徳川がつくった先進国日本 (文春文庫 い 87-4)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167907761

作品紹介・あらすじ

NHK教育テレビで平成23年10月に、4回にわたって放送された番組「さかのぼり日本史」をもとに作った単行本「NHKさかのぼり日本史 ⑥ 江戸 ”天下泰平”の礎」の文庫化です。落とした財布が世界で一番もどってくる日本。自動販売機が盗まれない日本。テラシーが高い日本人――これは明らかに「徳川の平和」のなかでできあがったものだと磯田さんは断言しています。では、なぜこの国の素地は江戸時代に出来上がったのか。4つのターニングポイントを挙げ読み解いていきます。ひとつは、1637年の島原の乱。島原の乱によって武力で抑えるだけが政治ではない、「愛民思想」が芽生え、武家政治を大転換しました。ふたつめは、1707年の宝永地震。新田開発のために環境破壊が進み、結局は自然からしっぺ返しを受けることを学びました。その教訓から、豊かな成熟した農村社会へと転換していきました。3つめは、1783年の天明の飢饉。天候不順が続き、各地で凶作が続くと、商業に興味が向き、農村を捨てて都市へ流れ込む人口が急増。その結果、農村は後荒廃し深刻な事態を招きました。そこで人民を救うという思想に基づいた行政が生まれていきました。4つめは、1806年~1807年、11代将軍家斉の時代に起こった露寇事件。ロシア軍艦が突如、樺太南部の松前藩の施設を襲撃、ことごとく焼き払いました。翌年4月にもロシア軍艦二隻が択捉島に出現し、幕府の警備施設を襲撃しました。二度にわたるロシアの襲撃事件は、幕府に大きな衝撃を与え、結果的に開国か鎖国下の議論を活発化させ、国防体制を強化させていきました。この事件をきっかけに「民の生命と財産を維持する」という価値観と「民を守る」という政治意識がつくりあげられていた確立されました。こうやって日本は、徳川の幕藩体制によって先進国化していったのです。新しい視点で江戸時代をながめることのできる内容です。

感想・レビュー・書評

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  • なぜ泰平の江戸時代は260年も続くことができたのか。そのポイントを4つに絞って解説し、今の日本が見直すべき方向性も提示した。

    非常に面白かったです。中身は江戸時代が長続きしたという事象の解釈のひとつにすぎないのですが、とても魅力的な説でした。ただし編集者の仕事でしょうが、タイトルの付け方や帯の文句がダメなので星ひとつ減らしました。タイトルと帯を見て手に取るのをやめた人もいそうでもったいない。
    外交や災害、米本位制など、テーマを絞って幕府が政策を見直していくところを解説していて、非常にわかりやすいし流れも掴みやすいです。このあたりは本当に磯田先生の面目躍如な気がします。
    一方でちゃんと歴史の裏側、表からは見えにくいところを本質に据えているのも、歴史家としての磯田さんの視点の深さを伺わせます。江戸初期の幕府の暴力政治の転換点、最大のターニングポイントになったとされる出来事についても農民の窮状やそれに至る支配者層のドクトリンがよく分かって面白かったです。また、ほとんど知られていない茨城県小生瀬の一揆を取り上げるところなんて、本当に磯田さんらしいと思いました。
    さて、この本のテーマのひとつは日本社会への提言でもあります。それは江戸時代を見返すと、同じような状況で袋小路にはまった現代日本だって先進国に返り咲くヒントがあるよ。ということなのです。つまりタイトルとは真逆で、もう先進国じゃないんだから江戸時代を見習ってがんばれよ。みたいな話なので、内容がよかっただけに本当にこのタイトルと帯は残念でなりません。
    ここはひとつ、ほとんど史料のない小生瀬の騒動を丹念な取材から浮き彫りにして悲しい歴史絵巻に昇華させた飯嶋和一さんの「神無き月十番目の夜」と一緒にお楽しみください。

  •  徳川の世の中になって、それだけで江戸時代260年の平和が維持されたわけではないということがわかる本。
     1806年の露寇事件、1783年の浅間山噴火と天明の飢饉、1707年の宝永の地震と津波、1637年の島原の乱の4つの時点をターニングポイントとして取り上げどうやって平和な国家になっていったのかを鮮やかに説明している。
     常に殺すか殺されるかの戦国時代から、次第に福祉という概念が生まれてくる流れは非常に説得力があった。

  • 200年近く、とりあえず太平の世だった
    「徳川将軍家の治世」について
    幕末から幕府誕生へと
    さかのぼって「理由」を考えていくのが
    ちょっとだけ興味がある
    私のような人間にもわかりやすかったわ。

    ものすごくざっくり腑に落ちた部分としては
    領土を広げることで部下に褒賞したり
    財を蓄えたりしていた戦国時代と違って
    もう国内(藩内)で賄うしかないのなら
    統治者だって人材を抱え込んだり
    土地を肥やしたりすることを考えるよね〜
    ってことでした。

  • 戦争の傷を乗り越え、高度経済成長を遂げた昭和時代。円熟社会を根底から覆す、自然災害やテロに見舞われた平成時代。コロナ後の世界はどう変わってゆくのか、新たな生き方を問われる令和時代。---徳川治世260年を紐解いた本書を読むと、「歴史は繰り返す」と感じざるをえない。江戸時代も内乱・飢饉・大地震や津波などの自然災害に苦しんだ。時の為政者は、武断政治から人命尊重へと方針転換し、自然破壊をやめ、低成長だが安定した社会を作り上げた。さて、現代に生きる私たちは??と考えさせられる一冊だ。

  • 平和日本の礎は江戸時代にあると、歴史文献家の著者が解き明かす。
    露冠事件、浅間山噴火・天明の飢饉、宝永の地震、島原の乱と、江戸時代の歴史事件をさかのぼりながら、解説する。

  • 初めて著者のことを知ったのは、古文書を読み込むとどの断層でいつの時代に何年周期で大きい地震が起こってきたのかということがある程度分かりますとテレビで話して居るのを見たときでしたが、その著者による「260年間の戦乱の無かった江戸という時代」についての考察。Eテレで放送された「さかのぼり日本史」という企画がベースになっているそうです。授業で教えられた定番の捉え方は違う切り口視点で、統治者の意識の変革や社会経済の構造の変わり様を分かりやすい平易な文章で語っており、大変読みやすかったです。

  • 2017/3/29
    NHKで放送された徳川率いる江戸時代の平和についての考察が書かれた本で、著者は武士の家計簿なども著している磯田道史さん。内容もぎゅっと詰まっていて短いのですごく読みやすい。江戸時代の260年余りの時代が維持された背景にあったものは何だったのかを江戸時代の転換点となった出来事を遡っていくことで考えていく内容になっている。
    江戸時代の当初は戦国時代から抜けきれない状態が混ざった混沌としたもので、農村では指示に従わない民衆が領主によって殺されたりすることは日常茶飯事だった。領主への不満や、新規の権力者に対する不信感、宗教の絡みご混ざって起こった島原天草一揆を境にして、民衆を殺害しすぎると米を納めてくれる人々もいなくなり国の荒廃につながってしまうと幕府は考え始める。徳川綱吉による生類憐みの令は武断政治から、仁政への転換となる時代であり、その後の民衆を大切にする江戸時代の政治、大きく捉えて人の命を大切にするということという、人としての根本を大切にするようにしたからこそ長続きした時代であったのではないかということについて考えさせられる。その後の三大改革や、その合間に起こる宝永地震や、天明の飢饉など、江戸の人々の危機をどのように幕府は乗り越えてきたのかについて考えることは、東日本大震災を経験した自分たちも大いに学ぶ余地があるものであると思う。江戸時代についての常識にも切り込み、違った角度から江戸時代の検証を行える本である。もう少しこの人の本を読んでみたいと思った。

  • 徳川の平和「パクス・トクガワ」と呼ばれる260年の平和な時代が何故創られたのかというテーマで、過去4回のシリーズとしてNHK教育TVで放映されたものの文庫化。

    当初、軍事政権として発足した徳川幕府は、領民から年貢という「地代」を一方的に取るという考え方で、現代のような行政サービスと引き換えの「税」ではなかった。
    このような、考え方に変化を起こした「島原の乱」「天明の大飢饉と浅間山の大噴火」「宝永地震」「ペリー来航の60年も前のロシアが襲撃した露寇事件」で具体的に説明を試みている。
    そして江戸幕府はこれらの災害・危機を乗り越えるために知恵を絞り、軍事政権から脱皮していく。

    以下、「島原の乱」と「天明の大飢饉」を簡略に説明していきます。

    「島原の乱1637年」
    家康から三代将軍家光に至る半世紀の間に、全国で130以上の大名が改易されている。また一揆をおこした村は皆殺しにあうなど、徳川による統治はようするに「暴力支配」だった。
    こうした幕府のありかたに軌道修正を余儀なくする「島原の乱」が起きる。
    一揆勢は23千人(37千人とも?)は女子供に至るまで全員殺戮された。一方鎮圧軍の死者も8千人(12千人とも?)の被害が出ている。この数は全国の武士の1%にも当たる驚くべき数字だ。

    この反乱での死者の問題よりもっと大きな問題となったのが、乱のその後であった。これだけの数の領民が一度に亡くなったので、人口が激減して農村は荒廃の一途を辿る。これは幕府にとって大きな教訓となった。つまり領民を殺し過ぎると年貢を納める農民がいなくなり、武士が食えなくなるという、実にシンプルな事実である。
    この地方では、移民政策や年貢の減免する措置が取られ、この地方を再興するために、幕府や支配層である武士は、多大な代償を支払わなければならなかった。
    幕府でも、徳川綱吉は「武家諸法度」の第一条を従来「文武弓馬の道・・・」とあったのが、「文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」と改めている。
    さらに「生類憐みの令」・・・これは非常に誤解されて悪法と言われているが・・・内容には「老人を姥捨て山に捨ててはいけない」「病人や行き倒れの治療を放棄してはいけない」等、社会的弱者を救済する内容になっている。
    徳川綱吉の政策は「殺す支配」から「生かす支配」への転換点となった。

    「天明の大飢饉1783~1784年」
    徳川吉宗は、享保の改革で、幕府財政の引き締めを行い、米の増産のために、新田開発に注力し、また田沼意次は、幕府財政面の米に依存しすぎる経済体制には限界があると悟り、商品経済重視に転じたが、基本的な思想は、共に「財政あって福祉なし」という民に対して何も施さない政治には変化はなく、飢饉~一揆~打ちこわしという連鎖は止められず、浅間山の大噴火や、天明の大飢饉による江戸での打ちこわし事件を契機に、田沼は失脚することになる。
    天明の飢饉による死者は全国で百万人に上るとの推計がなされている。
    田沼意次の後を引き継いだ松平定信は、まず飢饉対策に取り組み、都市・農村を問わず、凶作や災害に備えての米や金銭を蓄えるという備荒貯蓄政策を推進する。各藩でも幕府に連動して、飢饉への備えとして村々に「備荒倉」を設置したり、赤子養育育英金を支給したり、妊婦を手厚く保護するような政策が取られ始める。
    不完全とはいえ、それまでの「軍事政権」から、福祉行政の機能を持った「民生重視の政府」へとシフトしていく。

    僅か150ページの薄い文庫本であるが、徳川軍事政権が、武力だけで260年もの平和な時代が続いたのではないと言う事がよく分かります。

    そうした結果、江戸文化が発達し現代に繋がり、その恩恵を受けている我々は、この国に生れた僥倖を喜ぶべきだろう。

  • 磯田先生は、テレビやラジオのメディアで何度も話を聞いてるけど、本は初めて読んだ。
    日本史って、武家や朝廷の政権の話ばかりだけど、その時代の庶民の暮らしがどのようなものだったかに目を向け、それを未来の参考にするってのが教科としての社会の一面でもあると思う。
    ○○は何年に起きたなんて知識は、これからは必要なくなるんでしょうね。
    磯田先生のような社会科の先生が増えて欲しいです。

  • 歴史って、学生の頃は、暗記科目と言う認識しかなかったけど、大人になって読む歴史の本って、過去の事実を学ぶだけじゃない、そこから現在、未来に活かしていかなければ、同じ過ちを繰り返しては、歴史を学んだことにはならないよ、って思うことが多々あり、今、正に強く思うこと。

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著者プロフィール

磯田道史
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年4月より国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『無私の日本人』(文春文庫)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイストクラブ賞受賞)など著書多数。

「2022年 『日本史を暴く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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