奏鳴曲 北里と鷗外 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2024年7月9日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784167922481

みんなの感想まとめ

明治時代の日本を舞台に、感染症との戦いに挑んだ二人の男、北里柴三郎と森鷗外の物語が描かれています。医療の発展を目指しながらも、道を違えて対立する彼らの関係は、誇り高いプライドと人間味溢れるキャラクター...

感想・レビュー・書評

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  • 登場して未だ然程経っていない新しい紙幣に肖像画が在る、あの北里柴三郎の画が入った表紙カバーに目を奪われて興味を覚えた一冊だ。そういうような妙な切っ掛けではあったが、本作に出会えたことは幸運だった。愉しく頁を繰り続けて読了した。
    本作は、史上の実在人物である北里柴三郎(1853-1931)、森鷗外(林太郎)(1862-1922)をモデルとした主人公達が活躍する。伝記的な要素も入るような物語である。
    北里柴三郎は細菌学の権威で、ドイツへ留学してコッホに師事して実績を重ね、帰国後も色々と活躍した。「鷗外」という筆名がよく知られる森林太郎は陸軍の軍医としてキャリアを重ねている。
    敢えて2人の生没年を記したが、北里柴三郎と森鷗外は同時代人である。北里柴三郎は9歳年長で、9年長生きしている。森鷗外が60歳で他界したのに対し、北里柴三郎は78歳で他界している。
    北里柴三郎と森鷗外の両者は、親しく交流していたという程でもないかもしれないが、2人の生涯の中で様々な接点が在った筈である。その辺は明確な記録が在るのでもなく、作者の創造の翼が羽ばたいているのだとも思う。本作は、そういうような2人の医学者が、一部は共通する志を胸に、明治時代を駆け抜けた物語ということになる。
    本作は、北里柴三郎が主要視点人物となる節と、森鷗外が主要視点人物となる節とが折り重ねられ、「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」という題を冠した4部に纏められている。各部の名前は人生の中の時期と季節とを重ねるような言い方だとも思うが、2人の主人公達の極若かった頃から、壮年期、中年期、晩年近くという人生の場面や出来事が綴られることになる。因みに題名に在る「奏鳴曲」というのは「ソナタ」と呼ばれる器楽曲のことで、4つの楽章で構成されるという。恐らく、4部で構成されている本作の感じと重ね合わせたのであろう。
    明治時代の前半頃には「公衆衛生」というような概念が希薄であったと見受けられる。上下水道の整備や廃棄物等の処理、伝染病の広がりの予防というようなこと、疾病等の治療が進め易くすることというような政策的な課題に少しずつ光が当たって行くこととなる。「医療」を通じて、社会に安寧をもたらすこと、社会の発展を底から支えるというようなことを、若き日の本書の主人公達は志す。そしてその概念を「医療の軍隊」というように呼ぶ。
    本作の物語は主人公達が志した「医療の軍隊」というようなモノを登場させ、「公衆衛生」に資する活躍が出来るのか否かというような事柄が通奏低音になっていると思う。そして少し対照的な感じもする北里柴三郎と森鷗外の生き様が対比され、更に彼らの周辺に現れる、明治時代の多彩な人達の動きが在る。
    本作を読む限り、北里柴三郎は真直ぐで一意専心に物事に打ち込むような感が強く、森鷗外は色々な事情の中で複雑なバランスを取りながら生きているというような感が強い。そういう事が興味深いのだが、本作は全般として「公衆衛生や医学や社会という意味での明治史」という感じで読み応えが在る。
    森鷗外に関しては、作家としてよく知られていて「作家の森鷗外」として、既に色々なことが語られていると思う。他方、「軍医の森林太郎」ということになると、本作程度に詳しく語られている例は余り無いかもしれない。
    「軍医の森林太郎」は最終的に軍医総監という最高位にも到達している。その軍医としてのキャリアの中、彼は「脚気」という問題で苦慮している。現在では、接種する栄養の偏りによって発生してしまう症状と知られているが、明治時代にはそういうことが判らなかったのだ。その辺の経過が本作に随時登場する。そしてそういう辺りが「事情が分かり悪い問題が生じた場合の対応?」というようなことで、考える材料を提供しているかもしれない。
    本作の森鷗外または林太郎については少し複雑だが、北里柴三郎については何か元気をもらえるような感じの部分も多かった。
    本作の作者は御自身も医学者であり、公衆衛生の発展経過や、北里柴三郎や森林太郎が携わった仕事や関連事項に或る程度通じているのだと思う。それ故に、そうした分野に然程明るくなくても判り易いように、巧みに纏められていると思った。
    その他、本作には山形有朋、後藤新平、大隈重信というような明治期から大正期に活躍したような人物が色々と登場する部分が在って、個人的にはそういう部分も気に入っている。
    新しい紙幣の故に少し注目されている北里柴三郎について、同時代人の異色の人材であって、よく知られている森鷗外に纏わる事と合わさって、重厚な物語を構成している本作は非常に興味深い。広く御薦めしたい。

  • 北里サイドと森サイドで同じことが書かれていたり、年号と事柄が列挙されていたりと、ストーリーを追う気でいると、読みづらさを感じた。
    が、本郷和人氏の解説で史伝と歴史小説の違いを知ると、なるほどこういった書き振りになるのも納得だし、分かりやすく描かれているのだなと思い直した。
    解説の『史料の確度を吟味し、信頼できる史料を以て歴史像の復元にあたる』という一文が、史伝を読み慣れない自分にとって、この作品に自分を馴染ませるきっかけになった。

    ストーリーに関しては、森が意固地に北里を敵視する理由がよく掴めずモヤモヤとしていたが、最後、北里が森の見舞いに訪れるところから臨終までの美しい描写で、なんだかスッキリした心地になった。また、ここでも、『でも彼は科学者だった。』という解説中の文が、スッキリの後押しをしてくれた。

  • 北里柴三郎と森林太郎(鷗外)は「感染症から国民の命を守る」という同じ志を抱き、共にドイツへ留学し、世界的権威ロベルト・コッホの秘蔵っ子となる北里。その縁で森もコッホの下で学びます。帰国後、理想を掲げる二人は次第に道を違えていき、北里が民間の立場から実学としての細菌学を追及する一方、森は陸軍という組織の中で官僚的な衛生行政を担っていく。

    結核菌やコレラ菌を発見したコッホ。その秘蔵っ子の北里もペスト菌や破傷風菌の発見、また破傷風菌の血清療法の開発等、世界的な学術成果を挙げた。
    だが、北里は政府の官僚的な体質を批判したのが祟って、帰国後は冷遇され宙ぶらりんの状態であった。そこへ福沢諭吉が救いの手を差し伸べて私立の研究所を設立し、北里も活動の場を得るが・・・

    一方の森は順調に軍隊での出世と作家としての才能を開花させるが、脚気(かっけ)問題では、後世に大きな汚点を残している。
    当時は、脚気(かっけ)での死亡が深刻な社会問題となっていた。
    陸軍では、脚気は細菌感染という考え方が主流であったのを配慮した森は、栄養学の観点から陸軍の白米食を理論的にバックアップし、海軍が採用した洋食+麦飯(麦と米の混合食)への切り替えを認めず、白米食を維持する立場を取り続けた。
    その結果、日露戦争では、戦死者よりも脚気での死者が多い事態(28,000人以上)となるが、陸軍はその事実をひた隠しにし、陸軍軍医としての森の立場は揺るぎなかった。
    陸軍軍医としては最高位の陸軍軍医総監(中将相当)まで登り詰めた森だが、北里の大鷲のような強靭さと、目標に対して一直線に翔けて行く意志に対し、森は常にコンプレックスを抱いていたと思われる。また森家の家長としての期待、組織人としてのしがらみに常に悩まされていたので、そのはけ口として文学の道へもひた走るが・・・
    そういう事象が淡々と書かれているのですが、森林太郎(鷗外)の苦悩の掘り下げ方が今一つ心に響かないという感じです。
    全体として面白く読み通せたのですが、読後感となると、いまひとつ物足りないという感じになったのは残念です。

    山崎正和氏の「鷗外 戦う家長」という優れた評論があります。そこでは明治という国家の期待を背負いながら、家というものを必死に守り抜こうとした一人の男の「闘い」と「孤独」を浮き彫りにしています。

    「挫折しないことへの不安」に怯えながら、最後まで社会的役割を演じ続けた森が、死の床ですべての社会的肩書きを拒否し、「森林太郎」として死んでいく事実。そこから逆に遡って考えれば、もっと哀れな、悲劇的な人間として森を描けたのでは・・・読者の身勝手な思いですが・・・

  • 明治時代のニッポンに、感染症との終わりなき闘いに挑んだ男たちがいた。「細菌学の父」北里柴三郎と、陸軍の軍医総監にして文豪の森鷗外。民の命を護るため「医療の軍隊」を夢見た北里と鴎外は、なぜ道を違えて対立したのか。医師でもある作家が描くライバル物語!

  • 井沢元彦さんの逆説の日本史: 明治激闘編 日露戦争と日比谷焼打の謎 (26)にかなり厳しい森林太郎(鴎外)批判がある。海軍は麦飯で脚気発症を抑えている事実を無視し、米食を続け、日露戦争では戦争での死傷者以上の軍人を死に至らしめている。陸軍の医療衛生の責任者の要職にあったのに、非難に対し検討会を立ち上げ問題を棚上げして逃げまくったと。

    北里柴三郎と森鴎外を主人公にした物語。
    鴎外については、「ぼく」と1人称で語られる。津和野の森家の坊ちゃんはプライドはあるが、中身が無いような印象。
    北里は豪放磊落。若きに明治天皇に面会する。明治帝「そちの言は正しい。たとえ朕が不快に思っても、自由に話せと申したのは朕である。だがそちの言は無礼であり、これでは気が晴れぬ。なので角力を取って、勝った方が言い分を通す、というのはどうか。」こういう外連味のある海堂節が心地よい。
    登場人物たちが自分を誇りながら言い合う場面は、桜宮サーガの火喰い鶏、白鳥が頭に浮かぶ。階上からそれらの騒動を眺めている石黒忠直と長居専斎。石黒は北里と鴎外の行く道に影響を与えるしぶとい妖怪のよう。

    後藤新平って医学出身の人だったんだ。根っからの行政の人と思って思っていた。後藤と北里の貶しあいながらも、どちらが上か判らない関係。良いパートナーだと思う。
    後藤の検疫対応は早期に立ち上げてきっちり徹底している。新型コロナ騒動のときには後藤のような人がいなかったということだな。

    最終的に鴎外は敗者だけど北里が褒めたたえられているわけでもない。偉業も沢山あるが、間違いもあり、効果のないツベルクリンを売りまくったり、伝研は乱脈経営でその金は北里の女遊びに消えている。

    あとがきに鴎外と北里の心情的な交流の記録はないとある。解説にも歴史と歴史小説に触れている。しかし、こういう確執はあったんじゃないかなと信じてしまいたくなった。

  • 北里柴三郎と森鴎外の少年期から死後までを,医事.特に件の脚気論争を中心に描かれる.二人の思想,哲学がどのように形成され,日本近代医学に反映されたのかが対立構造で提示される.何者にも縛られない自由人北里に対し,母に,延いては軍という組織に束縛され続ける中でレゾンデートルを模索する森の,果たしてどちらが幸せだったのだろう.その呪縛を発端とする脚気への対応間違いのために亡くなった陸軍兵士という生命を,森はどのように総括していたのか.生命は決して文学的要素に過ぎない訳ではない.

  • 人物像が全く見えてこない歴史小説

  • 鷗外研究者の端くれとしては、読まねばならぬ作品だと思い、読んだ。北里も新1000円札の顔ではあるし。
    どこまでが資料に基づいていて、どこからが作者の想像なのか、とは思うけれど、作品としては面白くはあった。

    皆、人なんだなぁ。

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著者プロフィール

1961年千葉県生まれ。医師、作家。外科医・病理医としての経験を活かした医療現場のリアリティあふれる描写で現実社会に起こっている問題を衝くアクチュアルなフィクション作品を発表し続けている。作家としてのデビュー作『チーム・バチスタの栄光』(宝島社)をはじめ同シリーズは累計1千万部を超え、映像化作品多数。Ai(オートプシー・イメージング=死亡時画像診断)の概念提唱者で関連著作に『死因不明社会2018』(講談社)がある。近刊著に『北里柴三郎 よみがえる天才7』(ちくまプリマー新書) 、『コロナ黙示録』『コロナ狂騒録』(宝島社)、『奏鳴曲 北里と鷗外』(文藝春秋) 。

「2022年 『よみがえる天才8 森鷗外』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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