- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167909383
感想・レビュー・書評
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利休と秀吉、当時流行った「茶道」。武士のたしなみ、遊び事と思っていた「茶の湯」。それは、権威の威光を示すだけではなく、諜報的役割で相談したい者が表立って顔を合わせることができる良き機会づくりであったようです。
まあ、広いフェアウェイでのゴルフのようですな。
でも、蜜月だった利休と秀吉。驕りであったり、権威の誇示であったり、周りの者との関りであったり、権力者と茶人というので異質に感じますが、仕事においての派閥ではないですが、いかにして上に登っていくかは、同じようなもんですな。
お互いに戦国の世をトントンと「成り上がっていく」過程の中で、少しずつ積み上がって茶道に対する解釈と意識の「ズレ」のようなもの。
生き方の根本的なところの価値観の相違が「茶の湯」で表面化したということですか。
妥協という言葉を持たぬ頂点を極めた二人は、やはり最悪の結果に突き進んでしまったんですな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
#読了 #利休の闇 #加藤廣 #読書好きな人と繋がりたい
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利休を主役に秀吉との邂逅と別離を描いた『秀吉の枷』のサイドストーリー。あとがきにあるように膨大な資料から執筆された労作。
2人とも割と女好きという共通点があるがそこはそんなに触れられていなかった。息子については利休は恵まれていた事が伺える。朝顔事件と山の民と結びつけているのは面白い発想だと思った。 -
利休とは。いろいろな利休本がありますが、膨大な資料に基づく分析もあるのでしょう、一番としっくりと利休について納得することができました。
豊臣秀吉には、あまり触れられていないある種の残酷さ、残忍さがあるのですが、秀吉の志していたおおらかな茶には共感できますし、こういった点が、大衆に受け入れられるところがなんでしょう。 -
利休が信長に仕え、その後、秀吉に鞍替えせざるを得なくなった。心の中に、何この百姓め、という思いが燻り燻りしていたのを、人を見るに敏で、それによって天下を取ったような秀吉が気付かない訳がない。利休は様々な小説で、すごく利口で、スマートで気高く描かれることが多いが、本小説では、かなりドロドロとした汚なさを描いているところが好ましい。また、小説の中には、時々、今現在、これが国宝になってるとか、どこそこにこれは現存するとか、この漢字はこういう意味からこう書かれるとか、歴史をより深く知るための補足的な記載もある。これは、司馬遼太郎や宮城谷昌光などとよく似た感じで、私は好きだ。ただ、描写にかっこよさがない!こいつ悪人だけどカッコいい、憎めない、といったある種の憧れが湧かないのが残念だ。
本書で描かれる利休の最期は深く描かれてはいない。逆に何もないと言っていい。
著者が本書で描きたかったのは、なんなのだろう。利休は自分をしっかりもち、茶湯にその生も死も全て尽くしたということなのか、違うように思う。それなら、その辺にある利休の小説と何ら変わらない。本書から感じるのは、利休の愚かさ、幼さ、人間としての未熟さだ。あまりにも自分の立場を認識できていない。ドラマ仕立てにするなら、利休は茶道のことは関白秀吉といえども我を通した、でかっこいいだろう。でも、そうではなかったのではないか、利休は信長に仕えた頃の自分のままで秀吉に仕え、というか、秀吉に接し、秀吉が出自を異常に気にすることに気づかなかった、いや、気付いたが、放っておいた、だから、秀吉と言えどもあまりの無礼さにキレてしまった。ということなのではないか。この方が自然だな。 -
茶人千宗易の秀吉との出会いから、本能寺の変による信長の死、秀吉の天下統一と変わりゆく時代の中で茶の湯の道を違えることになった秀吉と利休の様子が描かれている。本能寺の変の背後に見え隠れする秀吉の陰謀と茶道具を中心とした話の進め方がユニーク。
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個性的な小説の文体。
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利休と秀吉が道を違えた過程が描かれているけど、茶道具の描写も多くあまり興味が持てなかった。
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作者の加藤廣さん、初めから作家ではなく実社会で活躍の後、75歳から書き初め『信長の棺』での堂々たるデビュー、歴史小説家となられた由。
読んではいませんがニュースは知っておりまして、ある政治家が愛読書とおっしゃっていましたね。
つまり、退職後作家で藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』の清左衛門の仕事を彷彿させます。
しかも、この『利休の闇』お書きになったときは84歳になっていらした。
この年齢に親しみを覚え、尊敬しますね。
さて、「利休」はいろいろ小説に登場したり、たくさんの伝や論が書かれています。
わたしも野上弥生子さんの『秀吉と利休』を読んでいます。
ほとんど忘れていますから、比較ができないのが残念ですが・・・。
茶の湯の師匠と尊敬していた利休を秀吉が、なにゆえに切腹を命じてしまうのか?
これが作家の創作魂に火をつけるのでしょう。
この本には「茶道とはどんなものか」も描かれています。
茶道のたしなみのないわたしから見ると、七めんどくさい作法のような気がします。
道を究めるのにも気質や出自も影響しますね、秀吉がだんだん離れていくのも道理かなと思います。
それに利休が秀吉を嫌ったということもありそうです。嫌いは相手にすぐ響きます。
これが加藤廣さんのたどり着いた利休の闇です。
「最初に自分を取り立ててくれた―自分と同じ長身で眉目秀麗な―信長に対する憧憬。
その対極として短躯醜悪な秀吉への軽蔑がなかったとは言い切れまい。」(347ページ)
人間臭ふんぷんのいやらしさです。本当は秀吉自身にこそそれがあるはずなのに。
「断捨離」の見本のような茶室、静謐な空間と簡素な美。到達した簡素美への驕り。
あの有名な
庭中の朝顔のつるを全部刈り取ってしまい、茶室に一輪の青紫色の朝顔が露も滴るように活けてある床。
映像を思い描いても、人間臭さがいいのか、到達した清澄がいいのか、凡人は迷います。 -
秀吉と千利休。感情のもつれがよく分かる。現代でも大体こんなもん。