- Amazon.co.jp ・本 (341ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167906702
感想・レビュー・書評
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愛妻家とそうでない主人公の妻が不慮の事故で亡くなってしまう物語。
ひとを愛することとは…ということを投げかけるストーリー。
『長い』でなく『永い』言い訳の意味がわかったような気がします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
西川美和さんの作品は今回初読み。
人気作家の津村啓(本名:衣笠幸夫)は、ある日突然妻を不慮のバス事故で亡くす。長年連れ去った夫婦だが、2人に子供はおらず夫婦関係も冷め切っており、妻が亡くなったその日も幸夫は愛人と密会中だった。
事故は妻が親友と旅行中に起きており妻の親友も亡くなってしまう。被害者の会で、妻の親友の夫大宮陽一と幸夫は出会うが、愛妻家で2人の子持ちで直情型の陽一と全く正反対の幸夫。ふとしたきっかけで、陽一の子供たちの世話をかって出ることになった幸夫だが・・・
最後は心温まる何かが得られるような期待があって読み進めたが、再生だとか、救いだとかそういう互いの物語ではなかった。
愛した人を亡くすということ、愛してくれた人を亡くすということ、遺された者の生き方、飾りごと抜きで真正面から向かい合わずにはいられない作品だった。読み手の思考を誘導せず、分かりやすい応えを導くのではなく、ただその心情を剥き出しに表現し訴えかけてくるので、心して読まないと迷子になりそうな危うさすら感じた。
幸夫と陽一の気質が全く違うのに、場面によっては其々に共感してしまった。
これが遺された者の変化なのかもしれないし、「長い」言い訳でなく「永い」言い訳ならば、きっと遺された者が生きている間は、その死に対する受け入れ方は変化し続けるんだろう。そして、いずれそれが亡くなった者への供養に繋がっていくんだろうと思う。
それにしても、幸夫くん。
なんとも不器用でシニカルだなぁ。
作家になる為に、犠牲にして手に入れたものの価値って如何程だったんだろう・・・
愛してくれたなっちゃんが生きている間に、もっと気付けた筈だし変わって欲しかったなぁと切なくなった。きっと、なっちゃんも沢山言い残したこと、話したかったことあっただろうなぁ。
たとえいつ亡くなったとしても、どんな終わり方を迎えても、自分なりに納得出来るような生き方をしていきたいと思った。
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個人的には主人公の傲慢さとか高飛車な感じがあって全く好きになれませんでしたが、それが良いアクセントなのだろうなとも感じました。
本作はバスの事故で突如、妻を失った主人公と同じような境遇にある家族との交流を描く物語。特に上手いなと思ったことは、この2人の対比です。方や、関係性が崩壊しつつあった夫婦に対し、もう一方は順風満帆で円満な家庭。ここに事故で妻が亡くなるという共通のファクターを入れることで、対比構造を保ちつつも、ラストの2人の考え方が際立っているように感じました。
途中、主人公の鬱屈したものの見方や意地の悪い性格に嫌気が来てしまって読むペースが落ちたので、評価としてはまずまずって感じです… -
主人公の男性は妻の死を受けとめるまでここまで時間を要したんだなという印象が強く残った。
身近な人の死を受けとめ受け入れて生きていくということはとても辛く自分の心を消費することであって並大抵のことではない。これでもういいなとかここまできたからなどということではないので本当に人それぞれである。
命がなくなるということは物理的にも人の気持ちにも迷惑がかかる。
本当にその通りだなと思いました。
主人公幸夫は好ましいような性格ではないけれども読めば読むほど人間の陰の部分、負の部分が人間味溢れていて逆に共感できる部分であった。
永い言い訳
身近な存在ほど失ってみないと後悔も感謝も実感できない。
言い訳し続けないように生きていきたい。 -
前に映画を見たので、なんとなくはわかっていたけれど、原作を読みたくなって。
妻が事故で突然亡くなったあとの夫の毎日。
感情が乏しいというか、冷たい印象の主人公が、大宮家と関わるうちにだんだん人間になっていくような感じがした。
映画のキャスティングがぴったりな内容だった。 -
直木賞候補。本屋大賞4位。
こうあって欲しいと思う展開が幾つも違って進んでいくので、話の筋に対してフラストレーションを何回も感じた。たぶん生き続けること(リアリティー)とはそういう瞬間の連続なんだろう。
いろんな人物の視点で物語が進むのは面白いが、各々の知的水準やそれに応じた語彙力の設定が少しフラついている気もした。 -
誰でも何かしら人に言えない後悔の様なものを感じながら生きていくのではないか。永い言い訳をしながら私もいきているなあ
※2024.3.24(日)
映画鑑賞
本木雅弘さん主役
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深夜バスの事故によって妻を失くした小説家と、その妻とと共に亡くなった妻の友人の残された夫と二人の小さな子ども。ふとしたことから、小説家と彼の友人の家族との交流が生まれます。
小説家の衣笠幸夫を主人公としながらも、章ごとに視点や人称が入れ替わる体裁で書かれているので、群像劇のような印象も受けます。また、一人称で語れる章は、ぐっと人物にズームアップするように感じられるので、そうじゃないところとの関係に緩急が生じていて、作品がより柔軟なつくりになっていました。くわえて、それぞれの人物の向いている方向が微妙にずれているし、角度も違いますし、同じ人物のなかでも気分によって素直だったり憎たらしくなったりして、デコボコがある感じがします。総合的なイメージでは、いろいろな柄の布(大柄の文様や細かい文様、キャラクターものや縞模様などさまざまな種類)で縫われたキルトが多角形の箱の表面に張られている、というような作品というように、僕には感じられました。
この小説の意識の底にあたるような部分に流れているのは、たぶん愛情に関するものでしょう。冷え切った関係になってしまった夫婦の、その残された夫のなかにはどんな愛情があるのか、というように。また、お互いが正面からつきあいあう家族、つまりぶつかり合いであってもそれぞれが甘んじて受けることを当たり前とする家族に相当する、小説家と交流するようになる家族のなかの愛情もそうです。
が、読んでいて引っかかってくるのは、いろいろな人物たちの本音ばかりではなく、その本音に結ばれた行為のひとつである「卑怯さ」なのでした。卑怯さを許さないだとか許すだとかの考え方もあると思うんです。前者は真摯さの大切を問うようなものでもあるし、後者は寛容さでおおきく包み込みつつ人間への諦念を持ちながらもその後の少しだけだとしたとしても「改善」を約束させるものだったりします。
卑怯さというのは不誠実さを土台としていたりします。そして本書のタイトル『永い言い訳』とは、そんな不誠実さへの永いながい言い訳、終わらないような言い訳なのではないかと僕は読みました。ここでは主人公の衣笠幸夫の言い訳が芯になっていますが、これについては、誠実であるほうが好いのだと考える人であればだれもが言い訳をするものだと思うのです。原罪のように、人はその土台に、本能的な利己ゆえの不誠実を備えているだろうからです。それを超えたいがために、言い訳をするのです。その言い訳は、ただ逃げるだけではなく、ただ逸らすだけでもなく、乗り越えるためのじたばたする態度なのです。
本書で著者はそういったところに挑戦しているし、結果、なかなかに真に迫ったのではないかと思いました。また、だからこそ、よく執筆関係の文章で「ちゃんと人間が書けているかどうかを小説で問われる」なんて見かけたりしますけれども、その点でいえば、むせかえるくらい多様な人間臭さが詰まっている作品として書けていると言えるでしょう。
作品自体、枠から暴れ出たそうにしているところを感じますし、著者は作品がそうしたいのならそうさせる、というように書いたのではないかなと想像するところです。そういう作品だけに、作品自体にまだ空想の余地もあり、「自分だったらどう編むか」みたいに考えたくなったりもします。刺激になりますね。
人をまるごとみようとするときに、そして、それを自分で表現したいときに、何を見ていて何を見ていないか、そして何を意識の外に無意識的にうっちゃってしまいがちか、というようなことに向かいあってみたい人にはつよくおすすめした小説作品でした。そうじゃなくても、ぞんぶんに楽しめると思います。読み手に敷居が高くない文体で、それでいてだらしない表現はなく、手に取ってみればよい読書になると思います。おもしろかった。 -
タイトルがすごい。
「永い」も「言い訳」も絶妙ですごい。