- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167906504
作品紹介・あらすじ
先のない男女ふたりが辿りついたのは日本海だった漁師・長尾と「愛人」の紗江の二人がたどりついたのは日本海。「ずるい男」と知りながらも、彼と離れられない――色彩豊かな短篇集。
感想・レビュー・書評
-
森絵都さん、最近ご無沙汰だったけど、久しぶりに読んでやっぱりすごくいいなあと感じ入った。
読みやすい文体なのに、もやっとした感情が的確に言語化されていて、ほんとそうなのよ、とグッと引き込まれる瞬間が何度もある。
特に好きだったのは『あの日以降』『漁師の愛人』。
『あの日以降』は震災以降の話だけれど重くなりすぎず、震源地からは距離のある場所で「あの日」を迎えた自分としては共感しやすい温度感だった。
被災地にいなかったからこそ「幸せであったらいけない」と感じた人は多かったんじゃないだろうか。
『漁師の愛人』については、物語の大テーマではないものの
「良かろうが悪かろうが、彼女自身が望んだ人生ですもんね。それをね、不憫だ不憫だって、夫の酔狂につきあわされとる付属品みたいに決めつけられるのがストレスなんとちゃうんかなあ。」とか、
「人が少なければ少ないで、ほかの何かが空白を埋めるものなのだ」「都会ではいつも人に頼っていた。人のいない空白を人で埋めようとしていた。誰もがそうだった。コミュニケーションの希薄化だのと言うけれど、日進月歩のツールを駆使して、人々はますます人を求めているよう」とか、
ハッとさせられる文章がいくつもあった。
ラストも含め、酸いも甘いも少しずつ分かってきた大人になったからこそ胸打たれた短編。夫、妻、愛人の複雑な人間模様にいろいろ考えさせられる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
プリン三部作(と名付けました)はちょっと緩くてしかし主人公にとっては洒落にならない状況で気に入りました。
この本を読んで久しぶりに東日本大震災直後の自分の気持ちを思い出しました。
13年経って東京に住む私にとっては気持ちがだいぶ薄まっていたんだなと思えてよかった。ただ薄まっていくのではいけないと思えたからです。
『漁師の愛人』は映画みたいなタイトルですが、東京で愛人をしていたら相手が故郷に帰って漁師になることになってそれについていく話です。いや、実際ならなかなか厳しい状況だなと思いました。 -
短編3作と中編2作。
短編はどれも、プリンがきっかけの諍いというかいちゃもんというか。怒りが怒りのままで放り出されたような感じで、これをどう受け取ればいいのか。
東日本大震災の後の日々を描いた中編「あの日以降」は、被災地ではない場所でも不安定な気持ちで過ごす人たちの話。
最初から最後まで気持ちが塞ぐ話ではない。ただ、世の中が疲れている状況であの頃の感情を思い出すのは気力がいるようで、読む時期を間違えた。
表題作は、不倫相手に連れられて漁師町で暮らす愛人女性と、離れた場所にいる妻との電話での交流。
不思議な交流に目を引かれたものの、近所の住民の反感とか男の見積もりの甘さに段々面倒くさくなってしまった。
最後は、こんな男やめたら、と思った直後にそんなのずるくて、だからやっぱりやめたらと思う。 -
森絵都『漁師の愛人』文春文庫。
確か東日本大震災以降にテーマにした短編が収録されていたはずと、たまたま本屋で手にした作品。5編収録の短編集。
何故かプリンを巡る短編が3編が収録されている。特に小説としての面白さを感じない、よく解らない平坦な短編ばかりが並ぶ。駄作。
『少年とプリン』。給食のプリンを巡る小学生の少年と女性教師のバトル。何のこっちゃ。
『老人とアイロン』。家庭でのプリンを巡るアイロン師になりたいと言う息子と父親のバトル。何のこっちゃ。
『あの日以降』。東日本大震災以降に奇妙な共同生活を送るアラフォーの女性たち。
『ア・ラ・モード』。またプリン。プリンの無いア・ラ・モード。だから何なんだ。
『漁師の愛人』。表題作。郷里ゆかりの地で漁師になった長尾の愛人・紗江は地域から「二号丸」と呼ばれ……
本体価格580円
★★ -
森絵都さんの短編ってセンスがあるなあ、といつも思います。普通の人なら見逃しそうな日常の中のさりげないシーンや、そんなことを思っていたことを忘れてしまうような感情も、切り取り方一つで小説のシーンにしてしまい、一つの短編に仕上げてしまう。そんな印象を抱くのです。
この短編集で取り上げられるプリンをめぐる三つの短編。それは担任の先生との言い争いであったり、親子ゲンカであったり、喫茶店で売り切れていたりと、いずれも一見したところでは、特に小説になるような話ではなさそう。
でも森絵都さんの手にかかれば、それは短いながらも一つの物語に変身します。やっぱり森絵都さんの視点はすごい……。
いずれも心理描写が巧みで、まるでエッセイを読んでいるかのように、それぞれの言葉がスッと入ってきます。また当人はいたって真剣にやっているのに、第三者から見ると可笑しい、ということは日常生活でもあると思うのですが、その雰囲気がこの三編それぞれに出ています。
いずれの短編も真剣さに共感できるところと、可笑しいところがあってクスリとしてしまう箇所があるのです。身振りや表情も使えず、文字だけで人を笑わせるって難しいと思うのですが、森絵都さんの短編には、時々そうした笑いの要素が入ってくるのも、スゴいと思います。
特に給食のプリンが一つ足りない件で、先生と生徒が言い争う「少年とプリン」が良かった!
子どもなので上手く言葉が出てこない、であるとか、声変わりを気にしながら先生とケンカ腰に話すところとか、本当によく気を回して書けるなあ、と感心しきり。
それでいて大人の身勝手さやズルさをこのケンカから描き、痛快な結末まで用意されています。
給食でデザートが一個足りない、というのはあるあるネタだと思うのですが、そんなワンシーンをこんな短編に仕上げるのは、やっぱり森絵都さんの視点の細やかさとセンスがあると思うのです。
他に収録されているのは、3.11直後の女性たちのシェアハウスの生活を描いた「あの日以降」と、正式に離婚が成立していない恋人の漁師の地元に移り住んだ女性を描く表題作の「漁師の愛人」
「あの日以降」で妙にリアルさを感じたのは、震災後不倫相手への感情が冷めたという、主人公と同居する女性のエピソード。
なんでも余震のせいで「電車が止まるかもしれない」という理由で、会う回数が減ったそうなのですが……。いや、絶対これ実話だろ、と心中で思わずツッコみいれました(苦笑)
こうしたことをはじめとした、短編のなかの物事のリアルさはもちろんなのですが、心理描写もやはりリアル。
3.11直後、日本中が覆われた暗い雰囲気と自粛ムード。東北の方が大変なのだから、自分たちは弱音を吐いてはいけない。そんな鬱々とした雰囲気を大げさにならず、あくまで東京に住む女性たちの等身大の姿としてリアルに描き、
中年ならではの思い切りの悪さというか、スパッと格好よく物事が決まらない、進まない、そんなカッコ悪さを描き、
それでも、カッコ悪さの中にも、きっとあるであろう人生の明るい転機や希望が描かれるのです。
等身大の震災文学と言えるような、味わい深い作品だと思います。
そして表題作「漁師の愛人」も味わい深いです。
正式な妻がいるのにも関わらず、相手の男の故郷に移り彼と一緒に住む女性。しかし故郷のコミュニティは、彼女に冷たい視線を向け……
一歩間違えば、ものすごくドロドロしていて読んでいて疲れそうな話なのに、女性の追い込まれていく気持ちを描きつつも、彼女の回りの人間の不思議な魅力もあって、重くなりすぎずに読ませるのは、流石だと思います。
そして、この話も結末が鮮やか! ラスト一文を読んだときの爽快感は、なかなか言葉では言い表しがたい……。
何気ない関係性が誰かを救っていたり、一種の決意や覚悟、開き直りであったり、鬱々とした感情がそうしたものでスパッと断ち切れるような、そんな感じでしょうか。とにかく最後の一文が力強く、気分がスッとなりました。
森絵都さんの作品読んだのは久しぶりですが、改めて森絵都さんの視点や、シーンの切り取り方、そしてどこか暖かさを感じる雰囲気を堪能し尽くしました。森絵都さんのこういう短編は、毎日でも読めそうな気がするなあ。 -
震災後に書かれた5編の短編集。
うち、3つはプリンに関する物語。
給食のプリンがいつも足りなくなるクラスの、担任との攻防。用務員さん。4つ連なってるプリンを2つ食べたのは誰だ?喫茶店でプリンは無いが、ア・ラ・モードならできるという。ここまでプリンが出てくるのに、プリンが食べられない話ばかりで、ほんとにプリン食べたくなる。
ひとつは震災後の変化を汲み取った「あの日以降」。
“問題は、私たちが今、幸せであったらいけないと感じていることかもしれない。”
あの日以降、心の中のどこかにこの感覚がずっとある。あの頃ほどでは無いにしても。
表題作「漁師の愛人」は、漁師になるという不倫相手についてきたものの、漁師町の女たちに「二号丸」と陰口をたたかれ、仲間はずれにされ続ける。しかし、彼は漁師町の仕事に本気で取り組み、ずっとここに根を張るつもりだという。
久しぶりに短編、中編の楽しさを存分に味わえる本だ。物語は、やっぱりおもしろい。 -
「少年とプリン」「ア・ラ・モード」が好みかな。あの日を境に様々な価値が変容したのは間違いないが、その後の自然災害、テロ、戦争などに心を痛めつつも、自身の倖せを考えてもいいのだと後押ししてくれる作品たち...。また、ふと手に取るのだろうな...。
-
(3.11によせて)
以前(割と最近であるが)、テレビでとある作家が言っていたのが、3.11の震災以後の時代を舞台とした物語が書けていないと。
この方だけでなく、おそらく数多くの作家(の作品や作風など)に何らかの形で影響を及ぼしていたのだろう。
そのことに、私は初めて気づいたように思う。
震災当時、私はまだ未熟な社会人だった。
デスクワーク中に大きな揺れがあって、古めの建物は崩れるのではないかと心配になるほど激しく揺れたが、同じフロアにいた社長は外に逃げる気配もないので、自分だけ逃げ出すわけにもいかず、逡巡しているうちに揺れはおさまり建物は崩れずに済んだ。
幸いなことに家には無事に帰れたし、水道やガスも問題なかった。
それよりも、慣れない社会やルールにもみくちゃにされ、神経は衰弱していたし、本を読む余裕もちっともなく、とにかく自分自身を保つことに精一杯だった。
そのため震災以後が文芸に与えていた影響について鈍いまま、考え及ぶこともなかった。
そしていま出会ったのがこの作品だ。
震災に心を痛め、震災以後の時代の作品を未だに書けない作家もいる中で、それでも書いた作品だと思うと胸が詰まる。
登場人物の苦悩は作者自身の苦悩であったのではないのか。
そしてそれはそのまま誰かの苦悩だったのではないのか。
みかづきなどの過去作のように、史実な社会背景とシンクロした描写が印象的な作者だから、震災以後という時代背景は無視できないものだったのかなと想像する。
ただ震災以後という背景だけでなく、作者の児童文学が大好きな私からすると、ヤングアダルトが主軸である短編にはワクワクして読んだし、登場人物が決断したとき目に映る描写のみずみずしさは、やっぱり森絵都さんだとふわっと嬉しい気持ちになった。 -
東日本大震災の後、それもさほど時間が経過していない時期の空気を孕んだ短編集。ああ…………そういう噂、感触、感情があったなあの頃、とハッとする。その微妙な意識の揺れ、すっかり忘れていたなあ。そんな肌触りがある一冊だった。
プリンを巡る3つの短編は、主人公をずっと「君」と表現し、すぐ側にある見えない何かとして内面を追っていくのが、不思議な感覚をもたらしてくる。少年から青年にかけて内在する怒りが詳述されているが、それを上回るほどその文体のテンポの良さが快い。またきっとページを開いてしまいそうだな……。
『あの日以降』は、まさしく震災直後の物語。当時、自分自身は20代だったけれども、30代だったら受け止め方は大きく違っていただろうなあと思わされる。心地よい小さな世界が壊されて、新しい道を見つけ出すまで。着地の前の藤子とヨッシの気まずい時間が生々しくていたたまれないけれど、そこに本音と現実があったように感じたのは、自分が30代も終わりに差し掛かり始めたからかもしれない。
表題にもなっている『漁師の愛人』。主人公の紗江の仕事が音楽関係だからか、漁師町の音にまつわる表現が饒舌。実際の手触りが自分の身の上に再現されるような、世界に入り込みやすい装置となっていた。田舎ってそういうところあるよね、と辟易する場面もありつつ、暗くなりすぎないバランスが絶妙で。最終的には感情が爆発もするけれど、この今ある場所でたおやかに生きていく姿が想像できて読了後に爽快感で満たされた。
タイトルの湿っぽさとは逆の着地になるのが面白いなあ、と感じる短編集でした。 -
短編が3本と中編が2本の物語集。
3つの短編に共通しているのが、主人公を誰かが「君は」と呼ぶかたちで進んでいく小説で、その語り部の視点が誰なのか(あるいは誰でもないのか)分からないままであるところが、不思議さを醸し出していて面白い。
2本の中編の間に箸休めみたいな感覚で読めるところも良かった。
表題作は、タイトルそのままの物語。
東京で音楽プロデューサーをしていた長尾が、仕事を辞め郷里で漁師を始めた。長尾について行きそこで生活を始めた愛人の紗江だったが、その立場から田舎の狭いコミュニティからは明らかに拒絶されてしまう。
そんな中、長尾の妻である円香から定期的に電話が掛かってくるようになり、妻である円香と愛人である紗江が電話で普通に会話をするという、奇妙な関係が出来上がっていく。
愛人の立場の紗江は、不安はあるけれど全く未来が見えないわけではない、という状況。だけど地域で省かれて居心地は悪く、どこか呑気な長尾に苛立ちを覚えたりもする。
紗江を気にかけてくれる人も僅かながらいるけれど、何よりも彼女の支えになったのは、長尾の妻の円香との他愛のない会話だったのかもしれない。とても奇妙な現実だけど、常識を取っ払った時に見える関係はけっこう温かかったりもする。
真っ当とは言えないけれど、紗江のことも円香のことも憎めない感じがある。
もうひとつの中編「あの日以降」は、東日本大震災が軸になった物語。
はっきりと被災地とは言えない東京で同居する女3人が、震災によって考えを変えたり人生自体を変える決断をする。その途中の心の揺れがリアルに描かれている。
震災という大きすぎる出来事に心を揺さぶられた人が数多いたというのは恐らく事実で、この本が出版された頃はとくに、震災に何らかの意味付けをすることに意義を感じていた人が多かった時期なのかもしれない。
それはもしかしたら、被災して本当に辛い思いをした人たちではなくて、それを少しの距離感を持って見ることが出来ていた、ある意味幸福な人たちだったのかも。
ひとつの出来事が色んなかたちで色んな人に影響を与えるということ。後から考えてみれば自分の行動に理由を付けたかっただけなのかもしれないけれど、きっかけとしてはあまりにも大きい。
薄めの本ながらも、とても充実した内容だった。