- 文藝春秋 (2020年12月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784167916121
作品紹介・あらすじ
ここ数年、惑いに流されている北
町貫多。あるミュージシャンに招
かれたライブに昂揚し、上気した
まま会場を出た彼に、東京タワー
の灯が凶暴な輝きを放つ。その場
所は、師・藤澤清造の終焉地でも
あった――。何の為に私小説を書
くのか。静かなる鬼気を孕む、至
誠あふれる作品集。「芝公園六角
堂跡」とその続篇である「終われ
なかった夜の彼方で」「深更の巡
礼」「十二月に泣く」の四篇を収
録し、巻末に、新たに「別格の記
――『芝公園六角堂跡』文庫化に
際して」(18枚)を付す。
感想・レビュー・書評
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これまでの作品と比べるとクズな貫多が出てこない異質の一冊。一人称の場面が多く、北町貫多というよりも西村賢太寄りの印象を受ける。とはいえもはやこの人のファンになってしまえば、何が書かれていようが彼の書いた文章というだけでそれなりに興味を持って読めてしまう。
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西村賢太の作品はほぼ全作読んでいるが、これは読み逃していた作品。昨年末に文庫化されたので購入。
西村が「沒後弟子」を名乗るほど私淑している私小説作家・藤澤清造をめぐる4短編を収録。
芝公園六角堂とは、1932(昭和7)年1月、清造が無残な凍死を遂げた場所である。
酔眼に滲むような東京タワー(=夜の芝公園からの景色)の写真が用いられたカバーデザインが美しい。
表題作は、北町貫多(西村の分身)が稲垣潤一に招待されて赴いた彼のコンサートの会場が、偶然にも芝公園のそばだったことから、私小説書きとしての初志を思い出す……という話。
次の「終われなかった夜の彼方で」は、なんと、その表題作に自ら「ダメ出し」をすることが中心になった短編。
残る2編も「藤澤清造もの」ともいうべき内容だ。
収録作全体が、私小説書きとしての決意表明のような一冊。
その分、読者サービス的要素はなく、いつもの西村作品にある、風俗通いの場面や暴言エピソードなどは出てこない。
西村自身が文庫化に当たって巻末に付した一文「別格の記」にも、次のような一節がある。
《「芝公園六角堂跡」では、はなから読み手を喜ばせようとの思いは微塵もなかった。拙作には付き物と見做されている、どうにもくだらない部分――私小説の読みかたも知らぬ幼稚な、本来、拙作とはどこまでも無縁たる、お門違いの〝自称〟読者がキーキー喜ぶ罵詈雑言や暴力描写の類は一切排し、自分の物書きとしての本然の質のみを前面に押し出すことにした。》
私などはまさに、「私小説の読みかたも知らぬ幼稚な、本来、拙作とはどこまでも無縁たる、お門違いの〝自称〟読者」ということになろうか(笑)。
まあ、そんなふうに思われても西村作品は今後も読むけれど、率直に言って「清造もの」は面白くない。
そもそも藤澤清造に興味が持てないし(代表作『根津権現裏』も読んでみたけど、ピンとこなかった)。 -
「芝公園六角堂跡」
「終われなかった夜の彼方で」
「深更の巡礼」
「十二月に泣く」
(文春図書館 著者は語る 『芝公園六角堂跡』西村賢太)
(別格の記――『芝公園六角堂跡』文庫化に際して)
こ、これは新機軸、というのか、自家中毒というのか……。
西村賢太にはずっと「うるせえこの経血女が!」「秋ちゃん、でえ好き」などと書いてほしい者だが、
記事「著者は語る」にて、そんなくだらない”自称”読者にはうんざり、と言われてしまった。
「別格の記」という、その記事の注釈を読んで、本気なのだなどれどれ、と。
表題作では、これまで秋恵が好きというから聞いていたと書いていたJ・I(稲垣潤一)、実は子供の頃からのファンだったと明かしたり、よれよれの服は自己演出のものだと名言したり(そもそも『どうで死ぬ身の一踊り』のころはスタイリストらしくスーツでアタッシェケースを提げていたし)、作品だけでなくタレント化して自己演出をしていたにすぎない、と言われれば、読者としても薄々わかっていたけれど、一抹の寂しさを感じないわけでもないが、まあ表題作ははいそうですかというもの。
この作品集で凄いのは、次の短編、そのまた次の短編、さらに次の短編で、必ず前作を否定するというかズラす。
決意と振り返りを延々行いながら、では何をするかと言われれば、ただその過程を作品化するだけなのだ。
しかもあとがきめいた短文をつけて、それすらもズレのため?
43ページ「イヤ、自分で云うのも何んだが(この辺、作中の視点が滅茶苦茶だが)、敬愛なぞ云うヤワなレベルではない」という一文に現れるように、もう西村でも北町でもどうでもよくなるスレスレのところまで、この一冊で自己演出を、解体する? いやそれすらも自己演出の一環?
もういいんだかよくないんだかわからない。 -
西村氏の本もかなり久々だし、私小説も同レベルで久しぶり。
西村氏が藤澤清造氏についての思いをこめた作品で、ご本人の書きたいことを書いたもの。自分の心を守るために小説にしている部分は当然にあり、そのために修正を加えておられる。西村氏という作家に思いが深い読者ならばもっと楽しめたのかな -
まだちゃんと読めてない気がする。
なんの感想も出てこない。
もう一回よも。 -
「芝公園六角堂跡」
ミュージシャン J・I のライブに招待されて
舞い上がってしまう北町貫多
ところがそのライブ会場が
藤澤清造の死去地に近かったもので
虚栄に浮かれ、初心を見失った自分自身を
まじめに見つめなおすきっかけにもなった
その機会を与えてくれた J・I には心のなかで感謝せざるをえない
自虐に満ち満ちたようでいて
かなり自己愛的な筆者の考え方が現れている
「終われなかった夜の彼方で」
前の作品では、J・I さんに気を使う面もあって
なんかいい話っぽくまとめてしまったが
本当はぜんぜんいい話なんかじゃない
藤澤清造の没後弟子を名乗っておきながら
自分もいい歳になるというのに
全集の完成に向けて、具体的なことはなんにも進んでいないのだ
そのような現状を招いている最大の原因は
藤澤の肉筆が古書市場に現れるたび
高いカネを払っているからなんだけど
金欠の問題というより
その完璧主義が足踏みを余儀なくさせているのだった
完璧主義は「根津権現裏」の登場人物を縛るものでもあった
「深更の巡礼」
藤澤清造にハマる前は田中英光を研究していた
それで、文学賞をとったのち
田中英光の新しい作品集を編纂する流れにもなったが
出版社の事情に阻まれてあまり上手くいかない
しかし結局、商売がやりたいわけではないし
ましてタレントとしてチヤホヤされたいわけでもない
文学に触れていたいのである
それを、刹那的な情熱といわないこともないけど
「十二月に泣く」
田中英光は太宰治の墓前で自殺した
それはたぶん最終的に、太宰治との向き合いにおいて
自分の世界を完結させてしまったのだと思う
そういう生き方が西村賢太の琴線を
どう刺激したかはわからんが
彼は藤澤清造の墓というものに強い執着を持っていた
藤澤の墓を勝手に作り直し
その隣に自分の墓をたてた彼は
そこから逆算して自分の世界を構築していったのだろう -
【何の為に私小説を書くのか。鬼気孕む短篇集】厳寒の深夜、師・藤澤清造の終焉地に佇む北町貫多。静かなる鬼気を孕みつつ、歿後弟子の矜持を示す四篇。巻末に「別格の記」を付す
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西村賢太10冊目
稲垣潤一のコンサートにお呼ばれした場所は奇しくも、、、
己を顧みる貫多、いや賢太
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芝公園六角堂跡/西村賢太著 #読了
既に芥川賞を受賞して世に名を売り、作家としてのみならず、タレント業で世に知られるようになった氏が、改めて藤澤清造の殉後弟子を自認し直すまでを4篇の短編をもとに描いている。本人も誰に読まれる必要も無いと述べており、自身が藤澤の殉後弟子として襟を再び糺すまでの決意が描かれている。所謂貫太シリーズとは異り破綻のカタルシスを得られる類の作品では無いけど、西村賢太ファンにとっては未読は避けたい逸品でした。 -
本人は「別格の作」と評しているということだが、その意味は、誰に読ませるでもなく自分のために、自分が清造の歿後弟子として恥ずかしくない人間であるために書いたという点で「別格」ということらしい。
冒頭、稲垣潤一のコンサートのくだりが異常に長く、なんだこれはと思っていたところからグッと暗い調子になり、反省して、かなり自省的な調子で最後まで行く。読み終えてみればなるほど冒頭でコンサートの華やかさをしつこく描いておくことで後半との落差をつけているのだなとわかる。誰に読ませるためでもないと言いつつも、そういう意味ではちゃんとおもしろくしようとしているところがやはりかわいいと思う。 -
どうしようもないところまで追い詰められた、ギリギリの人に、射し込んだ純文学という一筋の光、蜘蛛の糸。
そんな切実な救いが胸に沁みる。
文学好きだけでなく、一度は絶望し堕落した経験がある全ての人に勧めたい。
いつもの罵倒や暴力、女性差別などは鳴りを顰め、その意味でも幅広い読者に受け入れ得る作品。 -
2022/11/18購入
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今までの西村賢太と違くていい
にしてもこの奥まで伝わってくる文章力たまらねぇ -
七尾の西光寺
まさかの偶然 全く繋がりないけど
少し縁があって
またしばらくして読みたい
著者プロフィール
西村賢太の作品
