女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。 (文春文庫 し 66-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167911775

作品紹介・あらすじ

「都会で働くちょっと個性的な大人の女でありたい!」そのために、きょうも我ら女子は、心と体にゴテゴテと甲冑を身につける。それは、敵から身を守るためなのか、それとも世間に認めてもらうためなのか、はたまた自らの純粋な欲望の発露なのか!?たとえばヨガ、赤い口紅、オーガニック生活……。憧れ半分、天邪鬼な気持ち半分で手を出してみては、うっかりはまったり、しっくりこなかったり。手にとった甲冑を着たり脱いだり毎日は忙しく、心のクローゼットはいつもパンパン。ややこしき自意識と世間の目に翻弄されながら、日々を果敢かつ不毛に戦う、本音しかないエッセイ集。脳科学者・中野信子さんのラブレターのような解説も必読です!

感想・レビュー・書評

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  • R3.6.30

     読んではみたけど、内容が入ってこない。読むのを挫折しちゃいました。

  • ずっと、女は女はって女のことばかりやん、、、ってそりゃこの本のテーマだからだった。

    女は本当に大変なのね、やっぱり外見も大事だし。恋愛だって大切。仕事も最近は少なくなりつつあるけど男女格差あるよねー。あと加齢による変化も男よりシビア。生む生まないとか。
    色々わかるってことは私もれっきとした甲冑持ちなんだろうな。

    色々愚痴って蹴散らしてバーンッっていうストレスが解消されるようなスッキリ感じゃなく、自分をあえて下げて綺麗にまとめられておる印象。こりゃ女は手強い訳だ。



  • コロナ期に書かれた本。前髪ぱっつんわたしもしていたことがあったけど、サブカル系女に思われていたのかな、、でもあれは大学生の頃だしまだセーフ??

    面白いけどジェーン・スーさんの本はオーディブルで全部聞いちゃったかも

  • 「読書家への長い長い道のりで思ったこと」が印象的だった。
    ジェーン・スーさんの、痒いところに手が届くような、しかも人を傷つけない言葉の表現が大好きだ。
    そんなジェーン・スーさんが読書が苦手だなんて意外過ぎる。
    文章を書くことは楽しめるけど読書が苦手っていう人もいるんだなぁ。

    「対象物に劣等感を持っていると、自分の感覚が信じられなくなる。これは面白いとされているはずだから、面白がっておいた方がいいかな?と、楽しめなくても楽しいフリをしたり、美味しくなくても美味しいと言ったり、はたまた過剰にけなしたり。」(p75)

    わたしにとって劣等感を持ってしまう対象物は「アート」だった。

    昔から美術館は好きだった。
    なのに、なんだか美術館を楽しめなくなっていた時期があった。
    有名な絵画を見ても、絵よりまず解説文を読み、分かったような気になって絵をじっと見つめる。
    有名な作品なんだから、何か感じなければいけない、という強迫概念に苛まれながらとりあえず見つめる。
    だけど、特になんとも思わない。
    だんだん、これを見ても心が動かないなんて、自分には美的センスが無いんだろうか、と悲しくなってくる。
    そんな自分を認められずに、ミュージアムショップで中途半端なお土産を買って、無理やり楽しかった思い出として記憶する。
    そんな事を繰り返している時期があった。

    今考えるときっと、いつの間にかアートに関して、好きであるが故に劣等感を抱いていたんだと思う。
    アートが好きな自分でいたい、感性が豊かな人間でありたい、という自分への期待が裏切られる劣等感。
    作者が作品に込めた意図を理解したい、汲み取れるはずだ、そんな気持ちが空回りしてしまっていた。

    そこから抜け出すには、いくつか段階があったけれど、ある作品を見た時に完全に劣等感から脱却したと感じたことがあった。

    その作品は、大きいキャンバスいっぱいに緑で人が描かれていた。
    私はいつもの癖で「なんで緑で描いたんだろう。どんな意図が隠されているんだろう」と考えた。
    解説を読むと「好きな色をたくさん使いたくてこの絵を描きました」という趣旨の事が書かれていた。
    それを読んで、そんなのアリ?と思う反面、そっか、そりゃそうだ、と腑に落ちた。
    作品は作者が好きなように表現する場だ。
    好きな色だからたくさん使いたい、当たり前の話だ。
    そこに「人物を緑で描く事によって作者は何を表現したかったのだろう」なんて想像するのは勝手だし、それも楽しいけれど、答え合わせをする必要は無い。
    だってもともと答えなんて無いのかもしれないんだから。

    アートに対して自分の好きなスタンスで接することができるようになって、私はもっとアートを楽しむ事ができるようになった。
    有名だろうとなかろうと、家に帰ったらこの作品の事はきっと覚えていないだろうな、と思う作品はサラッと見て通り過ぎる。
    逆に、惹かれる作品に対しては、純粋に好きという気持ちで向き合う事ができるようになった。
    「作品に込められた作者の意図」ではなく、「なんで自分はこの作品が好きだと感じるんだろう」と、アートを通して自分の内面を掘り下げる感覚。
    それを味わうために美術館に行けるようになって本当に良かった。

    逆にまだまだ劣等感を感じているのは服装に対してだ。
    私は「装う」という行動に対等になれていない。
    洋服を選ぶ事を楽しめずに、流行の服を見て過剰に批判してしまう事もある。
    頭でなんやかんやと考える前に、どんどん色々な服装を試してみて自分が好きなものを探せば良いとわかっているのに、なぜか勇気を持てずにいつまで経っても「装う」事への劣等感を拗らせている。

    そんな卑屈な自分をさっさと認めて、自分に見合ったスケールで自由に楽しめるようになりたい今日この頃。

  • 非常に良かった
    素敵で読みやすい

    最初は林真理子をもっと対象年齢を下げたような人かと思ったが

    林真理子を下げる気は全くなく
    女という水場にどっぷりとつかりながら
    理知的にそれを俯瞰してみており

    その俯瞰している自分をまた水から
    俯瞰してみるような
    色々な視点を持っている点が心地良かった

    私はこの作者が好きだ

  • 女が武装(自分をよくみせる)のために使ういろんなアイテムにまつわるエッセイ。たしかに個々のアイテムを導入するかしないか自体、当人がそんな意図的に選んでなかったとしてもそれも含めてその人のキャラクターをあらわしてしまうんだよなあ。という着眼点から目から鱗だった。

    自分や周りの人や世間の目に対する、深く切り込んだ冷静な分析が面白くて、あと四十路ならではの視点にもところどころで共感した。

  • なんとなく「負け犬の遠吠え」の酒井さんのようなイメージ。いろいろこじらせるほど頭のいい方なんだろうなぁ、きっと。自虐みたいなネタが多く、たまにちょっとなーと思うのもあったけど、「体重計に情はない」が面白かった!

  • この方、矢張り言語化のオタク

  • 冷静な毒の塊だ〜。冷静なメタ認知と、時たま入る自虐と。おそらく冷静すぎて、心に刺さってしまう。ジェーン・スーさん、何冊か読んでるけど、あまり得意ではないのかも?

    p.90 観察すると、本好きは頻繁に図書館を利用します。その都度、大量に借りて気軽に読み始め、貸し出し期間で読み終わらないものはザクザク返す。気が向いたらまた借りますし、つまらないと思ったら途中で止めるのも平気です。読書が進まなのは、相性やタイミングの問題でもあると本能的に知っているからです。本好きはそうやって大量のほうに触れるうちに自分の好みを把握し、好きな本はちゃんと買って手元に置く。なぜなら、何度も同じ本を読むから、あー、なんと合理的なシステムでしょう。本好きの人間は、本と対等に対峙している。

    不思議なことに、私は音楽では同じことができます。片っ端からサクサク聞いて、好きなものは買う。好みに合わなければ途中で止める。最後まで聞いたことない。アルバムなんて手元にゴマンとありますが、罪悪感は0。「最後まで聞けないのは、私の聞く力が乏しいから…」と劣等感にさいなまれることもありません。「あ、合わない」で終わりです。しかし、読書に関しては、最後まで読むのが正しい読者の責務だと信じて疑わなかったのです。サクサク試して、つまらないと感じたら罪悪感なく止める。音楽ではできて、本ではなぜそれができないのか?私の苦手意識が本と対等に向き合うの阻んでいると気づきました。
    本に限らず、生き物以外の物体と対等に向き合うためには、主客の「主」が自分であることを自覚しなければなりません。対象物に劣等感を持っていると、自分の感覚が信じられなくなる。これは面白いとされているはずだから、面白がっておいたほうがいいのかな?と、楽しむなくても、楽しいふりをしたり、美味しくなくてもおいしいと言ったり、はたまた過剰に貶したり。話題作を満喫できなかったと言うだけなのに「あれはさすがだ」「あれはひどかった」と嘯いて(うそぶいて)自分のスタンス、それ自体をテコにポジショントークをすることさえあります。そういうことをしていると空気を読むのに疲れてしまい、こういう時代から距離を取るようになる。私と読書の関係性はこれです。

    p.128 結局のところ、私は東京に依存しているんだと思います。ここは女が1人で暮らすのに、何もかも便利がよすぎる。スープストックで1人の夕食なら何でもないし、人恋しさと疲れが募ったら行きつけのマッサージに行けばいい。大体配偶者の子供もいないのだから、私なんて人生単位で1人旅をしているようなものじゃないか。わざわざ自分らしさを取り戻に遠方に出向かなくても、私はここで充分自分らしく、生きている!

    p.138 伝えたいことがあるならば、はっきりと言う時は言う。言わない時は言わない。何よりも、その態度に一貫性を持つ。気分で対応を変えないことに注力する。これこそ人の上に立つ人間に求められる資質だと思いました。

    彼女が「私が満たされていたとしたら」とシミュレーションしてから注意するのは、ヒステリックな女と思われないための防衛策でもあります。腹が立つことに、女は抗議するだけで「感情のコントロールができない人」と烙印をされる場面がまだまだあります。誤解を正すためには、そうでない女がいることを実態として証明しなければいけないのです。本当に面倒なことだ。でも、やるんだよ。

    p.146 何が最高なのカフェ?山田亜希子は完璧では無いから。完璧では無いことを、隠していないから。完璧では無いことを隠さない人は、逆説的に完璧だから。不完全は不幸と等号で結ばれないことを、山田亜希子は全身で証明してくれているから。私は事あるごとに彼女のインスタを友達に見せているんですが、小さなお子さんを持つ働くお母さんがぽろっとこぼした言葉が忘れられません。彼女は言いました。「ほっとする。そうだよね、愛情があれば、それでいいんだよね」と。

    さて、私がなぜ会ったこともない同世代の女性に、これほど肩入れしているかと言えば、そこには下衆な理由があります。決して後天的には、手に入らない出自に圧倒されながら、生まれや育ちで全てが飛び級できるわけでは無いことを、私は彼女の中に見たいのでしょう。模倣できない、彼女のたおやかさにねじ伏せられる快感を味わいながら、育ちが人生の全てを約束するわけではなく、幸せはあくまで自分でつかむもので、その点において人は等しく平等だと彼女に証明してほしいと願っている。どんなに育ちが良くても、各地の子の愛情の交換では、誰もが傷つく可能性がある。けれど、そこから立ち上がって、前を向ける者だけが、より深い愛情の持ち主になれる。そう信じたいのでしょう。そんな下衆な心を、私は勝手に山田亜希子へ投影しているのです。

    p.154 手料理を褒められた結果として愛されることと、愛されるために手料理を作る事は同期ではない。頭では理解しています。しかし、ふと弱気になると、自分を幸せにするためにあるこの両手を、人から愛情を引き出すためだけに使いそうな危うさが、人を支配するために有り体をなぞって、気に入られようとする危うさが、私の中にもまだあるのです。思い込みとか刷り込みっていうのは、人が弱ってるときに濃度を増すものなのだ。気をつけないと、後で痛い目を見るのは自分なのにね。

    p.208 普段のママ友さん、旦那さんを愛していないわけでは無いのでしょう。ただ、生活を共に暮らす中で、致命傷にはならない程度のかすり傷を頻繁に負っている可能性があるのではなかろうか。取るに足らない傷に傷ついたり、感謝をしてもらえなかったり、オチのない話を咎められたり。それぞれはどうってことない傷なのだけれど、続くと疲労感が溜まる傷。宝塚とは、そういうものを癒してくれる場なのかもしれない。女が男を演じる時点で、リアリティーなんて誰も求めていないが故に、現実で期待したら一蹴される都合の良い理想が叶えられる空間。

  • 流行へのコンプレックス、ファッションとしての健康志向が作り物めいてて気に入らない、楽して綺麗になりたい自分…どれもこれも女性(TRFの世代ではないけど、最近の流行り物への皮肉とかは30代の私を含めどの世代でも共感されそう)の気分を的確に言語化してて、あるある、そう!その通り!と思う。全体的に自嘲を込めて楽しく書かれてるのでたまにクスッと笑ったり、とにかく笑いとばせる。(自意識過剰な自分を自覚して文字にして笑い飛ばしてしまおうというサバサバと読者と共有しようという著者の自意識が見えるという入れ子構造ではあるけどw ) この本を居心地悪く思う人は、同族嫌悪に近い気がする。抜けきれない恋愛体質を理屈っぽく書くのはちょっと飽きた。前半のレギンス、TRF、プチトマトあたりが面白かった。手料理、自撮り「修正箇所は逆説的にコンプレックスを正確に言い当てており」、核心をついててドキッとする京都は名言が多い。「時代という名の遠心分離機」「ヤングの京都は同ブランドのセカンドライン」「文化的サビ抜き」


    p6「京都に興味が持てぬ自分を後ろめたく思う一方で、ハワイに現を抜かす連中に鼻白む。結果、それらの甲冑を軽やかに装着する婦女子をうらやみながら「あのブドウは酸っぱいに違いない」と、いらぬ言葉を吐いてしまう。
    (略)
    フランス人は10着しか服を持たないと言うし、ときめくものだけ残せと言う人もいます。思い込みのストッパーを外し、ひとまずぜんぶ試着する。」

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著者プロフィール

1973年、東京都出身。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティー。『ジェーン・スー生活は踊る』(毎週月~木曜午前11時TBSラジオ)に出演中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)、『これでもいいのだ』(中央公論新社)、『ひとまず上出来』(文藝春秋)、『きれいになりたい気がしてきた』(光文社)など。

「2022年 『OVER THE SUN 公式互助会本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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