- Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167907587
作品紹介・あらすじ
迷い道の人生、絵本創作の原点……『だるまちゃんとてんぐちゃん』など、数多の人気絵本を世に送り出してきたかこさとし。19歳で敗戦を迎え、態度を変えた大人に失望した著者は、「子どもたちのために役に立ちたい」と、セツルメント活動に励むようになる。そこでは、絵本創作の原点となる子どもたちとの出会いがあった――。国民的人気絵本作家が、自身の人生について初めて語った記念すべき自叙伝。サラリーマンとの二足のわらじ生活、自身の子育て、震災と原発事故を経て思うことなど、秘話が盛りだくさん! 絵本に込めた願い、尊敬してやまない子どもたち、「生きる」とはどういうことか……柔らかい口調そのままの文体で読みやすく、深い含蓄のある言葉に励まされる内容です。『ぐりとぐら』で知られる中川李枝子さんが、かこさんとの知られざる邂逅について綴った文庫解説も必読!90歳の絵本作家が全ての親子へ贈る、希望の未来のメッセージです。
感想・レビュー・書評
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生まれ育った武生の町で触れたゆったりとした自然と、子供の頃の想い出。
家族と一緒に東京に移り住んでからのこと。
大学生の頃に敗戦を体験し、今まで信じていた大人たちが信じられなくなる。
信じられるのは、これからの日本を担っていく子供たちだけだと思ったそうです。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」や、数多くの科学絵本を世に送り出した加古さんが、どのようにして絵本作家への道をたどったのか、この本を読んで、加古さんの子供たちへの強い思いに胸を打たれました。
私たちが大人であるということ。子供たちに次の世代の橋渡しをしなければいけないということ。
私たち自身もこれから考え直さなければいけないことが沢山あるように思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
絵本作家かこさとしさんの自叙伝。
飄々とした口調で語られる、壮絶な覚悟に心臓がえぐられるようだった。
読み終えても、ずっと胸の奥で響いている。
ちょうど今、娘がかこさんの絵本に夢中で毎日読んでいるところ。
指をさして名前を読んだり、これ食べたいと言って笑っている声が、かこさんに届いていたらいいなと思う。 -
本屋にてしばらく前に購入、昨日読み終えた。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」の作者のかこさとしさんの自伝。自伝というかインタビューを起こしたものか。
「だるまちゃん〜」は子供の頃に大好きだった絵本。
かこさんの子供に対峙する時の真剣さがあの絵本の原点にはあるのだなぁ、と思い知らされる。
けっして思いつきだけでできた絵本ではないのだ。
表紙のだるまちゃんも可愛い。 -
かこさんの経験に基づいたいいフレーズがたくさんあった。子どもとは何たるか、教育とは何たるか。その一部を
「子どもというのは、そんなふうにふとしたきっかけで、自分の居場所やしたいことを見つけていくものです。」
「子どもという生き物は、それぞれに自分でも気づかない鉱脈を秘めているのです。それに気づかせてやれば、そこから一気に花開いていく力を持っているものです。」
「間違えない人間なんていないのだから、そこで腐らず、諦めずに、自分でどう考え、乗り越えたかが大切で、そこにこそ生きていく値打ちがあるというものです。」
「自分の人格や培ってきた経験や思考を精一杯さらけ出してこそ、子どもも応じてくれるわけです。」
「同じように見えても、少しずつ違うというのが肝心で「多様である」というのは、この社会の特徴でもあるからです。」 -
レコードのジャケ買いは聞いたことがありますが小説のジャケ買いは初めてしました。子供の頃大好きだっただるまちゃんとてんぐちゃん!好きだった人はジャケ買いすると思います(笑)大好きだったどろぼう学校もかこさとしさんが書かれてたとは知りませんでした。子供の目線とは子供の輪に実際にはいって遊んで仲間になることから創りだされるものなんだなぁと感服しました。だるまちゃんのお願いをかなえてくれるだるまどんと不肖の父の重ね合わせは心にしみます。
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数多くの絵本を描いたかこさんが、その半生を幼少時からつぶさに振り返る。里山を駆け回り、戦争に突き進む大人社会を映して遊び、しかし子供ながらにその暗さを感じてもいた。
19歳で敗戦を迎え、きびしい時代を生き抜いてセツルメントにたどり着くかこさんの、強い意思や色々なことについて"自分の頭で考える"気性が、文中にぎゅっと詰まっている。
"物尽くし"の手法について、「自分が世の中の中心だとはとても思えない」、でも「端っこも世界なんだ、そう言いたいんだと思います」と書いているのが、たくさんの子供たちと接してきたかこさんらしい答えだなと思う。
ペンネームの由来にもインク代の節約という戦時の影があるが、戦争そのものについての絵本を描いておられたら、どんなものになったのだろうか。 -
戦争を経験した方の言葉は重い。涙ながらに読了。強く生きていかねばと思った。
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「興味の対象を追いかけるうち、世界の端っこに出てしまって、ぽつんとひとりでいる子ども(p239)」そんな風に、筆者の暖かいまなざしの絵本に自分もまた守られていた。かこさとしさんの絵本はいつも、迷子になった自分に帰る場所をちゃんと教えてくれた。
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今からお父さんお母さんになる人、子どもと普段接するお仕事の方にはおすすめできると思う。当たり前すぎることを書いてくれているのだけど、絵本作家としてかこさんがどのような経験をしてきたかという体験談に裏打ちされているので、その当たり前のことすら説得力を持って伝わる。
あとは副業始めたいなぁという人にもおすすめ。
↓以下自分用メモ↓
【みそっかすというルール】
子供には子供同士の世界があって、年長の子が年少の子の世話をするときに、うまくまとめるにはやっぱりそのための才能がいると思います。
自分より弱い者、幼さゆえに能力が劣っているものとどうやったら共存できるのかを、ちゃんと考え、配慮して、その上で自分たちも楽しもうとする。共存共栄、互恵共有の世界なんです。
そういう中で学んだ事はきっと社会に出てからも役に立つはずで、今の子供たちがそうした機会を持てないままでいるとしたら、非常にもったいないことだと思います。
子供と言うのは、自分たちと年齢が近い、大人と子供の中間位の年長の子から、1番何かをもらうことが多い。それは仲間でないと対応しない、見せない一面があるからで、家族でもできない何かをそこから得ているのです。
→子どもへのまなざし でも書いていた、子ども同士でしか学べない関係性がある。家族という関係から、外にあえて出すことは、子どもにとって有用であるといえそう。
★自分には保育園に預けることを戸惑う日がきっと来る。そんな時はこの一文を読み返すことにしよう。
娘が安心して遊べるコミュニティを作ってあげるためには?保育園は勿論だけど、他は?親である自分自身が、良質なコミュニティを有していることは、お金に換え難い大きな資産といえる。
【かこさとしですらメモ魔だった】
「ぜひ記録を残しておきなさい。その子供会のことをよくメモすること」
なぜするのかと言うのは、何もおっしゃらなかったけれど、僕は、この啓示に従ってそれからできるだけ記録を残すようになりました。
子供たち一人ひとりの反応や、ありきたりの感情や行動を、箇条書きでどんどんメモしてきました。
ときには似顔絵を描き、そこに、例えば「けんちゃんは、黙っているけれど、よく年少の子供たちの世話をする」とか、とにかく細やかなことから、こちらへの願い事まで書き連ねました。これが、僕の人間観察のやり方を、非常に鍛えてくれたように思います。
書くことで人はよく見る。よく観察して、その理由や裏面を分析しようとする。かくして、僕はメモ魔になりました。
→書く ということは、よく見るということという記述にハッとした。メモの習慣があると、書くことを探すから、細やかなことを見落とさなくなる。
★メモの習慣は続ける。こんなこと書いていいのかな〜というためらいは捨てる。頭の中に湧いたことはすべて言語化する癖をつける。
【何十年後にも揺るがない基盤事項…見取り図を、子どもに伝えるようにする】
「川」を刊行したのは昭和37年のことで、ちょうど公害問題がクローズアップされだした頃だったので「そのことを絵本に盛り込んではどうか」と言する人もいました。確かに、川の汚れは当時の時事的な問題であったけど、子供たちは、この先、何十年も生きていくのだから、今、見えている結論を押し付けるだけではすぐに役に立たなくなってしまうでしょう。
絵本と言うのは、その時点でのメッセージを伝えるための道具では無いのです。
僕が伝えたかったのは、川のもっと本質的な基盤事項でした。
未知のものを理解しようとしたときに、言葉や文字だけで理解させようとしても、しばしば無理が生じるけれど、図を書くと理解しやすくなる。
大切なのは、物事をどう理解していくか、そのプロセスを共有できることです。
そのために、人間というものを、難しい言葉ではなくわかりやすい図やグラフにして表現したい。「見取り図を描く」と言うのは、つまり、そういうことです。
→かこさんが、カラスのパン屋さんなど、ものづくしの絵本を描いてきたことと、この基盤事項を伝える姿勢は、無関係でないように思う。うまく言えないけれど。
あくまで、選び取る主体は、常に子どもの側にあるというスタンスなのだという点で共通しているのかもしれない。
★基盤事項を伝える、見取り図を伝える というのは、ものすごく難易度の高いこと。自分自身がその物事をほんとうに理解していないと、それはできない。
かこさんは結局「経済と戦争はリンクする」ということを伝えるには時間切れでこの世を去ってしまった。
自分も何かを分かった気にならないこと。子どもと同じような目に立って、「は?なんでなん?」と疑問を持つ。
著者プロフィール
かこさとしの作品






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