ナイルパーチの女子会 (文春文庫 ゆ 9-3)

著者 :
  • 文藝春秋
3.62
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167910129

感想・レビュー・書評

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  • ○ 途中で読むのを何度もやめたいと思った。
    ○ 吐き気のするような気持ち悪さに襲われ、気が狂いそうになった。
    ○ こんな辛い思いをするくらいなら読書をやめたいと思った。

    読書を始めて数ヶ月、主に女性作家の小説ばかり200数十冊を読んできた私ですが、読書がこんなに辛いものだと感じる作品に出会うことになろうとは思いませんでした。嫌な気持ちになるということでは、私の場合、湊かなえさんの作品を20冊くらい読んできましたし、辻村深月さんの黒辻村と呼ばれる作品も読みました。しかし、ここまで気持ちの悪い思いをした読書は初めてでした。この作品はホラーでもなければ、人が死ぬわけでもありません。そこで描かれるのは、女性のドロドロとした心の闇です。『何故、こんなにも自分は他者を求めているのに、他者に拒絶されてしまうのか』という問いに狂おしく自問し続ける、この作品はそんな女性が狂気に取り憑かれていく壮絶な物語です。

    『国内最大手の商社、中丸商事大手町本社ビルの十九階フロア半分を占領する、食品事業営業部は朝六時から七時の間は完全に無人だ』という早朝のオフィスで仕事を始めたのは入社8年目、今年で30歳になる志村栄利子。『年収一千万をとうに超した』栄利子は『この世の中で一番価値があるのは「時間」だ』と言い切り早朝の誰にも邪魔されない時間を大切にします。『コンビニ食を片手にメールをチェック』しているそんな時『女子高生みたいなもん、食ってるな、しむら。太るぞ』と声をかけるのは水産チームの同僚・杉下康行。『おはよう。あ、このパンね。ブログで紹介されていたの。やっと手に入れたんだ』と答える栄利子は『おひょうさんのダメ奥さん日記』というブログを見せます。『へー、奥さんブログ?独身の志村が読んで、なにが面白いんだ?』という康行に『等身大なところがいいじゃない。なんだか、可愛いなって思う。時間がたっぷりゆっくり流れているところも好き』と答える栄利子。ブログの中に回転寿司を食べる『おひょう』という名を見つけ、ひらめの代用として『えんがわ』として出される『おひょう』のことを話題にする康行は『今月からナイルパーチ担当だろ。こんなに回転寿司だのファミレスだのが好きな女なら、お前の取引した魚がいつか彼女の口に入るんじゃないか?』と代用魚、偽装魚として有名なナイルパーチのことを出してからかいます。『おひょうさんとはいい友達になれる気がする』と言う栄利子は『うちが近所っぽいんだよね』とブログの写真や内容から『おひょうさん』の住まいが自宅の近所であると説明します。『そういうことに詳しくなるのってちょっと嫌だな。お前、ストーカーみたいだろ』と警告する康行。『ほどほどにしなよ』と席に戻ります。
    一方、『一応、今日会う相手はマスコミ人種なので、知っている中で一番洒落たカフェを指定した』と先に着いて席でブログを更新するのは丸尾翔子。現れた秀茗社の花井里子はブログの書籍化を勧めます。『編集者から声が掛かるなんてすごいよ』と夫に言われてきたもののその場でも決めきれなかった翔子。そんな花井が去った後のことでした。『あの、ひょっとして、あなた…、「おひょうさん」ですか? 私、あなたのブログの大ファンなんです!』と声をかけられた翔子。差し出された名刺には『志村栄利子』という名前がありました。そんな偶然が導いた運命的な出会いが二人の未来を大きく揺さぶっていきます。

    『おひょうさんのダメ奥さん日記』というブログの書き手と読み手という立場から交流が始まった二人のそれからを描いていくこの作品。栄利子と翔子という二人の主人公視点が35章に渡ってどんどん切り替わっていきます。その冒頭は極めて平和そのもの。『「先手を打つ」のは商社マンにとって大切な資質のうちの一つ』と『少女の頃から、なにごとも先取りするのが好きだった』という栄利子、30歳で『年収一千万をとうに超した今』という商社での順風満帆な生活が描かれるその冒頭は、この先に展開するおぞましい物語を微塵も感じさせない明るさです。そんな明るさに影が差すのが、栄利子が翔子のブログに対する異常な執着心を見せる時からです。程なく交流を始めた栄利子と翔子ですが、約束もしていないある日、偶然にファミレスで遭遇します。あまりの偶然に驚きのあまり立ちすくむ翔子は『どうして、私がここに来るって分かったの』と聞きます。それに対して『だって、ほら。四時に更新したブログに、今夜はご主人が飲み会ってあったじゃない』とブログの内容を持ち出す栄利子。『ご主人が遅い夜は、だいたいファミレスでドリアとワインでしょ?8月20日も9月14日も26日もそう』と過去のブログの内容を持ち出し、『だから、今日も待ってればきっとここに来ると思ったの』と結論する栄利子!そんな怖すぎる展開に『ちょっと異常だって思わない?』と言う翔子は『それ…、ストーカーみたいだよ』と言い切ります。それに対して『違うって。私はただ、あなたとちゃんと話したいだけだってば』と返す栄利子。論点がずれていることに気付かない栄利子。しかし、その第一人称視点から読む限りは栄利子の考え自体が異常をきたしているような印象も受けません。でも一方で、翔子視点、そして一読者として読む感覚からは非常に怖い、これは怖い!怖すぎます!としか言えない恐ろしさです。まさしく、”そして、ストーカーが始まった”という起点を見せられているような印象しか受けません。そんな”怖い人”の第一人称視点が回ってくる、それを読まなければいけない読書。これがこの作品の怖さ、そして苦痛の根源にあるように感じました。そんな読者は後半になって、第一人称視点が切り替わっても恐怖からは逃れられない、誰にも感情移入などできない恐ろしい闇をひたすらに彷徨わせられる苦行の読書を強いられていきます。

    日常生活において『人との距離を測りかねて空回りする』ということは多かれ少なかれ誰しも経験することだと思います。そんな中では『いつの間にか、自分がどう思うかより、他人にどう思われるかの方が重要になっていた』という言葉にドキッとさせられる自分を感じます。特に会社組織の中でいるとこの感覚が麻痺していくようにも思います。そして、この作品ではそんな他者との関係について主として女性同士の人間関係を徹底的に描いていきます。『男女と違って、明確な終わりを設定しにくいのが同性との関係なのだ』と書く柚木さん。そんな女性同士の関係を築くのが苦手な栄利子は『疎まれている。自分はずっと、思春期の頃からずっと、同性に疎まれてきた』と同性の友達ができないことを悩み続けてきました。『口惜しいけれど、どんなに賢かろうが美しかろうが、同性の友達が出来る人には出来る』とまで言いきる栄利子。そんな栄利子が翔子と知り合えたことを『普段の景色がほんの少しだけ違って見える。自分の新たな一面を発見できる。ささやかだけど、胸が躍る変化』と喜ぶのは必然。『たった一人でも女友達がいるだけで、己の色や形がくっきりとなぞられ、存在に自信が湧いてくる』という感覚。だからこそ『二度と翔子を離すまい、と思った』という強い思いが紙一重に付き纏います。そんな中で『自分がしていることが相手にどう映るか、振り返ってみるということがなくなる』という結果論、そして『何故、こんなにも自分は他者を求めているのに、他者に拒絶されてしまうのか』という強烈な心の悶えに苦しむ感覚。そして、その先に見えてくるストーカーへの道。このあたりは言いたいことは理解できるけれども理解したくないという相反する感情を強烈に刺激される、なかなかに狂おしいものを感じさせられました。

    二人の女性が仲良く並ぶ柔らかい絵が表紙に描かれたこの作品。そして『お腹が減るとすぐに共食いをする』という凶暴さを隠し持った『ナイルパーチ』という肉食魚の名前を冠するこの作品。『似たもの同士で親しくしていても、飽和状態が続けば、やっぱり殺し合いになる』というそんな肉食魚にも例えられる恐ろしさを秘めた人の心の内側。

    全くの他人事、作り話などと決して笑い飛ばせないその生々しい内容に、人が生きていくことの怖さと恐ろしさ、そして辛さを感じさせられた究極の一冊。こんな人の狂気に触れる作品は二度と読むものか!と決めた一冊。そして柚木さんの作品を完読するぞ!と決めた一冊でした。

    • さてさてさん
      りまのさん、ありがとうございます。
      はい、まだ残っています。笑われそうですが(笑)
      りまのさん、ありがとうございます。
      はい、まだ残っています。笑われそうですが(笑)
      2020/08/20
    • りまのさん
      コメントいただき、ありがとうございます!
      コメントいただき、ありがとうございます!
      2020/08/20
    • りまのさん
      いるかさん、いるかさん?
      いるかさん、いるかさん?
      2020/08/21
  • P164「この世界で何よりも価値があるのは、共感だ、と思う」

    栄利子と翔子、どちらかにすごく共感して、どちらかにはそんなに共感できない、とかじゃなく。
    どちらかのある一部にものすごく共感する。だけどその人のある部分は嫌い、怖い。
    それが栄利子にもあるし、翔子にもあるという、不思議な作品。
    解説の言葉を借りると、P397「読者一人ひとりの中にある『栄利子のような部分』『翔子に似たところ』をえぐっていく」

    ※抜粋形式にしましたので、長くなります※

    P48「余計な親切は自らの首を絞める」「動いた方の負け」
    全体が、見えてしまうのだ。「ああ、あそこで生徒が困っている→でもAさんが対応しているからわたしは今の自分の仕事を続けよう→あ、でもAさん分からなさそう、わたしなら対応できる内容だな、声かけたほうがいいのかな→でもAさんはどうにか自力で解決しようとしてる、確かにその方が覚えるよな→Aさんがわたしのところに質問に来てくれたら対応しよう、うん、そうしよう→あれ?結局自分の仕事全然すすんでない」
    たぶんわたしは、視野が広い。だから、その視野に入り込んでくる、様々なことが気になって仕方ない。「気にするな」ができないタイプだ。だから、仕事中気になることがあったとして、他の誰かが対応していたら安心して自分の仕事に集中すればいいのに、こんな風にあれこれと考えてしまい、結局困っている生徒や同僚の力になれていないどころか、自分の仕事もはかどっていない、という顛末である。
    わたしは昔、この「見える力」を使って「最終的にはnaonaonao16gがなんとかしてくれる」みたいなポジションになってしまって、パンクしたことがある。最近はそれなりの「スルーする力」を身につけたわけだけど、だからと言って「見える力」っていうのは衰えるわけじゃない。「スルーする力」は「見える力」に成り代わるものではなくって、武器のようなものなんだよな。

    P130「日本人が女性に要求するクオリティの高さは、世界規模で見れば蒸気を逸していると思う。まったくなんと多くのことが当然のように求められるのだろう。異性の評価、貞淑、若さ、落ち着き、仕事、趣味、笑顔、スタイル、雰囲気、心配り…。そして同性の評価。同性に好かれない女に価値はない、という風潮は年々高まっている気がする」
    ここを読んだ時に、柚木さんの「BUTTER」が過った。本作品の中で、わたしが最も「フェミニズム」を感じた箇所だ。解説でも「BUTER」に触れられており、柚木さん作品はフェミニズムと切っても切れない関係にある。

    P136「許しあい、緊張を解いて、家族以外の誰かと向き合いたい。映画を一緒に観たり、お茶を飲みながら悩みを打ち明け、体調を心配し合い、いつかは互いの結婚式に呼び合う。趣味や喜びを分かち合い、話したい時に話したいだけ長電話をする。そんな相手が、この世界にたった一人でいいからほしいだけなのだ。それはそんなに贅沢な願いなのだろうか」「ねえ、友達ってどうやって作ればいいの?時々うっとうしくならないの?疎遠にならないコツってあるの?避けられた時はどんな風に距離を詰めるの?」
    時々うっとうしくなる距離感になったらそっと距離を置くの。疎遠になってしまったらそれまでなの。でも、疎遠になりたくないんだったら、連絡をすればいいよ。だけど、それで返事がなかったら、追わないの。避けられた、と思ったら、距離を詰めないこと。「どうやって距離を詰めるの?」なんて、なんで距離を詰めることが前提なのよ。そうやって距離を詰めたら誰だって息苦しくなるでしょう。許しあいたいなら、まずは許してあげないと。

    とか、こんなに偉そうにお悩み相談やっといてあれなんだけどさ。
    わたしは栄利子が女友達とうまく距離をとれないのと同じように、好きな男の子との距離感をうまく取れない。
    自分と他人との境界がどんどん曖昧になっていく。踏み込んではいけない他人の領域にどんどん踏み込んでいく。
    なんで連絡が取れないのだろうと不安がり、やがてエスカレートする。
    痛いほどに理解出来る気持ちを、しかし冷静に怖がる自分もいる。
    この詰まった距離感でもって他人から来られたら酷く怖いのに、なぜかそういうことをしてしまう。
    顔色を窺っている?自分だけを見ていてほしい?なぜそれが「怖い」ことに気付かない?
    相手のことで頭の中がいっぱいになっている。
    優先席にダッシュで座る栄利子のシーンが印象的だ。頭の中が、他者に支配されているのだ。マトモな判断なんて、できるわけがない。
    今までこんな「怖い」自分の姿を、作品なんかで鏡のように見てきて、変わりたい⇔変わりたくないを繰り返してきてけれど、わたしは今ようやく「変わりたい」と、しっかりと思えるようになってきた。
    これまで、その変化は作品への理解の低下に繋がるのではないかと思ってしまってて、変わることが怖かったのだけれど、たぶんわたしは、変わっても彼女たちの気持ちが理解できるだろう。そう、それは先ほどの「スルーする力」が「見える力」に成り代わるのではなく、武器になるのとおんなじで、変わる前の自分が完全になくなるわけじゃないのだ。成り代わるわけじゃない。変わった自分が、武器になるのだ。

    続けるよ。

    P208「恵まれていることに無頓着だから、やたらと人に厳しくて、周りがよく見えないんだろうね」
    恵まれていることで得られる多くのもの。例えば、選択肢。だけど、恵まれている、という状況は、自分で気付いていかなくてはいけないもの、自分でやらなくてはいけないことをしなくていいまま通り過ぎてしまうこともあるってこと。要するに、「甘え」だ。
    P371「言わなくても感じ取ってもらえると思い込み、何もしないでいることほど傲慢なことはない。コミュニケーションを怠けることが、どれほど周りの人間を混乱させ、傷つけるか」
    わたしも甘えてた。祖母が食卓で魚の骨を綺麗にとってくれることを、甘受していた。でも母は「自分でやりなさい」と言っていた。それでよかったのだ。他人は、わたしが魚の骨をとってほしいと思っているなんて、知らない。それを「察して」もらうなんて不可能だ。厳しかった母へ、今は感謝をしたい。
    P375「面倒くさいっていうのは、結局自分が一番可愛くて、自分以外の誰かのために一分だって時間を割きたくないってことなんだよ」「あなたの気持ちを盛り上げて許し、孤独を救い、何かあるように錯覚させてくれる誰かはもうこの世界には一人も居ないんだよ」
    コミュニケーションを、人に何かを伝えることを、怠っちゃいけない。そのためにも、「自分がどう思うか」っていう自分の感情をしっかり分かっていることと、「相手がどう思うか」っていう視点は大切で、昨今の正論ブームは、もう一度ここに目を向けるべきだと思う。

    P267「友達そのものではなく、『友達がいる自分』というものが、彼女が求めてやまないものなのだ」
    わたしは、年齢にしては友達が多い方なのかもしれない。だけど、コロナ禍になって明らかに友達が減った気がする。ただでさえ結婚や出産は女性同士だと疎遠になるきっかけの一つなのに、コロナ禍にそれらを経た友人には完全に会う機会を逃してしまって、わたしは70歳になった時に茶飲み友達がいるのかと、少し不安になっている。

    P298「合わないものに見切りをつけてパッと手を放すことができたら、どんなに楽に生きられるだろう」
    早く、依存したり執着したりする生き方から解放されたい。変わりたい。

    学生の頃読んでいたゴリゴリの社会派小説から10年くらいを経て、日常をたゆたうような、あるいは日常をぶち壊すような心情を描いた女性作家の作品へと変化したように、またわたしが選びとる作品に変化があらわれるかもしれない。
    それはそれで面白いかもしれない。
    怖いと感じていた変化を、面白いと感じられるようになるかもしれない。

    自分自身と好きな人を苦しめるよりも。
    好きじゃない人と一緒にいるよりも。
    それは、素晴らしいことなのかもしれない。

    • たけさん
      naonaoさん、おつかれさまです。
      いろいろと抉られて、心が疲れる作品ですよね。
      栄利子と翔子、両方に共感できつつ嫌い怖い。
      柚木さんでな...
      naonaoさん、おつかれさまです。
      いろいろと抉られて、心が疲れる作品ですよね。
      栄利子と翔子、両方に共感できつつ嫌い怖い。
      柚木さんでないと書けない人物像なのではないでしょうか?

      あと、確かに柚木さん作品は、フェミニズムと切っても切れない関係にあると思います。僕が最近読んだ「本屋さんのダイアナ」でも感じました。

      余談ですが「ダイアナ」は第151回の、「ナイルパーチ」は第153回の直木賞候補作なんですね。「ダイアナ」で厳しい選評を受けて、それを糧に「ナイルパーチ」を書いたとのこと。

      そういう意味では姉妹のような2作品なのかも。性格は正反対ですが、僕は両方好きです。
      2021/12/04
    • naonaonao16gさん
      たけさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      解説にもあったのですが、派遣社員の真織のキャラクターも強烈でした。
      ...
      たけさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      解説にもあったのですが、派遣社員の真織のキャラクターも強烈でした。
      かなり極端に描かれてはいますが、確かに結婚式という場は、自分だけでなく、自分の友達を披露する総本山のような場でもあるよなぁ、と思ってました。

      「本屋さんのダイアナ」、全然毛色が違う作品だと思っていましたが、なるほど、共通点は多そうですね。
      「伊藤くんAtoE」、確か映像で岡田将生くんがやっていた気がして、ずーーーーっと気になってるんですが、アマプラで観れないんですよね~
      2021/12/05
  • ブクログのレビュー読んでずっと気になっていた本。
    本屋さんで気が向くと文庫本を探してたのだが、なかなか出会えなかった。3カ月越しでようやく遭遇でき、即購入。

    多くの方がレビューで書いているとおり大変恐ろし〜い小説。心が抉られる場面が随所にあり、全身で反応してへとへとになる。

    収入は高いが仕事はハードな大手商社に勤める志村栄利子(30歳)は、ダメな主婦のおひょうこと丸尾翔子のブログを読むこと。
    偶然にも近所に住んでいた栄利子と翔子はある日カフェで出会う。同性の友達がいない二人は親しくなるが…おそろしいことになっちゃうんです。

    主な登場人物は、栄利子も祥子も桂子も真織も結構極端。だから、あまり「女子だから」とか一般化しない方がいい。そりゃ、女子は怖い…かもしれないけどさ…。
    というか、女子に限らず、男性でも、みんな少しずつ、他人へのいびつな期待を持っていて、そんな自分と戦いながら生きている。
    負けたらストーカーになったり、人を激しく傷つけてしまうかもって、必死に頑張っている。

    たいていの人は、辛うじてまともを保っている。
    そんな感じなんじゃないのかな。

    だから、親しい友達が持てなくても、それは別に自分のせいじゃない。
    周りの環境のせいだ。

    タイトルになっているナイルパーチという魚は、生態系の頂点に君臨し、他の魚が攻撃できないほど大型化する。繁殖力が高く水産資源として重要な役割を持つ一方で、侵略的外来種の指定を受けるなど管理が必要な魚とされている。
    過去にヴィクトリア湖の生態系を破壊し尽くした、悪い魚だけど、それは人間が食用として放流したせいであって、ナイルパーチ自体に罪はない。

    人間関係も同じ。

    そう考えれば結構楽なのでは。

    読みながら、
    他人と過去は自分の思い通りにならない。
    思い通りにできるかもしれないのは、自分と未来…なんてアドラー的なことが思い浮かんだ。

    全体とおして、なかなか辛いんだけど、最後は少し救いがある。
    僕はこの小説、とても好きです。

    • naonaonao16gさん
      たけさん

      こんばんは。

      なかなかこの作品のレビューを書く時間がとれず、やっとあげられました。

      ナイルパーチ自身ではなう、ナイルパーチが...
      たけさん

      こんばんは。

      なかなかこの作品のレビューを書く時間がとれず、やっとあげられました。

      ナイルパーチ自身ではなう、ナイルパーチがいた環境がよくないのであって、人間関係も同じ。
      過去と他人は思い通りにならない。
      まさにその通りですね。
      環境を変えるか、自分が変わるか。

      実はアドラー、読んだことなんですよね。
      2021/12/04
    • たけさん
      naonao さん、読まれましたか!

      レビュー読ませていただきます!

      僕もアドラーは「嫌われる勇気」みたいな初心者向け解説本しか読んだこ...
      naonao さん、読まれましたか!

      レビュー読ませていただきます!

      僕もアドラーは「嫌われる勇気」みたいな初心者向け解説本しか読んだことないです笑
      2021/12/04
  • 読み進めるのがとても辛い作品だった。自分の中にいる栄利子や翔子、圭子のような感情が奔流となって押し流される...。○○が豹変してからの怒涛の展開に胸が苦しくなる。こんな作品に触れてしまったら他作品も読まなあかんだろうと思わせてくれる一冊。

  • どんなホラー作品よりも 怖ろしくおぞましく
    しかし 胸を打つ作品。

    働く女性と専業主婦 
    そしてSNSという
    あまりにも ありがちな設定に

    最初は ふーーーんという感じで 
    読み出したはずだったのですが・・・

    やがて 
    周囲の音が聞こえなくなり
    時間が止まり
    という 久しぶりのこの感覚。

    読み終えた時には 
    登場人物の女性たちの人生を 
    一緒に生き直したような 
    心地よい疲労感がありました。

    乱暴に括ってしまえば
    『友達が欲しくて仕方ないのに
    どうしても 友達を
    つくることができない女性たち』のお話です。

    彼女たちの心の闇を
    深く えげつなく 切実に 
    しかし 的確に掘り下げていきます。

    いわゆる“素敵な女性”は 
    一人も登場しません。

    でも 与えられた環境の中で 
    逃げずに 工夫して 歯を食いしばって 
    傷だらけになりながらも
    少しずつ前に進んでいる

    「他人の目を通すことでしか 
    自分の幸せを実感できない」女性たちに 
    静かなエールを 送っています。

    ****************

    最後に 心に留まった一文を。

    「自分を取り巻くすべてを変えないで
    自分だけが 上手く変わりたいのだ~中略~
    膨大な時間を 無駄にしてきたと認めるのが怖い」

    “無駄にしてきたと認めたくない”
    これって 人生のあらゆるシーンにおいて
    ふと顔を覗かせる感情で 
    あらゆる思考を止めてしまう害悪だと

    自戒の意味も込めて
    そう思います。

  • 友達って、どうやって作るんだっけ?
    共感って、どうやって示すんだっけ?
    職場や友達との距離感を改めて考えさせられた。
    自分の中に潜むエゴを活字にされ演じてもらったような感覚と、見たくないものを隅々まで見せられたようなドロッとした読了感。
    栄利子と翔子の言動をおぞましく思いながらも、人の世界は恐ろしく狭く、明日は我が身と感じる。
    自分は誰のために生きていて、何がしたいのか?どうありたいのか?を改めて考えさせられた。

  • 痛い痛い痛い痛い。ちくちく。ちくちく。痛いのに、怖いもの見たさ?どんどん頁が進んでいった。栄利子と翔子。どちらが【ナイルパーチ】なのか?嫌、私も【ナイルパーチ】なのか?怖い怖い怖い怖い。来年1月ドラマ化、積読になってたから読んだら、ものすごい物語だった、ドラマも楽しみ。

  • 丸の内の大手商社に勤めるやり手のキャリアウーマン・志村栄利子(30歳)。
    実家から早朝出勤をし、日々ハードな仕事に勤しむ彼女の密やかな楽しみは、同い年の人気主婦ブログ『おひょうのダメ奥さん日記』を読むこと。決して焦らない「おひょう」独特の価値観と切り口で記される文章に、栄利子は癒されるのだ。
    その「おひょう」こと丸尾翔子は、スーパーの店長の夫と二人で気ままに暮らしているが、実は家族を捨て出て行った母親と、実家で傲慢なほど「自分からは何もしない」でいる父親について深い屈託を抱えていた。
    偶然にも近所に住んでいた栄利子と翔子はある日カフェで出会う。
    同性の友達がいないという共通のコンプレックスもあって、二人は急速に親しくなってゆく。
    ブロガーと愛読者……そこから理想の友人関係が始まるように互いに思えたが、翔子が数日間ブログの更新をしなかったことが原因で、二人の関係は思わぬ方向へ進んでゆく……。
    柚木麻子の小説は、ドラマ化された「ランチのアッコちゃん」のように働く女性の前向きな生き方を描いた白柚木と「けむたい後輩」のように女性の嫉妬や独占欲や妄想などを描く黒柚木があるが、今回は女性同士の友情を描く黒柚木。
    一見、仕事が出来るやり手の志村栄利子は、かつて高校の時自分から離れようとした親友に対してあらぬ噂をたてるなどして追い詰めてしまったが、また愛読している主婦ブロガーの翔子にストーカーしてしまうように女性同士の友情に過大な期待や自分の理想の親友像を押し付けてしまう病んだ部分があり、主婦ブロガーの翔子も父の介護に追い詰められると人気ブロガーのNORIの「いつでも連絡して。どんな相談でも聞くわ」という社交辞令を真に受けて大量のメールを送り付け自分の評価を他人に委ねて大事なものを見失うイタイ部分がある。
    人との距離感を上手く取れなくて空回りしたり、女性同士の友情に過大な期待をし、自分の評価を他人に委ねてしまう誰もがあるイタイ部分や落とし穴、ある重要なシーンで派遣社員で志村栄利子と犬猿の仲の真織が言う「そもそも脆くない人間関係が、この世にあるのかよ。女同士だろうと、男と女だろうと、みんな同じだろうが。どんな関係も形を変えたり、嫌ったり嫌われたり、距離を測ったり、手入れしながら、辛抱強く続けていくしかねえんだよ」が読者に突き刺さります。

  • 主人公の2人とも考え方が極端で行きすぎているように見えますが、読み進めるほど共感するものがありました

    女性が奥深くで抱えているであろう寂しさや孤独、依存心を突かれているようで、怖さもありましたが、ページを捲る手が止まらない一冊でした

  • 表紙のイラストに描かれている可憐な女性達のさぞや楽しい女子会の物語かと思いきや蓋を開けたらかなりハードな女性たちが描かれ読んでいる間中、息苦しくなる程、濃い内容でした。

    怖いエピソードがてんこもりですが、それぞれの女性たちに自分自身を重ね合わせ近い事があったんじゃないかと感じたり考えさせられたり女性の深層心理に迫った内容はかなり強烈でした。

    読んでいる間中、怖くて辛い、けれど途中で閉じる事が出来ない。

    まるで深い海の中でもがいている様な錯覚に陥った作品でした。

著者プロフィール

1981年生まれ。大学を卒業したあと、お菓子をつくる会社で働きながら、小説を書きはじめる。2008年に「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を書きつづける。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞と、高校生が選ぶ高校生直木賞を受賞。ほかの小説に、「ランチのアッコちゃん」シリーズ(双葉文庫)、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』(どちらも新潮文庫)、『らんたん』(小学館)など。エッセイに『とりあえずお湯わかせ』(NHK出版)など。本書がはじめての児童小説。

「2023年 『マリはすてきじゃない魔女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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