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Amazon.co.jp ・本 (480ページ) / ISBN・EAN: 9784167911652
作品紹介・あらすじ
科学者の倫理を根源から問う傑作――佐藤優
◎大幅増補で真相に迫る完全版◎
iPS細胞を超える夢の万能細胞として、華々しく発表されたSTAP細胞。
そのニュースに日本中が熱狂したのも束の間、論文には次々と疑義が浮上する。
一流科学者が揃いながら、なぜ捏造が起きたのか。そしてSTAP細胞の正体とは。
独自取材を重ねた記者が掴んだ全貌。
大宅壮一ノンフィクション賞、科学ジャーナリスト大賞受賞作に新章を追加!
【目次】
第一章 異例づくしの記者会見
第二章 疑義浮上
第三章 衝撃の撤回呼びかけ
第四章 STAP研究の原点
第五章 不正認定
第六章 小保方氏の反撃
第七章 不正確定
第八章 存在を揺るがす解析
第九章 ついに論文撤回
第十章 軽視された過去の指摘
第十一章 笹井氏の死とCDB「解体」
第十二章 STAP細胞はなかった
最終章 事件が残したもの
あとがき/文庫あとがき/年表
解説・緑慎也
感想・レビュー・書評
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ニュースを新聞よりネットで見て、情報の奔流にさらされるようになってからでしょうか、特にノンフィクションが大好物になりました。
何か大きな事件が起きたとき洪水のように押し寄せる報道は、ある時期が過ぎると一気に潮が引くように見かけなくなります。掲載する紙面や取材する記者、そして受け手のキャパシティのいずれにも物理的に限りがある中で新しい事件事案が発生し続けるのですからやむを得ないことだと承知しています。
でも、「結局どういうことだったの?」という疑問は消化不良なまま燻ぶり続けます。そんな状態でノンフィクション作品を見かけると、つい手が伸びてしまうのです。
この本はSTAP細胞をめぐる騒動について、毎日新聞科学部の記者が2014年1月のプレス発表から論文撤回、2014年8月の笹井芳樹の自殺、その後の小保方晴子の博士号取消、調査委員会の第二次報告書の発表まで追ったノンフィクションです。
筆者が自らの興味関心と疑問に基づき、関係者に取材を重ね、記事にまとめて発表していく過程が時系列に沿って記述されています。
取材情報は、雑誌に投稿された論文の査読者コメントなどの資料や日時・記名のあるメール本文といった客観的で形のあるものから匿名による聞き取りの要約までが、記事となり紙面に掲載されたものから諸般の事情により掲載や公表に至らなかったものまで大量に掲載されています。
筆者の須田桃子は当時毎日新聞科学環境部所属の記者で、一連の出来事の取材に当たっていました。早稲田大学大学院修士課程修了(物理学専攻)で科学的な素養はお持ちのようです。皮肉なことに、小保方晴子とは卒業した大学が同じ。8歳上ということなので、キャンパスで顔を合わせたことはなさそうですが。
記憶に残るこの騒動は、割烹着での実験や研究室の壁にムーミンといったステレオタイプ化された「リケジョ」像から始まり、「STAP細胞はありまぁす」の記者会見、実績のある前途有為な研究者の自殺、堕ちたヒロインの博士号の剥奪に至るまで、「持ち上げてから叩く」劇場型の報道が行われているように感じられ、自分は意識的に膨大な報道から距離を置くように努めてきました。
渦中の人だった小保方晴子が、騒動が落ち着いた後、グラビアに登場し、またインタビューを受け書物を執筆するなどの行動をしていることも、自分にとって「劇場型」という感想を補強するものでした。
そんな自分が、事態が鎮静化し、むしろ風化しつつある今、一連の出来事を振り返るにはこの本はとても有用でした。
ただし(持ち上げてすぐ叩くわけですがw)この本の性格上やむを得ないことであるのは承知しつつも、それでも残念に思える点が2つありました。
まず、「真相」が明らかになっていないこと。
殺人事件や重大な事故など、刑事責任が問われている事象については、公権力により強制的に捜査が行われ、裁判を通じて認定された「事実」が存在します。自分がこれまで読んできたノンフィクションの多くは、この「事実」を前提として、そこに至るまでにあった背後要因――例えば犯人の生育環境であったり、組織の体質であったりすることが多い印象です――をレポートして読者の疑問に答えようとするか、逆に不適切な取り調べにより真相と異なることが「事実」とされていることなどを主張していたように思います。
これに対してこの「捏造の科学者」は、「真相」は藪の中です。科学誌に投稿された論文中の記述や写真に「不正」や「捏造」があることは調査委員会の報告で認定されましたが、「どうしてそんなことをしたのか」については、関係者の中で最も重要と思われる小保方晴子氏へは記者会見の場以外の取材はできておらず、笹井芳樹は多くを語らないまま自殺してしまいました。
そもそも理研の調査は「STAP細胞の有無」に注力する一方で論文不正の追及には及び腰で、最終的に懲戒解雇相当とされた小保方晴子の辞任を認めてしまうなど、真相解明より組織防衛や当時の理事長でノーベル賞受賞者である野依良治に傷をつけないことを優先したという心証を抱きました。
筆者らはこの調査報告に疑義を呈する一方で、研究室内で行われたとみられるES細胞の「混入」を直接調査したり聞き取り取材することはできていません。ノンフィクションとしての本書の限界の原因は、筆者が新聞記者だったことにあるのかもしれません。
ですから、この騒動で自分が一番知りたい疑問、
「どうしてすぐばれるような嘘をついたんだろう」
「どうしてすぐばれるような嘘を見抜けなかったんだろう」
に対する確たる答えは得られませんでした。
この根本的で本質的な疑問は、本書冒頭で匿名ではあるものの科学者から「全くの新奇な研究で不正はあり得ない」――周りがこぞって追試をするはずだから、不正や捏造があればすぐに発見される、だからそんなことをするはずがない――というコメントもあるように、自分に限らず多くの人が感じているはずのものです。
笹井芳樹の秘密主義や基礎研究の予算獲得に関する厳しい状況などには触れられていますが、この事件の発端となる不適切な論文記述は小保方晴子が理研入りし笹井芳樹と出会うはるか前、早稲田大学に提出された博士論文ですでに確認されており、理研の体質や笹井芳樹の思惑は研究不正を助長し、火に油を注いだのかもしれませんが、それはこの騒動を拡大しただけです。炎上する素地はあったとしても火が着かなければ燃え上がらなかったわけです。しかし、「そもそもどうしてそんな大発見をしたと嘘をつき始めたのか」をには手が届かず、解明されないままです。
そして、渦中の人物、小保方晴子についても、わからないままです。
本書を読むまでは、この騒動を「功を焦った若手研究者の暴走」から始まった事件だろうと思っていましたが、一読してそんな簡単に総括できるものではない、ということだけはよくわかりました。
博士論文の時点ですでにみられる多くの不適切な記載、そのような論文の著者がハーバード大学、理化学研究所と華々しいキャリアを積み上げることができた不透明な採用・抜擢の過程、問題発覚後の理研や早稲田大学の何とも煮え切らない調査と発表、一方で自殺者まで出したメディアスクラム。小保方晴子は出発点に過ぎず、最初のプレス発表以降は彼女にとって事態が全くコントロールのできなかったであったろうことは間違いありません。小保方自身はこの騒動の一つのピースに過ぎないのです。
でも、コピペだらけの論文で多くの先輩科学者の目を欺き続け、口さがないネットをして「鋼のメンタル」と言わしめたそのキャラクターには大変関心を引かれます。
健康な存命の人物であり、「あの日」なる本を上梓して自身への取り調べやマスコミの取材方法について反論しているのですから、可能であればインタビューを、そうでなければ反論の寄稿を受けるなどしてその内面にもう一歩踏み込んで欲しかったと思います。
なお、「あの日」ですが、「怖いもの見たさ」で読んでみたいとは思いますが、この本と対比させて相互の主張を検討するほどの価値はなさそうです。
面白いことに、「あの日」に関してはamazonでの評価(★5から順に60,16,15,4,6%)とブクログの評価(14,34,37,11,4%)とが大きく乖離しています。さらに興味深いことに、amazonの高評価のレビューを見ると陰謀論の香りが香ばしく漂っています。陰謀論者はどこにでも湧くのだなと感心しつつ、陰謀論の発端が観察できるなかなか興味深い事例ではないかと思います。
一方ブクログではかの「絶歌」と対比させているレビューが多い印象でした(自分も相似を感じます)。
これだけ見ても「怖いもの見たさで読む」態度が相応しい、と思いませんか?
ただ、メディアスクラムを受ける側の立場の主張を読めることは多くは無いと思いますので、そういう読み方もあるのかもしれません。取材する側は理路整然と疑問点を問い合わせているように書いていますが、仮にそのとおりだったとしても、取材される側は同じようなことを何回も繰り返し聞かれるわけですから受け止め方は全く変わってくるでしょう。
さて、自分の関心への回答としては隔靴搔痒の感のある本書ですが、ノンフィクションとしては――というより、その前段の新聞記事執筆の時点で「しっかりしている」と感じました。
何よりも、「突っ込みどころ」、問題になった論文自体や、疑問に対する共著者や理研やCDBその他の関係者の回答や応答の「どこがおかしいのか」を自ら科学的に検討して追及していて、報道における専門的な知識を有する識者の必要性がよくわかります。
余談ですが、これを書いている今、現在進行形で起こっているウクライナに対する侵略の報道に関しても、本当の有識者の意見と、単なるコメンテータの妄言を比較してみても明らかです。
ただし、書物にまとめるにあたって説明の仕方を相当見直したのでしょうけれど、普段なじみの薄い概念について書かれた文章を、例えば「短期間での培養ではトリソミーはほとんど生じないが、継代培養したES細胞ではよく見られることが知られている。」→「論文の元データになった細胞にはトリソミーが見られる」→「ES細胞ではないか」という論旨を、まず理解したうえで本当に筆者の主張が妥当なのか自分の心証をまとめる、という読み方をすると大変疲れます。
自分は本書を2回通読し、1回目はいつもの悪癖で流し読みしてしまったのですが、それでも読了に時間を要した(一般的な小説の概ね3倍は必要でした)うえ、できるだけ読み飛ばさないように心掛けた2回目は気を付けないとすぐに目が滑るので読み進めるのに大変な集中力を必要としました。
また、色々なところで筆者が(悪い意味で)「新聞記者だなあ」と鼻につくことが多く、辟易させられることもしばしばでした。
例えば「理研は」「CDBは」などと特定の個人ではなく法人や組織を主語にしたり、受動態を利用するなど主語を明らかにせず批判したりする話法を多用すること。
「理研は論文不正の解明には及び腰だったが、このような説明では理研の信頼は回復されないだろう」みたいな言い方です。
特定個人を批判して、万一その批判に瑕疵があった場合に自らが非難されるリスクを避けつつ、何か実のある主張をしたつもりになるこの話法は、刑事事件があった時に「社会」が悪いとする主張と通底しているように思えます。かっこよく見えますが空虚です。
もう一点、笹井芳樹の自殺について、遺書で「マスコミのバッシング」を理由に挙げているにもかかわらず、自らの取材姿勢を全く顧みていないことは、失当だと感じます。もっと早く解任すればよかったのではないか、無理をしなければ研究費が獲得できない今の制度は問題はないか、などと言い訳に終始していますが、この「マスコミによるバッシング」には一言も触れられていません(遺書にこれが書いてあったことを隠さなかったがせめてもの誠意なのかもしれませんが)。
もしかしたら筆者の取材に対する姿勢は真摯で抑制的だったのかもしれませんが、同じ真摯で抑制的な質問を繰り返し複数の記者から聞かれればそれだけで被取材者は消耗するでしょう。また、理研の信頼回復等、社会正義の実現を錦の御旗として掲げつつも、「NHKの特ダネ」「日経新聞が先に報じた」などの記載が多数見られるように熱心な取材や記事化の根底には一つの動機としてスクープ合戦があるのは間違いなく、NHKスペシャル「調査報告 STAP細胞 不正の深層」がBPOから人権侵害を指摘されていることからわかるように、一連の報道が全体として必要以上に煽情的だったことは論を待ちません。
STAP細胞にまつわる論文不正に関するノンフィクションであって、メディアスクラムに関しては稿を改めるべきなのかもしれませんが、悲劇の原因をすべて理研側に背負わせる態度はやはり悪しきマスコミの典型だと思います。
なお、著者須田桃子は小保方晴子の手記「あの日」の中で名指しで批判されていることに対し、文庫本の出版に当たって一部追記を行い、「殺意を感じた」とされたメールをすべて上司に提出して批判が当たらないことを確認したとしていますが、取材メールが妥当なものであるかどうか「身内」である新聞社内関係者が判定するのでは、納得は得られないのではないかと思います(マスコミ語法ですw。書き直すと「私は納得できません」)。反論するのであれば、参考資料としてでも掲載することはできなかったのかと思います。
批判が多くなってしまったように見えますが、科学的素養がなくても「STAP細胞事件」を俯瞰できる資料は本書だけです。先に書いたことの繰り返しになりますが、極めて有用で貴重な書籍だと思います。
ちなみに、記者会見での小保方の発言「STAP細胞はあります」は2014年の「新語・流行語大賞」にノミネートされています。同時にノミネートされているものには「集団的自衛権」「積極的平和主義」「雨傘革命」「号泣会見」「エボラ出血熱」などがありますが、これらは、2022年の現在から振り返ると、お祭り騒ぎとして消化してしまうのではなく、真剣に検討したり議論したりしておくべきではなかったかと思われます。「STAP細胞事件」についても、8年経過した今であっても、コロナなどをめぐって非科学的な言説が飛び交う今だからこそ振り返っておく意味があるのではないかと思います。
一読をお勧めします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の博士論文の調べ方|国立国会図書館―National Diet Library
https://www.ndl.go.jp/jp/library/training/remote/phd.html -
とある新書で紹介されていたので。
レビューには賛否あって、どちらも読みながらフンフンと納得していた(笑)
今日び、インターネットニュースでは名前もよく分からないライターさんの、何を書きたかったんだろう?と思わせられる記事?に遭遇することが割とある。藤井くんの将棋ブームの時にも、コメンテーターが踏み込めていないことが話題になった。
こういう科学的な問題と向き合うには、その人の専門的な知見が問われる分、筆者にもそれなりの覚悟があったのではないか(という部分と、小保方氏からの糾弾に対する憤りがあったのでは?という風に読めてしまうのは、確かに残念)。
特に、小保方氏の女性性を利用するような書き方は、そういう見方をさせてしまう意味で、好ましくないとも思う。
しかし、まあ。
出来事自身に戻ると、ものすごいお膳立てがあった分、ものすごいブーメランを喰らったSTAP報道だったという印象。
でも、1月発表で2月には調査委が動き始めてるんだから、あっという間の出来事だったのね。リケジョブームとか、割としばらく続いた気がしていたのに。
現象に対して、どこかしら冷徹な客観性を必要とされる(と勝手に思っている)科学者の、そうはなれない姿も垣間見たように思うし、ある種の聖域の在り方を知ることにもなった。 -
博士号の意味、未熟な研究者排出の大学の責任、組織防衛の論理、資金獲得戦術、マスコミの報道の在り方、諸々あるが、ヒトが1人亡くなったという事実。
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須田桃子『捏造の科学者 STAP細胞事件』文春文庫。
大宅壮一ノンフィクション賞、科学ジャーナリスト大賞受賞作。我が国の科学研究の発展を鈍化させる契機となった科学ジャーナリズムの大傑作。
2014年、若手女性科学者がユニットリーダーを勤めた研究がSTAP細胞の大発見につながり、テレビや新聞でiPS細胞を超える世紀の大発見と大きな話題となった。その後、捏造やコピペ、論文不正に関する嵐のような報道、追い込まれた当事者の自殺という悲劇、若手女性科学者の博士号剥奪という一連の騒動も記憶に新しい。このような経緯から本書には大いなる興味を持って挑んだのだが……
読後の第一印象は真実はさておき、随分と安直な三流週刊誌連載の推理小説のようだなというのが正直なところ。本書の中にはSTAP細胞の発見は捏造だった、小保方晴子は科学者としての資質に欠けていると印象付けるような様々な伏線が張り巡らされており、微に入り細に入り、重箱の隅をつつくような個人に対する攻撃的な記述が連続する。これには本当に参り、最後には吐き気をもよおした。タイトルが『捏造の科学者』と最初から個人を標的にしているのだから、当たり前か。
まるで今の世相を反映するような、こういう作品が大宅壮一ノンフィクション賞などの各賞を授賞するのだから日本は大層な国になったものだと恐怖を覚えた。 -
小保方晴子さんのあの日と併せて読みました。
事件の事はあまり理解できませんでしたが、自分は理系ではないということがわかりました。 -
事件のあらましが分かりました。本人への取材は出来ず、彼女が何故このようなことをしたのかは分からないままです。他の捏造事例や本人の発言、研究への取組姿勢から、読み手が少し想像できるようになっています。こうした不正は相当な悪意を持って行うもので、まれなことと思っていましたが、研究者の論文に対する意識の低さや不正ができてしまう環境があるのだと思いました。
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結局この事件は何だったんだろう、とずっと思っていたので読みました。毎日新聞の須田記者が、最初はみんなと同じようにSTAP細胞に興奮して報道したジャーナリストの1人として責任を取るかのように丁寧に経緯が書かれていました。
私はやっぱり個人の問題(研究の作法を知らなかった、データの扱いがあまりにずさん)がメインであって、理研の責任論はいまいちピンとこないのですが、周りの若山さんや笹井さんら有名な研究者たちが共著になっていたからみんな簡単に信じてしまった。なぜそのようなしっかりした研究者たちや、ネイチャーがコロッと信じてしまったのかはやはりよく分かりませんでした。あとからきちんと調べたら、ツッコミどころ満載の論文で、出されたデータもめちゃくちゃだけど、そのときはまさかデータ自体がそんなひどいものだとは思わなかったということなのかな…
いろんな研究室を渡り歩いていて、理研にもハーバードからの客員だったという小保方さんの経歴も、扱いが難しいところだったのかも。また、iPS細胞への対抗心、STAP細胞で予算を獲得したいという気持ちもあったんだろう。
仮説や期待を持ちすぎるのも研究を危うくすると感じました。自分も今後臨床研究をするかもしれない、意図せず不正をしてしまうかもしれない、と思ってドキドキしながら読みました。 -
著者は毎日新聞の記者。内容は表題の通り。文庫化に際して追加された末尾の部分では、この事件の総括を改めてされているのと同時に、小保方氏による手記『あの日』に出てくる名指しによる批判への再反論ともなっている。あの事件の何が問題で、どうして”STAP細胞は存在しない”と言い切れるのかを科学にあまり詳しくない人にもわかり易く伝えようとする姿勢がとても感じられて、興味深く読めた。
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当時、連日の報道が盛り上がりすぎて、途中からなにがそんなに?と、よくわからなくなってきた。
先日、記者の方が出された『東芝の悲劇』がことのほか興味深く、取材の幅と質に引き込まれて読んだ。そんな経緯もあり、別の記者ではあるけれど手に取った。
が、読み終えて、非常にがっかり。
全体的に単なる取材日記的な印象で、報道されていること以上のものが何もない。
記者自身の正義感の押し付けが、非常に嫌な気分になった。
論文捏造とはいえ、結局、なぜそのようなことが起きてしまったのかは何もない。糾弾して終わり。そんなことなら私にだってできる。 -
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客観的な経緯はわかるけど…
なぜ科学者がそういうことをしたのかという点をもう少し踏み込んでほしかった。 -
2/16読売新聞
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac.lib.setsunan.ac.jp/iwjs0021op2/BB50122558 -
小保方氏から「殺意を感じた」と名指しで批判された筆者による本事件の全容とも言える手記。事件における不可解な点をズバズバと論理的に切り捨てていく文章から感じる筆者像は、ひと度矛盾を感じたら徹底的に追求する記者としての矜持と正義感を兼ね備えた情熱的な人柄である。ただ、本書を読み進めるにつれて敵に回すとこれほど恐ろしい人もいないだろうなという印象がどんどん強くなり、最終的には小保方氏を初めこの騒動の登場人物達に同情まで感じてしまい、冒頭の小保方氏の発言が出てきても不思議では無いかもと思うまでになった。本事件を時系列で細部にわたり詳らかにしたその執念には敬意を払い評価もしたいが、上記のような印象を読者に与えてしまっている点を改善の余地ありということで星はマイナス1とした。
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情緒的な科学者vs論理的な新聞記者という、いつもと逆の構図が面白かった。
未熟だけど一生懸命な若者に好感を持った権威あるベテラン達。結果としてネイチャーにヤバい論文が掲載されてしまう。「くさった丸太をたまたま渡り切れてしまったようなもの」と本文中にあるがその通りだと思う。しかし応援したくなるというのもひとつの才能で、今だに小保方氏を擁護する一定の世論が存在している。
小保方氏も科学のような検証可能なフィールドではなく社会学や環境もしくは商社・金融のような分野で勝負していれば大出世したのではないか。 -
オーディブルのポッドキャストで柳瀬博一氏のゲストで須田桃子さんを知って読みたくなって手を出した。
「STAP細胞はあります」以降のことを知らなかったし、なんなら事件のこともよくわかっていなかった。
難しいけど、専門外でも読めるように説明が多いので読めました。
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2021I180 407/Su
配架場所:A4 -
2014年に科学界だけでなく、社会に大きな衝撃を与えたSTAP細胞に関する研究不正事件について、毎日新聞社の科学記者としてこの事件を担当した記者が、その当時は公表できなかった関係者へのインタビューなども含めて、改めてこの事件の経過を綴ったノンフィクション。
研究対象が非常に関心の高いテーマであったこともあり社会的に大きな話題を集めたが、本書では、科学記者としての観点から、STAP細胞に関する研究論文の発表の段階から徐々に検証が進み不正が明らかになっていくまでの過程を、丁寧に追っている。
様々な論点があると思うが、まず本書の大きなテーマにもなっている、科学的な検証と研究不正の検証という2つの側面に、どのように取り組んでいくべきなのかという点について、読み進めていく中で最も考えさせられた。
発表された論文で主張されていたのは、すでに分化した体細胞に物理的、または化学的な刺激を与えることで、細胞が「初期化され」、さまざまな細胞に分化する万能性を持つ細胞に変化するという現象である。
発表直後から、そこに使われた画像の信憑性などにさまざまな疑義が指摘されるとともに、そもそも再現実験でこのSTAP現象が確認できないということも問題になった。
論文を発表した小保方氏、笹井氏などが所属した理化学研究所は、調査委員会を設置して論文に使われたさまざまな画像、データの確認を行いその結果を公表することは行ったが、調査委員会の調査と並行して次々に新たな疑義が提示される形となり、結果としてこの第一次調査委員会の結果報告は、今回の研究不正の全体像をとらえているとは言えないような内容になった。
しかしその後、理研は不正の調査よりもSTAP現象の再現実験の方に重点を置くようになり、徐々に「再現ができれば疑いは晴れる」といった姿勢に転じていったように感じられた。
一方で、理研による再現実験が進む中でも、さまざまな形でSTAP細胞研究自体の不正を強く疑わせる検証結果が明らかになっていく。STAP細胞やSTAP幹細胞の実験に使われたマウスの遺伝子データの解析などから、STAP細胞はそもそもなく、ES細胞が混入した疑いが強いことが明らかになる。
結果として、理研の検証実験でもSTAP現象は再現できなかったが、一方の不正の検証という面では、その後の第二次検証委員会においても、どのようなプロセスで実験データが捻じ曲げられ、このような論文がつくられて発表されることになったのかという点について、十分な検証は行われなかった。
この事件が発生してからの初期の理研の対応を見ると、資料を保存するために研究室を封鎖したのが1ヶ月近く後と非常に遅く、また小保方氏の研究ノート自体が非常にずさんだっただけでなく、検証委員会でも研究に使われたPCのデータの提供が拒絶されるなど、不正の検証という点からは非常に漏れの多い対応であったと感じる。
科学者は科学的事実を探究するのが本職ではあるが、不正の追求はそれとは異なる意味での真実の追求である。しかし、不正が行われないということが科学コミュニティの議論の土台であり、ひとたび不正が疑われた場合には、科学的な事実の探求とは切りなして、不正に関する真実を明らかにしなければならない。
したがって、STAP論文を発表した科学者が所属した組織である理研は、まず不正の有無の確認のために必要な措置をとり、第三者の力も借りる形で検証をしなければならなかったのであろう。今回のSTAP論文の事件では、結果としてその点が非常にあいまいな形で終わってしまったという点は、理研にとっても日本の科学界にとっても、好ましい結果ではなかったと思う。
一方で、筆者を含むマスコミや、理研、その他の研究機関に所属する科学者などから、さまざまな形で検証や追及が行われたことは、日本の科学界にも一定の検証作用があるということの証左ではないかとも感じた。
理研において独自に遺伝子解析の結果を公表した遠藤上席研究員をはじめとして、多くの科学者が追試やデータの検証を行って、その結果を公開している。また、本書を読むと、筆者をはじめとする多くの報道機関の科学記者がこの事件を取材し、その中で科学者コミュニティの中から多くの情報提供や専門分野に関するサポートを得ていたということが分かった。
当然、本書ではほとんど触れられてはいないが、おそらく多くの政治的な動きやデマ、意図的なリークなども存在したと思われるし、その中で健全かつ有効な検証が行われるためには、それらの情報を見きわめる力量を、科学者も報道機関も身につけていかなければいけない。今回のような専門性の高い領域であればなおさらである。
本書を読んでもう一つ考えさせられたのが、科学報道のあり方である。筆者の所属する毎日新聞社は、本件に対して積極的な報道を展開した報道機関の一つであり、科学環境部を中心に、複数の記者が約1年にわたってこの件を追い続けている。同業他社、特にNHKなどとの報道競争の激しさは本書を読むだけでも非常に伝わってくる。
一方で、科学報道というものと科学コミュニティとの距離感も、非常に難しいものだということも感じさせられた。筆者はSTAP論文の責任著者の一人でもある笹井教授とは、長い付き合いであった。専門性の高い内容を理解するためには科学者の協力が不可欠であり、科学者もまた、その研究の意義、特に社会的意義を伝えるためには、報道機関の協力が必要である。
そのような中で、このような不正に対する報道は、双方が科学の健全な発展のために必要なことであるという認識を共有できていないと、成立しないものであると感じた。筆者も多くの科学者に情報提供の面で協力を得ており、その前提として、たとえ不正という形で日本の科学研究の欠点が一時的に明らかになったとしても、それがより良い科学研究環境の構築につながるという考えが共有されていたことがあると思う。
一方で、非常に白熱する報道競争が科学コミュニティを逆に閉鎖的な袋小路に追いやったのではないかという指摘もあり、特に小保方氏側からはそのような指摘が強くあったということも事実である。この点については、本書ではあまり触れられていない。
報道機関の報道のあり方の検証を報道機関自身が行うということ自体に限界があり、その意味では本書の手に余る部分であるという見方もできるが、科学と舗道のあり方についても、STAP論文の研究不正事件は、大きな論点を残した事件であると言えると思う。
最後に、このような研究不正の背景に、予算獲得のためにインパクトのある研究成果を出さなければならないという研究機関に対するプレッシャーや、研究者同士の情報交換や相互検証が弱かったという研究環境における課題も、重要な点であると感じた。
STAP論文の不正は、iPS細胞の研究を受けて日本の再生医療に関する研究に大きな光が当たっていたという環境下で起こっており、予算獲得のために大きな成果を挙げたいというインセンティブは、研究機関の側に強く働いていたと思われる。
また、今回のSTAP現象の一連の研究の中で、小保方氏の実験に関する研究ノートや生データ型の研究者によってほとんど確認されていなかったということにも、驚いた。欧米の一流科学誌に投稿され、記者会見を開いて発表するほどの重要な論文テーマにおいて、このような形で研究が行われていたということは、反省されるべきことなのではないかと思う。
研究内容がどんどん専門分化し、また実験なども含めて大規模化していく中で、それぞれの担当者がそれぞれの担当分野にだけ注力し、全体を確認したり相互の内容を把握したりする働きが弱くなってきているのであれば、科学研究の土台自体が、危機に瀕しているのではないかと思う。
本書では、日本の科学研究自体の課題については最終章で触れられているだけであるが、この点については、日本の科学報道も引き続き深く取り上げていくべきテーマなのではないかと感じた。 -
力作。
膨大な取材データと専門的な話を、
一般の人にわかり易く書こうとしているので
ものすごく読み応えがある。
当時の状況を、時系列ごとに問題点をあげて構成されているので、
なんとなく知っていたこの事件が、ああこんな問題があったのかと
改めてわかった。
これぞノンフィクションな一冊。
でも、最後がチョットだれるかな。 -
STAP細胞は無い派の本。
あの日、つまりSTAP細胞発見の記者会見当日に筆者が記者としてその場に居合わせたところから始まるが、少しの無駄もなくSTAP細胞への疑惑を丁寧にまとめてある。
小保方氏と擁護派の本を2冊続けて読んだあとにこの本を読んだが、STAP細胞はないと確信させられるほどに記者としての手腕を見せつけられた。
小保方氏いわく、この筆者の取材メールは殺意を感じるほどのものだったそうだが、そう言わしめたのも納得の内容。更にはこれを家事と育児の合間に書き上げたというのだから驚きである。 -
科学には疎いこともあって時間をかけて少しずつ読みました。細かい内容はわからないところもありますが、着実は取材を積み上げて事実を解明していこうとする過程はよくわかりました。その意味では、非常にわかりやすかったです。
STAP細胞が発表され、騒動になった初期、僕自身、小保方氏を引きずり下ろそうとする何らかの圧力が働いているのではないか、と考えていた時期がありました。
政治面や経済面ではそう簡単に陰謀論に巻き込まれない自信があるのですが、自然科学の面では陰謀論とは言わないまでも、自分が信じたい事象だけをつなぎ合わせて考えてしまうのだと痛切に感じた事件でもありました。結局、一定の知識がないと、「これぞ隠された事実」「教科書では教えない真実」などというキャッチーな言葉に引っかかってしまうのだと思います。そう感じていたことを読みながら思いだしていました。
最近、Twitterで新聞記者も博士課程を出た方がいいのでは、という論争もどきがありました。現場の記者からそんなものはいらない、的な意見が多くてびっくりしたのですが、記者の専門性については程度問題だと思います。著者の須田さんが、理系の大学院(修士)まで修了していることが本書のわかりやすさ、追求の的確さにつながっていると思います。別に須田さんは物理学専攻だそうですので、本事件の分野とは直接関係はありません。しかしおそらくは、科学者が話すことを理解でき、あるいは自分が理解できていないことが何かを理解できるのだと思います。だから、的確な取材と検証ができ、自然科学にド素人な僕でも理解できる内容に仕上がっているのだと思いました。
最後の方に、小保方氏の責任、理研のガバナンスの問題点とともに、もっと大きな問題点に言及されていました。それ点は、行政の観点、経営の観点としても僕自身が問題だと考えていることと一致します。どうやらその点は、共著で出された『誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃』に書かれているようなので、次に読んでみようと思います。
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須田桃子の作品
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