ぼくたち日本の味方です (文春文庫 う 19-20)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167904937

作品紹介・あらすじ

3.11後の日本をどう生きるか――右肩上がりの幻想も、予定調和の幸福も、従来型の日本モデルの勝利感もない時代に、新しい日本の愛し方を模索する感動の対話。

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災前後の時事対談たが、あまりにも状況が変わってなくて驚く。
    震災後は日本は変わる、変わらねばと言っていたが、その後の安倍政権の下、そのままの状況が続き、深化しただけだったのか。
    この本で評価されているシールズなど影も形もなく、ローンウルフ型犯罪ばかりが目につく。父がいなくなったと盛んに言っているが、安倍氏はとても父というタイプではなかったが、その戯画化または代用だったのか。
    維新の会も伸びは止まったが、維新と安倍は同根だし、トランプ型の大きなうねりの一つの流れ。明らかにグローバル化にストップはかかり、ローカルになってきたが、内田や高橋の予想や希望とは異なる方向と思う。

  • 民主党政権時代、震災前後の内容だが、2人の口から語られるのは右とか左の問題ではなく、旧態依然としたシステムの問題だということ。
    今の世界を見ると右か左かの問題ではないことは良く判る。
    本論とは別に印象に残った部分を…

    ・今は鳥葬でも人間の内臓は食べてくれない。
    ・脳が記号を食ってる。
    ・非社会性の大切さ。

  • 『沈む日本を愛せますか?』(文春文庫)の続編で、東日本大震災を挟む2010年9月から2012年3月までの日本の政治状況について、内田樹と高橋源一郎が論じあっています。

    内田の身体性に根ざした他者論にもとづいて、民主党政権を担った政治家たちのことばの軽さとそれを許しつづけてきた日本の政治的風土が小気味よく批判されています。一方、橋下徹については、その背景に彼の身体性と骨がらみになっているルサンチマンが存在することを指摘し、とくに高橋は興味をそそられているようですが、橋下の推し進めようとしている政治のありかたに対しては厳しい批判をおこなっています。こちらは、内田の著作である『呪いの時代』(新潮文庫)のテーマにかかわってくるようにも感じられます。

    ただ個人的には、身体への回帰という内田の主張には危うさを感じており、おもしろく読めただけに困ってしまうところも多々ありました。「ぼくたち日本の味方です」というタイトルは、ネットの論壇などを中心に「反日」と罵倒されることの多い内田と高橋のアイロニカルなスタンスを示していると受け取られるのかもしれませんが、もちろん二人は本気でもあるのでしょう。こうした絶妙のバランス感覚が身体的な知によって維持されているところに、内田のたぐいまれな知性が示されているわけですが、どうにも危なっかしいと感じてしまいます。

  • 白か黒か。
    そういう発想では複雑に絡み合う問題を解決できない。
    だって白って言えば黒っぽい側の人たちは困るだろうし、
    逆に黒って言えば白っぽい側の人たちは怒るだろう。

    じゃあどうするか。

    グレーゾーンをつくってそこで手を打つしかないだろう。
    でもそれは全てをうやむやにしてしまうということではなくて、どんな白と黒を混ぜてどんな灰色を作れるかという試行錯誤の取り組みで、そうやって色んな白と黒を混ぜ合わせ続けることが大事なんだ。

    二人(三人?)のおじさんはそんな風に言ってるように聞こえました。

  •  おじさん二人の対談集。東日本大震災が起きる前と、起きたあと。日本は何が変わって何が変わらないのか。

     この中で、原発に30年反対し続ける瀬戸内海の小島、祝島の話がよかった。

     毎日デモやっているといっても、ほとんど世間話しながら島の決まった場所を歩きつつ、たまに思い出したかのように「原発反対」と声を上げる。

     それに、飯を作ってたからとか、飯作りにとかで途中参加したり離脱したりして、それを30年間続けている。

     高齢化率が高止まりして限界集落になり、やがて人がいなくなるのが確実になっているのに、老人たちはやめない。

     そういう地域の繋がりというもの、今は日本のどこにあるだろう。

     人を集めて吸い尽くし、人だけがどんどん増えていく東京のどこに価値があるのか。
     

     人生いろいろと言っていた首相がいたじゃない。それって意外と本当でさ。

     価値なんて割り切れないよなぁ。

  • 出版されて、もう一ヶ月くらいになるのに、レビューが書かれていないことが意外。

    内田樹も高橋源一郎も、それぞれ著作を読ませてもらっているので手を伸ばしてみた。
    なんというか、ちょっと世の中を振り返ってみたいなあと思うとき、何に手を出せばいいだろう?誰の言葉から始めればいいだろう?って悩みませんか。

    そういう時に、ああ、この人の言葉ならまず読んでみようかな、という安心感はあると思う。
    まあ、良くも悪くも、はあるけれど。

    そうして、結局アレは何だったんだろう?って考えるのは必要なことのように思う。
    例えば、今作では尖閣諸島の話や、3.11の話が語られているけれど、今のテレビではそのこと自身にゆっくり触れられるって、例えばその日一日だけのイベントになりつつある。
    でも、振り返って考えることは、大きな流れの中心にいてはなかなか出来ない。

    面白いなあと思ったのは「ハイパーアクティヴ」のくだり。

    「アクティヴィティそのものには政治的な価値はないんだよ。声がでかいとか、態度が大きいとか、合意形成に興味がないとかいうこと、それ自体には政治的になんの意味もない。そういう人間が権力を持てば確かにいろいろな変化は起きるけれど、その政策的な適否と異常にアクティヴであるという人格特性の間には、全然相関ないでしょ。」

    「ゆっくりことを進めよう」とする政治家が良くないレッテルを貼られることでもある、と。
    橋下さん自身が、ただのハイパーアクティヴであったか私には判断出来ない。けれど、権利だけを主張する、その実何も主張する根拠を持ち合わせてはいないハイパーアクティヴなる人間は、割とたくさんいるのではないかと思う。

    そういう人にスポットが当てられると、そういう人を真似したがる人たちがいるとも言えるけれど。

    もう一つは父性否定の完成。
    リーダーがどんどん若くなっていっている。
    でも、そこで父性を求めている気持ちもあるんじゃないか、って、なんとなく……分かる。
    父性否定は追い求めるべきテーマであって、完全な否定なんて、はて、出来るのだろうか。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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