、とそんなことを思った。
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