- 本 ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167920227
作品紹介・あらすじ
★今村夏子ワールド全開の衝撃作!
村田沙耶香の解説で文庫化
アパートで母親と暮らす亜沙。
友だちも、金魚も、家族でさえも
彼女の手からものを食べようとしない。
「お願い、食べて」
切なる願いから杉の木に転生した亜沙は、
わりばしとなり若者と出会った――(表題作)。
他者との繋がりを希求する魂を描く、
いびつで不穏で美しい作品集。
単行本未収録エッセイ3篇を増補。
〈目次〉
木になった亜沙
的になった七未
ある夜の思い出
ボーナス・エッセイ
解説・村田沙耶香
感想・レビュー・書評
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ほんとうにタイトルのままの作品だった。
つまり、木になった亜沙ちゃんの物語だったのだ。
わたしの作ったものを食べて、と願う女の子、亜沙が主人公の表題作は、わずか42ページの短編。お昼休み中、ごちそうさまでした、をしてから読み始めても、お昼休み中に読み終わってしまった。世界観の独特さが、読んだことをずっと忘れさせない。そんな印象を抱かせる。午後の仕事に集中できない。
その後に続く『的になった七未』も同じスタイルの作品で、わたしに当てて、と願う女の子七未が主人公の短編。こちらは『木になった亜沙』の倍以上ある、88ページにもわたる作品で、こちらは『木になった亜沙』よりも寓話のような要素が強く、浮かんでくる映像はマンガかアニメーションのようだった。わたしには寓話よりも、背景描写がしっかりしたコメディのように感じられる部分が強かったように思うのだけれど。
いずれの作品も女の子が主人公で、この二人の女の子の人生がかなり壮絶というか悲しいというか悲惨で、寓話だったとしたらリアルだし、リアルだったとしたら寓話であってほしいと願うくらい、悲しかった。この子から相談を受けたら、どのように返してあげたらいいんだろう、と、仕事柄そんなことを考えながら読んで、途中からそんなことを考えながら読むことがもったいなくなって、没頭した。傷を描き、抉る。
作品の最後には、作者である今村夏子さんの日記が収録されていて、この今村夏子さんという作家さんが普段何を考えているのか気になりまくっているわたしにはかなり嬉しいものだった。描かれているのはコロナ禍の子育ての様子で、その大変さはもちろんなのだけれど、どちらかというとわたしには今村さんの不器用さ(ごめんなさい)の方が強く伝わってきて、だけどそれがその人自身の等身大のリアルな生活なんだろうな、と思えてわたしは好きだ。
木になったり的になったりする独特な作品、いや、ここはあえてこの言葉を使うと、”クレイジーな世界観の作品”の解説は村田沙耶香さん。もっともっとクレイジーな解説を求めていた自分がいた。
帯にある「食べて、お願い。私の手から。」を見て浮かんでくるのは、マカロニえんぴつの『ブルーベリー・ナイツ』
サビのラスト『誰でもいいよ、私を掬って、食べて』というその歌詞に含まれるもう一つの意味、『私を救って、食べて』。
みんなも是非聴いてくれよな!!!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごーく独特の世界観を満喫できました。不気味過ぎるのですが、なぜか引き込まれて一気読みでした。
「むらさきスカートの女」に引き続き2作目に読んだ今村夏子さん作品。楽しめました。 -
幻想的な世界感で人と上手く関われないのを独創的に描き、なんとも言えない面白さとほんわかな空気感で読む手を止められない、奇妙で不思議な物語 だった。
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表題作の「木になった亜沙」は、自分が手につけたものを、中々受け取ってくれないジレンマに、悩んでいる亜沙が、木になって、伐採され、割り箸になり、人に触れてもらい幸福を感じる作品な
のですが、孤独感を感じる主人公が、木に転生することによって、触れられる人生を味わうという
幸福感が、文章から感じれて良かったです。
どこか不思議な目線が今村さんの作品の特徴だと
私は感じていて、「奇妙」と「現実」の境界線を
上手く作品に表現しているなと感じました。 -
3話とも現実にはない世界 でも感じるものは伝わる。世の中の歪みが出ているし解決出来ないジレンマを言の葉にしてるのでは。外に出ないで15年、億劫で畳の上這いずり回る生活父親に追い出され夜の街を這いずり徘徊するジャックに出会い助けて貰う餌をあげるのぼるくん世話をするお母さんとジャックと子供を作る約束する夢か現実か。であまりにも切なくて、でも読み続ける。その後結婚して子供を作るのが救いかと、たくさんの賞を取る今村夏子さんを知ろうとしたけど届かなかった。こちらあみ子からずっと読んでも悲しくなるが先行してしまう自分はまだまだ未熟者
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疎外感は自分の中だけで肥大化する。すると無力感に襲われ、立ってることすら出来なくなる。ついに呼吸が乱れ、その苦しみの中に安息を求めてしまう。現実と妄想が混在したある夜、自分も転生してしまいそう。
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6冊目。
今までは現実に地続きの寓話だったが、今回は寓話度数さらに高め。
しかし確実に現実とつながっている寓話だ。
分かってもらえないとか、自分が周囲をよくわからないとか、大きく言えば生きづらさという現実の感情が核にあるから、ファンタジーではなく切実に感じられる。
それにしても今まではギリギリこちら側だったのに対し、今回はギリギリ向こう側に踏み出してしまった印象がある。
今村さん、大丈夫だろうか(愚問)。
■木になった亜沙
■的になった七未
■ある夜の思い出
◆ボーナス・エッセイ3編(バイキング/日記とエッセイ/日記)
◇解説・村田沙耶香 -
不思議な世界観。
お話の展開がありえない設定だけど面白くて、次はどうなるんだろうと気になって読み進めていました。
ちょっとゾワッとする感じが、なんとも言えない物語
『むらさきのスカートの女』につづいて、この世界感にはまってしまいました。 -
木になった亜沙 誰も自分の手から食べてくれない亜沙が杉の木に転生して割り箸になって、、
的になった七未 色々投げつけられても全く当たらない七未が最後当てられると、、
悲しくもあるけど淡々とした語りで話が進みそれが引き込まれます。
ある夜の思い出 え?猫なの?人間なの?
面白いけれど難しかったです。
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以下、ネタバレ含みます。注意。
自分の手に対する不信感がある。
もう少し具体的に言うと、自分が作るものに対する不信感がある。
それは、単に不器用というだけでは片付けられないような気がする。
だから、亜沙の、手ずから渡したものを誰にも受け入れてもらえないことに対する、拒絶を感じる気持ちは、少し分かったりする。
途中で、亜沙の手をきれいと言ってくれる先生に、好意を抱くシーンがある。(同じ構造は、的になった七未にも登場する)
きれい、という言葉を、私は「何も出来ない」と言う風に受け取ってしまうと思う。
伊藤亜紗の『手の倫理』を思い出した。(奇しくもアサ繋がりだな)
触れることの、境界の侵食。
亜沙の手は、誰とも繋がらない。
感情が交わされない。
支配的に扱っても、満たされない。
そして最後に、木になりたいという、感情を削ぎ取ったような願いを抱くことが、切ない。
(読んでいる最中は、あまりに突拍子のない展開に、思わず首を傾げた)
小説は面白かったけれど、小説と同じ温度で書かれたエッセイを読んで、今村さんの生活ってどんなんなんだろう……と気になった。
著者プロフィール
今村夏子の作品





