- 文藝春秋 (2018年3月9日発売)
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感想 : 241件
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784167910297
作品紹介・あらすじ
かつて中学の校長だった東昇平はある日、
同窓会に辿り着けず、自宅に戻ってきてしまい、
心配した妻に伴われて受診した病院で
認知症だと診断される。
昇平は、迷い込んだ遊園地で出会った幼い姉妹の相手をしたり、
入れ歯を次々となくしたり、
友人の通夜でトンチンカンな受け答えを披露したり。
妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに巻き込みながら、
彼の病気は少しずつ進行していく。
そして、家族の人生もまた、少しずつ進んでいく。
認知症の父を支える妻と娘たちが過ごした、
あたたかくも切ない、お別れまでの10年の日々。
中央公論文芸賞、日本医療小説大賞のW受賞作!
感想・レビュー・書評
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あなたは、『認知症』が決して他人事でなくなってきていることを知っているでしょうか?
超高齢化社会と言われるこの国にあって、『認知症』は決して他人事でなくなってきている現状があります。80歳代後半男性の35%、女性の44%、95歳を過ぎると男性の51%、女性の84%が認知症であるという統計数値を目にすると恐ろしく感じてもきます。そして、2025年には高齢者の5人に1人、国民の17人に1人が認知症になると予測されてもいるのです。
これはものすごい数です。そもそもこのレビューを読んでくださっている方の中にも、実は配偶者が、実は両親が、もしくは実はご自身が『認知症』と診断されたという方がいらっしゃるかもしれません。上記した統計数値はそれが十分あり得ることを示してもいます。では、身近な家族の誰かが『認知症』と診断されたとしたら、周囲の家族はどのように接していけばいいのでしょうか?
さてここに、”認知症を患い、正常な記憶が失われていく父”を持つ家族を描く物語があります。一緒に暮らす妻と三人の娘の思いが描かれていくこの作品。そこからさらに孫の視点までもが描かれていくこの作品。そしてそれは、”発症してからの時間が長い認知症は、つらい涙の日々だけでなく笑いもある。それは家族にとって大切な別れの時間なんです”と語られる中島京子さんが描く家族の物語です。
『規則だから』、『三歳児以下は、大人と同乗が決まりなの…』と『メリーゴーランドの係のアルバイト男性』に『めんどうくさそうに』言われて『優希が乗るからだいじょうぶ』と言う少女に、『せめて高校生じゃないと』、『二人で来たの?』、『来てもいいけど、乗せれねーわ』と『アルバイト男性』は『にべもなく』話します。『二人でお留守番して』と『母親に言い渡された』優希は、『新聞の集金のお兄さんが後楽園の無料乗り物券を置いていくのを見』ました。そして、『母親が捨てた券を』『ゴミ箱から拾いあげた』優希。しかし、後楽園に来たものの『メリーゴーランド』に乗ることもできない優希は『チケット売り場の近くに立っている老人を見つけ』ます。
場面は変わり、『夫昇平(しょうへい)の誕生日のふた月ほど前』、『三人の娘に電話をかけたのは東曜子(ひがし ようこ)。『それぞれ家庭を持って久しい長女の茉莉(まり)と次女の菜奈(なな)』と、『まだ独身で』『フードコーディネーターをしてい』る三女の芙美(ふみ)を、『この機に』『呼び寄せておきたいと考え』た曜子は、『頻繁に連絡を取り合う相手である次女の菜奈』、次に芙美と電話をしますが、不在で直接話ができない中、『夫の在外研究』の都合で『サンフランシスコ』で暮らす長女の茉利に電話をします。しかし、結局留守番電話となり、話ができなかったという展開。一方で、それぞれ伝言や留守番電話を聞いた三人姉妹は『西海岸滞在中の茉利までが呼び戻されるとあっては、ただの誕生会ではないらしい』と感じます。
再度場面は変わり、茉利の帰国に合わせて『カフェでランチ』をする三人姉妹は、茉利の『お父さんの具合はどう?』という切り出しから父親の話を始めます。『一昨々年』に『二年に一回、同じ場所で行われている高校の同窓会に辿り着けなかった』ことをきっかけに『ものわすれ外来』の戸を叩いたことで『はっきりした』という父親の『アルツハイマー型認知症』。『あれからもう三年経つわけでしょう』という中、プレゼントの相談をする三人は『老人向けの携帯電話を、母親のものと併せて二つ買うことに』しました。
三度場面は変わり、両親の暮らす『東京郊外の一戸建て住宅を訪ね』た三人姉妹に、『病気の片鱗すら感じさせないしっかりとした口調で』話す父親を見て、『かつて区立中学の校長や公立図書館の館長を務めた昇平』の現役時代の姿を思い出す曜子。そんな中、『GPSが付いてるのよ』とプレゼントに持ってきた『携帯電話』を三姉妹は取り出します。『お父さんが一人で出かけているとき、どこにいるかがわかるの』と説明を受け、『え?そんなことが?』と驚く曜子は、『携帯電話』を凝視します。
四度場面は変わり、『お父さんが帰ってこない』と『パニック状態の母親の電話を受けた』次女の菜奈は、曜子と共に『お互いの携帯電話のGPS機能を使って昇平の現在位置の検索を始め』ます。『新宿駅のあたりをうろうろ』、『ここ、明大前だ』と移動する昇平に電話をかけるも応答はありません。やがて、『新宿から丸ノ内線に乗った』ことを確認した先に、昇平は『駅近くのある一点』で動かなくなります。
五度場面は変わり、『こんばんは』と、『チケット売り場の前の老人に近づいた』優希は『あれに乗りたいんだけど、大人がいないと乗っちゃいけないって言われたから、いっしょに乗ってくれますか?』と話しかけます。『自分がどうしてここにいるのかわからなかった。何をしに出てきたのかも、どうすれば帰れるのかも、忘れていた』という昇平は、うなずくと女の子の手を握ります。『おじいちゃんといっしょなの』と『アルバイトの男性』に話す優希に『そうだよ。おじいちゃんだ』と言う昇平。男性の指示に従って三人が木馬にまたがると『メリーゴーランド』が動き始めます。『ともかくこの娘をしっかりしっかりつかまえていよう。それはとてもだいじなことなんだ』と思う昇平。『認知症』を患う昇平と家族の物語が描かれていきます。
“東家の大黒柱、父・昇平はかつて区立中学校長や公立図書館の館長をつとめ、十年ほど前から認知症を患っている。長年連れ添った妻・曜子とふたり暮らし。娘が三人、長女の茉莉は夫の転勤で米国西海岸暮らし。次女の奈菜は菓子メーカー勤務の夫と小さな子供を抱える主婦、三女の芙美は独身でフードコーディネーター。日々発生する不測の事態のなかでも、ときには笑いが、ときにはあたたかな感動が訪れる”と内容紹介にうたわれるこの作品。父親の昇平を山崎努さん、妻の曜子を松原智恵子さん、そして娘を竹内結子さんと蒼井優さんが演じられて2019年に映画化もされています。
そんなこの作品のテーマは内容紹介にある通り『認知症』です。『認知症』を扱った小説は数多あり、私が読んできた作品にも桜木紫乃さん「風葬」、「家族じまい」、藤岡陽子さん「森にあかりが灯るとき」、そして町田そのこさん「星を掬う」など数えてみればそれなりの数の作品に『認知症』を患う登場人物が描かれています。しかし、ここで挙げた作品にはそれぞれ別にテーマがあり『認知症』ど真ん中というわけでもありません。ということで、1,000冊以上の小説ばかりを読んできた私ですが『認知症』をど真ん中に扱った小説は初めてのことになります。それとわかった上で手にする中では、ここにはどんな重苦しい物語が描かれているのだろう…と憂鬱な感情が先だったのも事実です。しかし、そこに描かれていたのはただただ重苦しい物語というよりも、『認知症』を患う昇平をそれぞれの立場で見守る家族の物語でした。
ということで、『認知症』の内容に入っていきたいと思いますが、その前に、この作品では時代を垣間見る表現が強く印象に残りました。まずはこの点から見ていきたいと思います。
『たとえば、iPod shuffleとかWiiみたいなものを好きなだけバカスカ買えたなら、この鬱屈したアメリカ生活だってなんとか耐えられそうな気がした』。
昇平の長女・茉利は家族四人でサンフランシスコに暮らしています。物語の中では、現地へと旅行する昇平の姿が描かれたり、アメリカでの生活に戸惑う孫の姿も描かれます。これらのシーンが作品にかなり大きなアクセントを与えてもいるのですが、ここでご紹介したいのは、『iPod shuffleとかWii』と記された箇所です。『iPod shuffle』は2005年登場、2017年に販売が終了しているAppleの商品であり、なんとも懐かしい印象を受けます。
『ダイヤルアップ回線の、間延びしたウィーン、キュルキュルキューという変な音…』
これは、インターネットに接続する場面を描いたものですが、『ダイヤルアップ回線』なんて言葉、このレビューを読んでくださっている方の中にも意味不明と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?なんとも時代を感じさせる表現です。
『あのハーバードのばかったれ小僧が作ったあらゆるトラブルの種、フェイスブックのおかげで旧交が復活した』
この表現にはビックリ!です。フェイスブックを紹介するのにこんな形容をその前につける文章は流石に今の時代違和感しかありません。この作品は、文藝春秋社の雑誌「嗜み」の2013年冬号と、「オール讀物」の2013年8月号から2015年2月号に掲載された後、2015年5月に単行本として刊行されています。上記の表現はその時代でも古いものだと思いますが、この作品では『認知症』を患う昇平の十年の歳月を描くからこそ、その出発点は2000年代初めまで遡ることになります。結果としてこれらの表現を入れることで時代の違いを表現したものと思われます。とは言え、単行本刊行からさらに十年という時間が過ぎた今の時代にこれを読むと流石にもう違和感しかありません。デジタル関係のモノを時代表現として用いるのはなかなか難しいものがあると感じました。
では、メインテーマとなる『認知症』の中心人物となる昇平について見ておきましょう。
● 東昇平ってどんな人?
・『長年、中学の教師をしていて、校長職を経て地域の図書館長なども歴任した』
・『東京郊外の一戸建て住宅』に妻と暮らす
・七十代の十年、『認知症』を患う
・家族は彼の他に四人
- 妻・曜子
- 長女・茉利(サンフランシスコ在住・既婚・息子が二人)、
- 次女・菜奈(既婚・息子が一人)、
- 三女・芙美(独身・フードコーディネーター)
物語は、そんな昇平の『認知症』の十年を描いていく中にその具体的な症状が描写されてもいきます。そして、その出発点は、三年前、『ものわすれ外来』の戸を叩くきっかけになる出来事があったことが説明されます。
『頻繁に物がなくなり、記憶違いも続いていたあの夏、昇平は過去数十年にわたって二年に一回、同じ場所で行われている高校の同窓会に辿り着けなかった』。
『昇平の亡くなった兄』も『認知症』を患っていたこともあり、早々に診察を受けた昇平は、『初期のアルツハイマー型認知症』と診断され『進行をゆっくりにする薬』を処方されると『認知症』と共に生きる日々をスタートさせます。
『「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」 「遠いって?」「いろんなことがね。あんたたちやなんかもさ」
そう言うと祖父は穏やかに小さな孫を見て微笑んだ』
小学三年生の孫・崇との会話を抜き出してみました。『いろんなことが遠い』という表現になんとも切ない気持ちが湧き上がりもします。それが孫との会話というところにも意味を感じます。また、物語では、『排泄』についても描写されます。『認知症』を患っている方が排泄物を手にする様を描く作品は他にもありますがこの作品が注目するのは、その排泄の大切さです。少し長いですが、とても参考になる記述だと思いますので引用したいと思います。
『朝の排便がすっきりあるか否かで、その日の体調がまったく違うのだ。排泄のある日は一日がスムーズで、記憶や認知の混乱も比較的少なく、会話もある程度は成立する。ところが、排泄がうまく行かなかった日や、便秘が続いているときは最悪で、ほとんどコミュニケーションが成り立たないばかりか、歩行のふらつきもひどく、いちばん酷いときはほとんどベッドから起き上がれないような状態になる』。
『排泄』の具合は私たちの生活においても大切であることに変わりはありません。便秘が長く続くと、その影響は気持ちに表れてもきます。『認知症』であってもそういった『排泄』の事情は同じである一方で本人がそのことを意識できない分、介護をする親族が気を配る必要がある、そんな介護のリアルな現場が浮かび上がってもきます。物語では、結末にいくに従って『認知症』がどんどん悪化していく昇平の姿が描かれていきますが、このリアルは、そんな昇平を看る家族の姿を映しとっていく物語だからこそだと感じました。
そんなこの作品では、昇平と共に一戸建てに暮らす妻の曜子だけでなく、そんな曜子の求めに応じてさまざまな形で昇平の介護に関わっていく娘たちの姿と内面を描いていきます。また、さらには茉利の息子である潤や崇に視点を移してもいきます。特に茉利の長男・潤に視点を移す場面では、昇平の『認知症』の話題を忘れてしまうくらいに10代の青春をアメリカで生きる彼の”ザ・青春”な一面を映し出します。一方、この作品の巻末に置かれた〈解説〉で評論家の川本三郎さんはこんなことを記されています。
“この小説は、父親が物語の中心にいるが、父親自身が語り手になることはない。認知症になった人間が「私」を主語に語ることは出来ないのだから”。
一見、まあそうだろうな、と思わせる記述ですが、実はこの記述は誤っていると思います。レビュー冒頭にこの作品の第一章〈全地球側位システム〉の中で見知らぬ姉妹と『メリーゴーランド』に一緒に乗ることになった昇平の内面がこんな風に記されているからです。
・『自分がどうしてここにいるのかわからなかった。何をしに出てきたのかも、どうすれば帰れるのかも、忘れていた』。
・『ともかくこの娘をしっかりしっかりつかまえていよう。それはとてもだいじなことなんだ…』
はい、短いですが、昇平の心の内をハッキリと描き出しています。『認知症』を患っている側に視点が移動することは極めて珍しいと思いますが、その瞬間に自身が置かれている状況を把握できないものの、その瞬間の行為自体には目が行く、その独特な感覚が上手く描写されているように思いました。物語では、そんな昇平が『認知症』を患う中での十年が描かれていきます。それは、内容紹介にもある通り、『認知症』のさまざまな症状を描くものでもあります。
・ある言葉が予想もつかない別の言葉と入れ替わってしまう
・入れ歯の頻繁な紛失と出現
・記憶の混濁により日々起こる不測の事態
物語では、そのような状況下にあっても、家族の面々が手を取り合いながら、昇平の無事を見守っていく姿が描かれていきます。そこに気づくのは非常に重い内容を描いているにも関わらず、重苦しくなりきらない描写の数々です。上記した孫の潤の他、さまざまな登場人物のユーモラスに振った描写が、必ずしも『認知症』一辺倒の物語になりきらない中に、それでいて昇平の症状は進んでいくという絶妙な塩梅で物語は進んでいきます。そして、そんな作品が至る結末、そこには『認知症』と共に生きた昇平と、彼のことを最後まで思い続けた家族の思いに深く感じ入る印象深い物語が描かれていました。
「十年か。長いね。長いお別れだね」
「なに?」
「『長いお別れ』と呼ぶんだよ、その病気をね。少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」
『進行を止める、あるいは治療してしまうことは現在の医療ではできない』とされる『認知症』。そんな病気を患った昇平を看る家族の思いが描かれていくこの作品。そこには、物語が重くなり過ぎないようにユーモアを交えて描く中島京子さんの上手さを感じる物語の姿がありました。『認知症』のさまざまな症状を改めて思うこの作品。そんな昇平を看る家族それぞれにそれぞれの人生があることも思うこの作品。
「長いお別れ」というその書名に込められた深い意味に感じ入る素晴らしい作品でした。 -
ある人物がどういう人だったかという「評価」は、その人が生涯を終えた後にしかできません。
なぜなら、生き続けている限り、評価すべきその人の「全体」が決まらないからです。
人は「一生」という単位が定まった後に「あの人は〇〇な人だったねえ。」と評価されます。
では、この小説のように、ばりばりと活躍していた中学校の校長だった人が、生きている途中から認知症になって家族のことさえ分からなくなっていく10年間を過ごしてから生涯を終えた場合、彼の「一生」を評価する時には、その10年間を「一生」に含めて評価するのが適切なのでしょうか、それとも適用除外して評価するのが適切なのでしょうか?
それは、人生の価値や意味をどのように考えるか、ということにも繋がるのかなとも思います。
この作品のタイトルは「長いお別れ」。
もとの本人が少しずつ違う人になっていって亡くなることをそう表しています。英語ではlong goodbye。
突然にお別れすることになる人もいれば、この小説の主人公のように「長いお別れ」となる人もいます。
この作品を通して、人の「一生」の評価(理解)について考えてしまった わたしなのでした。
(そもそも家族からの評価と、他人からの評価とは、違うものだと思いますが。。)
(映画も素晴らしかったです。山崎 努さん、松原智恵子さん、蒼井 優さん、竹内結子さん。凄かったぁ♡)
〔作品紹介・あらすじ〕
かつて中学の校長だった東昇平はある日、
同窓会に辿り着けず、自宅に戻ってきてしまい、
心配した妻に伴われて受診した病院で
認知症だと診断される。
昇平は、迷い込んだ遊園地で出会った幼い姉妹の相手をしたり、
入れ歯を次々となくしたり、
友人の通夜でトンチンカンな受け答えを披露したり。
妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに巻き込みながら、
彼の病気は少しずつ進行していく。
そして、家族の人生もまた、少しずつ進んでいく。
認知症の父を支える妻と娘たちが過ごした、
あたたかくも切ない、お別れまでの10年の日々。 -
ブク友さんのどなたかのレビューを拝見して知った本ですが、どなただったのかわからなくなってしまいました。ごめんなさい。
中央公論文芸賞
日本医療小説大賞
W受賞作
沁みました。
タイトルの『長いお別れ』の意味がわかるとつらくて涙が出そうになりました。
この小説の主人公は元中学校の教師で校長も務めた70歳の東昇平。
認知症を患うところから最期のお別れまでの十年間を描いた作品です。
家族は妻の曜子と娘が三人います。
妻の曜子も後期高齢者の老々介護です。
以下、ネタバレ多少ありの感想です。
お気を付けください。
昇平の家族が最期に病院で「人工呼吸器と胃ろうはつけますか」と訊かれるところが、あまりにもつらくて苦しくてむごくてたまりませんでした。
認知症という病気は罹った本人も家族もなんでこんなに苦しいのかと思いました。
私の母も認知症と診断されてそろそろ1年経ちますが、こんなむごい未来が待っているのかと思うとぞっとしました。
最後に川本三郎さんの解説「帰ってゆく父」を読んだらまた泣けました。
「帰ってゆく父」より引用します。
孫は校長に祖父の死を告げる。
自分の祖母も最後、認知症になったという校長は認知症のことをアメリカでは「長いお別れ」(ロンググッドバイ)というと語る。「少しづつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」。
「長いお別れ」という言葉で語られることで認知症は「病気」や「試練」から「詩」になる。人間の領域から神の世界へと移る。 -
曜子さんが明るいので、重い内容なのに読みやすかった。
在宅介護、ここまでメンタル保ちながらうまくやれるものかな?介護する側が参ってしまいそうだけど。
網膜剥離の手術後、何とか早く治そうと医師の言葉通りうつ伏せを頑張る曜子さん、めちゃくちゃ可愛らしかった。一緒に退院できてよかったね。
ラストシーンも良かった。
「長いお別れ」って、良い表現だな。 -
自身、未だ介護の経験は無い。正直なところ無関係だと思いたい自分がいた(いる)のだと思う。でもいずれ時は来る。間違い無い。覚悟の問題だ。でもその覚悟が私には無い。
取り敢えず両親に会って来ようかな。まだ間に合うし。今は何もしないけど、準備どうこうの問題でも無いと思うけど。
決して綺麗事ではなく、現実をしっかりと見てやるしか無いんだろうな。辛いんだろうな。でも、覚悟を決めて頑張らないと。
こんな感情を表に出させる本でした。良本です。-
こんばんは。私の本棚に「いいね」を頂き、ありがとうございます。この本を読んだ当時、私も漠然と母の介護を考えていました。今現在、喫緊の問題にな...こんばんは。私の本棚に「いいね」を頂き、ありがとうございます。この本を読んだ当時、私も漠然と母の介護を考えていました。今現在、喫緊の問題になって来ています。それでも腰がすわりません。難しい問題だと思っています。2023/10/03
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認知症になってしまった父親をめぐり、3人の娘と母親、孫たちが、それぞれに戸惑い、混乱しながらも、それでも何とか試練を乗り越えていく物語。
徘徊、異食、不潔行為などなど認知症の様々な問題行動がとてもリアルに描かれて、壮絶な介護を担っているにも関わらず、所々で心の和むエピソードが散りばめられており、心温まる物語に仕上がっている。
現在進行形の高齢化社会において、どういった介護が必要なのか。介護者である家族の生活も担保しつつ、本人のQOLをどう確保していかなければならないのか。現代社会においても、今後の社会においても一考しなければならない問題である。
認知症という重いテーマの物語だったが、どこかあたたかくて切ない、家族の物語でした。 -
少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていく認知症という病気は、アメリカでは長いお別れ=ロンググッドバイというらしい。もう何年も前になるが、義母は認知症の義父を一人で介護していた。孫を忘れ、嫁を忘れ、息子を忘れ、最後の最後には妻もわからなくなってしまった。よく義母が「説得より納得だ」と言っていたのを思い出す。
本書では、妻である自分のことを忘れてしまった夫の老老介護が淡々と書かれている。自分はこんな風に向き合って寄り添うことができるのかな。
ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か? -
中島京子さんの作品を読んだのは、本書『長いお別れ』が初めてです。
いつも立ち寄る本屋さんの文庫コーナーで、たくさんの本が平積みされていましたが、圧倒的に私の目を惹いたのが本書でした。
どこに目が留まったのか?
それは、「心ここにあらずといった表情で、椅子に腰かけている年配の男性」が描かれている表紙と、『長いお別れ』というタイトルでした。
帯には、次の文面が書かれています。
認知症の父と
妻、娘たちが過ごした
お別れまでの切なくて
あたたかい日々
なるほど、表紙の男性は認知症を患っているのだなと分かりました。
次に、裏面のあらすじには、
妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに巻き込みながら、病気は少しずつ進行していく。あたたかくて切ない、家族の物語。
とあり、そのまま手に持ってレジに向かいました。
先ず、このような小説を読むと「家族の絆」を改めて感じさせてくれるのですが、それと並行して、家族(本書では妻と3人の娘たち)それぞれの生活の中での介護という(綺麗ごとではない、お金、時間、肉体的・精神的な負担)現実を、どのようなバランスで両立させることが最良なのか?人生の幸せとは?家族とは?
をいつも考えさせられます。(答えは出ません)
次に、本書で最も印象的だったのは、夫への妻の愛情と献身(嫉妬すら感じるほど)です。
自分よりも(失明寸前になろうとも)何よりも、夫の身が最優先であり、夫を理解し、夫を本当の意味で助けられるのは自分しかいない(介護に当たっては娘にも闘争心を燃やしまうほど)という姿には、心を打たれました。(男性側の勝手な想いかもしれませんが)
また、解説にも書いてありましたが、夫(父)の死をリアルには描写せず、海外に住む中学生の孫と、その中学の校長先生との面談の場面で締めくくるラストにはとても感銘を受けました。
亡くなった夫(父、祖父)が、中学校の校長先生を務めていたことと、単なる偶然では勿論ありませんね。
ラストの場面で、事実を聞いた校長先生が
「『長いお別れ』と呼ぶんだよ、その病気をね。
少しずつ記憶を失くして、ゆっくり遠ざかって行くから」
と孫に言うのですが、その時の校長先生は祖父だったのではと思ってしまいます。 -
Long good-bye 実際にそう表現することがあるのだろうか。緩慢な別離。認知機能の衰え、記憶の喪失は、その人がその人であることからの離別である。
認知症の進行につれ、求められる介護は格段に難しくなる。どう見てもキャパオーバーだが、いっぱいいっぱいになりながらも、母と3人の娘たちは諦めずに奮闘する。父を否定することなく、父のことで姉妹が険悪になってしまうこともない。病状の進行と共に、介護が手に負えなくなってゆく様子は、読んでいても辛い。その一方で、その父に寄り添うことを放棄しない母と娘たちの姿は温かい。どこにあるのかわからない父昇平の気持ちが語られることはないが、不幸ではないと思いたい。
辛くて切なくて温かい物語である。 -
「長いお別れ」=ロンググッバイ
「少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから。」
介護を経験したことはないが、この本のおかげで擬似体験させていただいた。実際の介護とはもっと、言葉にならない、経験した人にしか分からない事がたくさんあると思う。タイトル通り、本当に長い、長いお別れというか、戦いというか。3人の娘たちの、配偶者である妻の、全てが「遠く」なっていく痴呆症である本人の、気持ちがじんわりと伝わってくる。自分の立場や未来を想像しながら読んだ。切ないなぁ。でもこうして人生は順番に回って行くのだなぁと感じた。
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認知症が発症してから家族に迫られる介護の日々の十年。だんだん会話がままならなくなる、わがままを言い始めるリアルな生活なのだが何故かそんなに重く感じない。世話をする曜子さんがそれに無理してないように感じるからなのだろうか。愛情とか飛んで憎しみが募ってきそうなのに。実際はかなり大変なのも想像できるのだが、何故かこのままこの生活をみていたくなる。
そうくりまるなよ。語彙もなくなってきて日本語にもならなくなっても、何故か娘と会話が通じているようで何かを超えた愛なのかと思わされる。
あっさりと十年が終わってしまった時も、リアルにこんな感じなのかも。
娘達とほぼ同年代の自分にとっても近い未来に訪れるのかと身に迫られた作品だった。 -
同じような年代の両親を抱える身としてはホラー。この本のケースは暴力とかがないからまだマシで、それでも各家庭で納められる問題か、これからに向けていつまでも目を背けられる訳じゃないことを認識させられる。
女性らしい文章でした。 -
読んでよかった。
認知症の父と家族たち。
やりとりも、家族の事情も、それぞれの気持ちも、すごくリアルだった。
大切な人のことも、大切な思い出も、自分のことさえも忘れていってしまう認知症。切ないなぁ
少しずつ少しずつ周りの人のことを忘れて、まさに『長いお別れ』だなぁ、と。
どこの家族にも起こりうること。
色々と考えておかなくちゃなぁと思いました。
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アメリカでは、認知症のことを「長いお別れ」というらしい。
そう語ることによって、病気というイメージから「詩的」イメージへと昇華する。いかにもアメリカらしい言い方か。
本作も、妻や娘の目を通して、認知症の夫(父親)の行状が語られているが、決して暗くならず、ユーモアさえ感じられる。
妻の介護は自らも網膜剥離に罹るなど困難の極みだし、三人の娘たちもそれぞれ事情を抱えて余裕などなく、深刻で大変な状況であるが、悲惨な状況には描かれておらず、読後感も悪くない。
長寿高齢社会の現代にあって、認知症は、本人家族あるいは近親者など、誰でもが避けては通れない問題かもしれない。
しかし、せめてこの小説世界ぐらいの気持ちの持ち様で、対処したいと思うが。 -
認知症が背景にある小説で暗くなりがちなテーマなのに、導入章ともなる『全地球測位システム』の章が明るく巧みに誘ってもらった。老々介護家族の見本のような中で妻の曜子が陽気。それぞれ3人の娘が居る。長女〈茉莉〉は米西海岸に住む。次女〈菜奈〉は近くに住んでいるが妊娠中。末っ子の芙美〉は独身。3人の孫も登場する。それぞれが「うるせぇな」とぶつぶつ言いつつも父の東昇平を愛していることが分かる。
家族って何だろうと自問してしまう。
遠住みの90歳母を想いながら介護真っ最中の私。幸いにまだ母は『長いお別れ』と呼ばれる認知症ではないが迫っている。
昇平を囲む家族が自分がやれる範囲で係わっているのを参考にできる。
最終章『QOL』でアメリカの学校に通う孫・崇が不登校になり、校長先生と話す会話で閉じられる。
構成が良いと思う。実は昇平も校長だった。
人の死は皆が生きていく場所場所でつながっていけると信じさせてもらえた。 -
「恍惚の人」を読んだときはかなり衝撃的だったのを思い出した。この本は、そこからは世の中の認知症に対する理解は進んでいるとしても、平成版「恍惚の人」、多くの課題や現状も提起してもらった。何より、認知症って周りの人が理解できずにモヤモヤするけど、認知症の人の中身を少し言語化してもらえて「そうだ、そうだ、そんな気がする〜」と思いながら読んだ。
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認知症を抱える家族。老々介護。月日とともに増えていく負担。他人事とは思えない内容でうなずく場面が多々あって。目を背けたくなるような現実と向き合わざるを得ない日常に、家族とは介護とは尊厳とはと、改めて考えながらの読書だった。出来る範囲でやれることをやるしかないのだろうが、その線引きが各人で違うこともまた難しいことなのだろう。しみじみと考えることが多かった。
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「ロンググッドバイ」
すぐ「帰りたい」と言う校長先生だった父、一生懸命介護する母、なんだかんだと優しい娘達。
身につまされる。
今、これから先の日本の現状。
コミカルながら、問題定義された話
帰りたい。。時はいっぱいある
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2014年初版。映像化されたものを先に見ました。原作が、より介護の辛さ・家族の辛さが描かれています。著者が痴呆症の父親の介護を10年近く続けたことがベースにあるとのことです。読んでいて、辛くなりました。自身と照らし合わせる部分が多々ありました。現状、87歳の母と2人で暮らす63歳の息子。老々介護と言って良いと思います。難聴で足元がおぼつかない母です。まだ痴呆症とまでは言えない部分は救いなのかなあ。でも主人公のように私には妻も子供もいません。どうなるのかなあ、どうしたらいいんだろうとページが、進みませんでした。物語で感じたのが、主人公である夫が痴呆症のため、はっきりとした考えがわからないと言うこと、認知症だから当然ですが。でも、認知症の家族の介護は大きな誰にでも起こりうる問題だと認識しました。
著者プロフィール
中島京子の作品

グダボソではありますが 暮らしております(笑
本からは片時も離れられませんが、事情があって「紙の読...
グダボソではありますが 暮らしております(笑
本からは片時も離れられませんが、事情があって「紙の読書ノート」に替えております
またこちらへ戻って来られるといいなあと思いつつ……
くれぐれもお体お大切に一層深い読書体験をご紹介くださいませ
ありがとうございました
やはり本と共にある生活は良いですよね。感想はどちらに記載でも良いと思います。ただ、お戻...
やはり本と共にある生活は良いですよね。感想はどちらに記載でも良いと思います。ただ、お戻りになるのはお待ちしております。
はまだかよこさんもお体ご自愛ください。
ありがとうございます。